けじめ
最終話を投稿したはずだったんです!
新作を投稿しようと思って確認したら最後2話がなかった!
読んで下さっていた方、大変申し訳ありませんでした。
天和三年の晩秋、鄭大成とその父母は日本の地、長崎に上陸する。
大成は、一旦父母をここの唐人街の知り合いに預かってもらうことにした。
理由として、父親はもともと日本のサムライだが、その武士の矜持とやらがこの期に及んでも日本の地は踏めぬと子供みたいなことを言わせているからであり、母親のほうは、偉大な父・鄭成功の故郷でそれなりに日本語が話せるとはいってもやはり外国の地であるからある程度風習などにも慣れておく必要があったためである。
特に父親に、自分が戻るまで覚悟を決めておいてほしいと懇願し、大成は速やかに出立した。
行き先は江戸。最後のけじめを付けに行くのである。
途中、懐かしき人の墓に参る。小倉藩元家老・宮本伊織。かの大剣豪・宮本武蔵の養子であり、大成が日本に来たばかりのころ世話になったが、甲府宰相様と同じく延宝六年に没していた。
「伊織殿。情けなくもまた戻ってまいりました。お会いできずに残念でござる……」
案内してくれた細川藩藩士、大成と剣を交えたことのある大川殿が一緒に手を合わせている。ずいぶんと慕っていたようであった。
墓参を終えるとすぐに辞し、目的の江戸に向かう。
やはり長崎屋の船を使ったのか、年が明ける前に江戸入りした。
「ご免、柳沢殿に面会の儀がござる」
芝愛宕下の武家屋敷。今や幕臣となり、小納戸役に任ぜられた柳沢殿の新しい屋敷であった。
大成は夜更け、何の手続きも踏まず、門を叩く。
眠そうな顔で出てきた門番が、大成の身なりを見て舌打ちする。日本では相変わらず編笠の浪人姿であった。
小納戸役は御目見が許された旗本の役職で、それでなくとも主人である柳沢様は公方様の側近ともいえる。そんな方が浪人風情に、しかもこんな夜更けに会うはずがない。そう門番は大成をなじった。
しかし大成がそんなことで怯むワケが無い。
「柳沢殿存知よりの者でござる。拙者の風体と、書状の件と主殿に伝えてもらえばわかる」
「しかし……こんな夜更けに……」
「重ねて申すが、拙者柳沢殿存知よりの者。後日そなたが取り次がなかったことが判明すれば面倒なことになるやも知れぬ」
「わ、わかりました……」
門番は大成の脅しに屈する。そそくさと中に引っ込んだ。
大成は小雪舞う暗闇の中、しばらく待たされる。
「なに? 六尺ある編笠の浪人……書状だと? まことにそう申したのか?」
「はい。門番がそう申しておりました」
門番の報告は何人かの家臣、用人の口を経て、最終的に正しくこの屋敷の主の耳に入った。
「如何致しまするか? 目に余らば手勢を繰り出し――」
「いや待て。存知よりと申したのであらば捨てても置けぬ。会おう」
就寝の準備が整っていたが、柳沢殿は人相風体に心当たりがあった。忘れることのできぬ人物である。
「しかし、かような時刻に不逞の輩を邸内に引き入れては、万一のことがあっては……」
「いや、会う。会わねばならぬ」
用人たちの制止は至極尤もであったが、少なくとも本人確認と来訪目的は確かめねばならないと考えた。
書状という言葉を聞いたからには放っておけない。天下が覆ることもありうる。
四半刻後、大成は門内に通された。
「腰の物を預かる」
「柳沢殿の指示か?」
「当家の仕来りでござる」
「……よかろう……」
大成は用人たちの指示に従い、大小を預ける。仕来りと言いながら自分たちはしっかりと帯刀しているのがおかしかったが、殊更異議は申し立てなかった。
広い座敷に案内される。
対面するにも主客の距離を気にしてのことだろうと大成は苦笑する。刺客か何かだと思われているのは明白であった。
大名屋敷の謁見の間とまではいかないが、二十畳はある。主客の距離は四、五間。飛び道具でも使わなければまず安全だろう。
