第15章 「シルエットのワイドスラックスの帰還」 第3話
崩壊していくグラン・クリエと、絶望に顔を青ざめさせる新堂数馬。誰もが祥子のトドメの一撃を待つ中、彼女が口にしたのは、業界の常識を覆すあまりにも優しく、そして圧倒的に残酷な「条件」だった。
潰すことすら価値を見出せないほど、過去の男を遥か彼方へと置き去りにした祥子。今の彼女の視界にあるのは、私怨ではなく、さらに遠くの美しいトレンドだけだ。一流のクリエイティブ・ダイレクターが放つ、最高にノーブルで冷徹な復讐劇の結末とは――!
静まり返る会議室。新堂は書類を握りしめ、ガタガタと震えていた。このプロジェクトの失敗は、彼自身の社内での破滅を意味していた。10年前、祥子のキャリアを奪って手に入れた彼の地位が、今、砂の城のように崩れようとしている。
誰もが、祥子がトドメの一撃を刺すのを待っていた。岩口は勝ち誇った顔をし、和美は興味深そうに眼鏡を上げた。
しかし、祥子はゆっくりとグラスの水を飲み干すと、信じられない言葉を口にした。
「……新堂さん。そのオーガニックコットン、我が社が半分、適正価格で引き受けます」
「え……?」新堂が、信じられないというように顔を上げた。
「祥子ちゃん!? 何を言っているんだ!」岩口が驚愕して声を上げる。
「ただし、条件があります」祥子は真っ直ぐに新堂を見据えた。「グラン・クリエの持つ国内の老舗縫製工場、経営難で縮小予定だと聞いているわ。そこのラインを、我が社のAW(秋冬)の特別ラインとして、3年間独占で使用させてちょうだい。もちろん、職人たちの給与は我が社が保証するわ」
それは、グラン・クリエにとっても、不良在庫を回避し、かつ余剰人員を救うことができる、願ってもない「救いの手」だった。しかし同時に、かつて見下していた新興ブランドの、それも自分が捨てた女の「庇護の元」に下ることを意味していた。
「なぜだ……祥子。僕を、グラン・クリエを潰せるチャンスなのに……」
新堂が、掠れた声で問いかける。
祥子は、夜の街に沈まない深いボルドーの唇で、この上なくエレガントで、そして圧倒的に残酷な微笑みを浮かべた。
「勘違いしないで、新堂さん。私はあなたを許したわけじゃないわ。でもね、今の私にとって、あなたを潰すことなんて、明日のコーディネートを決めるよりも簡単なことなの。……今の私の視界には、あなたとの過去なんかより、もっと遠くの、美しいトレンドが見えているのよ」
――あなたに執着して復讐する価値すら、もう今の私にはない。
それこそが、麻木祥子という一流のクリエイティブ・ダイレクターが放った、最高にノーブルで、最高に冷徹な「復讐」だった。
新堂は、自分が完全に敗北し、もう二度と彼女の同じステージに立てないことを悟り、深く頭を垂れた。
かつて自分を捨てた男を、自らの庇護の元に置くという、あまりにも優美で容赦のない復讐。それは、泥だらけだった過去の自分を完全に救済し、未来へと進むための最高の解放だった。
過去の呪縛を完全に断ち切った祥子の背中には、もはや何者も恐れるものはない。完璧な勝利の余韻を胸に、彼女が向かうのは、静かな夜の聖域と、新たな狂騒の予感に満ちた六本木の夜だった――!




