第一 雷を捉えた縁起
少子部栖輕という者は、大泊瀬稚武天皇(雄略天皇)の側仕えで、親しい近侍であった。天皇が磐余宮に住まわれていた時、天皇が后とともに大安殿でご夫婦の契りを交わしておられたところへ、栖輕が何も知らずに入ってしまった。天皇は大変恥ずかしく思われ、言葉を失われた。
ちょうどその時、空に雷が鳴り響いた。天皇は栖輕に命じて仰せられた。
「汝、鳴る雷をここへ招いて奉るか?」
栖輕は答えた。「招いて参りましょう。」
天皇は「では、必ず招いて参れ」と命じられた。
栖輕は勅を奉じて宮から退出し、緋色の額帯を着け、赤い旗と矛を捧げ持ち、馬に乗って阿倍山田の前の道を通り、豐浦寺の前の道を走って行った。栖輕の越の辻に至ると、大声で叫んで請うた。
「天に鳴る雷の神よ、天皇があなたをお招きになります!」
しかし、雷は一向に落ちてこない。栖輕は馬を返しながら言った。
「雷の神といえども、天皇のお招きをなぜ聞かないのか!」
そうして戻る途中、豐浦寺と飯岡の間の道で、雷が落ちた。栖輕はそれを見て、すぐに神司(神官)を呼び、輿に入れて大宮へ運んだ。そして天皇に奏した。
「雷の神を招いて参りました。」
その時、雷は眩しい光を放っていた。天皇はこれを見て恐れ畏み、立派な幣帛(供え物)を進めて、雷を落ちた元の場所へ返すよう命じられた。今でもその場所を「雷岡」と呼んでいる。(古い京の少治田宮の北にあります。)
その後、栖輕は亡くなった。天皇は命じて言われた。
「七日七夜、栖輕の忠義と誠を讃えて歌え。雷が落ちた同じ場所に墓を作り、永く碑を立てよ。」
碑の柱には「取雷栖輕之墓(雷を取った栖輕の墓)」と書かれた。
この雷は恨みを抱いて鳴り落ち、碑の柱を踏み踊った。しかしその柱の隙間に、雷は捕らえられてしまった。天皇はこのことを聞き、雷を殺さずに放してやるよう命じられた。雷は慌てて七日七夜そこに留まった。
そこで天皇は改めて碑を立てさせ、柱にこう書かせた。
「生之死之、捕雷栖輕之墓也(生きても死んでも、雷を捕らえた栖輕の墓である)」
これが昔から「雷岡」と呼ばれるようになった由来である。
解説
日本霊異記で最初に語られる、雄略天皇と側仕え・栖軽の物語。
天皇の恥ずかしい瞬間に雷が鳴り、栖軽は勅命を受けて雷神を「捕らえて」宮中へ連れてくる。
死後も雷と因縁が続き、ついに地名「雷岡」の由来となる——。
古い雷神信仰と人間の忠義が交錯する、日本最古級の痛快な霊異譚です。現在も奈良・明日香村に「雷丘」として実在する場所の由来話でもあります。




