表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
15/16

諏方頼継の絶望

「ははうえ!」


「どうしたの、小僧や」


「それがし、四郎どのに会えるそうです」


「え? 四郎って、あの武田の?」


「はい」


「あらあら。でも、何故ですの?」


「高遠の翁が、会わせてくれるって言ってました」


「え? え?」


 藤菜夫人は理解できなかった。憎むべき敵になったのだから当然だ。でも、小僧丸はとても嬉しそうに語ってる。

 ここで湖雪斎が部屋に入って、小僧丸を軽く注意する。


「こら小僧や、他言無用をベラベラ喋るな」


「は、はい……」


 小僧丸は舌を出した。長時は言う。


「まあ、藤菜とワシにだけは構わないけど、他の者には決して喋るな」


「兄うえは?」


「長隆にはワシの方から話しておく。ま、知らせるだけだ。長隆はこの府中平の問題だけでも手一杯なのだからな。内通者は慎重に扱わないといかん。ともかく高遠翁との約束、もし漏れたら、会えるものも会えなくなるぞ」


「ご、ごめんなさい……」


 小僧丸は軽々しかった。だから注意されたと受け取り、謝った。藤菜夫人はどこか能天気なところがある。武田は憎むべき敵である。とくに晴信に対しては理由のいかんなく、強くそう思っている。でも、四郎の、産まれたばかりの姿が脳裏から思い出されると、つい、可愛いさが先に出てデレてしまった。


「……とはいえ、四郎様はあの美しいお母様に似て、とても綺麗なお顔立ちの方ですよ」


「それは何度も聞きました」小僧丸は苦笑いする。


 でも、3人の夫人が同じ諏方で会合していたのは、3人の最後だった四郎が産まれてからひと月までだ。それ以後は当然ながら会ってない。手紙のやり取りもやらなかった。だから、思い出の量はとても少ない。


「お会い出来るのが来年なら、7歳ですね。どこまで立派に成長されていて、どこまで幼い頃の面影を残されているのか楽しみですわ。諏方の御料人も15であの子を産みましたからね」


「母うえは14です」


「それはそうなのですけどね、いくら私が若くても、たった1つだけ。所詮は飛騨の山奥で生まれた芋姉ちゃんです。それに比べて御料人は、山の神々から恵まれた天女のようなお方。女が見ても惚れ惚れします……」


 藤菜は呑気に微笑み、うらやましがった。

 小僧丸は、そんな母が安心して見ることができた。

 湖雪斎は、本来なら叱るところを躊躇した。藤菜は本人も語るように、生まれも育ちも、つまり実家は飛騨国有力国衆の江間家だ。古来より栄える神岡(かみおか)鉱山を所有する一族である。だから大人になっても山奥育ちの素朴さが強い。素直だから悪気がない。だから湖雪斎は許せると同時に呆れ、ため息が出る。


「藤菜も小僧も、その緩んだ顔は他の者に見せるなよ。我らは奴に滅ぼされた小笠原なんだぞ。人前では武田に対して恨み辛みを表に出さないと、誰もが納得しないからな」


「は、はい……」


 小僧丸と藤菜は声を揃えて反省し、身を縮めた。






 湖雪斎は上洛の準備を行う。と同時に情報集めも行った。諏方頼継からの資金は5日ほどで湖雪斎の下に届いた。金が届くということは、頼継は本気だ。湖雪斎は否応にも実感させられた。添え状がある。本文を読んだあと、小僧丸向けにこうあった。〝四郎様もお喜びに候〟や〝共に湖で魚を釣ろう〟とあった。湖雪斎は小僧丸を呼び、頼継の添え状を読んで聞かせた。


