第四部 第十章 ビーツ
第十章 ビーツ
軍団は無人の街道を東に進み、サカリヤ川を越えた。この川には東ローマ帝国時代の『サンガリウス橋』が健在で通行可能に見えた。軍団には土の魔術師と木の呪術師や工兵達が居るので安全の為に橋の点検と補修をして渡る事になる、橋を渡ると、街道沿いには、『人』の姿がちらほらだが見られる様になり、村や周辺の畑も多少は無事の様だ。
「この辺りまで来ると、疫病の被害は少なかったのでしょうか?」
「そうだな、だが大きな街は人が集まるからなぁ、行ってみないとわからんな」
などと話しながら、ローマ時代には『クラウディオポリス』(ボル)と呼ばれていた街に入る。
「人が居る様ですね」
「ああ、だが皆難民か病人の様だ」
この街は古代から続く街で、最盛期には人口も5万人以上居た筈だ、だがここも途中の街と同じで、至る所に白骨化した死体が散乱して廃墟状態になっている。
そしてその死体を避ける様に、数十人の難民とも病人とも思われる人々が力無く座り込んで、生気の無い目でこちらを伺う様にみている。
「誰か言葉のわかる方は居ませんか、我々は魔聖ローマ帝国軍です」
先遣隊の将校が声をかけると、一人の老人が手を挙げた。
この辺りも元々はローマ帝国の版図で、その後東ローマー帝国領となった地域だ、なのでラテン語が全く通じないと言う事は無いのだろう。
老人は力無い声で
「水と食べ物を恵んではくださらんか、もう皆、何日も食べていないのです」
と訴える。
ジョルトとダークナイトは視線を交わしてお互いに頷いた。
「輜重部隊、炊き出しの用意だ、小麦の粥を作ってやれ、錬金術師は井戸の毒の確認、急げ」
とジョルトは指示をする。
「では俺は、例によって死体の処理、それとアンリに周辺の偵察を頼みます」
「よろしく頼む、私は病人の治癒の指揮を取る」
三つの軍団はそれぞれの任務に取り掛かる。
ジョルトは先程の老人に問いかけた。
「病人、怪我人はいるか、我々には治癒師と錬金術師が同行している、具合の悪い者は?」
「流行の疫病に罹った者は全員、そこの建物に隔離しておりますが……」
「気が狂れた様になって人に噛み付くのだな」
「はい、その通りです、噛まれた者もまた発病するので我らではどうする事もできません」
と老人は力無く声を落とした。
東ローマ帝国が戦略兵器として闇魔法で生み出した禁忌の『黒死魔法』、この魔法で作られた『黒狂犬病』は通常の物より遥かに感染力が高い、しかも媒介となる動物は人を襲うまで発病しない様になっており、本来の狂犬病が大型の動物しか媒介しないのに対して、鼠や兎などの小動物も媒介すると言う特徴があった、更に罹患して死亡した人の死体を食べた野犬や鼠などが再び媒介となると言う凶悪な物だ。
東ローマ帝国の魔術師達は、闇魔法と同時に解析をしていた光魔法による結界を張る事で、帝国領のみを黒狂犬病から守り帝国を脅かす周辺国を弱体化させる予定だったのだ。
だが、結果的に実験は失敗、帝都コンスタンチノープルを覆う結界の中で、黒死魔法が暴発、黒死狂犬病は瞬く間に帝都に広がり、帝国は滅亡して、周辺地域を死の世界に変えて行った。
この黒死狂犬病が今、再びアナトリアの地で蔓延しているのだ。
「生存者がまだ居るのかな?」
とも同いながら、ジョルトは治癒師達を指揮して光魔法でこの街の浄化を行い、病人が隔離されていると言う建物の扉を開けた。皇帝ユーグの研究の結果、黒狂犬病は光魔法の浄化で消滅させられる事がわかっている、そして病気の原因が無くなれば、あとは弱った身体を治癒魔法で回復させるだけだ。
すぐに治癒師達が中に入り、まだ息がある者には治癒魔法をかけていく。
「陛下、残念ながら8名程しか助けられませんでした」
「そうか、後の者は外に運び出して荼毘に付してやれ」
街の広場の横にあった壊れていた井戸を工兵達が修理して、錬金術師が確認した所、水は煮沸すれば飲料に使えるとの事だ、なのでとりあえず水の心配は無くなった。
街の外では、集められた遺体を炎の魔法で焼却する煙が多数立ち上っている。
難民達も小麦の粥と白湯で一息ついたのか、やっと表情が少し落ち着いた感じだ。
「ご老人、この街に何があったのか知っているか?」
ジョルトの問いに老人は答えた。
