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第2話:『主無き影の約定』

底辺の労働から、脆弱な肉体を操るための最低限の身体操作を再構築したアルト。彼は生きるための正当な対価(約定報酬)を求め、国営「公認勇者一陣」の専属執事(総管)の採用面接へと臨む。

しかし、会場に集うのは一騎当千の化け物たち。さらに、公認勇者ファニルの家系に伝わる秘術『オールアイ』は、アルトの肉体が「正真正銘の最弱」であることを無慈悲に暴き出す。絶対的な拒絶。お約束のチヤホヤ展開が全否定されたその瞬間、地下訓練場を突発的な大質量(魔獣の暴走)が襲う。

本能の恐怖に足をガタガタと震わせながらも、元最強執事の脳内だけは不気味なほど冷徹に冴え渡っていた。薄すぎる魔力という「弱点」を逆手に取った、知識全振りの泥臭きハッキングが幕を開ける。

 王都の地下深くに位置する国営訓練場は、重苦しい熱気と、剥き出しの鉄と錆の臭いに支配されていた。

 そこは、大陸全土から名声を求めて集った猛者たちの巣窟である。熊を思わせる巨躯の重戦士、洗練された魔力をまとう若き魔術師、国境の死線を潜り抜けてきた老練な傭兵。彼らが放つ無形の「威圧」だけで、地下の空気は物理的な重さを伴って肌を刺した。彼らの胸の奥からは、強者の証たる濃密な魔力の波動が、目に見えぬ陽炎となって立ち上っている。

 その化け物たちの列に、私は静かに並んでいた。


 仕立ては良いが、お世辞にも高級とは言えない古着の燕尾服。泥にまみれた数年間で、完璧に洗い、折り目をつけ直した、私の現在の正装である。


「おい、見ろよ。なんだあのガキは」

「給仕が迷い込んだか? 母親の乳でも吸っていろ」


 周囲から容赦のない嘲笑と、突き刺すような見下しの視線が注がれる。当然の反応であった。彼らから見れば、私の肉体はあまりに細く、内在する魔力は「塵」に等しい。彼らがその気になれば、風圧だけで私の首など容易に折れるだろう。それが今の私の、厳然たる「弱さ」であった。

 しかし、私は眉一つ動かさず、ただ背筋を伸ばし、完璧な角度を維持したまま、静かに己の順番を待った。侮辱に対していちいち感情を動かすなど、執事の風上にも置けない。

 脳内の一人称が「俺」に戻るのは、いつだって一人で思考の深淵に潜るときだけだ。


「次。アルト」


 冷淡な声が地下室に響く。


 重厚な長机の向こうには、国営の面接官たちが並び、その中央には、一人の老人が深く椅子に腰掛けていた。偏屈そうな双眸、卓越した魔力を示す豪奢な法衣。公認勇者パーティの知恵袋、賢者アースである。その後方には、この一陣の看板である公認勇者、ファニルが静かに立っていた。


「……履歴書には、酒場の皿洗い、劇場の雑用、とあるな」


 面接官の一人が、小馬鹿にしたように書類を叩いた。


「我々が募集しているのは、公認勇者一陣を支える『総管(マネージャー)』。兵站を管理し、勇者たちの環境を整える要職だ。魔力値も筋力も最低値の、皿洗いしかできぬ小僧に何ができる?」


 俺は静かに歩みを進め、音もなく足を揃えると、王宮の典礼に則った完璧な一礼を捧げた。その一連の動作において、衣服の擦れる音すらも最小限に抑えられている。


「私が守るのは、勇者様の『時間』と『格式』にございます」


 俺の声は、低く、しかし驚くほど明慮に地下室へ通った。


「戦術の破綻、ひいては戦場での敗北は、常に微細な輜重(しちょう)の滞りや、体調管理の怠慢から始まります。万全なる補給、無駄のない行程の策定、そして勇者様が戦いのみに没頭できる完璧な環境。それらを提供することこそ、裏方たる私の役目かと」


 その言葉が終わるか終わらないかの瞬間、後方にいた勇者ファニルが、無言のまま俺との距離を二メートル以内に詰めた。

 少女の凛とした双眸が、不自然なほどに深く、青い光を帯びる。ファニルの家系に代々伝わる秘術――生物の力を見通す眼『オールアイ』の発動であった。

 彼女の眼には、この世界の人間が持つ魔力の根源、心臓の傍らに位置する『練核(れんかく)』の大きさとオーラが視覚化されているはずだ。強者であればあるほど、その練核は大きく、放たれるオーラも眩いほどに輝く。


