幕間 ジャックの話Ⅲ
ジャックは卒業後、軍への配属前のしばしの休暇期間に、実家の領地へと戻った。
向かう道すがらの暇な移動時間に、思いを巡らせる。
褒め称える陸軍の上官。
そして、亡くした友を共に悼み哀しみながらも、尊敬の羨望の眼差しを向ける周りの候補生ら。
実地訓練から二月近くが過ぎた。
あの場所は、本物の戦場であった。
理解はしていたが、あわやとばかりに命の危険に晒され、死を目前にしたのは初めてである。
そんな中でも冷静に的確な判断をくだし、分隊の代理の長として役割を果たした自分。
誰かがやらねばならないこの、人の生死を扱う仕事は、どうやら自分に向いているらしい。
その、安堵と哀傷が入り混じった複雑な気持ちをどう処理していいのかわからず、ジャックは未だ現実を生きている感覚がなかなか取り戻せずにいる。
(いつか死ぬ時まで、責任を増やしながら、この仕事で生きていくんだろう)
恐怖心がないわけではないが、それに潰されないある種の鈍感さをジャックは持ち合わせていた。
久々の実家では、母が庭先まで出てきて落ち着かない様子でずっと待機していたようだった。
「ジャック‼︎ まあ‼︎ 無事で帰ってきて」
涙ぐむ母から抱きすくめられると、ジャックはほっとしたように笑って見せた。
自分と同じ、琥珀色の瞳に見つめられると、どっと背後から疲労が襲いかかってきた。
「お父様も中でお待ちよ」
母の言葉にジャックは驚いて聞き返す。
「王都ではなかったのですか?」
「お前が帰ってくると聞いて少し滞在することにしたらしいのよ。お父様も子が心配なのよ。早く顔を見せておあげなさい」
母に連れられ父の書斎へと案内される。
部屋の主の性格が如実に現れているこの書斎は、すべてきっちりと整っており落ち着かない。
会うたびに顔の皺が追加されているように見える父と久々に顔を合わせた。
議会において重要な役割を果たしているという父はいつも多忙で、たまに取る家族の食事の際も、久々に会った家族の状況の報告だけで時間が終わる。
どちらかというと顔も性格も母親似のジャックは、厳格で真面目な父のことが昔から少し苦手だった。
この家を継ぐ予定のすこし年の離れた兄もこの父そっくりの性格で、二人と会うときはいつも緊張する。
母に促され、ジャックは父へと幾つか報告事を済ませる。
「無事、第一近衛兵団への配属が決まりました」
今回は最上級の配属と士官学校内でも稀と言われる特別褒賞の持ち帰りである。
わずかに微笑を浮かべて胸を張ってみせた。
「無事……無事か。なるほど結構なことだな」
他の報告については黙って聞き続けていた父の声音に、緩みかけた雰囲気が一瞬で締まる。
「――他の兵が傷つき、お前が無傷な理由はなんだ」
「あなた! ジャックも死にかけたのよ。知っているでしょう? 大変な任務からようやく帰ってきたばかりというのになんてことを」
「お前は黙っていなさい。――ジャック。お前はなぜ無傷でいられたんだ」
ジャックは冷水を桶いっぱいに頭からひっかぶったかのような心地だった。
(ああ……そうだ。そうだった。俺は馬鹿か。なにを勘違いしていたのだろう)
ジャックは唇を震わせ息を細く吸う。
殴られたような衝撃を受けたことも事実ではあるが、それ以上にやっとうまく噛み合わない気持ち悪さから解放され、しっくりと腑に落ちた。
父からの質問の答えは考えずとも明白だった。
「……俺が、臆病だったからです」
父は肯定も否定もしなかった。
これまで誰も指摘をしていない。
ジャックの部隊は、一人が命を落とし、一人が軍を離脱し、二人が軽症を負っている。
軽症とはいえど、別れ際にもまだ彼ら二人にはくっきりと傷跡が残っていた。
ジャックは、目立って負った傷はどこにもない。
「レオポルド家は名誉を重んじる。レオポルド家の名誉とは、我が祖国を守る責任を果たすことである。良い成績を取ることでもなければ、周りから褒め称えられ、調子に乗ることでも無い」
父がじっとジャックの瞳の奥を見据える。
引き出されるようにジャックの口から言葉が漏れ出した。
「――我々の使命は、如何なる場合においても、率先して盾となり剣となり、祖国の財産を守ること」
繰り返し、繰り返し、言葉の中身も理解できない頃から語られてきた言葉。
財産とは、人であり土地であり物であり文化でありこの国に在る全てもの。
それらに傷を負わせることは何よりの恥である。
それがレオポルド家の在り方だ。
ジャックは友を守りきれなかった。
責任をなにも果たせていない。
父に向かって一礼すると、心配そうに声をかける母を置き去りにし、無言で歩き出す。
たどり着いた先にあった自室の木製の扉は、変わらず昔の記憶のままで、母に会った時よりも、なぜだか泣き出したくなるように心がぐらついた。
吸い込まれるように部屋へと入るとその扉を静かに閉め、呼吸をひとつ。
ジャックは、扉のすぐ横の壁を殴った。
「あああ゙――――ッ!」
戦地から戻って初めて本当の感情がこもった叫びだった。
鈍く、痺れたその手の感覚は、今日この一日すら待たずに消えてなくなるだろう。
ジャックは、それでも――そのとても軽微な痛みを、この先忘れないと誓った。




