第15章 「シルエットのワイドスラックスの帰還」 第1話
ブランドの絶好調を横目に、表参道のイチョウ並木に忍び寄る不穏な黒い影。それはかつて祥子のすべてを引きちぎっていったアパレル最大手「グラン・クリエ」と、彼女の人生を狂わせた男・新堂数馬からの冷酷な宣戦布告だった。
オーガニックコットンの独占供給を巡る理不尽な横槍。10年前の雨の夜、泥に塗れたワイドスラックスの記憶が、完璧なダイレクターの仮面を剥ぎ取るようにフラッシュバックする。しかし、今の祥子は一人ではない。生々しいエゴイズムを纏った猛獣たちが、再び予測不能な反撃の狼煙を上げる――!
あの狂騒のパーティーから数週間。5月の表参道は、イチョウ並木の緑でおおわれていた。「beauté discrète」の業績は、麻里と咲良のジャケットの大ヒット、そしてクルーズコレクションの話題性も手伝い、過去最高を記録しようとしている。
そんなある日の午後、ダイレクター室にいた祥子の元に、マーケティングダイレクターの岩口が、いつになく引きつった顔で飛び込んできた。
「祥子ちゃん、大変なことになった……。来春のメイン展開を予定していたオーガニックコットンの独占供給契約、大手に横槍を入れられて白紙にされそうだ!」
岩口がデスクに叩きつけた報告書に目を落とした瞬間、祥子の「トムフォード」のボルドーの唇が微かに凍りついた。相手方の会社名は――「グラン・クリエ(Grand Créer)」。
かつて祥子が在籍し、すべてを引きちぎられるようにして去った、あのアパレル最大手だった。そして、そのプロジェクトの総責任者として記されていた名前は、「新堂数馬」。
――10年前、祥子が真剣に愛し、そして彼が妻子持ちであることを隠して自分を「盤上の駒」として踊らせていた、あのチーフデザイナーだった。
「グラン・クリエが、うちの成長を潰しにかかってきている。新堂の奴、業界のパイプを使って、うちの素材ルートを完全に断つ気だ。これが破綻したら、数億円の損失になる……!」
岩口の焦燥を他所に、祥子の脳裏には、10年前のあの激しい雨の夜がフラッシュバックしていた。
『君の才能は認めるよ、祥子。でもね、組織で生きるっていうのは、こういうことさ』
冷徹に言い放った新堂の顔。プライドをズタズタにされ、泥水を撥ね上げながら青山の路地裏を走ったあの夜。裾に消えない泥のシミを作った、あのハイウエストのワイドスラックス。
「祥子さ〜ん! なんか大変なことになってるって高木先輩から聞きましたぁ!」
静まり返る室内に、パウダーピンクの「レディ ディオール」を揺らした麻里が、咲良を伴って遠慮なしに突入してきた。
「グラン・クリエって、あの古臭いおじさんブランドですよね? 麻里たちの可愛い服の邪魔するなんて、絶対に許せな〜い!」
「高橋さん、声が大きい……。でも、祥子マネージャー、あの……今回のデザイン、その素材がないと成立しなくて……」
麻里の生々しいエゴイズムと、咲良の職人気質な不安。二人の視線が祥子に集まる。祥子はゆっくりと立ち上がり、「ジル サンダー」のジャケットの襟元を正した。「ジミーチュウ」の7センチヒールが、コンクリートの床を硬く、冷徹に叩く。
「……高木君、和美を呼びなさい。デザイン、マーケティング、総力戦でいくわよ。beauté discrèteのルールを、あの化石みたいな大手に叩き込んであげる」
鏡の中の祥子は、もう泥に塗れた10年前の少女ではなかった。
大手の横槍という最大の危機を前に、微塵も動揺せず総力戦を宣言した麻木祥子。かつてのトラウマを呼び起こす宿敵・新堂数馬の影を背負いながらも、彼女の瞳にはさらに鋭い闘志が宿っていた。
デザイン部、マーケティング、そして暴走する狂犬たちのエネルギーをひとつに束ね、巨大な権力へと立ち向かう女たちの戦い。青山の格式高い会議室を舞台に、過去の因縁を断ち切る最高にファッショナブルな反撃の幕が上がる!




