第八 耳が聞こえなくなった男が、経典を敬ったら両耳が開いた話
推古天皇の時代、小墾田宮で天下を治めていた頃。
衣縫伴造(きぬぬい の とものみやつこ)という家の義通という男が、突然重い病気にかかった。
両耳が完全に聞こえなくなり、全身にひどい悪瘡ができて、長い間治らなかった。
義通はすっかり落ち込んで、こう思った。
「これはきっと前世の悪い行いのせいだ。ただの現世の報いじゃない。このまま長生きしても、みんなに嫌われるだけだ。だったら、せめて善い行いをして、早く死んだ方がマシかもしれない……」
そう決心した義通は、家の中をきれいに掃除して堂を飾り、義禅師を丁寧に招いた。
まず自分の体を清め、香りのする水で体を洗い清めると、方広経という大きなお経を前に置いた。
義通は珍しいことを思いつき、禅師に言った。
「先生……実は今、片方の耳だけで、かすかに一人の菩薩の名前が聞こえたんです。どうかお手数ですが、もう一度お願いします」
禅師は快く了承し、重ねてお経を唱えながら義通の耳に祈りを捧げた。
すると——片方の耳が、はっきり聞こえるようになった!
義通は大喜びした。「先生、もう一度! もう一度お願いします!」
禅師はもう一度、丁寧に経を読み上げ、祈りを捧げた。
すると今度は——両方の耳が、完全に聞こえるようになった!
近くの人も遠くの人も、この話を聞いてみんな驚いた。
「耳が聞こえなくなっていた人が、お経を敬ったら本当に治ったなんて……!」
これはまさに、仏の教えを信じて祈った「感応」の力だということが、はっきりわかった出来事だった。
解説
この第八話は、「仏教を信じて行動すれば、現世でも報いがある」という、日本霊異記が一番伝えたいメッセージを、短くわかりやすく示したエピソードです。
「片耳だけ聞こえた → もう一度お願い! → 両耳が開いた」というところがいいですね。
※ 「禅師」という言葉の意味(当時の使い方)
• 奈良時代〜平安初期の日本では、「禅師」は禅定(座禅・瞑想)をよく実践する修行僧、または徳の高い高僧に対する尊称・肩書きとして使われていました。
• 特定の宗派(禅宗)を指すものではなく、「優れた僧」「禅を行う僧」というような意味です。
• 実際、『日本霊異記』の中には他にも何人か「禅師」と呼ばれる僧が出てきます(例:義禅師、弘濟禅師など)。彼らは主に華厳宗・法相宗・天台宗などの既存の宗派に属しつつ、個人的に禅定の修行をしていたり、人々から尊敬されてそう呼ばれていたケースが多いです。
本格的な「禅宗」が日本に来るのはずっと後
• 「禅宗」(坐禅をメインに、師匠から弟子へ悟りを伝える宗派)は、鎌倉時代(12世紀末〜13世紀)に本格的に始まります。
• 栄西(1141-1215)が臨済宗を、
• 道元(1200-1253)が曹洞宗を、それぞれ中国(宋)から持ち帰って広めました。
• それ以前(奈良・平安時代)にも、中国から「禅の教えの一部」(北宗禅など)は少しずつ入ってきていましたが、まだ独立した宗派として定着していませんでした。最澄や空海の時代にも禅の要素はありましたが、主流ではありませんでした。
第八話の時代背景
• この話の舞台は推古天皇の時代(6世紀末〜7世紀初頭)ですが、実際にこの話を書いた景戒という僧は平安時代初期(弘仁13年=822年頃)の人です。景戒が「義禅師」という人物を登場させた時、「禅師」という呼び方はすでに日本で自然に使われていた言葉だったのです。




