大団円
何の因果か、というか、確認作業を怠ってしまったため、半年近く穴を開けてしまいましたが、ようやく完結いたしました。
次回作は、内容も当然のことながら、こまめにチェックしていきたいと思っております。
それでは最後までお付き合いください。
硬い政治の話題はこれまでにして、大成の話に戻そう。
年が明けて天和四年。
二月には改元され貞享元年になったが、この年は私たちにとって忘れられぬ年になる。
「父上、大成はいつ戻るのじゃろ?」
「さあな。台湾も落ちたというから、まもなくだろう」
私を父と呼ぶのにもすっかり慣れたお春が、口癖のようになった質問をしてくる。
ここは大阪のとある町屋。
最近『近松門左衛門』と名を変えた私は、お春と二人で暮らしている。戯作を書いているため、ほとんど家から出ることは無い。
来たばかりのころはそれなりに怪しまれたりもしたものだが、最近は戯作者として名が売れてきたため、近所の目も気にならなくなる。月代も剃り、きちんとした身なりで日々を過ごしている。
逃亡者としては如何なものかとお春と二人苦笑していた。
大成について、中国情勢については、正式なご公儀の発表はまだだったが、長崎屋を通じての天地会からの報告がお春の耳に届いていた。勿論私にも。
台湾が落ちたとあらば、大成の仕事も無くなる。そう私は見ている。無論、命がまだあればだが。
お春の前で口にできるはずも無く、また、私も私で、あの大成が死ぬなどとは露ほども思っていない。待つことしか私たちにはできないと、そのことをお春が話題にする度に言わなければならない毎日であった。
正月。松の内も過ぎたある日、訪問者があった。
「ご免。門左衛門殿のお宅はこちらかな?」
「大成!」
お春が二六時中思い焦がれていた人物であった。顔を見なくとも声でそうとわかる。
お春は表戸を勢いよく開け放つと、その人物に飛びついた。
まったく、若い娘がはしたない。
私はそう思ったが、自然笑顔になる。
「は、春か? 大きくなったな……」
大成がそう言うのも無理は無い。二人が別れてから足掛け七年経っていた。すっかり町屋に馴染んだ姿だ。もう振り分け髪などではなく、当節流行の勝山髷にきちんと結っている。浪人の娘らしく。
お春ももう十八歳。番茶も出花、という歳になる。加えて、流石は高貴な生まれ、何ともいえない品がある。実に美しく育ったものだ。
といっても、少し行き遅れだろう。
無論、事情が事情だけに安易に嫁がせるつもりはなかったが、不思議と縁談話も来なかった。漢人の血か、五尺二寸、いや三寸はある。私とほぼ同じ背丈だ。それが美しくとも世の男どもに敬遠される理由なのかもしれない。
だが、大成と並ぶと、見事な一幅の絵になる。
いつまでも眺めていたい気もしたが、ふと我に返る。
「ゴホン……結城殿。まずは入られよ。話はそれからだ。お春、いい加減にしないか。お天道様の下だぞ」
「……はーい、父上……」
「うむ。これは恐れ入る。ではご免」
幸い通りに人気は無く、私たちは安心して中に入った。
「義兄上。長いこと面倒をかけた。すまない」
狭いが座敷に案内し、座につくと大成は平素の口振りに戻る。相変らずでホッとした。
「いやなに。お主も無事で何より」
この場合、以前とは立場の違ったお春は私の隣に座り、大成と向かい合って話を聞こうという姿勢である。
生きて戻ってくれただけで良い。その気持ちが伝わってくるほど、無言で大成を見つめていた。
「義兄上に礼も言わねばならぬが、春。いや、永寧公主! この鄭大成、力及ばず、ついに明の復興は叶わなかった! この無能者を罰してくだされ!」
大成は畳に額を擦りつける。本気で謝っていた。
驚いたのはお春である。慌てていざり寄った。
「大成! 何を言う! 明などどうでもよい! わらわは大成がいれば、大成と一緒に居られればそれでよいのじゃ!」
お春はついに泣き出してしまった。
しゃべり方も、大阪に住まうようになってからは町言葉にもだいぶ慣れていたはずなのだが、もとの妙な武家言葉に戻ってしまっている。