「父うえ!」小僧丸は期待を膨らませる。


 長時は建前で小僧丸に返した。


「そうか、四郎殿も会いたいのだな。よかったではないか」


「はい!」小僧丸は元気よく返事をした。


 湖雪斎は、武田の血縁とはいえど、我らの側につくなら認める。憎い感情はあれど、幼子に関係ない。そう言い聞かせた。

 12月ともなると信州の平地部にも雪が降り積もる。筑摩郡府中平の南半分が武田に占領されてから、冬場の上洛は余計に厳しくなった。雪が溶ければ西の安房(あぼう)峠から行けるが、上洛できれば出来たで、足利義輝と三好長慶の対立がかつてないほど泥沼化している。今年1月には長慶側に寝返った幕臣伊勢貞孝(さだたか)が足利義輝を拉致しようとしたが失敗し、3月には三好長慶の暗殺未遂事件が起きてる。5月には長慶正室の父遊佐(ゆさ)長教(ながのり)が義輝が放った坊主に暗殺され、7月には洛中のど真ん中、相国(そうこく)寺で三好勢と細川勢が大合戦を行い、三好勢が完膚なきまでに叩き伏せた。湖雪斎は三好長慶にも小笠原稙盛にも交流があるから、双方に顔が利く。そちらにも付き合わされそうだ。

 天文21(1552)年を迎えた。正月2日には近江国の英雄六角定頼が58歳で病死し、32歳の義賢が名実ともに六角家を運営していく。10日には東国で大事件が起こる。関東管領の山内上杉家が滅亡したのだ。そう、北条氏康がついに上野国を侵攻したのである。当主の憲当(のりまさ)は居城、平井城を追われ、逃亡した。小笠原宗家や大内義隆(大内家そのものは滅亡してない)もそうだが、滅びるときはまともに抵抗できないほど、あっけないものである。憲当が何処に潜伏したのか明らかになってないものの、おそらく上州国内の何処かに潜み、反抗を企てているのだろう。

 24日、巷から良からぬ噂が飛ぶ。


〝高遠トンビが晴信から呼び出しをくらったぞ!〟


 諏方頼継の裏切りがバレたのか? 頼継は、ほとんど連行された状態で甲府へ連れて行かれたという。その不安は的中してしまう。27日、頼継は甲府で自害したのだ。湖雪斎ら中塔に第一報が届いたのは2月の初日だった。さすがに雪が積もると情報が遅い。この日、諏方では、諏方御料人と四郎の甲府行きが強行された。これで四郎の大祝はなくなった。すなわち、諏方惣領家の再興は完全に潰えたことになる。この情報到達の難所は塩尻峠一本しかないので、2月2日にもたらされた。

 中塔の民たちでも、この2つの話題でもちきりだ。みんな頼継の忠義も知らず、その場限りの思いで、


「トンビが山猿に喰われた」


 と皮肉っていた。

 中塔の小僧丸は尖屋敷の物見櫓の上から、四郎が心配になった。


「四郎どの、どんな気持ちなんだろう?」


 それは誰にも分からない。噂でも聞こえてこない。


ーーそれがしと四郎殿と源吾殿。本当なら三国が仲良くなるために生まれて来たのに、なんでこうなったのだろ?


 天文10(1541)年6月、武田晴信は父信虎(のぶとら)を追放する最悪の形で甲斐の国主となった。この頃の関東管領山内上杉家は東国最強の大大名と呼ばれ、周辺に刃向かえる敵などいなかった。翌7月に相模国の北条味綱(うじつな)か病死し、氏康が当主となった。

 天文11(1542)年7月、武田晴信は信濃侵略を開始。いきなり義弟諏方頼重を攻め滅した。9月に諏方頼継が武田晴信と戦い、大敗する。

 天文13(1544)年と14(1545)年、諏方頼継と藤沢頼親が領する上伊那郡に武田晴信が侵略を重ね、14年の上伊那郡防衛戦で小笠原長時(当時)は、義弟藤沢頼親を助けるために出陣した。

 この時、関東管領山内上杉家が武蔵国入間(いるま)郡、北条領の河越(かわごえ)城を攻めると公表した。関東管領が本気を出せば10万の軍勢が集まるというのが当時の常識だった。だから誰もがこれに恐れをなした。これが武田晴信の上伊那郡攻略を諦めさせたうえ、小笠原と武田と村上の3家で和睦と盟約を組む対策を生み出した。この仲介には駿河守護の今川(いまがわ)義元(よしもと)が深く関与している。当時の常識から伺えば、河越城落城は時間の問題だといわれ、落とした勢いに乗って関東管領の大軍勢は小田原城の北条氏康を攻め滅ぼし、返す刀で武田晴信と小笠原長時を滅ぼすだろうと予測された。だから3国、いや、今川を含めて4国が連携してこれを撃退しようというものだった。