しばらく待たされる。おそらく襖という襖の後ろに得物を手にした家臣を配置しているのだろうと再び苦笑した。
「待たせた……おお。やはりご使者殿……」
「しばらくでござる」
「まったくでござる。息災でありましたかな?」
「おかげさまをもちまして」
用人、家臣を何人も引き連れて柳沢殿が入室してきた。
第一の用は済んだようで、大成の顔を確認すると親しげに声をかけてきた。用人は少々驚いていたようである。
が、まだ来訪の目的が判明していない柳沢殿は予定通り大成の正面上座、かなり離れたところに座を据える。
「かような刻限にお一人でご来訪とは、如何なるご用件で?」
柳沢殿は遠まわしな手は使わず、ズバリと尋ねる。裏の裏まで内情を知られている大成相手に小細工は必要なしと見たのであろう。聡明な方である。
「ご出世なされたようで、まずはお祝い申し上げる」
「お、おお。これは痛み入り申す……」
逆に大成がはぐらかす。柳沢殿も負けずに対応した。高度な駆け引きが展開されている観を呈している。
しかし、その実、大成には深い考えは無かった。
「お祝いというわけではないが、これをお渡ししたい……」
そう言って大成が懐に手を入れる。
一瞬空気が緊張を孕む。用人、家臣は腰に手がかかった。
「それは……」
大成が取り出したのは一通の書状。
今度は安堵した空気が流れる。
「お改めくだされ」
大成が目の前の畳の上に置いた。家臣の一人が恐る恐る大成に近づき、書状を手に取る。そして柳沢殿に届けた。
「こっ、これは……皆の者、下がれ」
中味を見た柳沢殿は一瞬で書状を伏せる。蒼ざめていた。
「殿! なりませぬ! 何が起こるかわかりませぬ!」
「ええい! 下がれ! ワシに腹を切らせる気か! 外の連中もだ! この部屋に誰も近づくでない! 下がらぬか!」
「はっ、ははーっ!」
用人の諫止は役に立たず、逆に普段は出さないような大声を出させてしまったようだ。用人、家臣たちは慌てて平伏した。
殿の命には逆らえないと、急ぎ部屋を出て行く。
それでも柳沢殿は不安らしく、各襖を次々と開け、家臣が余計な気を使って潜んでいないかを確認した。
無人であることを確認し終わると、柳沢殿は大成の目の前、手の届く距離に座る。自分の命は度外視した態度であった。
「ご使者殿。これは一体……」
柳沢殿は声を潜め、握り締めた書状を大成に突きつける。
それは彼の年、館林宰相であった現将軍徳川綱吉公が明国に宛てて書いた、援軍を承知したという念書である。
当時次期将軍と目されていた三兄の甲府宰相・徳川綱重を謀殺したとも取れる内容が書かれていた。家臣といえどその存在すら知られるわけにはいかない。
世に出れば将軍職失脚の恐れもある。天下大乱の火種になることもありえた。その危険性を承知で大きな賭けに出たのだ。
露見した場合は柳沢殿の独断ということにされ、綱吉公本人は知らぬ存ぜぬということで決着されるはずなのだが、どう転ぶかは誰にもわからない。
「言葉どおり、お返し致す」
「いや、ありがたいが、何故……」
「貴殿たちは賭けに勝ち、拙者たちは負けたのでござる」
その言葉に大成の心境が集約されている。
明国は完全に終わりだと、若き闘士は判断していた。
であれば、この念書は無用の長物。いや、それどころか新たな災厄の火種になるかもしれない。
自分一人ならそれでも構わぬが、お春や私に危害が及ぶことを大成は恐れていた。
そして単身江戸に乗り込んだのは、途中大阪のお春のところに寄らなかったのも同じ理由である。
敵ではないかもしれないが、相手の秘密を知っている人間が、切り札を差し出そうとは、口を封じられても構わないと言っているようなものであった。
「……援軍の件、一度東寧国に打診したのだが、断ってきたのでどうするつもりかと訝っていたところだったが……」
