第五:渡来の神(漢神)を祀るために牛を殺し、また生き物を放つ善行を修めたことで、現世で善悪双方の報いを得た話
摂津国東生郡撫凹村(※現在の大阪市東成区付近)に、一人の裕福な長者がいた。その姓名は伝わっていない。
聖武太上天皇の御代、この長者は渡来の神(漢神:からかみ)の祟りを恐れて祈祷し、「七年間にわたって毎年一頭ずつ牛を殺して捧げる」という約束(誓願)を立てた。そして言葉通り、合計七頭の牛を殺して祭祀を行ったのである。
七年間の祭祀が終わると、長者はにわかに重病に倒れた。それからさらに七年もの間、あらゆる名医の薬や治療を試みたが、病は一向に治らなかった。占い師を集めて祓いや祈祷を行わせたが、病状はますます悪化するばかりであった。
ここで長者は思い至った。
「私がこのような重病に苦しんでいるのは、他でもない、牛を殺したあの不殺生の罪(殺生業)のゆえである」
そこで彼は病床に就いて以来、毎月欠かさず六斎日(ろくさいにち:月に六回、身心を清める日)に斎戒を守り、生き物を放ち救う善行(放生)に励んだ。他人が生き物を殺そうとしているのを見かけると、金に糸目をつけず買い取って逃がし、さらに八方に使いをやって生き物を買い集めては野に放った。
こうして七年が経ち、まさに臨終の時を迎えた長者は、妻子に言い遺した。
「私が死んでも、十九日間のあいだは身体を置いたままにし、決して火葬にしてはならない」
妻子は言われた通り遺体をそのままにして、その日数が経過するのを待った。すると九日目が過ぎた時、長者は奇蹟的に息を吹き返し、地獄での出来事を語り始めた。
「私のもとに、牛の頭に人間の身体をした『七人の非人(閻魔の獄卒・あるいは牛の怨霊)』が現れた。彼らは私の髪を縄で縛り上げ、連行していった。
道の先には立派な楼閣の宮殿が見えた。私が『ここは何の宮殿か』と尋ねると、非人たちは恐ろしい目で私を睨みつけ、『黙って急げ!』と脅した。
宮殿の門を入って『連れてまいりました』と告げると、そこに居られたのは閻魔大王であった。
大王は私に『この者たち(七人の牛)は、お前が殺した怨敵である』と仰せになった。私が『その通りでございます』と答えると、大王はまな板(膾机)と包丁を取り出させ、『さあ、速やかに申し渡す。お前を殺した悪党(長者)を切り刻んで膾にし、食べてしまうがよい』とお告げになった。
その時である。どこからともなく千万余人もの人々が怒涛の勢いで飛び出してきて、私の縄をほどき、こう叫んだ。
『この人は悪くありません! 祀っていた鬼神の言われるままに殺害しただけでございます!』
こうして、私を中心に挟んで、七人の非人と千万余人の人々が、毎日のように水と火のごとく激しく議論を交わした。閻魔大王の判決もなかなか決まらなかった。
七人の非人はなおも強く主張した。
『知れたことだ! この男が主人となり、私たちの四本の足を切断し、廟(祠)に祀って利益を乞い、私たちを切り刻んで肴として食べたのだ! 今こそこの男を切り刻み、肉を食らってやりたい!』
対する千万余人の人々も大王に訴えた。
『私たちは事情を詳しく知っております。この人の咎ではなく、鬼神の罪でございます。大王よどうかお考えください。道理は証拠(証人)の多い方に就くべきでございます』
八日が過ぎた日の夕方、大王から『明日あらためて判決を下す』とのお告げがあり、九日目に皆が集まった。
閻魔大王は宣言された。
『道理の裁定は、証拠(証人)の数の多さによって決定する。ゆえに多数派の意見を採用する』
こうして、私を許す判決が下されたのである。
