第四部 第九章 アナトリア
第九章 アナトリア
ダークナイトが港まで降りると、二人の皇子は並んで、乗船の許可がマーリカから降りるのを待っている。そんな皇子達を見てダークナイトは自分の初陣の時を思い出し、懐かしんだ。
「ユーグ殿下、ロベール殿下、そろそろ乗船だ」
と二人の皇子に声をかけ、妻のマーリカに目で合図をした。
ユーグ2世はジョルトに、ロベールはダークナイトに預けられたのだが、実質的にこの二人の面倒見ているのは、ジョルトの妹でダークナイトの妻であるマーリカだからだ。
マーリカは自分の部下、かってのハンガリー王の親衛隊兵士を鍛えたのと同じ方法で二人の皇子とその部隊5000人ずつを完璧に鍛えあげて合わせて10000の精鋭軍とした。
全員が臣民出身の部隊だが、既に頭角を表す物が居て、ローマ帝国の軍制を踏襲する魔聖ローマ帝国の「トリブヌス・ミリトゥム」(1000人隊長)に任命され騎乗を許された者が両隊合わせて10名存在する。
今まではこの地位は男爵相当の騎士の地位だった、これを臣民出身の兵から成り上がったと言う事で、
帝国では話題になり、黒を基調に金をあしらった二人の皇子の直属軍は臣民兵士たちの憧れの部隊になった。
この部隊を守る様に、マーリカ直属の漆黒の軍装のダークナイトの親衛隊10000と真紅の軍装のジョルトの親衛隊……こちらを率いるのは、ジョルトの妻アデルだ、アデルは二人の若い従兄弟をまるで実の弟の様に可愛がって、行軍中はマーリカと交互に二人に魔法を教えていた……が陣を敷いているのだ。
「二人とも泳げるか?」
ダークナイトは一応確認した、大型のヴァイキング船とはいえ、この海峡は潮流が早く潮の目が変わりやすい難所なのだ、万が一と言う事もある。
「海は泳いだ事はありませんが、ライン川でなら何度も泳いでいます」
と二人は声を揃えた。
もちろん二人をフル装備で泳がせたのはマーリカだ。
いざと言う時には、水中で具足を脱ぐ訓練も受けているので、まぁ大丈夫だろう。
こうして、数日をかけて、第二軍は渡海を完了した。
そして、いよいよアナトリアに進軍する事になる。
カルケドンの街には現在は人は住んで居ないので、どの国もその所属を主張していないが、街を抜けた『アナトリア(小アジア)』地域は、現在は領土的に同盟国アッパース帝国とアッパース帝国と敵対するブワイフ帝国を構成する『ハムダーン王国』の領地が混在する場所になっていて、更に今だにどちらの帝国にも属さずに東ローマ帝国領を自称する城砦都市国家も存在する。だから、魔聖ローマ帝国軍が、アナトリアを制覇しようとすれば、当然ブワイフ帝国軍と衝突する事は間違い無いと言う事だ。
ハムダーン王国の哨戒部隊は、魔聖ローマ帝国軍のアナトリア襲来を発見すると、直ぐに王都アレッポに急報を入れ、スルタン(国王)サイフッダウラ・ハムダーニーは、ブワイフ帝国に使者を送り、救援
を要請する、この時ハムダーン王国では疫病の蔓延により、軍事行動を起こす余裕が全く無かったからだ。
遠征軍の当面の攻略目標は、ローマ帝国時代からの街『アンゴラ』(アンカラ)の占拠だ。このアンゴラはアッパース帝国の時代に街を包囲されて居るが、それを撃退、現在でも東ローマ帝国の都市として存在して居るとの事だので、解放になるのか占拠になるのかはまだ不明だが、だがその周辺は完全にハムダーン王国によって支配されている。
さてそのブワイフ帝国だが、現在の皇帝は初代皇帝である『イマード・アッダウラ』がカリフとして君臨している。この皇帝イマードは元々がダイラム人と言うペルシャ人の辺境の一族の出身だ、彼は拝火教の主神である『アフラ・マズダー』の子と称されるほど強大な炎の魔術の使い手であると共にダイラム人の伝統的な武器である『槍』の達人でもある。ハザール海の南西ダイラム地方を領地としていたが、ペルシャ北西部タバリスターンを領する『ズィヤール王国』の将として台頭して、やがて魔法歴930年にはペルシャ南部のファールス地方に進出してここを拠点とする、更にズィヤール王国の内紛に乗じて独立、イマードはスルタンを自称し、ここにブワイフ王国が誕生する事になった。スルタン・イマードは強力な炎の魔術師である二人の弟、次弟ルクン・アッダウラを北西部のジバール地方に、末弟ムイッズ・アッダウラを東のケルマーン地方に派遣してその土地を支配する事に成功する。ケルマーン王となった末弟のムイッズ・アッダウラは魔法歴934年に西のメソポタミア地方に転じてアッパース帝国の帝都バグダードに入城し、アッパース帝国カリフ(皇帝)アル・ラーディより軍権とアミール(軍司令)の称号を授けられて実質的にメソポタミアの支配者となる。
