十四:貧しい女王が吉祥天女の像に帰依して祈り、現世で豊かな報いを得た話
聖武天皇の御代、二十三人のお皇族(王宗)たちが志を同じくして集まり、順番にごちそうを用意して宴会を楽しむ交わりを結んでいた。その中に、一人の大変貧しい女王(皇族の女性)が加わっていた。
二十二人の皇族たちが次々と順番に豪華な宴を催し終え、いよいよこの貧しい女王の番が回ってきた。しかし、彼女には宴席を整えるような財力がどこにもなかった。
自分の貧しさを深く恥じ、なす術もない彼女は、奈良の左京にある服部堂へ赴き、そこに安置されている吉祥天女像に向かい合って、涙を流して悲しく訴えた。
「私は前世で貧窮の因(不善の業)を植えたがために、今生でこのような惨めな報いを受けております。宴会に加わって人様のごちそうを食べるばかりで、いざ自分の番となっても料理一つ用意できません。どうか天女さま、私に財物を授けてくださいませ」
するとその時、彼女の幼い子供が慌ただしく走り寄ってきて、母に告げた。
「母上、旧都(飛鳥や藤原京などの古い都)から、大至急ごちそうを携えて人々がやってまいりました!」
母である女王が驚いて駆け出して見に行くと、そこにいたのはかつて自分を育ててくれた乳母であった。
乳母は笑顔で語った。
「姫様が珍しいお客様方をおもてなしされると聞き及びましたので、急いでごちそうを整えて参上いたしました」
そのもてなしの料理や酒は、この上なく美しく芳しい香りを放ち、他に比べるものもないほど豪華で、何一つ欠けているものがなかった。用いられた器はすべて銀製であり、その馳走を運んできた従者は三十人にも及んだ。
他の皇族たちも一堂に会し、この思いがけない豪勢なもてなしを受けて大いに喜び楽しんだ。その宴の素晴らしさは先代の王たちの催しを遥かに凌ぐものであり、人々は「貧しいどころか、なんと豊かで溢れんばかりのごちそうか。我々の先日の宴を助けてくれたようなものだ」と口々に女王を絶賛した。
宴の場では天上の音楽(鈞天の楽)のような美しい歌や舞が披露され、集まった人々は深く感動して、着ていた衣や裳(スカート状の衣装)、あるいは銭・絹・布・綿などを次々と女王に買い与えた。
思いがけない大喜びと満足に包まれた女王は、人々から贈られた素晴らしい衣裳をまず乳母に着せかけた。
宴が終わり、感謝を伝えるために尊像をお参りしようと服部堂の天女像の前に進み出ると、先ほど乳母に着せたはずの豪華な衣裳が、なんと吉祥天女像の身体にそのまま着せられていたのである。
女王は不思議に思って乳母に尋ねたが、乳母は「私は何も知りません」と答えるばかりであった。
これによって、あの乳母やごちそうのすべては、菩薩(吉祥天女)が女王の祈りに感応して奇蹟として授けてくださったものなのだと明確に分かったのである。
こうして女王は大富豪となり、貧しさの苦しみから永遠に解放された。これは誠に奇妙で、素晴らしい出来事であった。
解説
この中巻・第十四縁は、前縁(第十三縁)の愛欲的な奇蹟とは対照的に、切実な貧困に苦しむ女性を救う「吉祥天女の圧倒的な利益(財福)」を描いた、極めて華やかで感動的な説話です。
1. 皇族社会の面目と「吉祥天女」の財福霊験
説話の背景には、奈良時代の皇族・貴族たちの間で流行していた「持ち回りの宴会(持ち回りでの接待)」という社交文化があります。
貧しい女王にとって、順番が回ってくることは面目に関わる大問題であり、絶望の淵に立たされた彼女が縋ったのが「吉祥天女」でした。吉祥天は仏教において福徳・財宝・美を司る女神であり、奈良時代には国家的な悔過法要(吉祥悔過)の主尊として大変篤く信仰されていました。その吉祥天の神威が、個人を救う形で鮮やかに示されています。
2. 「銀の器」と「三十人の従者」に見る見事な逆転劇
乳母が携えてきた料理は「美味芳香にして無比無等」、器はすべて「銀(鋎)」、連れてきた従者は「三十人」という圧倒的な豪華さです。
貧しさゆえに他人の宴でごちそうを食べるだけ(徒噉人物)だった彼女が、一転して全員を圧倒する極上の宴の主催者となり、あまりの素晴らしさに周囲の皇族たちが衣類や財物をこぞって献上する展開は、読者に大きな爽快感とカタルシスを与えます。
3. 「尊像に着せられた衣裳」という奇蹟の証拠
宴が終わったあと、女王が感謝の祈りを捧げるために服部堂を訪れると、宴の場で乳母に着せかけたはずの豪華な衣裳が「吉祥天女像」の身体に着せられていました。
乳母自身も「自分は何も知らない」と答えることで、あの乳母や従者たち、そして豪華な馳走のすべてが、女王の涙ながらの祈りに応えて吉祥天女が化身として現出させたものであることが証明されます。前縁の「精汚」に続き、この縁でも「像に直接残された物理的な痕跡」が奇蹟の証拠として印象的に用いられています。