それを聞いた七頭の牛は、悔しそうに舌を舐めて唾を飲み込み、肉を切り刻んで食べられなかったことを無念がり、悔しげに包丁を握りしめて立ち上がり、異口同音に言った。
『怨みを報復できなかった! だがこの恩讐は忘れない。必ず後世において報復してやるぞ!』
(無罪となった)私は、千万余人の人々に左右前後を取り囲まれ、大王の宮殿を出た。人々は私を輿に乗せて担ぎ、旗を掲げて先導し、称讃の声を上げながら送り届けてくれ、丁寧にかしこまって礼拝してくれた。見ると、その人々はみな同じ清らかな容姿をしていた。
私が『慈悲深いあなた方は、一体どなたですか』と尋ねると、彼らは答えた。
『私たちは、かつてあなたが買い取って逃がしてくれた生き物たち(放生された者たち)です。あなたの受けた大恩を忘れておりませんので、こうして恩返しに参ったのです』」
閻魔大王の宮殿から蘇った長者は、いっそう強く誓願を発した。
これ以降、二度と(殺生を伴う)神の祭祀を行わず、三宝に帰依した。自宅に誓いの旗(幢)を立て、寺を建てて仏像を安置し、法要を行って命を救う善行(放生)に専念した。
これ以降、人々は彼のことを「那天堂」と呼ぶようになった。
長者はその後まったく病にかかることもなく、九十歳余りの天寿を全うして亡くなったという。
『鼻奈耶経』にこう説かれている。
「迦留陀夷は、昔、天神を祀る主であった時、一頭の羊を殺した罪により、今は羅漢(聖者)となったものの、後世においてバラモンの妻によって殺されるという怨みの報いを受けた」
また『最勝王経』にはこう説かれている。
「流水長者は、一万匹の魚を買い取って放した。その魚たちは天上に生まれ変わり、四十千(四万)の真珠をもって、現世で流水長者に恩返しをした」
まさに、この説話の出来事のことを言っているのである。
解説
この中巻・第五縁は、「殺生(殺人や動物の惨殺)」という悪業と、「放生(命を救うこと)」という善業の双方が、地獄の裁判を通じてリアルタイムに相殺・判決されるという、法廷ドラマのような面白さを持った名作です。
1. 地獄の法廷で繰り広げられる「多数決」の裁き
地獄の長である閻魔大王の前で、長者を地獄の責め苦に遭わせようとする「七頭の牛の怨霊(検察官・被害者)」と、長者を救おうとする「千万余人の救われた生き物たち(弁護団)」が、まるで現代の裁判のように激しい論争を繰り広げます。
閻魔大王が最終的に「理は証人の多さに就く(多数決)」として無罪判決を下すプロセスは、古代の人々の法観念と、仏教の「善業の分量が悪業を上回れば救われる」というロジックが見事に融合しています。
2. 「殺された牛の怨念」の生々しい描写
長者に無罪判決が出た際、七頭の牛たちが「舌を舐め、唾を飲み込み、包丁を握りしめて『この怨みは忘れぬ、後世で必ず報復してやる』と捨て台詞を吐く」という描写は、極めてリアルで恐ろしいものです。
単に「善が勝ってめでたし」で終わらせず、一度殺された命の怨念は消えず、いつか別の形で報いが来るという仏教の厳酷な因果律(後述される迦留陀夷の故事)を提示することで、安易な殺生への強い戒めとしています。
3. 「那天堂」という名の由来と改心
蘇生した長者は「那天堂(なてんどう/なでんぼう)」と呼ばれるようになります。これは、彼が住んでいた「撫凹村」の地名と、天上界へ通じる「天」の徳を掛け合わせた称呼と考えられます。
肉食や生贄を伴う渡来系の神祭り(漢神崇)を否定し、命を尊ぶ仏教の「不殺生・放生」へと民衆の信仰をシフトさせていく、古代日本における宗教観の変遷を如実に物語る貴重な記録でもあります。