 だが、彼女が見つめる俺の胸の奥に宿るものは――


「……お引き取りを、アルト」


 ファニルの声は、氷のように冷酷だった。お約束のチヤホヤ展開など、そこには欠片も存在しなかった。


「貴方の練核は豆粒よりも小さく、オーラは今にも消え入りそうなほどに燻(くす)んでいる。正真正銘、一般人以下の雑魚。戦う力を持たぬ者を、最前線へ連れていくわけにはいかない。それは約定ではなく、ただの自殺の片棒担ぎです」


 数値としての絶対的な弱さ。家伝の秘術による完璧な「切り捨て」であった。


「かしこまりました。」


 俺はそうとだけ答え、再び深く一礼した。だが、想定の範囲内だ。この肉体が雑魚であることは、俺自身が一番よく知っている。


 断られて当然。


 しかし、生きるための手当を得るためには、ここで引き下がるわけにもいかない。どうやってこの頑なな勇者を説得すべきか、脳内で次の交渉術を組み立てようとした――


 その瞬間だった、俺の運が輝いたのは。


 バリィィィン!! と、鼓膜を裂くような破壊音が地下室に轟いた。

 悲鳴。怒号。他の受験生が放った大魔術の暴発か、あるいは管理の手落ちか。訓練用の凶暴な魔獣――象ほどもある巨躯に、無数の牙を持つ肉食獣の檻が粉砕され、選考場へと解き放たれたのだ。


 魔獣は狂乱し、手近な受験生を血飛沫とともに弾き飛ばしながら、猛然とこちらの面接席へと突進してくる。選考場は一瞬にして、阿鼻叫喚のパニックへと叩き落とされた。


(ひぃ、待て待て待て! なんだあの大質量は……!?)


 凄まじい咆哮の風圧と殺気が、正面から俺の身体を襲う。


 肉体が、本能的な恐怖で完全にすくみ上がっていた。膝の皿がガタガタと激しく震え、呼吸が詰まる。前世の最強剣技も、神聖刀もない今の俺の華奢な肉体だ。かすっただけで、俺の細い首なんか一瞬で木っ端微塵に消し飛ぶ。それが厳然たる現実。


 脳内(俺)は大パニックを起こしながら、形振り構わず、足をもつれさせながらも、地面を這い回るようにして視線を血眼になって動かした。


(動け、動け俺の足! 何かないか!? この雑魚の腕力でも、あの化け物の進行を止められる『何か』が床に転がってねえか……!?)


 普通の人間なら、ただ恐怖に目を回して逃げ惑うだけだろう。


 しかし、今の俺の肉体がどれほど恐怖に怯えていようとも、魂の奥底に刻まれた「前世で何万回も修羅場を潜り抜けてきた戦術家の狂気」が、俺の意志とは無関係に、不気味なほど冷徹に魔獣の構造をプログラミングし始めていた。


 魔獣が石畳を踏みしめた一瞬。右前脚が、ミリ単位で不自然に沈み込む。その部位だけ、毛並みが禿げ上がっている。


 ――古傷だ。かつての戦いで負った、完全に癒えていない腱の傷。


(……見つけた。あそこだ)


 俺は地面を這う手の中で、瓦礫に混ざって落ちていた「ただの錆びた長寸の鉄釘」を掴み取った。


 アルトの肉体には、魔獣の肉を貫く筋力などない。だから、自分から攻撃に行くなどという大それた選択は、初めから脳内(俺)で即座に破棄(キャンセル)されている。


 俺は震える指先で、自身の「極薄の魔力」を、釘の先端にほんの破片ほどだけ乗せた。あまりに薄く、頼りない魔力。だからこそ、魔獣の魔力探知にも、アースの持つ水晶にも、一分たりとも引っかからない「ただの環境ノイズ」と同化する。


 しかし、その極薄の魔力は、世界の理(ことわり)に基づく。


 魔獣が体にまとっている強大な魔力の波動、静電気のような極性の反発と誘引に対し、俺の極薄の魔力は、磁石のように吸い寄せられる性質を持つ。

 俺は、頭の中の設計図にある「選考場の浮いた石畳」のわずかな隙間に、その釘を上に向けて、ただ泥臭く「置いて固定」した。そして、ガタガタと震える自分の肉体そのものを囮にして、魔獣の直進軌道の正面に立ち続けた。


