85 誘拐犯の正体
クレハとオーランは、真っ白な部屋に立っていた。
目の前には、驚きに目を見開いたクレハとオーランが、こちらを見返している。
それが、天井に届くほどの巨大な鏡が映した自分たちの姿、とやっとクレハが気がつく頃、瞬時に異常を感知し、戦闘体制に入っていたオーランは、クレハを背に庇うと、スラリと腰のレイピアを抜いていた。
「バロネス」
小声で耳元に囁いたオーランは、流石はSランク冒険者、素早く周囲を観察し、目の前の巨大な鏡以外は、何一つ無い真っ白い部屋に転送させられたことを理解した。アンとバトラーの姿もない。
「どうやら、私の招待状の転送陣に細工をされたようです。巻き込んでしまい、申し訳ありません」
誘拐のターゲットが自分だった。まさかそんな事とは思わず、彼女を守るつもりで同行を申し出た己の思い上がりに腹が立つ。
『同伴者がいると知られたくありません。必ずお守り致しますので、ここは、私に任せて下さい』
これが自分たちが危惧していた誘拐だろう、とオーランは簡単にクレハに説明する。
けれど、クレハには違和感があった。パニックにならなかったのは、ここが、かつて来たことがある場所に酷似していたからだ。
初めてEEC16にログインした時に、自分のアバターを製作する為の部屋。
紅葉がクレハを作った時には、空中にメニュー画面が出て、その中から、種族や性別、年齢、身長、体重、容姿諸々を選択し、目の前の鏡に、その姿が構築されていった。最終的に出来上がったキャラクターの映った鏡に飛び込んで、紅葉はEEC16の世界のクレハ、と言うアバターになった。
だが、今、この場所には、メニュー画面は浮かんでいない。
オーランの様子からも、そんな怪しいものが空中に浮かんでいる、なんて事はなさそうだ。
「ここは、エターナル・エデンの」
「誰か来ます。バロネスは鏡の後ろに隠れて。このローブには認識阻害効果が付与されています。こんな何も無い場所では、気休めにしかならないかも知れませんが、なるべく、音を立てずに、じっとしていて下さい」
厳しい表情のオーランに促され、言いかけた言葉を飲み込み、クレハは鏡の後ろに隠れた。
いつでも動けるよう、立ったまま、鏡の後ろに潜んだクレハは、聞き耳を立てる。
「待たせたな、オーラン」
その声には威厳と親愛があった。
何処かで聞いたことのあるような声。
「ま、さか、星王陛下?」
「SALIGIAの奉納以来だな?」
その場に現れたのは、青年姿のセイ。
この藍サーバーの星王、その人だった。
『セイ君の影武者?』
クレハは必死で耳を澄まし、鏡の向こうの気配を探る。天空島で時を止めたセイから紹介されたセイの身代わりの星王が、そこにいるらしい。
オーランの全身から警戒は消えない。流石に膝をつき、右腕を背中に回してはいるが、星王の御前だと言うのに、レイピアは抜き身のままだ。
「これは、どう言うことでございましょう?」
言葉は丁寧だが、態度は不敬だ。
「パーティ会場ではゆっくり話せないだろう?それで、少し、寄り道をしてもらったのだ」
星王、青年姿のセイはそう言うと話し始めた。
「其方は、旅人たちの世界をどう思う?
ゲートを開放して後、多くの旅人たちが我エターナル・エデンを訪れている。彼らは魔物を狩り、この世界に無い技術を持ち込み、それによって、我が世界は、より平和に、より豊かになった。今や、旅人のいないエターナル・エデンは成り立たないと、言われる程だ。
だが、その一方で、旅人たちの世界から流れ込んでくる悪意は、留まることを知らない。その悪意によって我らの世界で魔物は生まれ続けている。
何故?と、其方は思わないか?
魔物を狩り、産業を興し、流通を変える力を持つ旅人たちの暮らす世界で、何故、魔物を産む悪意は減らないのだろう?
勘違いしてはいけないよ、オーラン。
我は旅人たちの世界を咎めるつもりは無い。
ただ、我は旅人たちの世界を知らねばならない、と思うのだ」
オーランは一言も口を挟まず、星王の話を聞いていた。
二人の表情が見えないクレハには、この話が、どういう結末に向かうのか、全く分からない。
「これは、ゲート開放前から考えていたことだ。
いやむしろ、旅人たちの世界とゲートを繋げる理由の一つが、魔物を産む悪意の源を知りたい、知らねばならぬ、と思ったからだ。
向こうからこちらに来る事が出来るのなら、その逆もまた、可能では無いか。我は、こちらから向こうの世界に行く術を研究した。
そして漸く、満足するものができた。それが、その鏡だ。その鏡は、向こうの世界からこちらに来るときに、使われるゲートを元に、こちらから人を送るために改良した魔道具だ」
星王が鏡を指し示し、歩を進める気配に、鏡の後ろに隠れるクレハはびくり、と体を硬くした。
「こちらから人を送る?」
いきなりの話の展開に驚きつつ、オーランが素早く、けれどさりげなく星王と鏡の間に体を割り込ませた。
「その様なことが出来るのですか?」
「ああ、何年もかかってしまったが、我と思いを共にする忠臣達が、協力してくれた。だが、彼らはあちらの世界に長時間滞在することは困難だった。
向こうの世界で活動するには、強い自我が必要だった。目的達成への確固たる意思、高い精神耐性、臨機応変な行動力。それらを兼ね備えた強者でなくては、ならなかった」
「Sランク冒険者オーラン。
其方、我の、星王の依頼を受けてはくれぬか?