アッパース帝国は魔法歴750年に当時のウマイヤ帝国に反旗を翻した各地の部族の連合帝国だったが、その後二代目カリフとなったアル=マンスールの時代に帝都を交易の中心都市だったバグダードに遷都して以後、全盛期を迎える事になる、だがそれから200年程経った現在では各地の総督の腐敗や強権的な政治から反乱が相次ぎ、軍事能力をほぼ失った状態だった、最初に反旗を翻したのは地中海南岸の諸国で、イドリース王国、ミドラール王国、ファーティマ王国が次々に帝国から独立、ファーティマ王国は帝国を名乗る様になる、そして更にハムダーン王国には一時帝都バクダードを占拠される事態となったが、その後傭兵として雇ったムイッズ・アッダウラによって帝都をかろうじて取り戻す事ができた、しかし帝国の権勢は回復せず、今度はそのムイッズの兄ブワイフ王国スルタン、イマード・アッダウラによってカリフは帝都バグダードから追放されて、アラビア半島の地中海側の旧都ダマスカスに遷都、広大だった帝国領はそのダマスカス周辺とアナトリアの一部を領するのみと言う、最早帝国とは呼べない状況になって居る。
そしてアル・ラーディに変わって、バクダードでカリフ就任を宣言したのが、『イマード・アッダウラ』で、これによりアッパース帝国領は新たに誕生したブワイフ帝国に継承される事になった。
ところが、ここで帝国には思わぬ災害が押し寄せる、アナトリアの旧アッパース帝国領の各地で疫病が発生、その勢いは全く衰えずに、保護国となったハムダーン王国にも蔓延して、ついに帝都バグダードまで広がり、人口200万を誇った帝都はその半数を失う事になり、カリフ自身もバクダードを捨てて、帝国南西部の街『ズバイル』(バスラ)に避難して居る状態だった。
ズバイルの街の仮の玉座でカリフ・イマードは次弟ルクン・アッダウラからの報告を聞き激怒した。
「何、魔聖ローマ帝国の軍勢がアナトリアに侵攻しただと?」
「はい兄者、どうやらあの無能な元カリフ『アル・ムッタキー』の手引きによるものかと」
「あの無能者か、せっかく温情を与えて、ダマスカスで余生を送らせてやろうと思ったのに、恩を仇で返すとはつくづく無能な者の考える事はわからんな、しかも西方の蛮族共は『ローマ帝国』を自称するとは
滅びた帝国の名を名乗るとはなんと愚かな」
「兄者、ダマスカスへの進軍の許可と、ついでに蛮族を撃退する許可を貰えるか?」
「それは構わんが、疫病の対策も大事だ、そちらはどうなっている?」
それに答えたのは末弟のムイッズ・アッダウラだ。
「この疫病はどうやら『狂犬病』と呼ばれる物の一種だと推測されます、『死の都』周辺で発病する物と同じですね、発病したら治癒は不可能と言う事なので、バグダートに残っていた『イッズ・アッダウラ』殿が、炎による浄化をして居る最中です、疫病を媒介する犬や猫、狼などを駆除する事で、バグダード以東への蔓延は成功しています、蛮族共は我らが何もしなくても疫病によって自滅する事になるでしょう」
「そうか、イッズがな」
皇帝はバクダードに残して来た長子の意外な活躍に微笑んだが、直ぐに
「しかしそうすると、ルクンが率いる兵の数が揃わんのでは無いか?」
「なんの兄者、蛮族の兵など我が聖なる炎によって焼き尽くしてご覧に入れます」
と言う事で、次弟ルクン・アッダウラは手勢100人を連れて駱駝で北西に進軍する事になる、各地で兵を集めながらの進軍で、本来なら30000の兵が見込めるが疫病が蔓延している現状ではその1/3も集められれば良いだろう。彼の最初の目標は北西に400マイル離れた帝都バグダードで、そこから更に670マイルほど西に向かい旧アッパース帝国のカリフ・アル・ムッタキーの立て篭もるダマスカスの街を攻略する事になる。バクダードまではテイグリス川に沿って行けば良いので村もあり、水や食料の心配が要らない10日程の楽な行軍になる。
ダマスカスではカリフ・アル・ムッタキーが魔聖ローマ帝国軍のアナトリア侵攻の第一報を聞き、歓喜の声をあげている。
「そうか、やっと来たか、蛮族共には大いに働いてもらって、帝都を奪取してもらいたい物だ」
とあくまでも上から目線であり