 盟約をした以上、証がいる。それこそが、同じ時期に子供を産むことだ。これを決めた4カ月後の天文14年10月、関東管領の大軍勢8万は河越城を包囲する。勝つと決まったこのいくさ、余裕綽々だった。

 3人が産まれた天文15(1546)年の8月から4カ月前の4月、山内上杉憲当(この当時までは〝憲政〟で合戦後それに改名。読み方は同じ)率いる8万もの大軍勢は、北条氏康決死の後詰軍9千と戦い、負けた。ただの負けではない。10分の1程度しかいない敵に完膚なきまで負けたという情けなきいくさだった。この合戦以後、関東の勢力図は完全にひっくり返った。憲当は衰えるだけ衰え、氏康は栄えるだけ栄えて、そのままここまで来たのだ。

 このせいで小僧丸と四郎と源吾、この3人に存在価値がなくなった。前評判通り、普通に勝ってくれなければ子供達には意義がないのだ。だから武田晴信は盟約を破って、本来の信濃国侵略を広げた。村上義清は個人としては有能だけど、あの地域特有の歪んだ思想のせいで親小笠原の態度がとれずにいた。小笠原と村上が協力すれば武田も脅威と思えるのだが、足並みが悪いせいで脅威と思えなくなる。それでも義清は、あの熊みたいに威圧感ありすぎる外見や、砥石城の救援を成功させた百戦錬磨の戦術で、多数派の反小笠原派をなんとか抑えていた。だが、妻の死を公にしたときがタイムリミットとなる。義清は己の身の安全のため、小笠原家との良好関係は捨てるしかなくなった。


ーーそれがしは何のために生まれて、何のために生きていくのだろう?


 それは小笠原宗家の外交担当となるためだ。そのために湖雪斎は、小僧丸を側に置いてる。まだ幼児で分からないことばかりだが、湖雪斎はそれでも近くに置いた。うたた寝してもいいから体全体で、雰囲気を学びとれという方針だった。

 小僧丸存在の定義が、三国平和の象徴から外交官へと変わっている。しかしそれは四郎も源吾も同じだろう。四郎は諏方惣領家を継げなくなり、本来いるべき武田家に吸収された。源吾はよく分からない。いや、おそらく義清が与えないから迷走しているのだろう。

 だから頼継は何故切腹したのか? 予想はできる。


ーー晴信はたぶん、四郎どのを近くに置きたかったのだ。ただ、普通に、父親として……。


 頼継は四郎の甲府行きに抗議した。だから抗議のための切腹なのだ。しかし晴信は四郎の父親だ。だから父親としては晴信が正しい。しかし三国の盟約を交わしたとき、諏方惣領家再興に同意した。だから諏方御料人を側室にとり、諏方頼継を配下にした。晴信はこれを覆したのだ。盟約を破れば何でもアリだと思ってるのだろう。いや、奴は建御名方命の直血たる惣領家を絶やした。だから諏方の民衆を激しく動揺させた。頼継のだけではないのたわ。そしてその前に、晴信が保護すると決めた諏方大明神への叛逆にも繋がっている。だから晴信は絶対に間違っている。

 頼継は逆に、信念を一切曲げないまま死んだ。これは武田領内に同情者を増やすであろう。頼継は間違ってないからだ。それは四郎にも伝わってるはずだ。親よりも長く付き合った世話役、いや、あれはもはや父親みたいな子供への愛情だった。

 小僧丸は心配で仕方がなかった。


ーー四郎はどう思うのだろうか? 諏方の御料人はどう思うのだろうか?


 甲府の守護館に現れた四郎が晴信や家族と面会したとき、どんなドラマになるのだろうか? 小僧丸は想像した。


ーー晴信と正室とその子供達は両手をあげて四郎を迎える。でも、四郎と御料人はそんな晴信家族に恐怖するを。それがしが四郎なら多分、怖くて泣く。あと、この件で諏方満隣と守屋頼真は、してやったりとニタニタ笑って、酒を酌み交わしているのかな?


 そうとしか思えないと身震いし、考えるのをやめた。


 1月28日、京都では足利義輝が三好長慶との和睦した。義輝は京都に帰郷し、相国寺に入った。これが湖雪斎たちが耳に入るのは頼継切腹の報が入った数日後、2月5日となる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