「私はヨハネス・ピロポノスと申しまして、ここから東南の街『アナスタシウスポリス』(ベイパザル)の領主をしておりました……」
と老人はここ数年にあった出来事を辛そうに語った。
最初に疫病が西方で流行っていると言う話が伝わって来たのは二年ほど前で、その後その疫病は治癒が不可能な上に数日で重症化して正気を失い人を襲う様になる、そして噛まれた者もまた同じ症状を発症すると言う話が伝わって来た、老人の街では防疫の為に街を封鎖して外部からの侵入を防ぎ、商人等とは街の城壁の外で取引をする様にしていた。しかし、狩に出た者のうち数名が野犬の群れに襲われ、街の治癒師が手当をしたが、それから数日で、疫病と同じ症状を発症、ヨハネスは直ぐに、ハムダーン王国の王都アレッポに報告をして指示を仰いだ、そして数ヶ月後に帝都バクダートから軍がやって来て、彼らは病人や病人と接触のあった者全員を集めて、炎の魔法で焼却処分にした、だがそれでも疫病は治らず、ついにヨハネスとその一族に連なる者達は街を捨てた、当初は東南の街アンゴラに逃げる予定にしていたが、そちらからの難民も押し寄せる様になり、どうやら各地でブワイフ帝国軍は、街や村を住民毎、焼却して疫病を食い止める方針になったと言う事らしい、しかも伝え聞いた話では帝都バクダードでも疫病が蔓延して、カリフは街を捨てて東に逃げたと言う事も老人は話してくれた。
『なるほど、我らは皇帝陛下から授かった光魔法で浄化できるが、それがなければ炎で燃やし尽くす事しか対処方法が無いからな、酷い事だ』
とジョルトは思う。
「隊長様、あなた方は疫病を治せる力をお持ちの様だ、私が置き去りにした領地の民達をどうか救ってはいただけ無いだろうか?、いや他国の方にこんなお願いをする物では無いな……」
とヨハネス老人は力無く肩を落とした。
「どうですか状況は? 街の外の畑で野生化したラデッシュを見つけました、これ食えますよね」
とそこにアンリが戻ってくる。
「アンリ殿、食べられるかどうか錬金術師に……あ」
ジョルトが毒かどうか調べろと言う前にアンリはそのラデッシュをもう齧っていた。
「うぉ、なんだこれ、土臭いが甘い!」
「失礼ながら、その作物はビーツと申しまして、砂糖の原料になる物でございます」
とヨハネス老人は、初めて笑顔を見せた。
「何、このラデッシュから砂糖が取れるのか?」
アンリの表情が変わる、この頃砂糖は帝国でも高価で、甘味料と言うよりは高価なスパイス扱いだったからだ。
「陛下、この街は宝の街の様ですね」
と話を聞いていたアデルとマイアレンの二人は既に満面の笑みを浮かべている。
「陛下、直ぐに人を出してその作物をもっと取って来てください」
とマイアレン
「陛下、早急に魔紋の用意を」
とアデル
二人に急かされる様にして、ジョルトはヨハネス老人との対話を終わらせようとした。
「あの失礼ですが、あなた方は?」
それを察したのかヨハネス老人名を尋ねてきた。
「私は魔聖ローマ帝国・ルテニア国王ジョルト・アールパード、先程ビーツを齧っていたのは、同じく魔聖ローマ帝国・ビザンツ国王アンリ・ポワトゥー、そこの黒尽くめの男は魔聖ローマ帝国・スロバニア王ダークナイト・ユーグだ」
ジョルトはそう言って一応丁寧に挨拶をした、このヨハネス老人の態度や身のこなし方、そして老人が
『アナスタシウスポリス』の領主と言った事から、この人物がそれなりの貴族であると思ったからだ。
「ヨハネス殿、我らは数日後にはこの街を発つ予定だが守備隊を残していく、もう疫病の心配は無いと思うし、いずれ後続の輜重部隊も到着するので、食料の心配も無いだろう、皆はこの街で御ゆるりと病を癒して欲しい」
そう言ってジョルトが見上げた街の中心の拝火教の大神殿には既に魔聖ローマ帝国の旗が翻っている。
ほぼ無人の廃墟の領有権を魔聖ローマ帝国が主張しても、それを咎める者は存在しないからだ。
そして、その旗を見てヨハネス老人は少し寂しそうな目をしてから
「陛下、もしや貴殿達は『アンゴラ』に向かうおつもりですか?」
と聞いて来た。
ジョルトは隠す事でも無いので
「ああ、そのつもりだ、我らは東西のローマ帝国を継ぐ者として『アンゴラ』の領主に帰順を呼びかけるつもりだ」
と答えた。
「陛下、神殿の清掃が完了いたしました、王妃殿下がお待ちです」
