↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
日本霊異記 現代語版  作者: はまゆう


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
44/51

第七:智者が自己の優れた学徳を頼みとして聖人を蔑み、地獄に落ちて恐ろしい苦しみを受けた話

智光(ちこう)法師は河内国の人であり、安宿郡の鋤田寺(すきたでら)の僧侶であった。学識が高く、生まれつき聡明で「智恵第一」と称され、『盂蘭盆経』や『大般若経』『心経』などの注釈書を執筆し、多くの学生たちに仏教を講義していた。

その頃、行基(ぎょうき)という修行僧(沙弥)がいた。行基は俗世の欲を捨てて広く法を広め、迷える人々を救っていた。その器量は聡明で、生まれながらの聖人であった。内にはひそかに菩薩の徳を抱きながら、外には修行僧の姿を現していた。聖武天皇はその威徳に深く感銘を受け、彼を極めて重用された。世の人々も彼を仰ぎ尊び、親しみを込めて「行基菩薩」と美称した。

そして天平十六年(※七四四年)十一月、行基は大僧正(僧侶の最高位)に任命された。

これを聞いた智光法師は激しい嫉妬心を起こし、行基を非難して言った。

「私は学問を修めた智者である。行基は戒律も十分に受けていないただの沙弥にすぎない。それなのに、なぜ天皇は私の学識をお取り立てにならず、あの沙弥ばかりを褒め讃えて用いるのか!」

智光は時代を恨み、寺に引きこもってしまった。すると突然赤痢にかかり、一ヶ月あまり苦しんだ末、まさに臨終の時を迎えた。智光は弟子たちに遺言した。

「私が死んでも火葬にしてはならない。九日間のあいだ部屋に置いたまま待ちなさい。もし学生たちが私を訪ねてきたら『用事があって各地を回り、もてなしを受けておられる』と答えなさい。決して私の死を他人に知らせてはならない」

弟子たちは教えを守り、師の部屋の戸を閉ざして人目に触れさせず、ひそかに涙を流しながら昼夜を問わず部屋を守り、その日数を待った。

その頃、智光のもとに閻魔大王の使者が二人現れ、彼を連行して西へと向かった。

道の先には黄金に輝く楼閣が見えた。智光が「ここは何という宮殿か」と尋ねると、使者は答えた。

「葦原中国(日本のこと)で名高い智者でありながら、なぜ知らぬのか。ここは行基菩薩が将来生まれ変わるための宮殿である」

宮殿の門の左右には、甲冑を身につけ、額に赤い鉢巻を締めためでたい神人が立っていた。

使者は智光を北方へと案内した。そこには火の光は見えないものの、顔が焼けつくような烈火の熱気が漂っていた。智光が「この恐ろしい熱気は何か」と尋ねると、使者は「お前を炒り殺す地獄の熱気だ」と答えた。

さらに進むと、真っ赤に熱した鉄の柱が立っていた。使者が「あの柱を抱け」と命じると、智光は悪業に引き寄せられるように自ら柱を抱きしめた。身体の肉は瞬く間に焼け落ちて爛れ、骨だけが残った。三日が経つと、使者は古ぼけた箒(ほうき)で柱を払い、「生き返れ、生き返れ」と唱えた。すると智光の身体は元通りに再生した。

使者はさらに北へと案内した。そこには先ほどよりも遥かに熱い銅の柱が立っていた。智光はまたもや引き寄せられるようにその柱を抱きしめ、肉が焼け落ちて骨だけになった。三日後、使者が箒で撫でて「生き返れ」と唱えると、再び元通りに蘇った。

さらに北へ進むと、雲霞のような猛烈な熱気が立ち込め、空を飛ぶ鳥でさえその熱気に触れて焼け落ちて煎られるほどであった。智光が「ここはどこか」と尋ねると、使者は「お前を煎り煮にする阿鼻(あび)地獄だ」と答えた。智光はその地獄に投げ込まれて焼け焦げたが、鐘の音が聞こえる時だけは熱さが和らいで休息することができた。三日後、使者が地獄の端を叩いて「生き返れ」と唱えると、元の身体に戻った。

使者は智光を連れて引き返し、再び行基菩薩の黄金の宮殿の前まで来た。そこで使者は智光に告げた。

「お前を召喚した理由は、お前が日本国において行基菩薩を誹謗中傷したからだ。その口の罪を滅ぼすために呼び寄せたのだ。あの菩薩はこの世での教化を終えたのち、この宮殿にお生まれになる。今まさにやって来られようとしているので、ここで出迎えるのだ。お前は帰ったら、黄泉の国の食べ物(黄竈の火で煮た物)を決して食べてはならない。速やかに現世へ帰りなさい」

