第八:カニとカエルの命を買い取って放ち、現世で恩返しを受けた話
置染臣鯛女は、奈良の都の富尼寺の上座尼である法邇の娘である。信仰心が非常に深く、これまで一度も男と交わったことがなかった。常に欠かすことなく山に入って野菜(山菜)を採り、行基大徳にお仕えしていた。
ある日、彼女が山に入って山菜を採っていたところ、一匹の大蛇が大きなカエル(大蝦)を呑み込もうとしているのを目撃した。
娘は大蛇に言った。
「そのカエルを助けておやり」
しかし、大蛇は聞き入れず呑み込もうとし続けた。娘は重ねて言った。
「もし助けてくれたなら、私はお前の妻になりましょう。だからどうか助けておくれ」
大蛇はこれを聞くと、頭を高く持ち上げて娘の顔を見つめ、カエルを吐き出して逃がした。
娘は大蛇に約束した。
「今日から七日経ったら、私のところへ来なさい」
約束の日が近づくと、娘は家の中に閉じこもり、隙間をすべて塞いで身を潜めていた。大蛇は約束通りやって来て、尻尾で激しく壁を叩いた。娘は恐ろしくなり、翌日、行基大徳のもとへ行って相談した。生馬山寺におられた行基大徳は彼女に言った。
「一度立てた約束からは逃れられぬ。ただひたすらに堅く戒律を受けなさい」
こうして娘は「三帰五戒(仏道に帰依し、殺生などを禁じる戒律)」を授かり、家へと帰った。
その帰り道、娘はどこからともなく現れた一人の老人に出会った。老人は大きなカニを手に持っていた。娘が尋ねた。
「おじいさん、あなた様はどなたですか。そのカニを私に譲って逃がさせてください」
老人は答えた。
「私は摂津国兎原郡の者で、名を画問邇麻呂という。七十八歳になるが子供もおらず、生活の糧もない。難波の港へ行って偶然このカニを手に入れたのだ。売り渡す約束をしている相手がいるので、お前には譲れぬ」
娘は身につけていた上着(衣)を脱いで差し出したが、老人は首を振った。さらに着ていた裳(スカート状の衣類)まで脱いで差し出すと、老人はようやくカニを譲ってくれた。
娘はそのカニを抱えて戻り、行基大徳に頼んでお経(呪願)を唱えてもらい、川に放した。行基大徳は「なんと尊く、素晴らしいことか」と感嘆された。
さて、約束の七日目が過ぎた八日目の夜、あの大蛇が再びやって来た。大蛇は屋根に登ると、茅葺き(かやぶき)の屋根を破って家の中へと侵入してきた。娘は恐ろしさに身を縮めて震えていた。
すると、床の前で何かが跳ね回り、バチバチと弾けるような物音が響いた。
翌朝、娘が恐る恐る部屋を見てみると、そこには一匹の大きなカニがたたずんでいた。そしてあの大蛇は、まるで千切りにされたかのように微塵に切り刻まれて死んでいたのである。
これによって、身につけていた着物を投げ打って助けたカニが、報恩のために大蛇を退治してくれたのだと分かった。もちろん、行基大徳から授かった戒律の力(受戒力)による護りでもあった。
真偽を確かめるべく、のちに長老たちにあの老人のことを尋ねてみたが、結局その姓名や身元は判明しなかった。あの老人は、実は仏や菩薩が姿を変えて現れた(聖化)存在だったのである。まさに奇妙で不思議な出来事である。
解説
この中巻・第八縁は、日本の民話として今なお全国に語り継がれている「カニの恩返し(カニと大蛇)(蟹満寺の縁起)」の最古の原形として知られる、極めて貴重で魅力あふれる名作です。
1. 民話の原形としての完成度と「着物を脱いで買い取る」情熱
カエルを救うために「大蛇の妻になる」という約束をしてしまう危うさと、その後に現れたカニを救うために「身につけている衣服(衣と裳)をすべて脱いで差し出す」という娘の自己犠牲的な情熱が非常に印象的です。
単にお金を払うのではなく、自分が身につけている大切な衣類をすべて投げ打ってまで小さな命を救おうとする純粋な慈悲心が、のちの大奇蹟(恩返し)を引き寄せる強い説得力となっています。
2. 大蛇を「微塵切り」にするカニの圧倒的な報恩
夜の暗闇の中で響く「跳ね爆ぜる音(跳爆之音)」と、翌朝の惨状の対比が見事です。
屋根を破って侵入してきた恐ろしい大蛇が、翌朝には「条然段切(ズタズタに細かく切り刻まれた状態)」になって転がっており、その傍らに大きなカニが静かにたたずんでいるというビジュアルは、驚きと痛快さに満ちています。ハサミを持つカニという生き物の特性を生かした、最高のアクション描写と言えます。
3. 「戒律の力」と「謎の老人(菩薩の化身)」
この物語の深みは、単なる生き物の恩返しにとどまらず、二重の神聖な救いが組み込まれている点にあります。
* 行基から授かった戒律: 大蛇の難から逃れるために授かった「三帰五戒」の霊力。
* 謎の老人(画問邇麻呂): カニを売っていた老人は、のちにいくら探しても身元が分からず、「聖化(仏や菩薩が娘を試すために化身として現れたもの)」であったと結論づけられます。
娘の無私の慈悲、行基の戒律の力、そして救われたカニの報恩が一つに重なり合うことで、完璧な救済劇として完結しています。
カエルを救うための約束、着物を脱いでカニを助ける熱意、そして夜の暗闇でカニが大蛇を返り討ちにする痛快な決着。民話の原形としても説話としても面白い一編です。