とそこに、伝令が来たのでジョルトはヨハネス老人との会話を一旦終了して神殿に向かおうとした、当然、魔紋の設置の為だ。
「陛下、しばしお待ちいただきたく」
とまだヨハネス老人は話がある様だ。
「はて、まだ何か?」
「我が家の先祖は東ローマ帝国に使えた家でした、その後ウマイヤ帝国、アッパース帝国、そしてブワイフ帝国とこの地の統治者は変わりましたが、我が心はローマと共にあります、ぜひ我らを魔聖ローマ帝国に帰順させていただきたく思います、その対価とは申しませんが、ビーツから砂糖を得る方法をお教えいたします」
ジョルトは即答を避ける、これは自分の裁量のみで決められない事柄だからだ。
「成程、そういう事なら、皇帝陛下にお伺いを立ててみよう、それでよろしいかな?」
「はい、ありがとうございます」
「では、貴殿の一族の者で、砂糖の精製方法に詳しい物を、私の所によこしてください、妻と一緒に帝都まで同行してもらいます」
「は? はいかしこまりました」
ヨハネス老人はそう答えたが、その帝都が何処にあるのか知らないし、どれ位遠いのかも知らない。
なので、農作物の管理をずっと任せていた甥の『アレクシオス』に事情を話して、ジョルトの所に出頭させる事にした。
「アレクシオスよ、長い旅になると思うが、我が一族の命運を託したぞ」
と悲壮な思いで声をかけたのだった。
ジョルトは臨時に自分の執務室とした神殿の一室で、皇帝ユーグと皇后マロツィア宛の手紙を認めた、宛先が皇帝だけでは無いのは、この件が内政に関する事だからだ、当然ジョルトも帝国の内政を誰が司っているか熟知している。
そこにアデルとマイアレンが戻ってきた。
「陛下、魔紋の方は?」
「ああ、終わったよ、用意は?」
「できてます、これだけあれば、帝都の皇后様に届けた後で私達の領地でも育てられますね」
とアデルは農婦の様なカゴを背負い、その中にビーツを満載している、当然マイアレンも同じ姿だ。
「一人一緒に帝都まで連れて行ってくれるかな、彼がビーツから砂糖を作る方法を知っているそうだ」
「はい、かしこまりました」
「それとこの手紙を陛下に渡してくれ、できれば返事を戴いて戻って来て欲しい」
「はい陛下、承りました」
そこにヨハネス老人がアレクシオスを連れてやってきた、アレクシオスはボロボロの格好だが、一応旅支度をしている。
「陛下、我が甥のアレクシオスにございます、この者なら陛下のお役に立つと存じます」
甥と行ってももう初老の人物だが、温厚そうでいかにも知恵の周りそうな人物だとジョルトは思った。
そのアレクシオスは騎士がする様に跪いて、ジョルトの言葉を待っている。
「アレクシオス殿、魔聖ローマ帝国は有用な技術を持った者を歓迎する、帝都までの道程では驚く事も多いだろうが、安全な旅なので安心してくれ」
と言ってアレクシオスを立たせると、その場の全員を連れて魔紋を描いた部屋に向かった。
「転送魔紋の用意はできた、誰から行く?」
と声を掛ける。
「ジョルト陛下、では私から」
とマイアレンは、アンリと抱擁してキスをしてから、魔紋の中に入った。
そして直ぐに光の粒子になって消える。
「次、アレクシオス殿どうぞ」
「え、あ、はい、しかしこれは一体?」
「恐れる心配はありません、どうぞ」
と言われてアレクシオスは天を仰いでから魔紋に入る。
「では陛下、良い返事を持って帰って来ますね」
とアデルもまた魔紋に入って姿が消えた。
「あの陛下、これは一体全体?」
と唖然としていたヨハネス老人がジョルトに尋ねるが、既に顔は蒼白になっている。
「ヨハネス殿、これは我が帝国の国家機密ですので他言無用に願う、転送魔紋と言って、同じ魔紋がある場所、この場合はビザンツ王国の王都『カペーウルプス』……貴殿にはコンスタンチノープルと言った方が良いかな……に転送される、そこから別の魔紋で我が帝都ユーグウルプスまで転送する。今頃は三人共、帝都に着いている」
と説明を聞いてヨハネス老人は唖然としている、魔聖ローマ帝国の魔法技術がどれだけ進んでいるかを
目の当たりにしたからだ。だが、この翌朝、老人は更に驚愕する事になるのだった。
ジョルト達は、そのままこの街で野営の準備に入った。幸いにして空き家ばかりなので、将兵の全員が屋根の下で眠る事ができるのは兵達の疲労回復にも良い事だった。




