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諏方頼継の野望

 武田晴信が深志城を離れて数日が経ち、二木館にいる小笠原湖雪斎のもとに密会希望者が現れ、茶室で応じた。諏方社神官の姿をしたその老人は、諏方頼継だった。湖雪斎は煎茶を差し出しながら言う。


「密書をもらったときは驚いたが、会うのは何時以来だ? ()()()()()の高遠翁よ」


 高遠諏方家の諏方頼継、今は高遠城代で武田譜代衆秋山(あきやま)虎繁(とらしげ)の副将と成り下がったが、かつては自立した上伊那郡高遠の領主であり、諏方惣領家の分家であり、頼重時代の宿老でもあった。頼継にとっては心にチクリと障る。でも、落ち着いて挨拶した。


「小笠原様と顔を合わせたのは6年ぶりですが、刃を合わせたのはつい先日……。とはいえ、頭を丸められたのですな」


 頼継は湖雪斎の見慣れない坊主頭に笑いたかったけど、必死に堪える。湖雪斎も気づいている。怒りたくても顔に出さない。頂いた茶を飲むと、湖雪斎は雑談から入って気を落ち着かせる。


「まあな。すべてはワシに徳がないからだよ。しかし先のいくさ、どうだった? 甲州勢は相も変わらず、そなたらの背後を射てくるのか?」


「え、ええ、まあ。以前よりは減った気がします。小笠原宗家が無くなってからというもの、その対象が我ら伊那や諏方の衆から筑摩の衆に移ったからでしょう。砥石崩れ(砥石城合戦の敗北)で武田を見限った藤沢頼義殿がうらやましい限りです」


「翁も我が方に来ればよかったのに……」


「それでは我が夢、潰えますので……」


「確か、諏方頼重殿の惣領家を再興させる、だったか?」


「はい」


「武田晴信が諏方頼重殿を滅亡させたのは、確か天文11(1542)年だったな。翁も武田の口車に乗って頼重殿を裏切ったと噂されてたが、そのご本人がご本家の再興だと? なんとも片腹痛いのだが?」


「いいえ某は裏切っていません! ワシをそのように仕立てた者は、諏方光隣(みつちか)守矢(もりや)頼実(よりざね)です。ワシが武田家臣に落ちぶれても、二人はワシから避けてるのですぞ」


「ふむふむ……、それで?」


「ワシはあのとき、頼重公を助けるために伊那衆を率いて杖突(つえつき)峠を越えたら、既に奴らの嘘が諏方中に飛び回っていたのです。そのその噂通り裏切っていたら、ワシは伊那神党じんとうの大将らになぶり殺されるのは必定だ! まだある。惣領家滅亡後、姫様はどこにいた? ワシの下だ。これを証拠に、どうやって裏切ったと言えるのでしょうか!」


「なるほど」


「惣領家が滅んで得した者が2人いるのですぞ! それが誰かは言わずともお分かりでしょう。ワシはあの時、伊那地域でも百を超える諏方社の、7年に1度しかない小さな御柱祭の延期をお願いしてまで、集まってくれた援軍3000じゃ。我らにとっていくさよりも大事な御柱祭じゃ。ふん、余所者には分かるまい……」


「いやいや、よくわかった。それは信じてやろう」


「あ、ありがたきお言葉……」


「要は、現人神の父と崇められ、信者にデカいツラを見せている分家筋と、諏方大社の神階(しんかい)向上運動のため、武田という金づるを得た神長官なんだな」


「左様です!」


「ということは、翁の用件はそこだな。言ってみろ」


 湖雪斎は頼継の要件に興味を抱き、頼継は必死に訴えた。


「ははっ。小笠原様にお頼み申したいこと、それは、四郎様の諏方大社最高神官、つまり、大祝(おおほうり)即位の手助けです! 詳しく述べるなら、公方(足利義輝)様に働きかけ、大祝にさせてやれと晴信に圧をかけることです。小笠原様は武田太郎元服の際、公方様にむけ、小笠原を滅ぼした武田を許せないから偏諱を与えるなと説得し、受け入れられました。故に太郎の名前は今も太郎のまま、〝義信〟にも〝信義〟にもなれずにいるのです。それと同じ要領でやってほしいのです」


「ワシは頼んだだけで、実際に説得したのは分家で幕臣をやってる稙盛殿だよ。しかし手伝えもなにも、諏方頼重殿の忘形見(御料人)は、諏方に住む民と、諏方信仰を敬う日ノ本全ての者を〝安心〟させたいがため、そして、あの父親殺し(武田晴信)のせいで廃れた諏方信仰を盛り返すため、あんな奴の側室になったのだろう。諏方の姫にも恨み辛みがあるはずだ。それを押し殺しながらも、そんな下々のために生贄みたいな行為を行った。これは敵味方の枠を超えて尊敬する」