「わ、わかった。泣くな、公主。いや、春麗……」
型どおり、明の使者としての立場で姫様に挨拶する大成であったが、お春の求めていた展開ではなかったらしい。すっかり様変わりしたお春に、さしもの大成もどう扱ってよいか戸惑いを隠せないようであった。
その点私は養父の演技が長く、習い性となるの古き教えどおり、今ではどこに行っても親子で通る。
「まあまあ。せっかく久方ぶりの対面だ。堅苦しい話は無しで、いつもどおり、旅の土産話ということで語って聞かせてくれ」
この年、三十の坂を越えていた私は、年長者として振舞う。
お春もようやく泣き止み、大成はさぞホッとしたことであろう。
大成の長い話が始まった。
私とお春は手に汗握りながら聞いている。大陸で昆明城が陥落したくだりや、台湾で奸臣どもに捕まり、牢に入れられたくだりにはハラハラさせられた。
こうして大成本人が目の前に座っていても、思わず足がついているか確かめたりもしたものだ。
「……それでよくもまあ無事で……」
私は驚くやら呆れるやら、まさに筆舌に尽くし難い。
「……すべては終わったことだ……ただ……」
「ただ、何だ?」
「ジジ様のことだ。結局置いてきてしまった……」
鄭成功は、孫を逃がすため一人混乱の昆明城に残った。そして僧形になり、影から反清復明の活動を支える覚悟を決めたという。
頭では理解していたが、納得できない。そんな感想を漏らす大成であった。
「……出家したというのであろう。ならば俗世の我々が口を出すべきではない。お主も今からお春を残して出家するつもりは無かろう」
「それはそうなのだが……」
まだ納得できないという大成の表情に、お春は、また置いて行かれないだろうかと心配になったらしい。大成の腕にしがみついた。
「ゴホン……」
七年前なら放っておけたが、妙齢の女が取る態度ではない。思わず咳払いする。私も娘を持った親の気持ちがわかるようになったものだ。
「ま、まあ、それはともかく、よかったではないか。これで晴れて両親たちと暮らせるのだから」
私は話を変えた。
大成と柳沢殿との取引、いや、柳沢殿の温情についてである。
今後、殊更過去の謀議を口にしなければ、名前を変えて普通に暮らしていける。今の私たちにとって何よりの吉報であった。
「そんなことより大成、約束は覚えておるな?」
せっかく話題を変えたというのに、お春はまだ大成の腕を取ったままである。
流石に怒鳴るわけにもいかず、私はオロオロするばかりである。大成も同じようなものであった。
「や、約束?」
「嫁にすると言ったではないか!」
「あ、ああ……言ったな……確かに……」
姫様ということは置いておいても、それなりの教育はしてきたつもりであった。これではまるっきり蓮っ葉な、莫連ではないか。
「お、お春。は、はしたないぞ……」
「信盛は黙っておれ!」
とうとう父上から呼び捨てに戻ってしまった。七年前の情景がまざまざと思い浮かぶ。
「大成! 嫁にするのかしないのか! どっちじゃ!」
ここまで来ると、はしたないというよりは勇ましい。どちらにしろ妙齢の女に使う言葉ではなかったが。
大成も観念する。
「わ、わかった。する。嫁にする……」
「よし! それでよい。あー、これで一安心じゃ。ん? どうした? 父上も大成も、口が開いたままだぞ」
私も大成も二の句が告げなかった。
部屋の外はよい天気である。春も近いはずだ。
◇◇◇◇
「……これでお仕舞いです。長々とつきあわせましたなあ……」
大阪道頓堀の茶屋の二階では、私、近松門左衛門による人形浄瑠璃『国性爺合戦』で、初代義太夫の後継者である竹本政太夫が見事大評判を取ったことに端を発する、国姓爺にまつわる昔語りが夜を徹してなされていた。
時刻はまもなく明け六つ。冬のことで辺りはまだ暗いが朝になっている。
昔語りの語り手は私。
聞き手は竹本座座長の竹田出雲と政太夫の二人きりである。
初夜から始められた長い長い話だったが、合戦あり、陰謀ありで二人とも興奮が抑えきれぬようであった。つい最後まで語ってしまう。
