第8章「孤独という名のホワイト・レディ」 第2話
暴かれる美しきダイレクターの「原罪」。雨の夜に捨てたデザイナーのペンと、胸に刻まれた消えない泥。
六本木の夜の静寂に身を浸す麻木祥子の前に、静かに差し出されるカクテル「エル・ディアブロ」。
誰にも明かしたことのない彼女の過去――かつて真剣に愛した男が妻子持ちであったという残酷な真実、そして自らの輝かしい昇進さえもその男の「引き」によるものだったと知った、あの激しい雨の夜。
プライドをズタズタに引き裂かれ、青山のぬかるみを這い上がったあの日から、彼女は純粋な創り手の仮面を捨て、冷徹なルールブックになることを誓った。
すべてを察するマスター・ジョニーの優しい眼差しと、過去の呪縛。孤独と自由の境界線上で、一人の女の戦いの原点が今、静かに紐解かれる――。
だが、これで終わりではない。明日になれば、また青山のオフィスで、あの鈴の鳴るような生意気な声が「祥子さ〜ん!」とパーテーションを越えて響いてくるのだろう。そして、貸したままのイタリア製シルクショーツの利子を回収する戦いも残っている。
女たちのファッショナブルで、あまりにも生々しい戦争は、まだ序章を終えたばかりなのだから。祥子はグラスをそっと置き、夜の街に沈まない深いボルドーの唇で、確信に満ちた不敵な笑みを浮かべた。
六本木のバー「The Cipher」は祥子が完全に一人の女になれる場所。誰にも知られていない。あのレセプションパーティーが無事終わって祥子は一息つく。麻里がいない・・・という最大の喜びに浸れる別天地。
「エル・ディアブロ(El Diablo)・・・悪魔を退けた女への、密やかな賛辞です」
マスターが祥子の前にカクテルを置く。ライムを飾ったロングカクテル。 カシスの妖艶な甘みとジンジャーの刺激的なキレは、誰にも邪魔されない「一人の女」としての夜を最高にスリリングに演出してくれる。
マスターにだけは祥子の謎は無い。具体的な会社名などはしゃべったことは無いが、状況はマスターに読まれている、いつも・・・
大学でデザインを学び、アパレルメーカーに勤め、まわりより早くデザイナーとして認められた。が、それはその頃真剣に交際していた関係会社のやり手デザイナーが妻子持ちであることを知った日、そしての祥子の昇進も、その引きであることを知った日。
会社を辞めて、今の会社に移ったこと。会社の企画部門のマネージャに昇進した日。具体的な話をしないだけで、マスターは祥子の変遷をすべて察している。
祥子の気配からマスターが次に出してくれたのが、「 ホワイト・レディ(White Lady)」
「誰のものでもない、純粋な一人の女へ」マスターが笑って祝福してくれた。
それは、あなたの成長をずっと見ていましたよ・・・のサイン
ジン、ホワイトキュラソー(コアントロー)、レモンジュースをシェイクした、世界中で愛される傑作シティカクテル。
それはマスターからのメッセージだった。
すべての肩書き、そして呪縛から解き放たれ、ただの美しい一人の女性に戻った祥子を象徴する一杯だった。シャープで洗練された口当たりでありながら、どこか凛とした気品が漂うこのカクテルは、孤独と自由を愛する大人の女性にこそ似合う。
マスターの特別な計らい
「祥子さん、いままで本当に頑張りましたね。今夜はあなたを邪魔する影はどこにもありません。どうぞ、心ゆくまでご自身の勝利に酔いしれてください」
静寂と極上のカクテルが、祥子の最高の夜を包み込みますように。
「誰のものでもない、純粋な一人の女へ」。孤独のドレスコードを纏い、美しき城壁は再び強固に鳴り響く。
すべての肩書きと過去の呪縛を洗い流すように、祥子の前に差し出された乳白色の傑作「ホワイト・レディ」。
それは、泥を忘れないからこそ今の完璧な自分がいるのだという、マスターからの至高のメッセージであり、数年間の闘争に対する最高の祝福だった。
明日になれば、また青山のオフィスで、あの鈴の鳴るような生意気な声が「祥子さ〜ん!」とパーテーションを越えて嵐を巻き起こす。貸したままのイタリア製シルクショーツの利子を回収する戦いも、まだ何一つ終わってはいない。
だが、今の祥子に恐れるものなど何もない。夜の街に沈まない深いボルドーの唇に不敵な笑みを浮かべ、彼女は新たな戦場へと視線を据える。
女たちのファッショナブルで、あまりにも生々しい戦争は、ここからさらなる狂騒のシーズンへと加速していくのだから――!