その発言で、少なくとも柳沢殿は約定を反故にするつもりは無かったのだと大成はわかった。疑ったことを恥じ、思わず苦笑する。
「お恥ずかしい次第でござる。賎人には手を焼き申す」
「では、明国は……」
「先日、台湾の鄭家も清国に降り申した。拙者の役目もこれまで」
「そうでござるか。昨年、朝鮮通信使から呉三桂なる者の勢力が討ち取られたとは聞いていたが、台湾も……」
「大言壮語した手前、赤面の至りでござる」
「いや……しかし、それにしても、何故拙者にこれを? どこの大名も高値で買うであろうに」
「いや、それは思いつきませなんだ。しかし、拙者は商売下手でござってな。貴殿は才覚者ゆえ、存分に儲けてくだされ」
大成は笑った。冗談と承知の柳沢殿も呵呵大笑する。広い座敷、それも襖がすべて開け放たれた部屋で、一種異様な光景であった。
「……これがなければ、貴殿はただの異国人。いや、一介の素浪人でござる。いつ命を落とすことになるかわかりませぬぞ……」
柳沢殿は、口封じを匂わせた。
大成、少しも動じることなく答える。
「拙者一人の命で済むなら本望にござる」
大成は『一人』という言葉に重きを置いた。言外に、お春は、おそらく私も含めて、余人は見逃してくれと懇願したのであろう。
それが大成の言う『けじめ』であった。
「……すでに国外に出た者をわざわざ討ち取りに出るのは、国禁に触れる。幕府はそれほど愚かではない」
「かたじけない……」
大成は、身命を賭した頼みを無条件で聞き入れてくれた柳沢殿に頭を下げる。
涙が滲んでいた。
「頭を上げられよ、ご使者殿。いや、ご浪人殿」
「お心遣い、感謝いたす」
「どうでござる? 再開を祝し、一献参ろうか」
突然柳沢殿が酒宴を提案してきた。
流石の大成も面食らう。
「いや……ありがたいが、ご辞退申し上げる」
「……そうでござるな。この屋敷の酒は飲まぬほうが良いな」
「い、いや。左様なつもりは……」
過去の毒殺に引っ掛けた柳沢殿の戯れであった。見事に大成は一本取られる。
二人は再び笑い合った。
「……では、拙者はこれで。夜分にご無礼仕った」
一頻り笑った後、大成は辞去を申し出た。
「……そうか。立場上引き止めまい」
柳沢殿は承知し、大声で家臣を呼ぶ。
その声を主の危機だとでも思ったのか、火事場に駆けつける如き勢いで家臣が集まってきた。中には刀を抜き払っている者もいる。
「痴れ者! 客人のお帰りじゃ! 仕舞え!」
殿様にまたしても叱られた家臣たちは、ここでやっと大成を客と認めたようだ。これ以上お叱りを受ける前にと、大成の手に大小が返される。
柳沢殿は家臣たちを再び下がらせ、自ら大成を玄関口まで送った。
その間わずかだったが、大成はあることを尋ねる。
「時に、これが本当の最後になるだろうからお尋ねするが……」
「何かな?」
「先代将軍の死因は?」
「……聞かぬが華、知らぬが仏と下世話にも申しますぞ」
「……なるほど。もっともでござる」
それ以上二人とも言葉も無く、大成は柳沢邸を無事に出る。本当の最後に、大成が一言付け加えた。
「これからもご出世なされませ。貴殿ならできる気が致す」
「いや、これは滅相も無い……」
後年、大成の言葉どおり、柳沢殿は綱吉公の御側御用人となり、将軍綱吉公の名の一字を拝領するほど、その権勢は老中をも越えるものであった。
大成の勘は鋭いといわねばならぬ。もしかしたら、柳沢殿は先ほど返上した書状を畏れ多くも将軍様相手に取引材料として使ったのかもしれない。
これは余談。
門が閉められると、急に静かになった気がした。
《使っていないか……》
大成は、先ほどの短い会話、先代将軍・家綱公の死因について考えていた。
柳沢殿、或いはその主である当時の館林宰相様が甲府宰相様だけでなく、当時の将軍様まで毒殺したのではないかという疑念がある。
