表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
13/16

平瀬城合戦

乱世は激変している。

2月10日、越後守護代長尾晴景病死。家督全権は既に弟の景虎に移っている。

3月14日、三好長慶暗殺未遂事件。

5月5日、河内守護代遊佐長教暗殺事件。

5月26日、村上家の砥石城が武田家臣真田幸隆に奪われる。

7月15日、洛中の相国寺で大合戦。

9月1日、周防国山口にて、大内家の政変。

9月某日、豊後国守護大友義鎮が宣教師フランシスコ・ザビエルと面会。キリスト教布教を許可する。

 小笠原宗家滅亡から1年と3ヶ月ほどが経った。天文20(1551)年10月24日、小笠原長時一行は故郷、信濃府中を目の前にしながら戻れていない。それどころか、武田晴信がまた信濃に現れた。降り続く雨の中、平瀬城はその大軍勢に攻められている。

 小僧丸は先日から中塔に避難させられていた。二木重高居館の櫓門から確かめるも、雨でまったく見えない。


「ち、ちちうえ……」


 小僧丸はとても心配だった。ここで長隆が現れる。


「こら、いつまで眺めてる。冷えるから早く戻れ」


「あ、兄うえ、助けに行かないのですか?」


 小僧丸は恐る恐る聞き出すも、長隆は高ぶった気持ちを抑えるように答えた。


「行きたいに決まってるだろう! きつく命じられたのだ。父上にな。畜生っ、こんなのでは家督を継ぐべきではなかった……」


「え?」


「父上も昨年末、犬甘殿が城を奪われたとき、頭を丸めたのは知っているだろう」


「はい」


「我らの滅亡ですらそうしなかったのに、それでも味方になってくれた忠義深い家臣を、あんな目に巻き込んだのだ。ただでさえ重たい責任が余計に重たくなった。それで剃髪し、湖雪斎(こせつさい)という号も授かった」


「知ってます」


父上は次、武田晴信と直に対決する時が決戦と決めていたのだ。父上は死を覚悟している。もし戦死したらそのあとどうする? ワシがいなければ御家再興の願いは完全に潰える。父上が死ぬことよりも、御家再興のほうが大事というんだよ……」


「なら、村上さま……」


「お前正気か? 来るわけないだろ。この夏に叔母上の死を公にしたんだ。葬儀の直後、義清様までもが勝手に〝信濃守〟を自称した。武田晴信に対抗するためとはいえ、我らと組む気などない現れにもなる。だから村上家はもう敵なんだよ。味方を増やさなければいけない時に無意味な喧嘩を売りやがって、バカでも分かる苦境が何故分からない? 信濃惣将軍家などと威張るけど、所詮は大塔の大勝利に150年も悪酔いし続けた家だ。終わったな……」


「き、木曽義康どのは?」


「きそ? あのたわけ者めが! 今度こそは援軍に行くと約束したくせに、幼い次男坊が急な病で心配だとぬかして出陣を取りやめた。前回は嫡男の急な病い。その前は義在(よしあり)殿(義康父)の急な病いじゃ。ったく、一応は木曽義仲(よしなか)公の末裔を騙る領主様だろ。全部母親か妻か留守役に任せればいいだけではないか。貧乏長屋暮らしの浪人者でもあるまいし、言い訳がましいわ!」


 長隆の声色は恨みがましくなった。小僧丸は察知し、兄を恐れた。だが長隆はそんな小僧丸に気がついてない。小僧丸は肩肘があがり、小声で言った。


「ま、またまた、ですか?」


 長隆は鼻息荒く、頷く。


「ああそうだ。3度も狙ったかのごとくじゃ。イヤならイヤとはっきり言えばよいのだ。ったく、安筑(あんちく)(安曇軍と筑摩郡)の米がなければ泣き付くくせに。その度に父上は守護だからと温情を差し伸べたのだぞ。あの恩知らずな引きこもりオヤジめ、谷の日陰がそんなに居心地よいのか?」


 木曽義康の軍勢が来れば形勢逆転できると信じていた。塩尻峠を抑えてくれれば、武田は帰り道を失う。これだけでも武田軍に相当の脅威を与えるのに、やらないのだ。小僧丸もこれには共感してしまう。


「木曽どのは、お仕置きでするのですか?」


「そうだな。奴は叩き潰したほうが良いな。きっと木曽の杉で大儲けしてカネに目がくらんだに違いない。いくさはカネの消費がもの凄いからな。それがイヤなんだな。きっと……」


「ふうん……」


 小僧丸はそこまで分からない。しかし長隆の小言は領主時代の湖雪斎に似てきた。逆に湖雪斎のほうは御家滅亡してから小言が減った気がする。

 小僧丸は平瀬方面を見直す。とにかく父が心配だ。湖雪斎とともに戦ってくれている平瀬城の者たちや犬甘衆の残党、そして信濃府中脱出時から従ってくれた仲間たちや、この戦いで連絡が途絶えた刈谷原城の者たちの安否も気になる。それともうひとつ、雨音に交じって聞こえる濁流らしき水の音。櫓門の左右からかすかに聞こえて、少し気になる。小僧丸は訊ねた。


