御家再興の条件
7月18日、小笠原長時と50余の一行は平瀬城主平瀬義兼の道案内で、平瀬城を目指す。犬甘政徳も同行した。山と谷の刈谷原から広い府中(現松本)平に入る。峠道を降りたる際、瞳に飛び込む緑豊かな山々と、実り豊かな田園風景と、陽の光に輝き満ちる大小河川たち。小僧丸は思わず、見惚れた。
ーーすごい。これが父上の土地なんだ!
守護館からの風景しか知らなかった小僧丸だ。実感できたのはこれが初めてで、武者震いした。
峠を降り、奈良井川を渡河すると、平瀬の湊町に到着する。ここは奈良井川と梓川の合流点にある大きな町で、その北部に居館を兼ねた城がある。大通りを歩けば、無数の町民から注目される。黒ずんだ肌、曇った表情と冷たい視線。肌ツヤの良い小僧丸は長時と馬上から眺めるが、思わず目を瞑った。
ーーこわい。これが、父うえの民なの……?
そう痛感させられ、ふと長時を見つめる。
なんとなく父の背中が小さく感じた。
この大通りを抜けると、城の大手門に着く。義兼の家臣で留守役の丸山政知が出迎えてくれた。
長時らはこの平瀬で南側(武田勢がいる方面)の守備を固め、長隆一行の安全確保を図る。その後、長隆一行は二木重吉の道案内で中塔へ向かう手筈になってる。犬甘政徳は自分の屋敷へ帰宅した。
平瀬城、奥屋敷の一部屋で小僧丸は休む。長時一行に従った幼児は小僧丸だけではなかった。専属の稚児小姓として尾藤宣三(尾藤重吉次男)と征矢野功右衛門(征矢野宗信三男)が選ばれた。小笠原頼貞と配下の塩尻衆数名も小僧丸の護衛役となった。
宣三は賢いが少し皮肉っぽいところがあり、功右衛門は脳筋っぽいが、たくましさと素直さがある印象を受けた。
そんな子供三人、緊張している。それは、小僧丸に配下が設定された理由がそうさせていた。
小僧丸はつぶやく。
「ひ、人質に行くのか……」
功右衛門は不満いっぱいだった。
「なんで、よりによって村上なんっすか!」
宣三も嫌がる気持ちはあるが、仕方がないと言う。
「小笠原と違って、武田に勝ったことがあるんですよ。頼るしかない」
「小笠原だっていつかきっと勝っすよ。無礼な!」
「あ、そうだった。ごめん……」
宣三のいう「勝ったことがある」とは、今から2年前、天文17(1548)年の2月14日に起こった上田原合戦を指す。これは、埴科郡坂城を本拠とする村上義清が、武田晴信を打ち負かした戦いである。
武田晴信は、今から9年前の天文10(1541)年の6月に家督を継ぐも、父親を甲斐国外へ追放して強引にその座についた。領内では代替徳政を出して不満を打ち消したようだが、その外では親不孝の極悪人だ。案の定、晴信は守護にもあるまじき侵略策をとる。翌天文11(1542)年4月と5月、信濃国諏方郡で7年に1度の奇祭、御柱祭が開催された。この終了を合図に信濃国内800ヶ所にも及ぶ諏方社で小さな御柱祭が行われる。この隙を狙った7月に奴は侵略を始めた。これで諏方郡の領主で晴信の義弟、諏方頼重を滅ぼし、捕らえ、切腹させた。にも関わらず、忘れ形見だった12歳の少女を欲望のままに娶る暴挙まで行ったのだ。更に奴は図に乗って、伊那郡や佐久郡へ侵略を深めた。土地の作物や財産のみならず、地元の人々を奪った。甲斐国内にある金山の労働力にしたり、人身売買や身代金要求まで行い、悪行の限りを尽くした。長時は信濃守護として、武田晴信はが許せなかった。しかし、そんな晴信の鼻をへし折った最初の男こそ、2年前の村上義清である。だけら信濃中の民衆は、義清に喝采した。
だが奴は、これでも懲りずに信濃侵略をやめない。2年後の今年、奴は小笠原宗家を滅ぼして、余計に図に乗ってしまったのだ。