この鏡を通り、向こうの世界に渡り、魔物の元となる悪意が生まれる理由を探るのだ」
緊張を孕んだ沈黙が続いた。
鏡の後ろでクレハは、いきなり齎された大量の情報に混乱していた。
この鏡は魔道具。
ゲーム:エターナル・エデン・クロニクル16の様に、この鏡を通って、現実に渡ることが出来る。
本当に?
自分たちゲームのプレーヤーが旅人になる、のはあくまで仮想空間にアバターとして仮の肉体を構築できるからだ。
この鏡の魔道具を通ると、現実世界に、EEC16のキャラの肉体が再生するのだろうか?
一体、どうやって?
星王の説明は何もかもが足りていない。
けれど、彼は”満足のいくものが出来た”と言った。では、現実に、誰か渡る事が出来たのだ。
しかも、一人二人ではない。どういった条件の人物なら、長期間の滞在が可能となるのか、判明するだけの検証を行った、のだ。
一体何人が、その検証を行ったのだろう。
神に等しき信仰を集める星王ならでは、無謀とも言える検証に何人もの志願者が集まったのだろうか。
そして、今、聖王は、オーランにその権威を使って、現実世界への渡航を要求している。
『傲慢』
それは、この星都に飛んできた初代魔神王の罪源。
まさしく、聖王は傲慢の罪を負っている、とクレハは思った。『さすがは、セイ君の影武者』
星王の話の間、オーランは一言も発していなかった。が、その雰囲気が怪しむものから、少しずつ、理解、共感、を含んだものに変わりつつあるようだった。
彼が”YES "と答えるのが怖くて、クレハは鏡の後ろから姿を現したい衝動を抑えつつ、様子を伺い続ける。
「お言葉ですが、星王陛下。
その重大な依頼に今すぐ、お答えすることは出来ません。しばらく、お時間を頂けませんか?」
「・・・そうか」
星王のその声には明らかに失望が篭っていた。
「わかった。仕方がない、今は諦めよう。ここでの事は他言無用だ」
そう言い残すと星王の足音は遠ざかり、やがて、静かに扉が開閉する音が聞こえた。
「もう、出て来ても大丈夫ですよ」
オーランの声に、恐る恐る、クレハが顔を出すまで、随分、時間が経ったような気がした。けれど、実際は、聖王の気配が完全に遠ざかったのを、オーランが確認するまでの、数呼吸分。
彼は手元のスクロールを見つめていた。その表情は暗い。
「オー」
声を掛けようとしたクレハを、オーランは制した。
「貴女の事は気付かれてはいないと思いますが、何処かから監視されている可能性もあります。声を出さないで下さい」
そう言って、認識阻害のローブをきちんとクレハが身に付けているかを確かめると、スクロールを広げた。
「これで、恐らくは、本当のパーティ会場に転送されるとは思います。ここから脱出する為には使うしか無いのですが、余り気乗りはしませんね」
クレハはフルフルと首を左右に振った。そして、インベントリから帰還陣を取り出す。
すでにパーティの開始時刻は大幅に過ぎている。主催の星王がここに居たのだから、参加者たちは、何があったのか、と不安を抱きながら、待っている事だろう。そこへ、遅れて星王とオーラン(おまけのクレハ)が現れては、注目は集中し、折角、誘いを断った意味がなくなる、なし崩し的に了解させられる流れ、も有り得る。
みすみす、罠にはまる可能性のある場所に行く必要も無いだろう。
クレハの帰還陣は、文字通り、エターナル・エデンの世界中どこからでもヴァルゴのクレハの自宅に帰る事が出来る、規格外のチートアイテムだ。
ヴァルゴに帰還後の対応は、ともに誘拐犯を追っていたバーンや冒険者ギルドを巻き込んで考えれば良い。
アンとバトラーは、クレハの不在と事前の誘拐の噂を結びつけて、正しい対応をしてくれるに違いない。ならば、今、クレハが取るべき最善の方法は、これ以上、話がこじれる前に、オーランを連れて、帰宅することだ。
誘拐の主犯が星王であり、その目的が現実に送るエターナル・エデン人の確保なら、運営も絡んでいるのだろう。
ならば、現実の紅葉にも出来る事がある。
『ゲームショウでも何か起こってるんだろうなあ』
と、この時のクレハは、一連の出来事を次のイベントの仕込みかと、のんびりと考えていたのだった。




