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第463話「破壊の黒」

「ククク……いくら光のマナで神々が力を取り戻そうと、我が主には敵いませんよ」


邪神の軍師クラフトの声が、まるで毒を含んだ蜜のように戦場に滴り落ちる。その声には一片の不安も揺らぎもない。勝利の美酒を既に味わっているかのような、揺るぎない確信に満ちていた。


「こちらにはまだ数多の邪神がいるのです……かつての仇敵が肩を並べたところで、かさ増し程度ですよ!」


嘲笑が夜気を汚すように響く。


「……だそうだが、オーディン」


フェンリルの金色の瞳が、皮肉な光を宿して横に流れる。千年の恨みを抱えた仇敵の横顔を見遣る。


オーディンは小さく鼻で笑った。その音は、まるで愚か者を哀れむような響きだった。


「ふん、随分安く見られたものだ……では、かさ増しではないということを、骨の髄まで教えてやるべきだろう」


グングニルの切っ先が、静かにクラフトへ向けられる。

次の瞬間、黄金の雷光が奔った。


空気が裂け、耳を劈く轟音と共に、神威が顕現する。クラフトの背後に控えていた邪神たちが、悲鳴を上げる間もなく炭化し、風に散った。焦げた肉と溶けた金属の臭いが鼻を突く。


