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第456話「最悪で最恐な二人」

邪神の魔の手は世界を蝕むように伸び続けていた。

人々が逃げ惑うその最中、ひときわ異質な存在が夜空を裂いた。


「……そのなりで“赤子”とは……テメェらの姿、冗談が過ぎるな」


吐き捨てるような声。

現代の街には到底似合わぬ狩衣の男。


――安倍晴明


悠然と背にまたがる白狐コンコンの毛並みは、月光を受けて白銀に輝き、九尾の影を垣間見せていた。


彼が指先をわずかに振るだけで、大地に幾何学の紋が浮かび上がる。

曼荼羅のように広がるその式陣は、まるで世界そのものが晴明の掌にあるかのように緻密で――。


「式神たちよ……時は至った。

火は燃え、雷は轟き、水は浄め、風は裂け……邪なる命を祓え」


四方に散った式神たちが咆哮を上げる。

炎の鳥が群れを焼き払い、雷龍が黒雲を引き裂き、巨虎が赤子の群れを踏み砕く。

風狼が駆け抜けるたびに、瘴気は霧散し、街の灯りが蘇っていく。


「ひ、光が……!」

「助かった……!」


恐怖に顔を覆っていた人々が、顔を上げて声を震わせた。

その頭上には、晴明の式が張り巡らせた光の結界。

夜空に咲く万華のように煌めき、邪神の闇を押し返していく。


コンコンが喉を鳴らした。

その響きはもはや獣のそれではなく、神の咆哮。

群れ寄る邪神の眷属たちを蹴散らしながら、彼女は主の言葉を待っている。


「よぉ……俺の名は安倍晴明」


彼は月下に立ち、片袖を翻し、凛然と告げた。


「邪神だろうが赤子だろうが、この世を穢すものは全て……我が術の下に沈めよう!」


その瞬間、夜空そのものが彼の式陣と化した。

無数の光の線が天から大地へ突き刺さり、赤子の群れは悲鳴すら上げる間もなく消滅していった。


結界が張り巡らされ、街にようやく安堵の声が広がり始めた、その刹那。


――びちゃり。


地に垂れる音。

黒い液体が、空から落ちてきた。


「……ッ!?」


晴明の周囲の式神が、一斉に呻き声を上げる。

炎の鳥は羽を焦がし、雷龍は喉を押さえて呻いた。

まるで“術式そのもの”が、体を蝕まれているかのように。


〈……おお、ようやく見つけた〉


声ではない。

耳ではなく、結界の骨組みそのものに響く異質な声。

空が裂け、這い出てきたのは、人型とも獣ともつかぬもの。


顔は能面のように白くのっぺりとして、そこに黒い“呪”の字が刻まれている。

その両腕は、経巻の紙片のようにひらひらと揺れながら、無数の咒を垂れ流していた。


「……あぁ?これは……“式殺し”の呪か」


晴明の声が鋭く低くなる。

その異形は、古来より陰陽師を滅ぼすために、邪神が産み出した対の存在。

人の祓いを“逆に食う”存在――呪屍じゅし


奴の吐き出す呪の黒雨が降り注ぐたびに、式神が次々と歪み、破裂していく。


「ひいっ! せ、晴明様っ!?」

「結界が、解けていく……!」


人々の悲鳴が闇に響く。

光が失われ、また闇が押し寄せてくる。


晴明は袖を払った。

その顔には焦りはない。だが眼差しは鋭く、いつもの余裕は消えていた。


「なるほど……我が名を掲げた時点で、テメェらは牙を剥くと決めていたのか」


足元の九字護符が、じりじりと焼けるように黒ずんでいく。

呪屍の存在は、ただそこにいるだけで“術”を腐らせる。

術者にとって、これ以上の天敵はいない。


だが――。


「……面白ぇ」


晴明はわずかに笑んだ。

指を組み合わせ、月を背に印を結ぶ。


「俺の術を食うか……ならば、喰え。

その腹ごと、式神と共に灼き尽くしてくやるよ!!」


コンコンが吠えた。

九尾が広がり、夜空を切り裂く白銀の炎が舞い上がる。