若き日の講釈師の気分をこの歳になって再び味わうことができた。二人に感謝しなければならない。
話は終わったのだが、二人は興奮冷めやらぬようで、さらに詳しくと質問をぶつけてきた。
この分ではお天道様が上ってしまう。
「先生。その後鄭成功はどうなったんですか?」
「二人は夫婦になったンでっか?」
「長崎の大成はンの両親は?」
こんな調子で、うまくまとめたと思っていた私の昔語りも追加を余儀なくされる。仕方ないことだ。
「まあまあ。そう興奮せんと……」
私は手を上げて二人をなだめる。二人は渋々と腰を下ろした。
「……そやなあ。鄭成功はンについては結城はン、大成はンもその後はわからないようです。歳からいって今も生きているかは難しいでしょうなあ」
「そ、その大成はンは姫さンとどうなったんでっか? やっぱり浄瑠璃の通り唐の国へ帰ったんで?」
「はい。とりあえず大成はンと長崎に戻りました。お父上とお母上がおりましたからな」
「そ、それで?」
「それで、お二人は約束どおり夫婦になりまして、名を変え、紅屋を営み、お子も四人も授かったそうです……」
「べ、紅屋……」
「はい。紅屋です」
「おとんが六尺の大男で、おかんがお春って名の大女、それで紅屋で子が四人て……まんまウチやないですか!」
「はい。ああ、やはり政太夫はン、聞いてなかったンですな。この話はあんさンのお父はンの太助はンから聞いたモンです。帰ったら聞いてみなはれ。太助はンの二の腕には『清明』の彫りモンがありますよって……」
政太夫は私の話を最後まで聞かずに部屋を飛び出していった。座長に挨拶もせずに。
その座長もポカンとした表情をしていた。
「せ、先生……い、今の話、ほ、ホンマですか?」
「何が?」
「な、何がて、長四郎の両親が、先生の話の、大成はンと姫さンて……ほなら、長四郎、明の皇帝の曾孫……」
「ウソや」
「は?」
座長、さらに目を丸くする。
「最後のはウソや。ちょっと名前を借りただけです」
「な、なんや。ウソかいな。いややなあ。先生もお人が悪い」
「ホッホッホッホ」
まさかと思ったのだろう。座長は心から安堵した表情であった。
既に夜が明けている。六十の身に徹夜は流石にきつい。そろそろ宴もお開きにして帰って寝ることにしよう。
「……長四郎はン、太助はンに怒られないといいんですが……」
「まあ、親子ですさかい、大丈夫でっしゃろ」
飛び出していった若者を少し気にかけ、座長と私は茶屋を後にした。
◇◇◇◇
後日
「先生! 酷いですがな! これ見てや! あ……いや、もうおまへんけど、大きゅうコブができましたンでっせ!」
「ほう、コブ。どうしました?」
二日後、竹本座に来た政太夫が私の顔を見るなり苦情を申し立ててきた。
「あの日先生に、ウチのおとんたちが明の偉い人や聞いて、帰って聞いてみたら、『何朝っぱらからアホぬかす!』て、思いっきり拳固されましたがな」
「ホッホッホッホ。堪忍、堪忍。ちょっとからかっただけですがな」
「ちょっとて、酷いわ……まあ、私も安心しましたから、ウソでよかったですけど」
亡国の姫様と英雄の血を引く、などというのは、この若者にとって迷惑でしかないのだろう。政太夫は、父親に殴られたという頭を摩って笑っていた。
「すぐにウソや言おうとしましたのに、アンタがいきなり飛び出していくさかい、私も座長もどうしよかて困りましたがな」
「へ? 座長もウソって知っとるんでっか?」
「当たり前や。オチは最後まで聞かなアカンで。それが私らの生業やろが」
「まあ、そうでっしゃろけど、いきなりウチの話になるとは思いまへんがな」
私は、先日の昔話の落としどころをウソということで終わりにしたかった。芸人の心得みたいなことを言ってその場を取り繕う。
政太夫は当然の抗議をしてくる。
この反応なら問題は無いだろう。
「まあ、そんなことより、今日から『国性爺合戦』、評判がよかったんで急遽再演が決まりましたンでっせ。気合入れんとあきまへんで」
「へえ。わかってますがな」
そう自信たっぷりに言った政太夫は、やはり頭を摩りながら楽屋に戻った。