「そうじゃ、帝都奪還がなったあかつきには蛮族の王に褒美をやらなければならないな、何が良いかの?」
「恐れながら陛下、我らが拝火教の聖典を賜れば無知な蛮族共はそれだけで大いに喜ぶでしょう」
などと言う大神官まで居る位だ、だか彼らはダマスカスの城塞の外で何が起こっているかを全く認識していない、既に周辺では疫病の蔓延によって壊滅状態の町や村が多数あり、その結果放置状態になった畑などが散在して居るのだった、つまりこのまま無策を続けていると、食料の生産手段が乏しいダマスカスは
飢餓状態に陥ると言う事だ、早々に手を打って疫病の蔓延をなんとか食い止めたブワイフ帝国のカリフ・イマードと比較して、施政者として危機感の全くないアル・ムッタキーをイマードが無能と評するのは正鵠を射ているのだ。
カルケドンからアンゴラまでは馬で普通に行軍して一週間〜10日程の距離になる。
軍団はローマ時代には『プロポンティス』と呼ばれ現地では『マルマラ海』と呼ばれるポントス・ユークサイナスとエーゲ海を結ぶ内海に沿って前進をしていく。
途中幾つもの放棄された村や街を通過して、『ニコメディア』(イズミット)の街に入る、この街は大魔術師で皇帝として著名な『コンスタンティヌス1世』がその最後を迎えた街としても有名だ。
街の中には、処理ができなかったほぼ白骨化した死体がまだ山積みになっており、帝国軍の最初の仕事は死体の焼却からだった。
そして、その後は光属性の魔術師が街を浄化していく
「やっと住民の痕跡がある街まで到着しましたね、廃棄されてから二年程でしょうか?」
「ああ、その様だ、しかし何があったのか?」
「遺体の状況から東ローマ帝国による黒魔法の暴走が原因ではなさそうですね、この状態では死因がわかりませんが、争った様子も無いので、やはり疫病、それも黒魔法による黒狂犬病と考えるのが妥当でしょうか?」
「そうだな、確かに街の周辺には放置された畑がそのままになっており、野生化した作物などもある様だ」
「まあ、とにかく誰も居ないんだ、さっさと旗を掲げてここは魔聖ローマ帝国の領土と言う事にしてしまおう」
とダークナイトは乱暴な事を言うが、それも正論だろう。
何よりこの街はプロポンティスに面して居るので港が使える、つまり帝国の補給基地として使用可能と言う事になる。
「ジョルト殿、私は一度転移で『カペーウルプス』まで戻り、後続の輸送部隊に海から物資をこの街に届ける様に手配してまいります、転移魔紋の設定をお願いできますか?」
「ああ、すまんな頼む」
とジョルトは言うと、この街の中心地にある拝火教の大神殿に入り、兵達に中を片付けさせると、以前は大神官の部屋だったらしい場所に、土魔法の護符を使って転送魔紋を刻み込んだ。
この魔紋は『カペーウルプス』の魔法大教会の魔紋と繋がる様になっていて、これでいつでも二つの都市の間を伝令が往復できる様になる。
現在帝国内でこの魔紋を刻めるのは、皇帝ユーグ、三人の皇妃、ウィリアム、ジョルト、サンシュの七名だけだ、言わば秘伝の魔法と言う扱いになって居る。
翌日軍議を行なっていると、海を伝って、イタリア王アルベリーコの艦隊が到着した。
「これはしまった、先を越されたか」
とアルベリーコは苦笑している、ここまで『プロポンティス』沿岸の街を次々と攻略してここまで到着したのだった。
「アルベリーコ殿、我らはこれより東進して『アンゴラ』を目指す事になる、すまんが街を頼む、しばらくすれば補給部隊が到着するだろう」
「心得た、我らもしばしここで休息した後は、ウィリアム殿と合流する予定でな、良い戦を」
ここまでアルベリーコは大きな戦績をあげているので余裕だ。兵達にちょうど良い休息を与えられると
内心では喜んでいる。
ジョルトはアルベリーコに挨拶をして、街を後にする。
轡を並べている、義弟ダークナイトは
「そろそろ、まともに戦いたいなぁ、白骨死体の処理ばかりでは気が減いる」
と愚痴をこぼして、その後ろでアデルと並んでいる妻マーリカに
「あら陛下、俺は魔法が使えないからと言ってあまり手伝っていなかったのはどなたでした?」
と言われてしまう。
先鋒のアンリは妻マイアレンと並んで、周囲を警戒しながら先を進んでいる。
マイアレンは帝都で良い教師に恵まれた様で、今では各属性魔法の他にも治癒魔法と飛空魔法を使いこなしている、相変わらず土魔法を中心とした攻撃魔法しか使えないアンリは魔法の面では妻に勝てなくなっているのだ。