「そんな姫様の想いも、某と同じです。昨年末、晴信めは四郎様を太郎様の元服式に来いと言いました。しかしそれは、四郎様による惣領家再興が潰れることを意味します。こんな暴言など受け入れられる訳がありません。惣領家の当主とは、大祝を経ることに価値があるのです。故に何より先ず優先しなければならないことは、四郎様の大祝即位なのです!」


 頼継は思わず大声で、拳を握り、主張する。湖雪斎の顔に頼継の唾が飛ぶ。いい気がしない。でも、理解はできる。


「そうか、晴信は天文14(1545)年、自ら駿河の今川殿を介入させてまでして誓った約束を、破ったのだな。奴らしいな。で、翁はどうした?」


「無論、断固拒否です!」


「よいのか? 四郎は武田晴信の息子だぞ」


「その前に、建御名方命に選ばれし我らの現人神です。大祝は建御名方命直血たる男児が担うべき役です。それは姫様がお産みになられた四郎様において他にありません。今の大祝も敬いますが、所詮、分家が出した代役です。その代役も16歳。下位するには年頃です。ならばさっさと降ろし、元服を行い、一角の大将にしてやるべきです」


「ふうむ。そういえば武田の四郎は、小僧や村上の源吾殿と同じ時期、同じ場所で産まれたのだったな」


「はい。6歳という御年なら、大祝になられるには充分な年です」


「武田晴信が憎いのは身に染みてよく分かる。だが、敵である前に晴信と四郎は親子だぞ。生まれてこの方、四郎を甲府の家族の下に置かないというのは、いかがなものか? 6歳ならば人生で最も親に甘えたい年頃じゃ。尚更ではないのか?」


「それは〝人〟に対してでしょう。ですが四郎様は特別です。現人神になられるために選ばれたお方なのです。そのためには諏方の外に出てはいけない。建御名方命(たけみなかたのみこと)が宿る御身を穢してはいけないからです。これは千年以上も守り続けた諏方大社の神事です。たとえ天地がひっくり返っても曲げる訳にはいきません。せめて大祝を次のお方に譲って下位(おりい)され、元服するまでは諏方の外に出さないでほしいのです。それでも四郎様と会いたければ、甲府は来いなど非常識を騙らず、晴信のほうが諏方に移れば良いのです!」


「それは、府中を移転させろという意味か?」


 幕府の守護体制が崩壊しつつある戦国乱世の今でも、守護所が置かれる町を〝府中〟と呼ぶ。湖雪斎らが拠点としていた信府は信濃府中の略語であり、武田晴信の甲府も甲斐府中の略である。湖雪斎は守護所の移転をイメージするも、頼継はそこまで深く考えてない。


「別に奴が四郎様に会えないとか、ワシが頑なに会わせないとか、そういうのではありません。太郎様の元服式くらい諏方で行えばよい、そう言いたいのです!」


「言えばよかろう」


「言いました」


「で?」


「あとは平行線です。結局は会わせませんでした。御寮人様もワシと同じ気持ちです。大事なことなので幾度も強調いたしますが、四郎様は諏方大明神に選ばれし現人神なのですから」


 湖雪斎は少し考えた。頼継の弁明は信濃国の秩序を守るには正しい判断だ。諏方信仰を敬う者は全国でも信濃国が最も多い。諏方大社があるのも当然であり、肌感覚での予想だが信州人の半分以上は敬ってるはずだ。中でも諏方郡は、ほぼ全員といっていいだろう。湖雪斎が四郎の大祝即位に協力すれば、多くの信州人から称賛されると解釈していい。御家再興を目指す湖雪斎にとって、大きな理がある。

 とはいえ頼継の主張は、過激だ。これが湖雪斎に決断を躊躇させる根拠だったが、決めた。


「翁の言い分はよく分かった。だが、ひとつ確認したいことがある」


「なんでしょう?」


「翁は、武田を裏切る気か?」


「年内までに四郎様の大祝即位がなければ、見限ります」


 すなわち、来月の晦日が期限となる。


「左様か。分かった。ならば協力しよう。上洛しろというなら、それ相応の物が欲しい」


 それ相応の物とは、旅費と賄賂である。足利義輝の同意が欲しいというのだから、その賄賂はそのまま許可料として義輝に渡すから。それは頼継も、覚悟の上だった。


「……分かりました。高遠に帰り次第用意し、すぐ送りましょう」


 頼継は床を頭突きするくらい、平身低頭になって湖雪斎に感謝した。

 密会が終わり、茶室を出る。庭で小僧丸と尾藤宣三と征矢野功右衛門が木馬に乗り、小笠原貞種指導の下、弓馬術の鍛錬を行っていた。頼継はその様子をジッと眺めていた。その目つきはまるで、公園で遊ぶ子供をベンチに座って見守るかのような、温かくて優しいものであった。

