第461話「反撃の狼煙」
矢が唸りを上げ、闇を裂いた。
カルナの一射は紅蓮の流星、アルジュナの放つ矢は蒼き閃光。
二条の光が交差し、迫るクトゥグァの眷属を次々と爆ぜさせ、神性ごと塵と化していく。
焦げた瘴気が喉を灼き、熱風が頬を焼いた。痛みが皮膚に刻まれ、戦場の匂いが鼻腔を抉る。
その背に、もう一条の矢が重なる。
ルキウス・オリヴェイラの弓だ。
三つの光は渦を巻き、まるで天空そのものが敵を拒絶するかのように群れを射抜いた。
「……かの英雄二人と肩を並べられる日が来るとは、光栄だな」
矢を番えながらルキウスが吐き、荒い息を整える。心臓が胸を打ち、指先が震えた。
「それはこちらとて同じこと」
カルナは淡々と応じ、矢羽根が閃光を帯びて敵の頭蓋を穿つ。
「お前たち兄弟の衝突……我らにも通ずるものがあった」
「……同意するのは不本意だがな」
アルジュナは唇を噛む。矢を引く指にわずかな震え。苦みが口の中に広がった。
「だが、ぶつかり合わなければ分からぬものもある……俺と奴がそうであったように」
神話の時代、敵と味方に分かれて相まみえた二人の宿命。
その彼らが今、背を合わせ、矢を重ねている。
はじめての共闘だというのに、呼吸は阿吽の如く。
迫る眷属は一切寄せつけず、ただ滅ぼされるばかり。
「闘いの最中に不躾だが」
カルナは眉ひとつ動かさず、次の矢を番えた。
彼の瞳は、燃えるように冷たい。
「俺があの弓をお前に託したのは……お前たちに、可能性を視たからだ」
矢が放たれる。
烈火を纏ったそれは、夜を貫く紅の閃光となり、眷属を一瞬で灰燼と帰した。爆炎の熱が肌を撫で、骨まで響く轟音が耳を揺らす。
「可能性……?」
ルキウスは思わず息を呑む。
肩に食い込む弓弦の震えが、妙に熱く感じられた。痛みと興奮が交錯し、心臓が激しく脈打つ。
「ボタンの掛け違い一つで、運命は大きく変わる」
カルナは淡々と続ける。
「もし異なる道があったならば……俺は奴と共に、並び立って戦っていたのかもしれん」
アルジュナの眼差しが揺れた。
矢を引く指がかすかに震え、吐き出された声は苦みを帯びている。胸の奥が、重く締め付けられた。
「……あなたたちには、我々のようにはなってほしくない。敵味方に分かれ、殺し合うなど──二度と」
ルキウスの胸に、雷鳴のようにその言葉が突き刺さる。
脳裏に浮かぶのは、ルシウスの顔。
いつも横で笑い、時に反発し、時に弓を交えた兄弟。視界が滲み、喉が詰まった。
けれど――どれほどぶつかろうと、彼は怒りを孕んだ本気の殺し合いだけは決して望んでいなかった。
「……あなたから受け取ったこの弓を、絶対に無駄にはしない」
ルキウスは息を震わせながらも力強く言い放ち、矢をつがえる。
青白い光を纏ったその矢は、夜空を裂いて放たれ、闇を埋め尽くす群れを一息に吹き飛ばした。光の残像が網膜を焼き、風圧が全身を打った。
「俺は、仲間と共にこいつらを掃討する。――改めて言わせてくれ」
「……あぁ」
カルナが低く応じ、アルジュナが静かに頷く。
「どうぞ」
「あなたたちと共に、俺はこの土地を守り抜くと誓おう」
その宣言に、二人の大英雄は言葉を挟まず、ただ重々しく頷いた。
瞬間、三条の矢光が一斉に解き放たれる。
光と炎と雷鳴が交差し、クトゥグァの眷属を蹂躙する。爆音が耳朶を劈き、閃光が視界を奪い、灼熱が空気を震わせた。
黒き群れは悲鳴をあげる間もなく塵と化し、夜空の闇すら裂けて後退していく。
その光景はまるで――古き神話に続き、新たな一頁が刻まれていく瞬間のようであった。
「む……アルジュナ、どうやら本命が来たようだ」
「また新たな眷属ですか、我々の敵ではないというのに」
大地が震えた。足元から伝わる振動が骨を揺らし、不安が背筋を駆け上がる。
弓矢に穿たれたはずの影が、瓦解することなく、ずるりと溶け落ちる。
それは――黒い粘液の塊だった。
粘度を孕んだ波のように、うねりながら広がっていく。
肉とも泥ともつかぬ質感。だが、そこに蠢く泡立ちの一つひとつが、確かに「生きている」と訴えていた。
突如、黒塊の表面に眼が開く。
無数の眼。
瞼もなく、瞳孔もない、ただ光を映すだけの器官が、一斉に三人を見据えた。視線が肌に突き刺さり、本能が危険を叫ぶ。