「ああ、俺たちで……相手をしてやるか」


二柱の神が背中を合わせた。

その瞬間、凄まじい闘気が爆発的に膨れ上がる。


大気が震え、地面に亀裂が走る。瘴気すら押し返す暴風が吹き荒れ、クラフトの髪を乱暴に掻き乱した。


「甘いですよ!」


クラフトの指が舞う。その動きに呼応して、無数の眷属たちが地を蹴った。

中でも一際禍々しい気配を放つのは、千の貌を持つ這い寄る混沌――ナイアーラトテップ。その姿は見る者によって異なり、正気を保つことすら困難にする瘴気を纏っていた。


「来るぞ……!」


オーディンとフェンリルが同時に身構えた。筋肉が軋み、神力が臨界点まで高まる。


その刹那――


世界が、色に呑まれた。


五色の光が天から降り注いだ。赤、青、白、黒、緑――それぞれが生命、知恵、秩序、破壊、自然を司る原初の力。それらが螺旋を描きながら戦場を薙ぎ払う。


そして、その中心を貫くように――


一筋の、絶対的な黒が奔った。


それは光でも闇でもない。存在そのものを否定する、究極の虚無の顕現。触れた者全てを無へと還す、破滅の権能そのものだった。


眷属たちが、まるで紙屑のように消し飛んでいく。

ナイアーラトテップですら、その圧倒的な力の前に一瞬怯んだ。


戦場に、凍りついたような静寂が訪れた。


風すら息を潜め、瘴気さえも畏れるように後退していく。


「……この闇のマナの力は!」


オーディンの声が震えた。神として千年を生きた彼ですら、背筋を冷たい汗が伝うのを感じる。


「ふ、覚醒したか!」


フェンリルはほくそ笑んだ。獣の本能が危険を告げ、無意識に半歩後退した。二柱の神が、畏怖と共にその圧倒的な力の前に身を引く。


「レオンさん……!」


イングラムの叫びが、張り詰めた空気を震わせた。


黒き稲妻と共に、一人の戦士が音もなく着地する。まるで影そのものが人の形を取ったような、静謐な降臨だった。


深い青色のバンダナが、力の余波で黒髪と共に激しくなびく。その佇まいは、神話の英雄が現世に顕現したかのような、研ぎ澄まされた殺気と優美さを併せ持っていた。


振り返った瞬間、息を呑む。


神殺しの一族特有の紅い瞳が、稲妻の光を受けて血のように輝いていた。その眼差しは冷たく、それでいて仲間を護る温もりを秘めている。


「待たせたな」


低く響く声が、不思議な安堵を戦場にもたらした。まるで、全てが終わったかのような確信に満ちた響き。


銀の光が舞い、クレイラが羽毛のような軽やかさで隣に降り立つ。銀髪が雷光を反射し、まるで流れる水銀のように美しく揺れた。


「みんな、よく耐えてくれたね。ありがとう」


彼女の声には、慈愛と誇りが滲んでいた。


「……クレイラ、よく無事でいてくれた!」


安堵の声が漏れる。


「ライル、今はみんなの治癒を優先してあげて!」


「──」


レオンは無言のまま、掌から黒い波動を放つ。それは音もなく空間を裂き、迫り来る眷属の群れを一瞬で虚無へと還した。塵一つ残さない、完全な消滅。


そしてゆっくりと、ライルへと向き直る。


その瞳に、何か言いたげな光が宿っていた。しかし唇は固く結ばれ、言葉にならない想いだけが、兄弟の間に流れる。空気が、まるで硝子のように張り詰めた。


「ライル、話はクレイラから聞いた。文句や不満は腐るほどあるが……それは後回しにしておこう」


レオンの声は静かだったが、その奥には15年分の感情が渦巻いていた。押し殺した怒り、哀しみ、そして僅かな安堵。


彼はゆっくりとライルに歩み寄る。革靴が地面を踏む音が、やけに大きく響いた。


そして――


拳が、空を切った。


鈍い肉の音が響き、ライルの頬が大きく歪む。唇が切れ、鉄錆の味が口内に広がる。頬骨に響く衝撃が、脳を揺らした。


ライルは一歩も動かなかった。避けることも、防ぐこともせず、ただ真っ直ぐに受け止めた。


15年──


兄弟として過ごすべき時間。共に笑い、時に喧嘩し、互いを理解し合うはずだった歳月。その全てが、虚無の中に消えていた。


この痛みは、その空白への贖罪だった。


レオンもそれを理解していた。拳に伝わる感触、骨が軋む痛み。これは憎しみではない。こうしなければ、積み重なった感情が暴走し、目の前の兄すら滅ぼしかねなかった。


一区切りをつけるための、魂を込めた一撃。


「かなり、痛いな」


ライルが口元の血を拭いながら、小さく笑った。その笑みには、後悔と受容が混じっていた。


「……イングラムたちが回復するまで、お前が守れ」


レオンは既に背を向けていた。その声は素っ気なかったが、弟としての信頼が滲んでいる。


「わかっている。お前の娘たちもすぐに──」


「おじさん、その必要はないよ」


鈴を転がすような声が、戦場の緊張を切り裂いた。


「私たちなら、もう回復している」


レネとロニが、月光を背に立っていた。二人の身体から淡い光が立ち昇り、傷一つない姿がそこにあった。


「……そうか、頼んで良いか?」


ライルの声には、安堵と誇りが混じっていた。


レネの唇に優しい微笑みが浮かび、ロニは力強く頷く。その瞳には、父親譲りの紅い輝きと、母親譲りの慈愛が宿っていた。


家族四人が、クラフトとクトゥルフの前に立ちはだかる。まるで運命が、この瞬間のために彼らを引き合わせたかのように。


"レオン……レオン・ハイウインド!"


クトゥルフの巨大な瞳が、憎悪に細められる。その声は大地を震わせ、空気を腐敗させた。怒りが瘴気となって噴き出し、周囲の岩が溶解していく。


"キサマさえ、キサマさえいなければ……!地上を容易く制圧出来たものを──!"


憤怒の咆哮が、鼓膜を引き裂くように響いた。


レオンは鼻で嗤った。


その嘲笑は、まるで取るに足らない虫を見下すような、圧倒的な侮蔑を含んでいた。


「たかが人間一人に苦戦しているようでは、お前もそれまでの存在だ!」


レオンの紅い瞳が、血の海のように深く輝く。その光は、まるで地獄の業火が瞳の奥で燃え盛っているかのようだった。髪が逆立ち、黒い闇のマナが身体から噴出する。


「クトゥルフ、そして邪神どもよ!」


声が響く。それは宣戦布告であり、死刑宣告だった。


「お前たちの命運、ここで全て断ち切る!この忌まわしき場所も、悔恨も諸共!」


黒い波動が爆発的に膨れ上がり、ルルイエの歪んだ建造物が軋みを上げる。千年の怨念が込められた石が、ひび割れ始めた。


"やってみろ、小僧!!!!"


クトゥルフの絶叫と共に、海が逆巻いた。黒い津波が天を覆い、無数の触手が大地から噴出する。瘴気が濃密になり、呼吸するだけで肺が腐るような悪臭が充満した。


最終決戦の幕が、今まさに切って落とされようとしていた。



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