智光は使者と共に東へと戻り、蘇生した。現世ではちょうど九日が経過していた。

智光が声を上げて弟子を呼ぶと、弟子たちは驚き歓喜して集まった。智光はため息をつき、地獄で見てきた一部始終を語り聞かせた。そして行基菩薩に対して嫉妬と侮辱の心を抱いたことを激しく恐れ、反省した。

その頃、行基菩薩は難波の地にあり、架橋や港(渡口)の整備を行っておられた。

身心の痛みが少し和らいだ智光は、すぐさま行基菩薩のもとへ向かった。

行基菩薩は智光がやって来るのを見ると、神通力ですべての事情を察し、にっこりと微笑んで優しく言われた。

「これは珍しい。よくぞお参りされた」

智光は自らの罪をすべて包み隠さず告白(発露懺悔)して言った。

「私は菩薩(あなた様)に対して嫉妬の心を抱き、『自分は学問を修めた古徳の大僧であり、生まれながらの智者だ。行基は浅学な沙弥にすぎない。なぜ天皇は行基ばかりを褒め讃え、私をお捨てになるのか』と口にしてしまいました。その口業の罪により、閻魔大王に召喚されて赤熱した鉄柱や銅柱を抱かされ、九日間にわたって罪の報いを受けました。後世にさらに恐ろしい罪が残ることを恐れ、深く恥じて告白いたします。どうか私の罪をお許しください」

行基大徳は和やかな顔で黙ってこれをお聞きになった。智光がさらに「大徳が次に生まれ変わる場所には、黄金で造られた素晴らしい宮殿が建っておりました」と告げると、行基は「なんと喜ばしく尊いことか」とお喜びになった。

これによって誠に知るべきである。口は身を滅ぼす災いの門であり、舌は善根を切り裂く鋭い刃(よきノミ)なのだということを。

それ以降、智光法師は行基菩薩を深く信仰し、彼が真の聖人であることを明確に悟ったのである。

やがて行基菩薩は、この世での教化の縁が尽き、天平二十一年(※七四九年)二月二日、菅原寺(※奈良市)にて往生を遂げられ、その御霊はあの黄金の宮殿へと移られた。

一方、智光大徳もまた深く改心して仏法を広め、人々を正道へと導き、光仁天皇の御代にこの世を去り、神聖な御霊となって彼方へ旅立たれたのであった。

【解説】

この中巻・第七縁は、古代日本仏教史における二大巨頭――学術の権威である「智光」と、民衆救済の聖者である「行基」――の対立と和解を描いた、屈指の大作説話です。

1. エリート意識(智者)と現場の聖者(行基)の葛藤

智光は文献解釈や注釈書の執筆で名を馳せた最高峰の学僧(エリート)でした。だからこそ、正式な戒律を十分に受けていない叩きあげの修行僧である行基が、天皇から「大僧正」に任命されたことが許せなかったのです。

「自分の学問が評価されず、実務と民衆支援に長けた行基が評価される」という智光の嫉妬と悔しさは、人間のプライドの醜さと生々しさを如実に物語っています。

2. 地獄の拷問描写と「地獄の言葉」のリアルさ

智光が受ける地獄の罰は凄惨を極めます。

* 熱した鉄柱・銅柱の抱擁: 抱きしめた瞬間に肉が爛れ落ちて骨だけになる。

* 箒(ほうき)による再生: 使者が「活活(生き返れ)」と唱えて払うと、身体が元通りになって再び拷問が始まる。

* 阿鼻地獄の熱気: 鳥すら焦げ落ちる熱気の中で煮られる。

これらの地獄の描写は、後世の「地獄絵図」や「地獄草紙」の原形とも言える鮮烈なビジュアルを持っています。

3. 行基の圧倒的な「慈悲と神通力」

地獄から生還した智光を、行基は恨むどころか「含咲愛言(微笑みを浮かべ、親愛の言葉をかける)」で温かく迎え入れます。智光の懺悔を黙って受け入れ、自らの来世が黄金の宮殿であると聞くと素直に喜ぶ行基の姿は、まさに菩薩そのものの器の大きさを表しています。

プライドの高い学僧が己の過ちを悟って頭を下げ、真の聖者を認めるというこの結末は、「口業(言葉による罪)」の恐ろしさを教えるとともに、人間的な成長と救いを描いた説話として最高の読み応えを誇っています。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。