「グルゥァァァッ!!」


 魔獣が私を噛み殺さんと跳躍し、その巨大な右前脚が、釘を設置した石畳へと着地する。

 刹那、俺の放った極薄の魔力が、魔獣自身の強大な魔力に引かれ、釘の角度をミリ単位で「補正」した。

 グサリ、と鈍い音が響く。魔獣の自重のすべてが、右前脚の「隠れた古傷」へと、完璧な角度で突き刺さった。


「ガ、アァァァァッ!?」


 古傷の腱を激痛が貫き、魔獣は悲鳴を上げてバランスを完全に崩した。巨躯が激しく横転し、足の腱がロックされたまま、のたうち回る。それは俺の、わずか一歩手前で完全に「行動不能(無力化)」となっていた。

 ズゥゥゥン、と魔獣が倒れた際の強烈な衝撃の余波、そして爆風のような瓦礫の破片が、目の前にいたアルトの身体を容赦なく打ち据える。


(痛ってぇーーーーー!! 風圧だけで骨が折れちまうじゃねえかクソ! やはりこの肉体、思うように手慣れないな……!!)


 肉体は悲鳴を上げ、全身の打撲の激痛に顔は歪んでいた。今にもその場にうずくまりたいほどの苦痛。

 しかし――その激痛に襲われながらも、俺の双眸の奥には、一分一厘の「焦燥」も「動揺」も浮かんでいなかった。痛みはただの『兵站のコスト(経費)』だ。脳内(俺)は、すでに凪の如く冷え切った状態で、「よし、これで魔獣の足は止まった。次の処理(周囲の誘導と兵站の確保)はどうする?」と、冷徹に次の最適解を組み立てていた。

 埃が舞い散る静寂の中、賢者アースは、魔法を放とうとした杖を止めたまま、俺を凝視していた。

 老賢者アースは、見ていたのだ。この少年が、恐怖に足を震わせ、焦って必死に地面を這い回っていた姿を。それは確かに、哀れな子供のそれだった。


 しかし、その後の挙動が、あまりにも異常だった。


(……あの小僧。ファニルの『オールアイ』は確かに最弱と断言した。だが、今のは何だ? パニックを起こしながら、脳だけが冷徹に魔獣の古傷をハックし、己の極薄の魔力すら計算に組み込んで自滅させた。そして今、あれほどの激痛に顔を歪ませながら……その目の奥には、微塵の焦りもない。こいつは一体、どれほどの地獄をくぐれば、これほどの狂気に至るのだ……!)


 周囲の面接官や受験生たちは、埃の向こうで「運良く魔獣が自滅した」「偶然足元に釘があっただけだ」と失笑している。だが、本物のプロであるアースだけは、恐怖で背筋に冷や汗を流していた。


「ファニル、前言を撤回する」


 アースは震える声を押し殺し、隣の勇者へ告げた。


「この少年を雇う。……私の目の届く場所(監視下)に置いておく必要がある」


 それは、実力を認めた全肯定のチヤホヤではない。可哀想と言う人に構える様な余裕もない。アースは単に、この正体不明の「不気味な合理性を持つ化け物」を野放しにすることへの、老賢者の絶対的な恐怖(サスペンス)の現れであった。

 主たる勇者一陣の決定は下り、俺の前に、国営の『約定書(契約書)』が差し出される。そこには、私が底辺生活では決して得られなかった、相応の手当の額面が記されていた。


(よし。これで、飢えずに生きていける……)


 俺は右腕の激痛に耐えながら、ポーカーフェイスのまま、完璧な執事の所作でその書面を受け取った。がっつくわけではない。生存の基盤を確保した、静かな安堵。

 しかし、手渡された最初の遠征計画書に目を落とした瞬間、俺の表情が、内側でわずかに引きつった。

 提示された最初の任務地。そこは、北側世界の魔族の影が蠢く、かつてアルトという少年が「理由も分からず神速の魔術で暗殺された」、あの忌まわしき最前線『灰塵の谷』であった。


「アルト、準備を。明日、夜明けとともに出発する。」

「御意、ファニル様。万全の備えをいたします。」


 俺は深く、優雅に一礼を捧げた。その胸の奥で、かつて己を貫いた暗殺の残像が、静かに、しかし冷徹な熱を帯び始めるのを、破片ほどに感じながら。


 俺の雑用生活(冒険)が始まった……

自身の「最弱の魔力」という弱点すらも知識でハックし、激痛に耐えながらも完璧なポーカーフェイスで『約定』を勝ち取ったアルト。しかし、アースの抱いた疑惑は、パーティ内部に静かなサスペンスの火種を灯します。そして、最初の任務地は、彼が一度命を落とした因縁の戦場『灰塵の谷』。

次回、第3話『死地への行軍』。お荷物と蔑まれる執事の、本物の兵站(マネジメント)能力が試されます。お楽しみに。

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