 湖雪斎は、ついさきほどまで見せた勢いが突如、消えた。そんな雰囲気を感じ取れた。


ーーそういえば高遠の翁は、子供がいなかったな……。


 湖雪斎は頼継に促してみた。


「木馬に乗ってるのが、ワシの小僧丸だ。どうだ、少し話してみないか?」


 頼継は、産声を上げたばかりの小僧丸に出会ってる。小僧丸も、記憶はないものの教えられていた。頼継の頬が和らいだ。


「よろしいのか?」


「小僧には、翁の顔を覚えてもらったほうが良い」というと、湖雪斎はその場で小僧丸を呼んだ。


「小僧や、ここへ来なさい。お客人に挨拶なさい」


 小僧丸は振り向き、「はい、父うえ」と返事をすると木馬を折り、二人のいる縁側まで来て、頼継にくかって礼法に乗っ取ったお辞儀で挨拶した。


「はじめてお目にかかります。それがし、小笠原大善大夫兼信濃守が三男、小僧と申します」


 頼継は驚いた。


「なんと、幼いのに立派なご挨拶を! 出会った頃とは別人のような成長ぶりじゃ。ワハハハハハハ!」


 と、感動に近い関心を抱きながら、頼継は小僧丸にむけ、座り、手をついて挨拶をした。


「某が高遠諏方家の主、安芸守頼継です。以後、お見知りおきを」


「あ、あの、四郎どのは元気ですか?」


「おお、元気ですぞ。小僧様に負けないくらい」


「それがし、昨年、村上の源吾どのに会いました」


「なんと! で、どうでしたか?」


「元気でした」


「そうかそうか。それはようございました。ああ、願わくば四郎様を小僧様に会わせたいのう」


「それがしも、会いたいです」


「そうですかそうですか、分かりました。ならばこの翁にお任せください。できれば大祝になられる直前に一度お会いし、一緒に遊んでいただきたいものです」


 頼継は喜んで引き受けた。小僧丸は感謝したかったが、その前に湖雪斎が頼継をこの場から離しにかかる。


「さ、もうお帰りなされ。あまり長居するのは密会としてよくありません。武田の間者がどこに潜んでるか分かりませんからな……」


「あ、ああ、分かりました。それでは小笠原様、よろしくお願いします」


「分かった」


 これにて用件は終わり、頼継はひっそりと二木館を出ていった。

 小僧丸の周りには、湖雪斎しかいない。さっきまでいた貞種、宣三、功右衛門がいない。二人きりだ。

 ここで貞種が現れた。


「兄上、いかがでしたか?」


 湖雪斎は答える前に、問う。


「子供たちは?」


「貞頼に預けました。館の外で馬稽古でしょう」


「そうか。全くあの()()()め、無理をできる歳でもないくせに無茶しすぎだ」


「といいますと?」


「諏方惣領家の再興など高望みにも程がある。足元を掬われたら簡単に終わるぞ。だからトンビと揶揄される。敵の中にいれば監視も厳しいのに、未だに夢は叶うと信じ込んでやまない」


「獅子身中の虫だって、誰が見てもそう疑いますけど……」


「武田の四郎を我が子か孫と勘違いしてそうで怖い。武田晴信嫡男の元服式でかなり揉めたらしい。だから、公方様に大祝賛同の意見書を貰ってきてほしいと」


「へえ、領主様の頃はなにかと刃向かっていたくせに、結局は我らの外交力にすがるのですね。で、成功するのですか?」


「トンビのやること、一歩間違ったら拉致だ。諏方の姫がいるから辛うじてそうなってないだけだ。こんなもの、晴信の大好きな力押し戦で来られたら、粉微塵に潰される。でも、もし上手くいったら、我らが深志城を取り戻せるための大どんでん返しとなろう。どちらに転んでも、絡んでおいた方が良い」


「そうですな。あちらは主人の家の再興。こちらは我らの家の再興。正直某、参考として学びたいところがあります……」


 貞種は観察者になりたかった。湖雪斎は頷いた。小僧丸は状況を把握できない。でも、四郎には会いたい。

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