だが、甲府様の死から四代様の死までは二年近くの開きがあった。
もし館林様をもっと早く将軍職に就けたければ、その間隔は短くすることもできたはずである。
毒を盛る機会が無かったといえばそれまでだが、次期将軍の順番が変った以上、おとなしく待ったほうが賢明だと、あの主従は判断したに違いない。
が、これも『もし』の話になるが、もっと早く五代様の天下になっていて、大成の師父・陳永華の存命中、そして呉三桂の周国陥落前に日本からの援軍が手配できていたら、中国の情勢はまったく違っていたかもしれない。
大成はそう考えた。
《いや、よそう。すべては終わったことだ……》
小雪舞う夜道。明かりも無いが大成は一人黙々と歩き続けた。
◇◇◇◇
「先生! 私はてっきり、犬公方と側用人が口封じに先生たちを亡き者にしようとしたんやないかと心配してたんでっけど……」
政太夫が口を挟んできた。町育ちの若者らしく、物怖じしない言い方で。
「そないなことになってたら、私はとっくに死んでますがな」
「そらそうでっしゃろけど……もっとこう……」
このくだりに政太夫は納得がいっていない、あるいは物足りないといった感じであった。
わかる気がする。
「……犬公方やら側用人てのは悪モンの親玉でっしゃろ? なんや、拍子抜けいうか、がっかりですがな」
「……私に斬り合いでもしてほしかったんですか?」
「いやいや! とんでもない!」
「どアホ!」
私の冗談に、必死に首と手を振る政太夫。そして堪りかねて政太夫の頭を小突く座長の姿が滑稽であった。
私も夜遅く起きていたせいか、精神が高ぶっている。
しかし、脱線し過ぎてはかなわないと、二人をなだめることに。
「まあまあ。私も冗談で言ったことです。座長はン、堪忍したって。政太夫はン、あんさんの言うこともようわかりますよって」
「わかってくれますか?」
「はい。確かに五代はンは怖い方でした」
五代将軍綱吉公の治世は総じて悪政と思われている。代表的なのが一連の生類憐みの令の施行だった。
世間から犬公方と陰口を叩かれることからもそれがわかる。
しかし、ほんの数回だが直接顔を合わせた私は、命がまだあることも合わせて、どうしても憎めないのだ。
そもそも悪政というよりは失政というべきだろう。
館林藩の主従には兄君を亡き者にしてまで将軍になろうという強い意志があった。四代様のころ傾きかけた将軍の権威を立て直そうという意欲的で積極的な政策にも、その気持ちが溢れていると私は見る。
ただ施行時期と運用方法に問題があったといわねばばらぬ。儒教的理想を追い求めすぎたといってもいい。
なにより、敏腕官僚の堀田様が殿中で刃傷沙汰に遭い、命を落としてしまったことが言葉どおり致命的だった。
人は堀田様が五代様の将軍就任に功があったため、それを疎んじた五代様の謀略で殺されたと噂するが、裏の真実を知っている私にはそうとは思えない。
堀田様の死の前後で善政と悪政にきっちり分けられているのが証拠である。的確に政策を実行できる人間がいなくなっただけだ。
まことに惜しい人物を亡くしたものだ。それもあまりにも早すぎた。
失礼ながら、五代様も柳沢殿も、人となりはともかく、行政手腕に問題があったのは間違いない。が、それでも私たち、浄瑠璃や歌舞伎の世界は元禄のころ大いに文化面を発展させることができた。五代様のおかげといっても良い。
「なるほど……悪いお人やなかったいうことですか……」
「こうして私らが小屋をかけて浄瑠璃を語れるンも、ということでっか……」
私の拙い政治に関わる説明で、何とか二人も納得してくれたようである。勿論この場だけで他言無用とは付け加えたが。
「断言はできませンけどな。少なくとも私はそう考えてます」
「はあ……」
納得はしたが、興味はないといった表情である。時間ももう遅かった。
次話が最終話となります。




