第十八 『法華経』を一生懸命覚えようとしたら、前世の記憶が蘇って不思議なことが起きた話
昔、大和国葛木上郡に、丹治比氏という男性がいた。彼は生まれつき記憶力が良かったが、『法華経』を覚えることだけはどうしても苦手だった。
八歳になる前から何度も挑戦したのに、どうしても一文字だけが覚えられなかった。二十歳を過ぎてもやはり覚えられず、ついに観音菩薩に祈って深く悔い改めた。
するとある夜、夢の中に一人の人が現れてこう言った。
「お前は前世、伊予国のある郡の日下部という家の「猿」という者の子どもだった。当時、お前は法華経を一生懸命唱えていたが、灯りの火が経文の一文字を燃やしてしまって、そこだけ覚えられなかったんだ。今、行って確かめてみなさい」
夢から覚めた男は驚き、怪訝に思いながら両親に言った。
「急に用事ができたので、伊予国へ行ってきます」
両親は許し、男は伊予へ旅立った。
夢で教えられた「日下部」の家を探し当て、門を叩いて人を呼んだ。すると一人の女性が出てきて、微笑みながら中へ入り、母親に言った。
「お母さん、門のところにお客さんが来てるんだけど……なんだか、死んだお兄ちゃんにそっくり」
母親が驚いて出てきて見ると、やはり死んだ息子に瓜二つだった。家長(父親)も出てきて不思議そうに聞いた。
「あなたはどなたですか?」
男は自分の国と郡の名前を答えた。家の人たちも自分の名前を告げると、すべてがぴったり一致した。
男は膝をついて深く頭を下げた。
「私はあなた方の、前の世の息子です」
日下部の夫婦は驚きながらも男を家の中へ招き入れ、懐かしそうに言った。
「もしや……死んだうちの息子の霊が、姿を変えて来たのか……?」
男は夢で見たことをすべて話した。すると夫婦は頷き、こう言った。
「うちの息子は昔、堂で法華経を読みながら水瓶を持って水を運んでいたよ。あの水瓶はまだ残っている」
男は堂の中に入り、法華経を取り出して開いた。
すると——夢で言われた通り、灯りの火で焼けて文字が消えてしまっている箇所があった。
男は深く懺悔し、心を込めてその部分を修復した。すると、たちまち法華経を覚えられるようになった。
こうして、前世と現世の親子が巡り合い、不思議の念に打たれつつも、再会を喜び合った。彼は現世の親だけでなく前世の親に対しても孝養を尽くしたという。
讃(ほめ言葉)
なんと素晴らしいことか!日下部の氏よ。経を読み、道を求め、前世と現世の二つの人生で、同じ法華経を重んじた。二人の父親に対して孝行を尽くし、美しい名を後世に伝えた。これは聖なる行いであり、凡人にはできないことだ。
まことに、法華経の神々しい力と、観音菩薩の霊験の賜物である。
『善悪因果経』にこうある。
「過去の原因を知りたければ、今の結果を見よ。未来の報いを知りたければ、今の行いを見よ」
この話は、まさにその通りだと言えるだろう。
解説
この第十八話は、『日本霊異記』の中でも特に珍しい前世の記憶と法華経の霊験を結びつけた話です。




