59 エイプリルフールイベント”真夏の夜の夢”
4月1日。午前0時。EEC 16で、エイプリールフールイベントの開催が宣言された。
何も知らずに朝のコーヒーを楽しんでからログインしたクレハは、いつになく緊張した周囲の空気に身構えた。
「お目覚めですか、ご主人様」
扉の向こうから、アンの声がする。
「あ、おはよう、アンちゃん。何かあったの?何となく、空気がザワザワしてる」
VRMMOの良い所は、着替えが楽なところだわ、と思いながら、パッと着替える。
部屋から出てきたクレハに、アンは頭を下げた。
「お騒がせして申し訳ありません。何やら、見かけぬ者たちが複数、この屋敷の周囲をうろついているのです」
見かけぬ者たち?
それって、EEC16を始めたばかりのプレーヤーじゃ無いの?
「その不審者どもは、この周囲では見かけぬ強者でして、お屋敷の認識阻害も効きにくい様なのです」
アンは瓶底メガネおさげ髪、と垢抜けない田舎娘に擬態しているが、その実、つよつよの戦闘メイドだ。その彼女に強者と言わせるとは、不審人物たちは相当、戦闘力が高いのだろう。
「バトラーさんが、周囲を警戒していますが、ご主人様は暫く、蔵に避難していて欲しいと」
この屋敷の蔵には、エターナル・エデンの各地で発掘された(クレハがした事になっている)貴重な文化遺産(一部ガラクタも含む)が収納されており、屋敷内で一番セキュリティの高い建物だ。
そこに避難を指示されるほどの危機が迫っているのだろうか。
「♾️傭兵団がらみ?」
「まだ、はっきりとは」
「バトラーは大丈夫なの?勿論、アンちゃんも、一緒に来るよね」
一人では避難をしない、と決意を滲ませて、クレハはアンの手を握った。
蔵の中とは言え、それなりに研究目的で籠る事がある為、狭いながらも休憩室が作られている。
少し硬めのソファーに座り、クレハはぎゅっと猫アレクを抱き締めた。
小さなノックの音がして、何回かのやりとりの後、休憩室の扉が叩かれた。
アンがバトラーが戻って来た、と告げる。
ほっと息をついて、クレハは、入室の許可を出した。
バトラーは困惑した表情を浮かべていた。
「不審者は旅人なのですが、どうやら、また、ゲートのトラブルで意図せぬ場所に飛ばされて来たようです」
「え?また、ゲートトラブル?」
現実時間にして半年とちょっと、EEC時間でも一年と少し前にゲートトラブル(と称して)緊急メンテナンスが行われたばかりである。
「こんなに頻回にトラブルが起きると、ちょっと心配だね」
と言いつつ、前回のは言い訳に使っただけだけど、と実情を知っているクレハは気まずい。
『一度、ログアウトして、公式ホームページでも見てこようかな』と、少しの間、一人にしてもらう事にした。
いつもより、ずっと早くにログアウトした紅葉に、夫が驚いている。
それに、ちょっと気になる事があってね、と、早速ホームページにアクセスした。
エイプリルフールイベント”真夏の夜の夢”開催!
今日だけの特別イベント、”真夏の夜の夢”を楽しんでみませんか?