「……ッ!」
吐き気を誘う鉄錆の臭気が、風と共に押し寄せる。喉が引き攣り、胃が締め上げられた。
矢を放てば、飲み込むように肉が裂け、そこから再び泡が芽吹き、形を取り戻す。
輪郭は曖昧。
巨獣とも、群体ともつかぬその姿は、ただ"形を定めぬ悪夢"だった。
「敵に援軍が来たのなら、合わせねば不平というものだ、なあ?ルキウス」
雄々しい声が、暗雲を晴らすように響き渡る。その声が胸を震わせ、勇気が全身に満ちた。
「ハハハ!追い詰められている割には、随分涼しい顔をしているなぁお前たち」
轟音と共にヴィシュヌが天を引き裂いて降臨した。風圧が髪を舞い上げ、地を揺らす衝撃が足元から這い上がる。
「ヴィシュヌ様」
「他の国でも、縁ある神が降り立ち、戦っている。イングラムたちがクトゥルフたちを倒すまで持つだろう」
ヴィシュヌの声は穏やかだが、その響きには揺るがぬ確信が宿っていた。
「ふむ、白狼の力とやらか……あの光が、神を全盛期以上の力に取り戻させるとは、凄まじいな」
カルナの言葉に、ルキウスは頷く。
脳裏に焼きついた、あの眩い光。
マナの奔流が空気を震わせ、神々の力が蘇る瞬間——その圧倒的な存在感は、今も全身に残響していた。
驚嘆が胸を満たす。だが、手を止めるわけにはいかない。
ルキウスは矢を番え、引き絞る。弦が手のひらに食い込み、矢尻が青白く輝いた。
放たれた矢は風を裂き、眷属の核を貫く。
爆音。肉が弾け、黒い飛沫が舞い上がった。硫黄の臭いが鼻を突き、熱気が頬を撫でる。
一体、また一体——。
息をつく間もなく、ルキウスは次の敵を屠っていく。
三人の英雄が矢を放ち続けるその同時刻。
ユーゼフの腕が、もはや悲鳴を上げていた。
戦斧を持ち上げるたびに、筋肉が引き裂かれるような痛みが走る。呼吸は浅く、喉は渇き切り、視界が揺らいだ。
それでも、彼は斧を振るう。
赤子と眷属が、次々と斬り伏せられていく。黒い血飛沫が顔に掛かり、鉄錆の臭いが鼻腔を満たした。
「……くそ、まだ、来るのかよ!」
掠れた声で呟き、膝が震える。
その傍らで——ノルンの女神は、震える手のひらを見つめていた。
指の間に残るルーンは、もはや数えるほど。
運命を紡ぐ力が、底を尽きようとしていた。息が苦しく、全身から力が抜けていく。
「これ以上は……」
言葉が途切れた瞬間——
光が、降り注いだ。
眩い白銀の光。それは天を裂き、二人を包み込む。
温かさが肌を撫で、痛みが和らぎ、心臓に力が戻ってくる。
そんな彼らに、救いの手が差し伸べられる。
光が、降り注いだ。
眩い黄金の光。それは天を裂き、二人を包み込む。
温かさが肌を撫で、痛みが和らぎ、心臓に力が戻ってくる。
「もう十分。後は私に任せなさい」
凛とした声が響いた。
降り立ったのは、黄金の髪を風に靡かせた女神——フレイヤ。
その瞳には慈愛と、そして揺るがぬ決意が宿っていた。
ノルンは目を見開き、か細く呟く。
「フレイヤ……!来てくれたのね」
「うむ……よくぞ耐えきった、三女神たち、そして人の子よ」
フレイヤの手が優しくノルンの頬に触れ、次いでユーゼフの肩に置かれる。
その瞬間、二人の体に生命力が満ちていく。筋肉の痛みが消え、呼吸が楽になり、視界が澄み渡った。
「さあ——この地を、共に守りましょう」
フレイヤが手を掲げると、黄金の光が戦場を包んだ。
眷属たちの黒い肉体が光に焼かれ、甲高い悲鳴が空気を震わせる。硫黄と焦げた肉の臭いが鼻を突き、ユーゼフは思わず顔をしかめた。
だが、その口元には笑みが浮かんでいる。
「へへ、よぉし!両手に花があるならそれを散らせないように守り抜くのが男だ!三人で叩き潰そうぜ!」
戦斧を担ぎ直し、ユーゼフは吠えた。
全身に力が漲り、心臓が高鳴る。握る柄の感触が心地よく、足が地を踏みしめる音すら勇ましく響いた。
「ふふ、元気でよろしい……猛々しい人の子よ。その力、存分に振るいなさい」
フレイヤは微笑み、その声は蜜のように甘く、されど鋼のように強い。
黄金の髪が風に舞い、香る花の匂いが戦場の瘴気を払った。
ノルンもまた、わずかに頬を緩ませる。
指先に、再び力が宿り始めていた。
「っしゃあ!覚悟しろよ邪神どもぉ!」