晴明と妖狐の反撃が、呪屍へと叩きつけられた――。



呪屍が吐き出す黒雨は止まらない。

降り注ぐたびに、式神たちの体は千切れ、歪み、悲鳴をあげては灰と消えていく。


「く……っ!」


晴明の眉間に汗が滲む。

次の札を取り出すより早く、その術式は黒く滲んで崩れ落ちた。


〈……無駄だ〉


呪屍の声が、空気そのものを震わせる。

〈我は式を喰らう……お前の魂ごと、すべてを逆呪する〉


「……っ、晴明様!?」

人々の目が恐怖で揺れる。

今まで圧倒的だった“陰陽師”の力が、ただの一手も通じない。


――式神は全て腐らされる。

――護符は触れる前に黒ずみ灰となる。

――結界は、呼吸するだけで穴を開けられる。


術者としての安倍晴明にとって、それは致命。

戦場に立ちながら、既に詰んでいると悟らされた。


「はっ……なるほど」


彼は苦く笑った。


「敗けさせようってかぁ?」


地を蹴るが、足が重い。

すでに魂を絡め取られているのだ。


呪屍の両腕が広がり、黒い紙片が無数に宙を舞う。

それらが文字となり、空間ごと縛り付ける。


〈安倍晴明……滅びよ〉


次の瞬間。

コンコンが苦鳴を上げ、九尾がひとつ、ふたつと崩れ落ちた。

狐火がしゅるしゅると消えていく。


「……! コンコン!」


抱きとめようとするも、その指先さえ黒ずんでいく。

晴明自身が、式神と同じ“対象”として分解され始めていた。


「テメェ……よくもぉっ……!」


視界が、黒い符に埋め尽くされていく。

呼吸も、心音も、呪の海に沈む。


陰陽師・安倍晴明。

最強と謳われた術者が――邪神の“式殺し”の前に、詰まされようとしていた。



「らしくないね、晴明」


耳の奥を掠めるような声に、晴明の血が凍った。

振り返るより早く――空が裂けた。


ごうううっ!と大地を揺らす振動。

蒼黒の魔法陣が夜空いっぱいに展開し、呪符が吹雪のように舞い散る。

その中心から、山をも超える鬼神が姿を現した。


肌は血のように赤く、口からは硫黄混じりの吐息。

一歩踏み出すごとに、大地は震え、瘴気すら後ずさる。


「……はっ」


晴明の口元に驚愕と苦笑が同居する。


「まさか、テメェが……!」


鬼神の肩にまたがり、漆黒の衣をはためかせた男がいた。

芦屋道満――宿敵、裏の陰陽師。

その瞳に宿るのは、不敵で底知れぬ光。


「まさか、僕が君を助けに来るなんて――誰が思う?」


道満は鬼神の肩で不気味に嗤った。

その声は、血の匂いが充満する戦場に異様な軽さを投げ込む。


「晴明。僕はまだ君に勝っていない。そんなやつに敗けるなんて無様を晒してみろ。あの世で大笑いしてあげるから」


「うるせぇ!死んでほしくなかったら――手ぇ貸せ!芦屋ぁ!!」


晴明の怒声が夜を切り裂く。


直後、鬼神が天地を震わすような咆哮を放った。

耳が裂けそうな轟音に、空を覆う赤子たちですら本能的に竦み上がる。


黒き呪と、紅き魔。

光と影が交わり、裂けた空の下で渦を巻く。


かつて敵対した二人――

今、邪神を討つためだけに、肩を並べようとしていた。


鬼神の巨腕が振り下ろされる。大地が裂け、赤子の群れがまとめて潰されていく。

道満はその肩で片手を掲げ、鬼の核と直結する呪を叩き込んでいた。


「見ろ、晴明!これが“鬼神”の力だ!式神の小細工とは格が違う!」


「ほざけ!力だけで押すなら犬でもできる!」


晴明は両の袖を翻し、指先から流れるように印を結ぶ。

瞬間、炎を纏う朱雀が天を裂き、氷を纏った玄武が地を這う。

空と地から放たれる双極の幻獣は、鬼神の暴威と呼応するかのように邪神の赤子を焼き払い、凍てつかせる。


「ふぅん……君の支配下になった四神、また随分と強くなったじゃないか。

