上巻 序文
日本霊異記 上巻 序文
そもそも、仏教の経典(内典)と、儒教の書物(外典)が日本に伝えられ、世に広まり始めたのは、二つの時代のことである。いずれも百済の国から海を渡って到来した。
外典(儒教の書)は、軽島豊明宮で天下を治められた誉田応神天皇の御代に伝えられ、内典(仏教の経典)は、磯城金刺宮で天下を治められた欽明天皇の御代に伝えられた。
しかし、外典を学んだ者は仏法を誹り、内典を読む者は儒教の書を軽んじた。愚かな者たちは迷いにとらわれ、善悪の報い(罪福)を信じようとしない。優れた知恵を持つ者たちは、内外の教えを深く見て、因果の理を畏れ信じるようになった。
歴代の天皇方は、ある時は高い山に登り、悲しみの心を起こして、民のことを思い、雨漏りのする粗末な殿で暮らしながら庶民を慈しまれた。またある天皇は、生まれつき優れた判断力をお持ちで、細かな事柄にもよく通じ、一度に十の訴えを聞き、一言も漏らさず裁かれた。
ある方は二十五歳の時に天皇の求めに応じて大乗経を説かれ、自ら経の注釈書を作り、後世にまで長く伝えられた。またある方は大願を起こして仏像を敬い造り、天はその願いを聞き、地は宝の蔵を開いた。
また、高僧たちはその徳が十地の菩薩に匹敵し、道は声聞・縁覚の二乗を超えていた。知恵の灯りを掲げて暗い迷いの道を照らし、慈悲の舟を進めて溺れる者を救い、難行苦行を重ね、その名は遠い国々にまで響き渡った。今の時代でも、深く智恵ある人々の神々しい働きは、はかり知ることができない。
そこで、奈良の薬師寺の沙門・景戒は、世の中の人々を深く観察した。才能があるにもかかわらず卑しい行いを好み、利養や財物を貪る者たちは、磁石が鉄の山を引き寄せるよりも激しく鉄を吸い寄せ、他人の分け前を欲しがりながら自分の物は惜しみ、粉を挽く時に頭を垂れて粟の粒を欲し、糠ばかりを食うような有様である。
ある者は寺の物を貪り、牛に生まれ変わって債務を返すことになった。ある者は仏法や僧を誹ったため、現世で災いを受けた。ある者は道を尊び善行を積んだ結果、現世で霊験を得た。ある者は深く信じて善を修めたため、生まれながらに幸福を授かった。
善悪の報いは、影が形に従うように必ず現れる。苦楽の響きは、谷に響く音のようにはっきりと返ってくる。これを見聞きした者は、たちまち驚き怪しみ、しばしの間も我を忘れる。恥じ入る者は、たちまち胸を震わせ、慌てて逃げ去ろうとする。
善悪のありさまをはっきりと示さなければ、曲がった心の執着を正し、是非を定めることはできない。因果の報いを明らかに示さなければ、どのようにして悪心を改め、善の道を修めることができるだろうか。
昔、中国では『冥報記』が作られ、大唐の国では『般若験記』が作られた。なぜ他国の記録ばかりを大切にし、自国の不思議な出来事を信じ畏れようとしないのか。
私は自らこれらのことを見て、寝てもいられず、心に留めて考え、黙っていられなくなった。そこで、かたわらで聞き知ったことを記し、『日本国現報善悪霊異記』と名付けた。上・中・下の三巻として作り、末代にまで伝えることにした。
しかし景戒は生まれつき学問に優れず、心も濁っていて澄みにくい。井戸の底のような狭い見識で、長い間大道に迷っていた。できる限りの力を尽くして彫ったが、浅い技で刀を加えたようなものだ。寒心して手を傷つけるのではないかと恐れる。これは昆山(玉の山)の中の一つの小石に過ぎない。
ただ、口伝えでは詳しく伝えきれず、忘れてしまったことも多い。善を貪る気持ちが至らぬまま、濫竽(役に立たない者)の業を軽々しく示してしまった。後の世の賢い方々、どうか笑わないでいただきたい。
この奇しい話を覧になる方は、邪を退け正しい道に入り、すべての悪を作らず、すべての善を行いなさい。
諾楽右京薬師寺沙門 景戒 録




