第97話 ギブソンの役割
「しかし、グウェルフ大佐なんて、この国の歴史で一番有名な人じゃん! その人が、分隊長のじいちゃんだったんだなあ!」
「おいおい嘘だろ。本気で知らずにいたのか。――つかお前働け」
パーカーが、ごそごそと紙巻煙草を一本取りだしながらやってきた。
この少尉、自身の怠慢な態度は棚に上げ、ギルバートを注意している。
ギブソンは、座っている自分の眼前にあるパーカーの指から、煙草を取り上げた。
「おっ――!?」
意表をつかれたパーカーから、戸惑いの声が漏れた。
ギブソンは内心の笑いを堪え、奪った煙草を咥えて見せる。
パーカーは、ギブソンの揶揄いに気づいたようだ。
焦りの表情から、決まり悪そうに顰まる顔へ変化する。
ため息をつき、ギブソンへ指輪の魔石でつけた火を差し出した。
吸い込んだ細い一本は、久しぶりだった。
ギブソンが普段吸うのは葉巻だ。それも、社交の場か、暇な執務の憂さ晴らし程度でしかない。
「街で今流行ってる舞台も昔の王族の逸話が由来だっけ。その王子も貧しい国民のために尽くして立派だって人気だけど、その子孫が分隊長かあ」
本人が聞くと嫌がりそうな話だ。
だが、純粋に瞳を輝かせるギルバートの悪意のなさを考えれば、あっさりと許されそうな気もした。
パーカーも、新しくとりだした別の煙草に火をつけながら、苦笑している。
「お前さ、あの人、いくら世間から認知されてなくても王族だぞ。散々態度考えろって指導してたレオポルドの坊ちゃんの話、全然響いてなかったんだな」
「……ていうか、なんで分隊長冷遇されてんの?」
改めて飛ぶ率直な疑問に、パーカーは言い淀む。
「そりゃあ……王と仲悪いからだろ」
「なんで?」
「知るかよ。昔、前の王妃が亡くなる要因となった事故起こしたとか噂はあるが」
パーカーが、事情に精通していそうなのはこちらだろうと言いたげに、ギブソンに目配せしてきた。
「……私の口から言えることはないよ」
事故についての詳細は、ギブソンも詳しく知るところではないし、人より知る背景も気軽に口外などできない。
ギブソンは当時、すでに退位していた先代の王の護衛として、城砦の警備はしていたが、現場にはいなかった。
正直、ギブソン自身ずっと気になっていたことだ。
先代の王や、当時のアルスの家庭教師を問いただしたこともある。
しかし、どちらからも明確な回答は得られず、そのまま二人はいなくなってしまった。
(亡くなった先代はともかく、あの家庭教師は一体今頃どうしているのか……)
事故後、しばらく経つと、アルスの家庭教師は城からいなくなってしまった。
王妃シャーロットや先代に重宝された彼と、現王との関係は、ギブソンでも薄々感じるほどの相性の悪さもあった。
故に、先代が亡くなった途端、追い出されたのではないかと推察はする。
それにしても、一人残され寄宿学校へ送られたアルスは不憫だった。
アルスにとって、彼は育ての親ともいえる存在だったはずだ。
「今回も何かあったとは思うんだが……聞き出せる力は私にはないな」
ギブソンは、煙草の先端で細く揺れ泳ぐ煙を見ながら、ぼんやりとつぶやく。
「それはそうでしょう」
ブライアンが鼻を鳴らした。
「そもそも、大佐とアルス様とでは心持ちが違いすぎる。無理に会話したところで、余計なことを仰るばかりだ。まるで配慮がない」
「ブライアン……お前は、遠慮というものを知らんのか」
「ただの肯定者は要らないと宣言されたのはどなたでしたかね」
ブライアンは追撃の手を緩めない。
ギブソンの中で大人げないほどの不機嫌さが渦巻く。
「普段物分かりがいい方だけにお忘れのようですが、アルス様もまだまだ経験の浅い若者です。苛立ちや爆発の一つくらい正常ですよ」
それを指摘されると、反論も難しい。
自分はアルスを年齢相応の若者らしく扱えていたのだろうか。
