⑱ メアリー・セレスト号
黄色いビートルが、現場上空に出ると、既に眼下の海上では、怪物による惨劇が終わろうとしていた。10名居た乗組員が、一人残らず、タコのバケモノのようなモノに喰われてしまったのだ。
それは、歴史上に定められた事象だから、仕方が無いのだが、由理子は、時々その定めを、覆したくなる衝動にかられる。しかし同時に、自分には、歴史を狂わせるような、罪人になる度胸も覚悟も、無い事にも気がつく。
この世界に、殺してもイイ命など、一つも無いのは分かっている。それでもせめて、二度と同じ被害者が出ないように、目の前の怪物を始末する事が、自分たちの務めだと、由理子は自分自身に言い聞かせた。
どの道、彼女が得意のテレパシーを使っても、このバケモノからは、殺意と食欲しか伝わって来ない。それ以上、何の意思疎通も図れない。コレが、通称"クラーケン"と呼ばれる怪物の心の有り様なのだ。
「……私が殺るわ。」
助手席の雪子がそう言うと、右手にオリハルコンの剣を握り、クルマのドアを開けて、その帆船の看板に飛び降りた。
バケモノの吸盤だらけの触手が、一斉に彼女に向かって襲いかかる……ご丁寧に、その吸盤一つ一つにキバが生えている。だが、ソレをモノともせず、彼女は剣を振り回すと、次々に斬り飛ばしていく。
流石はお姉様。最早、この地球に敵無しね。などと思いながら、それを、運転席から眺めていた由理子だったが、ふと、異変に気がついた。
バケモノの触手が、切った側から、どんどん再生していくのだ。(不味いわ。これじゃあ、キリが無いじゃないの。)そう思った由理子は、一計を案じた。眼を閉じて、何やら精神を集中させて念じる。
そして彼女は、運転席の窓を開けると、眼下の雪子に向かって叫んだ。
「お姉様、海に飛び込んで!」
それを聞いた雪子は、理由も聞かずに、甲板から身を踊らせた。クラーケンもその後を追って、船を離れる。
激しい波しぶきの後、雪子も怪物も海中に消えた。しばらくすると、海面が、何者かの血の色で、真っ赤に染まり出した。たくさんの触手が、海面でのたうち回っている。そして、そのうちに、それも見えなくなった。
やがて透明な球体に包まれた雪子が、海面から空中へと上がって来た。彼女は海に飛び込む前に、咄嗟に電磁防壁を展開していたのだった。だからその身体には、水滴一つついていない。
そのままビートルの隣まで来ると、雪子は電磁防壁を解除して、何事も無かったかのように涼しい顔で、助手席に戻った。
「海の底から、ナニか集団でやって来てたわよ?」
彼女が由理子に尋ねる。
「……シャチの皆さんを呼んだんです。」
由理子が呟く。
「ああ、それで……。」
雪子も納得した。
海中に集まったシャチたちが、寄ってたかってクラーケンをむさぼり喰ってしまったのだ。僅かに残った肉片も、遠巻きに待機していたホオジロザメたちが、平らげたようだった。
捕食者の逆転である。
コレは、あの怪物に相応しい最期であろう。
雪子はそう思ったのだった。




