やはり来た、上洛依頼
2月の半ば、夜が開けるまで氷室のように寒いこの盆地も、陽光があたれば暖かいと感じられる。これに合わせて梅の花がどんどん咲き出す。中塔の尾根先にたつ山城の積雪が殆ど消えたので、二木頼高と家来衆が今年初めて城に入り、点検と修復に入った。山城の後方にそびえる穂高や槍ヶ岳の山々は、上半分がまだ真っ白だ。しかし、中塔を流れる黒沢川や周りの川の水量が上がってる。その山の雪が溶けてる現れだった。
二木館の庭では、若当主小笠原長隆が屈強な部下30名ほど集める。その中には小笠原頼貞ほか、長時に従う者も何名かいる。皆、防寒と雪かき道具を手に持っていた。小僧丸は尾藤宣三、征矢野功右衛門、小笠原光子と一室の襖から様子を覗いていた。
長隆は拳を握り、縁側に立って見上げる男たちに力強く指示した。
「お前たちはこれより、岩岡外記殿のもと、安房峠の雪かきに参る。これで2度目ゆえ、お前たちも大体のことは分かってるよな。先ずは中の湯の関所まで向かい、翌日より始める。我らより先に修験僧たちが下調べを行なったので、その坊様たちの意見をもとに作業してくれ!」
小僧丸は、長隆は変わったと思った。
ーー兄うえ、すこし、こわい……。
実権はまだ長時が強いとはいえ小笠原宗家の主だ。その緊張のようにも見え、また、滅びた家を早く建て直して家臣たちの生活をらくにさせたい使命感が、そう思わせる。小僧丸は長隆のためにも、雪かきを任された男たちにも期待した。
光子は逆に心配だった。
「雪かきか。みんな辛そうです」
「そりゃ、雪かきだもんな」小僧丸は体力を想像した。
「それもそうですけど、他にもあります」光子は首を左右にふる。
「え?」
その理由は征矢野功右衛門が教えた。
「郎党の者たちの多くは、こんなの侍のやることじゃないと怒ってます。でも今はみんな浪人。偉そうにできないんですよ……」
尾藤宣三が続く。
「ウチの場合は、誇りよりもカネですね。お祖父様が平瀬で戦死してから、その日のメシ代にも困ってます……」
功右衛門もそうだった。
「ウチの兄二人も言ってました。いくさしてるほうが未だ楽だって……」
光子は宣三と功右衛門に言う。
「でも、作業が終われば温泉に入れるみたいよ」
功右衛門は答えた。
「楽しみはそれのみみたいらしいですね」
功右衛門が続く。
「雪かきは山頂までで構わないって言ってたから、およそ半月ほど、ここには戻ってこないんだろうな」
「ふうん。女たちの出番もあればいいのに……」
谷川と険しい山での力仕事。飯炊きなど身の回りの世話は地元の村人に任せているので、そこの人材は足りている。足りないのはあくまでもこの時期限定で必要とされる力仕事だ。
小僧丸はそこまで聞いてなかった。落ちぶれても長時三男という特別なポジションはまだ敬われている。小僧丸は社会の底辺に話が乗れる3人が羨ましくもあり、淋しくもあった。
出発する男たちに、光子はつぶやいた。
「みんな誇り高い小笠原の侍なのに……」
それ以上は惨めで口にできなかった。足軽、側近、侍大将、譜代家臣もいる。小笠原家のため忠義してくれた者たちに、社会の底辺みたいな日雇い労働をさせてしまってる。光子とて小笠原でもそれなりの立場にいる。侍らしいことをさせてあげられないから、悔しくて仕方がない。
小僧丸は雰囲気に敏感な子だ。3人の様子を見てなんとなく理解できた気がした。
ーーそれがしは、特別扱いされているんだ……。
没落した自分達を、それでも彼らが支えている。
ーー1日でも早く、なんとかして御家再興しないと……。
小僧丸は武者震いするも、遮る敵はトラウマの対象たる武田晴信だ。背筋が凍る。颪のせいかと思いたかったが、今日はなぜか風が吹いてない。
頑張りたいが晴信が怖い。