「兄うえ、この音はなんでしょうか? ザーではなく、ゴーのような……」


「ん? ああ、川だよ」


「川?」


「正しくは谷川だな。中塔ってところはな、村の南北を流れる谷川に守られた天然の要害なんだよ。つまり、村全体が城だ。ほら、真正面の畑の一番奥にある屋敷、岩岡殿の(とがり)屋敷といつが、あそこの真下か谷川の合流点で、北東にまっすぐ奈良井川に繋がる。そして背後には巨大な山尾根。今は雲隠れして見え辛いが、あそこには山城がある。そんな地形のおかげで敵は侵略できないどころか、仮に10万の敵に包囲されても兵糧が尽きることは一切、ない。信州で500は超えるという城という城の中でも最も難攻不落といえる天然の要害だ。ま、その前に、ここには3年ほどの備蓄米があるほどだからな。頼もしい限りだ」


 ここで強い北風が吹いてきた。雨が小僧丸と長隆に当たる。長隆は小僧丸に促した。


「さあ館に戻れ。風邪を聞いたら父上に叱られるぞ」


「……はい」


 小僧丸は確認を諦めた。父に叱られるというなら、叱られたいものだ。もうひとつ、京都へ連れていくという約束もまだである。そのために勉学も始めた。まだ早いと言われた小笠原の礼法も学び始めた。弓馬術のほうも、手始めという木馬に乗って、馬の感覚を掴むところから始めている。これは征矢野功右衛門と尾藤宣三も付き合わさせている。その教育は今、中断されていた。


 夜、平瀬城落城の速報が入った。中塔の者は皆、悲しみと怒りに入り乱れた。

 翌朝、嘘のように晴れた。小笠原湖雪斎や犬甘政徳、丸山政知はじめ百名弱の残党が中塔に入る。皆、甲冑もボロボロで疲れ果てているものの、中塔の者は無事を喜んだ。しかし、平瀬義兼以下200余名もの戦死者をだしてしまった。

 小僧丸も長隆も貞種も、仁科夫人も藤菜夫人も、二人の娘も湖雪斎の無事を喜んだ。しかし湖雪斎は悔しがっていた。


「こ、これでは何度剃髪をしても足りないわ……」


 仁科夫人は湖雪斎に飛びついて、慰めた。


「それは、もういいです。貴方の気持ちは皆にも伝わっていますから……」


「そ、そうかのう?」


「そうですよ。負けると分かっていても、御家再興が叶うまで戦わなければいけないのでしょ?」


「ま、まあな」


「でも、命を捨てる戦いはこれっきりにして下さい」


「…………、わかった」


 仁科夫人は本心から心配した。今、勝てる戦いはできなくても負けない戦いなら出来ると信じてる。長時も仁科夫人の想いは感じている。はにかみの笑みをうかべながら、同意するしかなかった。小僧丸も同感だった。これから学ぶことが山ほどある。御家再興のためには、なによりまず、父が戦死してはいけない。しかしともあれ継母とはいえど、父との仲睦まじさを見てると、ホッとする。

 藤菜は側室だから、正室のこころが満たされてから、湖雪斎へ近づき、無事帰還の挨拶と、心配な涙を流して甘えた。湖雪斎は二人の夫人を抱きしめた。

 征矢野功右衛門も父や兄が無事で、抱き着いていた。しかし尾藤宣三は、祖父が戦死して泣いていた。他にも無事を喜び合う家族や、負傷を心配する家族、戦死して悲しむ家族。この場に入り乱れていた。

 平瀬城での直接対決は壮絶を極めた。たった300の小笠原勢が5000もの武田軍と真正面から戦った。武田勢の一方的な展開だったが、小笠原勢も必死に抵抗した。天文17(1548)年塩尻峠の合戦では抵抗すら出来なかった。それに比べたら大したものだ。だから敵も苦戦した。敵に全方向包囲されながらも、平瀬義兼は湖雪斎らを脱出させた退却指揮は、鬼神といえた。その命を賭けた忠義に、皆、涙した。

 武田軍に追い打ちをかけられる。中塔の近くまで寄られてしまった。二木重高は家老の岩岡外記隊に、尖屋敷の守備を固めさせ、村の先端部から敵を視察した。しかし敵は様子をみただけで攻めてこなかった。武田軍には北進され、小岩嶽城に攻め込まれた。しかしほんの半刻(約1時間)ほどで戦闘をやめ、そのまま悠々と平瀬城の跡地へ戻った。その後、武田晴信は新たな平瀬城として、奈良井川対岸、北東の山に築くことを公表した。鍬立式をすぐに行い、歴戦の猛将(はら)虎胤(とらたね)を置いた。武田家臣団では若手最注目の馬場信春とともに小笠原残党衆を警戒させるのだろう。その後、武田晴信は深志城に戻った。

 この時点の深志城は、ほぼ完成している。これまでの城というものは、自然の地形を活かした作り方だったが、この城はなにもかもが人為的に計算しつくした縄張りを持つ城に代わっていた。川の流路でさえ城にとって都合よく変えたほどだ。旧城全域が本丸となったのは、大きな主殿を置いたためだ。まさに武田晴信のためだが、晴信がここに住むわけではない、とはいえ城代馬場信春が住むには図々しい。そう、お飾りである。しかしそれはまさに守護館そのものの立派さで、我こそが信濃守護なりと言いたげである。余談だが、内藤昌秀と長坂虎房の深志城警備役は、ここで終わる。

 湖雪斎も長隆も、新しい深志城はまるで自分たちに喧嘩を売っているように思えて、気に入らなかった。

 深志城に長居した武田晴信も、11月21日、甲府の居館へ帰った。

 小笠原衆はこの戦いで、刈谷原城を孤立させてしまった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