小笠原長時は御家再興のために、信濃国内に残る地元勢力の協力を欲してる。今、とくに兵力の高い勢力は4家ある。伊那郡南部の小笠原信定、木曽谷の木曽義康、越後国に隣接する高井郡の高梨政頼、そして村上義清だ。なかでも村上家は、他と比べても国力は突出していた。大雑把なイメージだが、信濃国南側の代表格が長時の小笠原宗家なら、北側は村上家といえよう。
援軍を頼む以上はそれ相応の見返りが必要だが、何もない場合は人質しかない。人質にも価値はある。家庭内秩序の高い者ほど送られる。この場合、小僧丸になる。
功右衛門が愚痴った。
「村上って蛮族っすからね」
小僧丸は疑った。
「ほ、本当なの?」
「はい。素手でメシを食う連中みたいです」
「そ、それは、ばっちいのう……」
「蛮族の飼い主、義清さまはカラスみたいに腹黒いっていわれてますからね。援軍と御柱祭の寄付とか、やるやると口で言いながらやったことなど一度もないっす」
「でも、叔母上(長時の実姉)が村上様の正妻だから大丈夫だと……」
「……だといいんですけど」
功右衛門は呆れていた。宣三も、
「いくさは百戦錬磨で、正直、御屋形様より凄いんですけどね……」
と、合戦以外はまるでダメだといいたげだった。小僧丸は宣三と功右衛門の村上嫌いな態度は、小笠原宗家の家中全体の空気といえる。家族のなかでは長隆が一番、怒り心頭に発する。しかし、小僧丸にそのような感覚はない。
ーー村上家には同い年の子がいる……。
正直、会いたい。村上家は野獣の巣窟みたいに怖いところらしいが……。そして同い年の男児といえば、仇敵武田家にも一人いた。しかもその子の母親が、諏方頼重の忘形見である。小僧丸は藤菜から聞かされ、よく知っていた。
19日、武田軍に動きがあった。午前、灰と化した信濃府中に野営する武田勢の一部、しかも晴信の本隊が深志城にへ移動したのだ。
これは犬甘城から遠望できた。犬甘政徳は早馬を平瀬城へ送る。長時は事態を重く見て、自らの目で確かめたいと、昼、犬甘城へ馬を走らせた。護衛10数騎と、深志城主だった坂西時重も同行させた。ここで長隆一行が平瀬の北側を通過するも、報告を受けた長隆は、状況把握のため、貞種と一部重臣とともに平瀬城に入った。午後、深志城で鍬立式が行われた。長時は夕刻に戻って、家臣たちに伝えた。
「詳しいことまでは分からん。ただ、深志城を拡張させることは確かだ。信府の土を掘り起こしておった。あと、林城を廃城にして、建物や塀で使っていた木材をバラし、深志に持っていってる。犬甘殿が明日にでも忍びを放って、詳しいことを探る。我がほうでも征矢野親子に調べさせることとした。武田晴信は深志城を、我が安筑支配の拠点にしたいのだろう」
坂西時重は憤ってる。
「畜生っ、深志はワシの城だぞ! 小さくて古びても、坂西家代々の想いが詰まってるのじゃぞ。なのに奴ら、勝手に壊しやがって!」
城主としての誇りがズタズタにされた気分だ。
ただ、長隆はそこに敵の隙を見たようだ。
「深志は周りが沼と川だから、城を広げるなんて無謀でしかない。足場を固めるだけでも手間がかかるぞ。工事に四苦八苦する間に、我らは攻め取ればいい! それに深志は粗末な平城だ。険しき山城じゃない」
攻め落とすのは簡単だと思ったようだ。家臣たちも長隆の強行策に賛成する。
貞種は冷静だった。確認を込めて言った。
「信府(信濃府中)がなくなったんだ。ならば御家再興の条件は〝深志城を攻め落とす〟。兄上、これで良いのですな?」
長時は頷かないが、肯定した。
「ああ。それで間違いないと思う」
これが皆の共通認識となり、大きく頷いた。坂西時重は頭を垂れていた。
21日、長時は護衛を連れ、坂城へ旅立つ。
小僧丸を人質に出すから援軍をくれ、と。