子供のように過保護に囲うくせに、その理性的な振る舞いに期待し頼っていた気がする。
「あと常々思っておりますが、大佐は実際、グウェルフ大佐を神聖視しすぎだと思います」
ギブソンは、黙ったままブライアンを見上げ、怪訝に睨む。
「あの御方、森で派手な色の鳥を見つけたと騒ぎ足を滑らせてましたし、煙草の支給が減れば不機嫌に愚痴も増え、食事のメニューが好みでなければやる気を下げる素直な方でした」
「そんな方だったか?」
「そんな方でした」
記憶にない事情だ。
ギブソンは、誤魔化すように煙草を口へ運ぶ。
「そうそう完璧な人間などおりません。——貴方だってそうでしょう」
ブライアンは、うっすらと笑みを浮かべていた。
「山岳戦線で敵を撃退した、かの有名なギブソン元少将だって、幼少期より可愛がってきた王子のちょっとした反応に振り回されて、今、一喜一憂しているのだから」
ギブソンは、居心地の悪さを捨て去るように、咳払いをして立ち上がった。
煙草を脚で踏み消していると、視界の外からブライアンの声が降ってくる。
「しばらくしたら、私の方で様子を窺ってきます。アルス様も近すぎるだけに、貴方には甘えが出てしまうのでは。答えがあるかわかりませんが、第三者の方が聞ける話もあるといいますし」
「めずらしく、頼もしいな」
「……大佐は子供ですか」
仕返しのように強調したギブソンの言葉に、ブライアンが呆れた。
ブライアンこそ、上官を相手にするには態度が尊大すぎる。
そもそもブライアンを、手元に置いた理由はなんだったか。
――自分と似たやつより、正反対の人間をつけた方がいい。
そう、グウェルフ大佐が言ったからではなかったか。
責める思いも馬鹿らしいほどかき消え、周囲を見渡せば、アルスの戻ったリブラル城の館が見えた。
改めて、アルスのことはもどかしい。
あるいはジャックがいれば、と、ふとよぎる。
ジャックは本当に上手くやってくれていた。彼がそばにいた頃のアルスは、どんどん明るくなっていった。
この広場で笑いあっていた二人の姿が今はもう遠く、ギブソンの中にじわりと寂しさが募る。
振り返れば自身の齢も五十半ばを過ぎた。
残りの人生を何に使うべきか。
娘達は立派に育ち、友も多くが戦争で亡くなり、尽くした王もこの世にない。
気に食わないことをしたくないと文句を突きつけ左遷させられたが、その扱いに反発するほどの気持ちは起きなかった。
国家を二分しようという歴史に轟く一大事にだって、ギブソンはいまいち乗り切れていない。
このところ、南部や北部を問わず、将校たちからの手紙がいくつも届いていた。
その熱情には胸を打たれたし、誘いだってあった。
それでも、心が動くまではいかなかった。
情勢を見極めようと注視はするが、反乱軍や、故郷を思う将軍たちのように、国を憂いて行動に移すほどの気概はどうにも持ちきれないのだ。
ギブソンは、近くに立てかけていた大剣を手に取った。
凍えるような寒さで掴んだ剣は、握りしめると不思議と温かい。
五感を研ぎ澄ませ、光や香り、風の心地と周囲に響く音の振動さえも、呼吸と合わせるように、集中する。
鞘から抜き、目を閉じて刃をゆっくりと動かす。その進む軌跡は思い通りのものか。
馴染む剣の重さを確かめ、雑念をより分ける中、消えずに残るのは彼の王子の姿だ。
あの朝の牢で震えていた背中と、幼い頃に向けてきた無邪気な笑顔は忘れることなどできない。
ギブソンは急に理解した。単純なことだ。
先代の王もなければ、グウェルフ大佐もいない。
だが彼らに連なるアルスはここにいる。
アルスは彼らの代わりではないが、ギブソンは彼らの役割を果たしてやりたい。
ギブソンがすべきことは、アルスを守り、最後まで味方であり続けるということだ。
静かに目を開けると、ギブソンは掲げた剣をまっすぐに振り下ろした。




