第455話「青き蟹、女神の祝福を授からん」
砂漠の砂でできた灼熱の帝国――スフィリア。
かつては金色の砂と煌めく陽光が織りなす繁栄の都だった。だが今は違う。
太陽は黒き雲に覆われ、空はひび割れたように灰色に沈む。
灼熱の風が吹き荒れても、熱はなく、ただ乾いた砂と血の匂いを巻き上げるばかり。
宮殿は影に飲まれ、街並みは黒い瘴気に蝕まれていく。
王国の象徴だった煌びやかな装飾も、砂嵐に打たれ剥がれ落ち、今や廃墟同然だった。
だが、その中心に。
ただ一人、仁王立ちする戦士がいた。
砂漠の風をその身で切り裂き、背を屹立させ、黒き空を睨みつける。
纏う甲冑は幾度の戦いで砕け、裂け、焼け焦げていた。
それでも、眼差しは折れていない。
焼けつくような視線は、荒れ果てたスフィリアそのものを背負い、なお戦い続ける意志の証だった。
砂を噛む音。
血を舐める風。
焼け付いた空気の中で――その戦士だけが、確かな「生」を放っていた。
「来いよザッコォォォ!!!」
砂漠の中心で吠える男。
その名はユーゼフ――人が「人災」と呼ぶ存在。
全身に纏ったのは、蒼き蟹を模した異形の鎧。
甲殻のような重厚な装甲は、太陽すら遮る瘴気の中で鈍く輝き、見る者に絶望を刻み込む。
右手に握られた戦斧は、常人なら指先で触れるだけで骨が砕けるであろう質量。
それを彼は片手で軽々と振りかぶり、地面に叩きつけると――轟音と共に大地が裂け、砂が噴き上がった。
「ははっ!ビビってんのかァ!?俺を倒せるもんなら来いやァ!!!」
その挑発は咆哮というより、災厄の宣告。
空気すら震え、瘴気の赤子たちが怯むように一瞬後退する。
だがユーゼフの笑みは止まらない。
狂気と豪胆が同居するその眼光は、まさに「人災」と呼ぶにふさわしい光を宿していた。
「いい調子ね、ユーゼフ!」
ノルンの三女神が一柱となった姿――未来と運命を紡ぐ女神が、天より声を響かせた。
その美貌と威光が重なり、戦場の空気が一瞬だけ清められたように感じられる。
「おうおう!美人の支援がありゃ、俺は無敵だぜぇ!!」
ユーゼフは血と砂にまみれた顔を歪ませ、狂気にも似た笑みを浮かべた。
片手の戦斧を振るうたびに、砂漠の大地が爆ぜ、赤子たちが粉砕されていく。
「おらぁ!どうしたァ!?俺に近づくだけで命が惜しくなったかァ!?」
叫びと共に飛び散る血飛沫は熱砂に蒸発し、赤黒い煙を上げた。
その狂気じみた咆哮に、赤子の群れが怯む――人の咆哮で後退するなど、誰が想像しただろうか。
女神は小さく微笑んだ。
「ならば――ルーンの加護もおまけするわ。命を賭して戦いなさい!」
天より降り注ぐ光が、ユーゼフの背に刻印を浮かび上がらせる。
紅く輝くルーンは彼の筋肉を強張らせ、血流を沸騰させるかのように熱を帯びていく。
「ぐははははッ!上等だァ!!
運命の女神にまで後押しされちまったら、もう止まんねぇぞォ!!」
狂笑と共に振り下ろされた戦斧は、まるで流星のように砂漠を貫き――
赤子たちをまとめて両断した。
灼熱の砂嵐が吹き荒れる戦場に、血塗れの巨影が立っていた。
「ひぃ……ひぃ……」
ダゴンの子飼いが、異形の巨体でありながらも、じりじりと後退していた。
クトゥグァの炎の眷属さえも、灼熱を纏う腕を震わせる。
「おらァ!もっとかかってこいやざぁぁこ!!」
狂気の咆哮と共に振るわれた戦斧は、まるで雷鳴。
ひと薙ぎで数十の眷属をまとめて粉砕し、血と炎の飛沫が砂漠を赤黒く染め上げる。
「おいおい、神サマの子分ってのはそんなモンかよォ!?
ちったぁ楽しませろやァァ!!」
斬撃の余波で砂丘が崩れ、熱風が巻き上がる。
生き物ならば背筋を凍らせるような惨状を前にしても、ユーゼフはなお笑う。
その笑みは、戦士のそれではなく、破壊を歓喜する“天災”そのもの。
「きひひひ……!」
赤子たちが奇声をあげて群れをなす。
だが――
「まとめて潰れろやァァァ!!」
戦斧が地面に叩きつけられた瞬間、轟音と共に砂漠が陥没する。
砂煙と血煙が入り混じり、視界を覆う。
その中心で、ただ一人仁王立つ巨影。
「ダンゴだろうがククルカンだろうが関係ねェ!
俺にかかりゃァ全部ミンチだァ!!」
血に濡れた顔で嗤うその姿に、眷属たちの群れが本能的に怯え、動きを止めた。
神々の恐怖を糧とする存在が、人間一人に怯むなど――誰が想像できただろうか。
「行くぞォ……次はテメェらの番だァ!!」
砂漠を震わせる咆哮と共に、ユーゼフの無双劇は続いていく。
「私たちも負けてはいられない……!