祝福代わりに――僕も合わせてあげよう」


道満の声が低く響くと同時に、鬼神の双眸が紅に燃え上がる。


「無駄口叩いてんじゃねえ、芦屋ぁ!」


晴明が指を鳴らす。瞬間、四神の結界が鮮烈な光を放った。


「やれやれ……人の好意を無碍にするなんて、君らしいねっ!!」


道満が嗤い、呪を吐き出す。


鬼神の咆哮と、四神の羽ばたきが重なる。

空気が爆ぜ、鼓膜を揺らし、大地にまで伝わる震動。

夜空はまるで硝子のように割れ、閃光が縦横に走った。


黒と紅。陰と陽。

相反するはずの二つの力が、この瞬間だけはひとつの奔流となって押し寄せる。


「我が友よ――我が四神よ!

悪しき邪神を、共に討ち果たさん!」


朱雀の炎が灼熱の奔流を生み、玄武の氷が雷鳴を伴って大地を凍らせる。

その轟音は赤子の群れを塵に変え、虚空にまで響き渡った。


「君、今……僕を“友”って言った?」


道満の声は、黒い呪気に溶けながら低く響いた。


「あァ?お前の鬼神が煩くて、なーんも聞こえねえよ!」

晴明は鼻で笑い、指先で印を結ぶ。


「ふふ……君は一度、死ねばいいと思うよ」


「黙れ」


短く吐き捨てた瞬間、四神の咆哮が轟く。

朱雀の炎が天を焦がし、玄武の氷が大地を裂く。

白虎の爪が雷を呼び、青龍の咆哮が風を切り裂いた。

その背に、鬼神の黒き咆哮が重なり、空気そのものが震え上がる。


「……ま、そろそろカッコつけとくか?なぁ、芦屋」

晴明が煙を吐くように言い捨てる。


「あぁ……そうしようか。――晴明」

道満の口元が嗤いに歪む。


光と闇、陰と陽、四神と鬼神。

相反する力が一線に並び、迫り来る邪神を打ち返す光景は、まるで天地を二分する戦神の軍勢のようだった。



「四神――全霊を解き放て!」


晴明の叫びに応じ、朱雀が翼を広げて蒼穹を炎に変える。

玄武が地を割り、氷塊を天へと突き上げる。

白虎が雷光をまとい、稲妻の轟きで夜空を裂く。

青龍が旋風を巻き上げ、嵐の牙を振り抜いた。


「鬼神よ――吠え猛ろ!!」


道満が呪を叩きつけると、鬼神は全身を紅黒に燃え上がらせ、拳を振り下ろした。

その衝撃波は大気を焼き切り、地平線までも砕き飛ばす。


轟音。閃光。熱風。

四神と鬼神、陰と陽が一点に交わった瞬間、世界そのものが悲鳴を上げた。


「ぐぉおおおおおおおッッ!!!」


邪神の赤子どもが一斉に咆哮する。

だが、その声は次の瞬間、炎と雷と氷と風と呪の奔流に呑み込まれた。


血のように赤い光が、夜空を裂いて散った。

黒い影が焼き尽くされ、断末魔すら残さず、塵と化して消え失せる。


「やれやれ……終わったな」


晴明は荒い息を吐き、汗を拭う。

彼の背後には、なお燻ぶる四神の残光が漂っていた。


「フフ……随分と格好つけたじゃないか。まるで僕と並ぶ英雄のようにね」


道満は鬼神を霧散させながら、いつもの不敵な笑みを浮かべる。


「うるせえよ、それと……二度と聞けねぇだろうから言っといてやるよ。助かったぜ、芦屋」


「どういたしまして……晴明」


ふわりと、夜の風が二人の間を抜けていった。

朱雀の炎の残り香と、鬼神の呪が焼き付けた焦げ臭さが混ざり、胸の奥まで熱を残す。


光を背負った陰陽師と、闇を纏った陰陽師。

かつて相反していたはずの二人が、今は同じ地平に立っている。


互いに視線を交わす。

言葉はいらない。

その眼差しに、長きにわたる因縁も、死線を越えてきた誇りも、全てが滲んでいた。


ごつり、と拳がぶつかり合う。

その音は小さい。だが、戦場に響くどんな咆哮よりも確かだった。


風が再び吹き抜ける。

二人の影は並び、夜空に溶けていった。

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