晴信は怖いけど、頑張らねば。
小僧丸の思考が行ったり来たり、グルグルと繰り返される。
信濃国と飛騨国を繋ぐ鎌倉街道、安房峠の雪かきの飛騨側は国衆江間氏が、信濃側が二木氏が担当し、付近の寺社や民衆とともに長い間続けている。共に関所を管理し、国境が領地の堺となってるからだ。
3月に入ると、小笠原長時の下に2通の手紙が来た。足利義輝と三好長慶からで、送った日付は共に半月ほど前。長慶のほうが1日先だった。どちらも密書である。先ず義輝からのを開くと、義輝の御供衆に入れとある。次に三好長慶のほうは、客将として招くという。どちらも勧誘だった。長時は、勧誘は受けないが上洛はすると決めた。そうなれば小僧丸が呼ばれる。
小僧丸は両者の手紙を長時から渡され、床に広げる。文字は習っているも、まだちゃんと読めない。
長時もそこは承知で渡してるから、自分の意見を踏まえた解説をする。
「公方様のはつまり、禄を与えるから公方様の家来になれと言ってる。三好殿の場合は、同じ禄貰いでも補佐だな。これはどちらも呑めない。分かってるな」
「はい。小笠原宗家を再び大名に戻すこと、それまではずーっと戦うということです」
「そうだ、我らは土地持ち大名なのだ。一国の全てを任された栄えある守護なのだ。だから、その昔を取り戻すまでは断じて諦めてはならんのだ。だがしかし、二人が密書を送ったということは、本音が別の場所にあるということになるな」
長時は小僧丸に強く言い聞かせて、小僧丸は両手を握って父の強い意思に応じた。
「はい!」
長時は、二人の本心を予想する。
「公方様がワシを欲してる理由は、恐らく三好殿にある。和睦して京都に戻れ、三好殿を御供衆に加えたが、あの犬猿が急に仲良くなる訳がない。三好殿は幕政に関心がないからな。京都は自分で治められると思ってる。だから公方様はワシを間近に置き、三好殿にとっての〝目の上のたんこぶ〟にさせるつもりだろう。ワシは全小笠原血統の上に立つ御本家様の御隠居だからな。ワシがガミガミ叱れば、三好殿は嫌でも幕政に加わらなければならない、と」
「ふうん……」
「三好殿は恐らく、家臣団のグラつきであろう」
「?」
「つまり三好殿は、本来は阿波国の守護代なのに、今や足も押されぬ天下人。なぜそうなれた? 幕政に不満を持つ国衆に支えられているのだ。その数は物凄く多い。天下人にさせるほどにな」
ここで小僧丸は気付いた。
「あ、そうか、分かりました。つまり三好様は公方様と和睦したから、嫌だと怒る家来が出てきたのですね」
「そうだ、その通りだ」
「ですが父うえ、どうやって京都へ行くのですか?」
中塔より南は武田に取られているから、敵認定されている長時たちは顔が割れている。だから通行できない。長時は家督相続前に一度、上洛したことがあった。その時は通常のルートを使えた。信濃府中から街道を南に鈴岡、三河に入って長篠、幡豆の小笠原水軍が伊勢神宮まで海路で送り、そこから京都の商人中島屋の案内で伊賀国を越え、宇治田原から巨椋池を横切りながら京都へ向かえた。
長時は答える。
「西の安房峠を使う。遠回りだが、美濃近江を経由する」
「でも、まだ雪が……」
「遅れてるらしいが、あと2、3日もあれば終わるという。だが、雪道慣れした山伏なら通っても構わないというぞ。なら先ずは江間殿へ飛脚させ、事情を伝える。そうしたらすぐに江間経由で上洛する」
「はい!」小僧丸は心が躍った。
だが長時は、上洛は遊びではないと軽く叱る。
「フッ、なんだか嬉しそうだな。だがな、今回の依頼はとても難しいぞ。お前の〝場所慣れ〟も目的のひとつなんだから気を引き締めろよ」
「は、はい……」
小僧丸は肩肘が張る。長時は小僧丸の素直さに安堵した。