おいら、妖精パック。
転移ゲートに悪戯を仕掛けたんだ。転移先はランダムにルーレットが決めるよ。さあ、何処に着くかな。
夢だから、死ぬことはないから安心して。まあ、経験値も入らないけどね。あはは。
ルーレットは一人1回きりだから、一度、こっちに帰ってきたら、今日はもうゲートは潜れないよ。
じゃあ、行ってらっしゃ〜い。
何とも、人を小馬鹿にした案内である。
「何これ。ログイン先がルーレットで決まる?」
唖然とする紅葉。そりゃあ、全然違うサーバー、違う場所に突然、飛ばされたら、ユーザーは面食らうよね。
慌てて、息子の龍樹に、EEC16にログインする前に、公式ホームページを確認するようLIMEを入れた。
知らずにログインして変な所に出て、慌ててログアウトしてしまったユーザーたちの、怒りの掲示板が立ち上がっている、とすぐに、折り返しが入った。
数日前から、ログイン画面にエープリールフールイベントを開催すること、当日再ログイン不可は、広報されていたが、気にしないユーザーが、多かったのだろう、と書かれていた。
とりあえず、息子の心配は無用だったようで、紅葉は、自分は現地人枠でのログインの為に、案内がなかったのか、と納得したのだった。
再び、ヴァルゴの自宅に戻る。もう夕刻だった。
既にこの数時間の内に、バトラーが情報を集めていた。
それによると、クレハの自宅周辺にいた不審者たちは、とある人物を探していたらしい。
曰く
「ここのサーバーにいる商人だけが取り扱っているアイテムがあるんだよ。サイトで見て、是非、それが欲しくてさ。ルーレットで藍サーバーに転移できたと知った時には、夢かと思った。まあ、このイベント自体、夢落ちするのが決まってるんだけど。それでも、一度でも手に入れたい、味わいたい、と思ってた物が手に入るかも知れないラッキーに、浮かれてしまって。つい、あちこち歩いていたら、何だか、迷ったみたいで」
サイトで有名な藍サーバー限定のアイテム?
それは何だろう、とクレハが考えている内に、
「旅人の言葉ですので、多少、意味不明な単語が含まれておりますが、要するに、他国で有名になったこの国の品物を購入したいとやってきた、と言う事ではないかと思い、ヴァルゴの商人ギルドを紹介しておきました」
とバトラーの解釈で、彼らをヴァルゴの街に案内したらしい。
身につけていたギルドタグを身分証明書として、街中には無事に入ることは出来た。
ヴァルゴの街中は旅人たちで溢れており、さながら、六年前の転移ゲート解放の日の様だった。
ただ、新たに現れた旅人たちは、新人とは違い、エターナル・エデンの住人とは、今の所大きなトラブルは引き起こしていない。少し挙動不審なところはあるものの、悪意はなさそうだ、と言うのが、バトラーの感想である。
『ログイン先のサーバーがランダムにルーレットで決まるなら、これまで、ゲーム内で培って来た関係が全て消えてる、って事でしょ。それはきついなぁ』
自分の身に置き換えてみれば、それはなかなかに辛い、とクレハは思う。
だが、現実時間にしてわずか1日、しかも、もう半日近くが過ぎている。エターナル・エデン時間でも4日間のイベント期間だ。最初の6時間程は、深夜から明け方にかけてで、ログインするユーザーも少なかっただろう。そんな彼らから情報が流れ、多くのユーザーはこのイベントの詳細を知ったはずだ。一度、ログアウトしてしまえば、その日の内には二度とログイン出来ない。イベントを楽しむつもりがあれば、長時間ログインできる時間帯を選ぶはずで。龍樹の様に働いていれば、尚更、ログイン時間は終業後と、遅くなる。つまり、エターナル・エデンの人たちが見ず知らずの旅人たちと接触してからほぼ3日近く経ってからが、本番だ。
『今なら、まだ、そんなに他サーバーの旅人はいないよね』
「ヴァルゴの街に行くわ」
そういったクレハにバトラーもアンも困った様な表情をした。
止められるものなら、止めたい、と、そう書いてある。
「大丈夫よ。ちょっと、様子を見たいだけだから」
これはイベントなのだから、現地人採用枠で雇われてここにいるクレハは、きちんと仕事をしなくてはいけない。前回の、セト神の神殿解放イベントでは、ル・ルーの相談に乗るぐらいで、サボってしまった自覚はあるので、今回は、ちゃんと報告書を提出できるぐらいには参加しよう。そう思った。
そして、今、何故か、イケおじに跪かれて、左の指先に口付けされている。
『何なの、この状況』
「お初にお目にかかる。吾輩は黄サーバーで検証クランの代表を務めているパンセ、と申す。ユニークである貴女にこうして、直接お会いできて、恐悦至極」
それは、いつか動画で見た、根の国で嬉々として死に戻っていった旅人。その人が、あの時と同じキラキラした瞳でクレハを見上げていた。