ライルの与えてくれた光のマナで、ラグナロクの頃よりも調子がいいんだから!」
女神の声は夜空を震わせ、時をも超える力が波打った。
ノルンは空中に座す。
眩い閃光を浴びたその姿は、ウルズの過去、ヴェルザンディの現在、スクルドの未来――
時の流れそのものが掌で絡まり、凝縮し、神域を超えて解き放たれた一人の女神だった
「滅びのルーンよ!!」
蒼き宝石が輝く。
光は瞬時に大地を駆け抜け、赤子たちの群れを、眷属たちの影を、次々と“時間の果て”へと吹き飛ばしていく。
ギシギシと骨が軋む音。
肉体が加速しすぎて朽ち果てる音。
まだ生きていたはずの存在が、一瞬で老い果て、砂塵となって崩れ去った。
過去・現在・未来を同時に喰らうその光景は、破壊の極致にして、救済の奇跡。
「おおおおぉぉぉっ!!!」
ユーゼフの戦斧が響き、ノルンのルーンが交差する。
二人の力が絡み合うと、赤子の群れは堰を切ったように崩れ落ちた。
夜空を裂く轟音と、地平を照らす蒼光。
砂漠の戦場は、もはや神話の終末を思わせる光景と化していた。
「ひゅう!やるぅ!流石女神様!」
戦斧を振り抜き、飛び散る血潮を浴びながら、ユーゼフは豪快に笑った。
「あなたもね、ユーゼフ!
さあ、敵はまだまだ湧いて出るわよ……!イングラムたちに負けていられないわ!」
ノルンの声は、時の女神としての荘厳さと、戦友を鼓舞する熱が入り混じっていた。
「もちろん……サポートよろしくぅ!
その分全力でぶちのめせるからなぁ!」
戦斧が大地を砕く轟音に、女神の蒼光が重なる。
爆ぜる砂塵と焦げた肉の匂いの中で、二人は背中を預け合った。
片や、人の身でありながら人災と恐れられる男。
片や、時を操る神々の象徴。
常識では交わらぬ二つの力が、今はただ「守る」という一点で重なり合い、戦場を塗り替えていった。
赤子を一薙ぎに吹き飛ばすたび、轟音と砂煙が街を覆う。
その中心で戦う男の名を、人々は確かに知っていた。
――ユーゼフ・コルネリウス。
かつて「人災」と呼ばれた男。
一人で軍を潰し、一国を混乱に陥れた悪名は、世界のどこへ行っても子守唄にすらされた。
「夜更かしをすれば、コルネリウスが来るぞ」と。
だが今。
子を抱え逃げ惑う母親が、その背に希望を抱いていた。
兵士たちは「援護するぞ!人災を守れ!」と剣を掲げた。
「ひゅう……聞いたか女神様?人災が、英雄に格上げだぁ!!」
ユーゼフは戦斧を担ぎ、血に濡れた顔で笑った。
彼女は静かに笑みを返す。
「ええ、とっても素敵よ!」
ノルンの女神が、輝くような笑みで叫んだ。
「今あなたは、人々を勇気づけている……!誇りなさい、ユーゼフ!」
かつて世界中に恐れられた咆哮。
それは都市を震わせ、敵も味方も区別なく恐怖に陥れる“人災”の象徴だった。
だが今、その声は違った。
戦場に響き渡るそれは、炎を絶やしかけた心を再び燃え上がらせる、確かな“希望の雄叫び”だった。
赤子の群れすら怯んで足を止める。
民衆の耳には、雷鳴よりも鮮烈に、胸を貫く真実の響きとして刻まれた。
「よぅし!このユーゼフ・コルネリウス様が──このスフィリアごと守ってやる!この女神様と一緒にな!」
天を突くほどの豪声が、灼熱の帝国を揺るがす。
砂塵が震え、兵士たちの眼に一斉に光が戻った。
剣を折られた者も、膝をついていた者も、皆が顔を上げる。
「オメェら!自分の身と家族最優先にして戦えやあああああ!」
その言葉は命令でも教義でもなかった。
ただの人間らしい、血の通った叫び。
だからこそ、兵士も民も胸の底から震わされる。
「「「おおおおおおーーーー!!!」」」
怒涛の咆哮が戦場に轟いた。
かつて「人災」と呼ばれた男の声が、今は確かな“英傑の鬨”として大地を震わせていた。
砂塵を割って押し寄せるのは、なおも止まぬ赤子の群れ。
燃え立つ瘴気が視界を覆い、熱と悪臭が人々の肺を焼く。
どれだけ屠っても、際限なく湧き上がる。
「きひひひ……おぎゃあああ……!」
狂気じみた産声が、戦場を呑み込もうとする。
まるで大地そのものが、邪神の胎内へと変じてしまったかのように。
だが。
「よぅし!まだ来やがるか!望むところだぁ!」
ユーゼフの咆哮が、再び轟いた。
その声に呼応するように、剣を握り直す兵士たち。
盾を構え、矢を番え、震える膝を叱咤する。
誰もが知っている。勝てる保証などないことを。
それでも――
恐怖に呑まれる代わりに、胸の奥で燃やすものがあった。
守るべき家族。
並んで戦う仲間。
そして、声を枯らす英雄の背中。
「「「おおおおおおーーーー!!!」」」
再び轟く鬨の声。
赤子たちの叫びに呑まれることなく、希望の雄叫びが拮抗する。
敵はなお強大。
だが、人々はもう絶望に屈してはいなかった。
それが、この灼熱の帝国に生きる者の誇りだった。




