十三:愛欲の心を起こして吉祥天女の像に恋をし、その感応(奇蹟)が怪しい奇事として表れた話
和泉国泉郡の血淳山寺(ちぬのやまでら:現在の大阪府和泉市周辺)に、一尊の美しい吉祥天女像があった。
聖武天皇の御代、信濃国から一人の優婆塞(うばそく:自宅で修行する在家信者)がやって来て、この山寺に滞在していた。
優婆塞はこの吉祥天女像をじっと見つめているうちに、抑えがたい愛欲の心を起こし、心底からこの尊像に恋焦がれるようになった。彼は一日六回(六時)、ひたすらこう祈願した。
「どうかこの天女像のように美しい女性を、私に授けてくださいませ」
ある夜、優婆塞は夢の中で、あの吉祥天女像と契りを交わす(婚姻する)夢を見た。
翌朝、彼が尊像を仰ぎ見ると、驚くべきことに天女像の着物(裙)の腰のあたりに、現実の不浄(精液)の汚れが付着していたのである。
修行者(優婆塞)はこれを見て恐縮し、深く面目を失って嘆いた。
「私はただ『この天女像のような美しい女性を与えてほしい』とお祈りしただけだというのに、なんとおそれ多くも吉祥天女さま自らが私と交わってくださったのか」
彼はあまりの恥ずかしさに、誰にもこの出来事を話さなかった。
しかし、彼の弟子がこのつぶやきを密かに盗み聞いていた。
のちに、この弟子が師に対して無礼を働いたため、師は立腹して弟子を追い出してしまった。追放された弟子は里に下りると、師の面目を潰そうと、あの天女像との一件を触れ回った。
里の人々はこの噂を聞きつけると、真偽を確かめるために寺へと押しかけ、あの吉祥天女像を拝観した。すると本当に、尊像には淫精の汚れが残されていたのである。
優婆塞もついに隠し通すことができなくなり、事の顛末をありのままに語り聞かせた。
これを伝え聞いた人々は深く感嘆し、強く信じた。
誠に、一心に祈る心(深信)があれば、仏菩薩が応えてくださらないことなどないのである。これは実に奇妙で不思議な出来事であった。
『涅槃経』に「淫欲の強い者は、描かれた女性の絵を見ても欲望を起こす」と説かれているのは、まさにこのことである。
【解説】
この中巻・第十三縁は、仏教説話集の中でもひときわ異彩を放つ「仏像(神像)との恋愛と奇蹟」を描いた物語です。
1. 天女像への恋慕と「感応(奇蹟)」のパラドックス
主人公の優婆塞は、木や泥で作られた無機物の「像」に対して真剣な情念を抱きます。
彼が祈っていたのは「この像のような現実の女性を与えてほしい」という願望でした。しかし、彼のあまりに強烈な妄念と熱意(深信)に天女像が「感応」し、夢の中で交わった結果、木像の身に物理的な証拠(精汚)が残されるという前代未聞の奇蹟が起きます。
聖なる存在(吉祥天女)が、人間の生々しい欲望に応えてしまうという展開は、不敬でありながらも「一心の祈りは物質や次元を超えて届く」という仏教の奇蹟のロジックを極限まで押し推し進めた表現と言えます。
2. 「弟子の告発」という人間ドラマと現実味
夢と奇蹟で終わらせず、説話後半で「弟子との不仲」という生々しい人間関係が絡んでくる点が景戒の手腕です。
破門された弟子が腹いせに「師匠は仏像と怪しい関係になった」と里人に言いふらし、噂を聞いた里人たちが押しかけて仏像を検分(検証)するプロセスが入ることで、単なる幻想譚ではなく「実際に人々が目撃した大事件」としての現実味が補強されています。
3. 聖と俗、妄念と信仰の境界線
結びにおいて景戒は、一方で『涅槃経』を引いて「欲望の強すぎる男の浅ましさ(妄念)」を戒めつつ、他方では「誠意をもって深く信じれば、どのような祈りにも必ず応えがある(無感不応)」と結論づけています。
淫欲という人間の最も生々しい欲望でさえ、それが一心不乱の集中(至誠)にまで高まった時、聖なる存在を動かす力を持つという、古代の観音信仰や天女信仰の奥底にあるエネルギッシュな民衆心理を如実に示す一編です。
天女像への情熱が物理的な奇蹟を起こし、それが弟子の腹いせで世間に露見してしまうという、驚きと人間臭さに溢れた一編ですね。




