第五章「夜と父の言葉」(3/3)
俺は白紙のページを、しばらく見ていた。
本を閉じた。
しばらく、膝の上に置いたままにしていた。ろうそくが燃え尽きそうだった。炎が小さくなっていた。読んでいる間に時間が経っていた。
手のひらを見た。
何も見えなかった。暗がりの中で、手のひらの輪郭だけがあった。線も、紋様も、変化も、何もなかった。普通の手だった。ただ、手のひらの内側から、冷感があった。廟で感じたものと同じ冷感だった。ただし今夜は、廟のときより深いところにあった。皮膚ではなく、骨の近くにあった。
不快ではなかった。
それが最初に気づいたことだった。廟では不快だった。光の糸が来たとき、針が走った。不快感として感じた。今夜は違った。冷感はあった。深かった。ただ、不快ではなかった。自分の体の温度の一部として、そこにあった。
体が慣れた、のではないと思った。体が認識した、という感触だった。これは自分のものだ、という認識が、体の内側で起きていた。
— — —
父さんが書いていた。世界の均衡が必要とするとき、それを担える性質を持った人間に、力が宿る。
俺が選んだのではない。生まれたときから、あるいはもっと前から、俺の体はこの力に向いた性質を持っていた。廟で光が来たとき、体は即座に判断した。これは自分のものではない、と。そして自分のものが何かを、内側から示した。
これは俺の体の一部だった。
七年間、鍵のかかる引き出しの中にあった本と同じように、俺の体の中に鍵をかけて保管していた何かだった。廟が鍵を揺らした。今夜、鍵が開いた。
開いたものを、どうするかを考えた。
使い方を知らない。父さんの本には、力の定義と歴史は書かれていた。使い方は書かれていなかった。あるいは損傷した部分に書かれていた。ゼフの塔に続きがある。今の俺には、ゼフの塔に行く方法がない。
知っている。使えない。使い方を知るための場所が、今の自分の手の届かないところにある。
それが現状だった。
現状を受け入れることと、現状を変えようとすることは別のことだった。現状を受け入れることは、知った上で候補生として動き続けることを意味した。ここにいて、訓練を受けて、光の騎士団の候補生として存在しながら、光が拒絶した力を体の中に持っている。
それは偽りではないか、と思った。
考えた。偽りかどうかを。
偽りとは、存在しないものを存在するとして示すことだ。俺がやっていることは違う。俺は候補生だ。訓練を受けている。それは本当のことだ。ただ、候補生でありながら、候補生の体系の外にある何かを持っている。それは偽りではなく、複数の真実が一人の人間の中に同時に存在しているということだった。
父さんも同じだったのかもしれない。エルスタの研究者でありながら、研究者の体系の外にある何かを知っていた。両方が本当だった。
ろうそくが消えた。
部屋が完全に暗くなった。
暗闇の中で、手のひらを開いたまま膝の上に置いていた。何も見えなかった。ただ、冷感だけがあった。深い場所にある、静かな冷感。
父さんの最後の一文を思い出した。
これを知った時、お前はもう元の世界には戻れない。それでも知ってくれ。知らないまま死ぬより、知って生きる方がいい。
元の世界。
元の世界とは何だったか。ヴォルン村の、父さんの死後の、一人で薪を割っていた日々か。王都に来る前の、地図の名前でしかなかった場所に向かう前の、知らなかった日々か。
戻れない、というのは正しかった。今夜、本を読んだ。父さんが何を知っていたかを知った。自分の体の中に何があるかを、初めて言葉で理解した。その言葉を知る前には戻れない。知識は一方向にしか進まない。
それを後悔しているか、と自分に問いかけた。
後悔していなかった。
恐れているか、と問いかけた。
恐れていた。ただ、恐れと知ることは別々に存在できた。恐れながら知ることができた。父さんもそうだったのだと思った。恐れていたから鍵をかけた。知っていたから本を書いた。両方が本当だった。
夜明けの鐘が鳴る前に、ベッドに戻った。
本を引き出しに戻した。元の場所に。鍵はないが、引き出しに入れた。それは今の自分にできる唯一の保管方法だった。
横になった。目を閉じた。
眠れると思わなかった。眠れた。
夢を見た。内容は覚えていない。ただ、暖かい夢ではなかったと思う。暗い夢でもなかった。灰色だった。灰色の夢を見て、鐘が鳴って、目が覚めた。
エヴァン、トール、デインが起きた。四人が着替えて廊下に出た足で食堂へ向かった。
俺も同じことをした。
制服を着た。剣を取った。廊下に出た。
外見は何も変わっていなかった。昨日のケイル・ヴォルンと今日のケイル・ヴォルンは、見た目には同じだった。同じ顔、同じ制服、同じ靴、同じ足取り。
ただ、手のひらの内側に、昨日なかったものがあった。
名前がついた何かが。
名前は影だった。
その名前を持ったまま、俺は食堂へ向かった。ラーシュが廊下で待っていた。「おはよう」と彼は言った。「おはよう」と俺は言った。
それだけだった。それで十分だった。
世界は同じように動いていた。俺だけが、少し違う重さで、それを歩いていた。