私は桟敷に降りる。
今日は客席から政太夫の出来を見るつもりだ。
しばらくして続々と客が入ってくる。入りは上々である。ありがたいことだ。来年もこの調子で頼みたい。
「……鬼が笑うか……」
前座のあと、政太夫が登場する予定だ。観客は心待ちにしているようである。
「おい、余計なことを言ってくれたな……」
不意に私に声をかける者が現れる。
いや、私には誰かわかっていた。席は私が用意していたものである。
その男はドカリと大きな身体で私の隣に座った。
「フフフ。私もいい歳ですからな。お迎えが来る前に誰かに話しておきたかったんです」
「冗談じゃねえ。夜も明けきってねえっていうのに、たたき起こされて腕見せろだ。今更何だってんだ」
その男は右腕をまくって見せた。見事な彫り物。世にいう倶梨伽羅紋紋、背中一面安倍晴明の肖像が描かれているのを私は知っている。
「長四郎はンもそのことを忘れるほどビックリしてたんでしょうなあ。物心ついたころから見てるいうのに。それにしても、いつ見ても見事なモンですな」
「先生が木を隠すには森とか言ったんじゃないか」
「フフフ。そうでしたな。ちょうど元禄のころに彫り物が流行りましたから、もってこいでした。焼いて消すなんて乱暴なことをしなくても。文字も利用できましたし。まあ、『安倍清明』になってしまったのは御愛嬌で」
「おかげで『四字』が隠せた。『死字』にならなくて済んだぜ。義兄上には感謝してる」
「おいおい、また『兄上』かい……ところで『シジ』いうんは何だね?」
「ああ、何か懐かしくなってな……天地会の印だってことは知ってるな。清の犬どもにバレたらそれだけで首が飛ぶ。だから『死字』だ」
「ああ。しかし、物騒な世界に首を突っ込んでしまったんですな、私は……」
「縁があったんだな」
「……縁……そうですなあ……あんさんと出会ってなかったら、私は講釈師のままで一生を終えてたかもしれませんなあ。戯作はしてなかったやも……」
「天下の近松門左衛門が何を気弱な……」
先日の昔語りといい、懐かしき義兄弟との対面といい、今日も四十年前のことを鮮明に思い出すのであった。
「大成はン……おっと、つい口が……」
懐かしさのあまり、本来呼んではならない名前を出してしまった。先日昔語りで連呼した影響であろうか。
私は思わずあたりを見回してしまった。
政太夫はいないだろうが、座長に聞かれたら面倒なことになる。
幸い、座長の姿も見えず、周りの客は前座の人形浄瑠璃に見入っているようで、私はホッとする。
隣の彫り物を背負った大男も鷹揚に構えていた。
「かまわねえよ。春もたまに口にする。いまさらどうってことはない」
「……それでよく長四郎はンにバレませんでしたな……ところで太助はン、お春はンは元気ですか? しばらく顔を見てませんが」
「ああ。父上によろしくだとよ」
「……ふふ。父上か……何もかも懐かしいですな……」
「何言ってんだ。コッチは孫に商売に大忙しだ。昔を懐かしんでる暇なんぞないわ」
「孫か……そんな歳になったんやな……」
「ああ。いつまでも姫様じゃいられないってことだ」
その言葉を境に、私たちはしばし無言になった。
前座が終わろうとしている。
「……太助はン。そろそろ長四郎はンの出番でっせ」
私はこの人物との昔話を打ち切り、舞台正面に目を向けた。
「……息子はンの語る『国性爺合戦』、ホンマのことやありませンけど、聞いておあげ。まだ聞きに来たことがないんやろ?」
「……忙しくてな……」
「またそないなことを。お春はンも連れてくればよかったのに……」
「ガキのすることに、いちいち親が見に来れるか!」
「……頑固になったもンや……」
前座が終わり、ついに竹本政太夫の浄瑠璃語りが始まる。
万雷の如き喝采が小屋の中に沸き起こった。
《春になったら、三人で花見に行こうか。また昔話に花を咲かせよう……》
口では嫌がりながらも、真剣な表情で息子の浄瑠璃を聞く隣の男に苦笑しながら、私はそんなことを考えていた。
平和であった。ことなく生き来し、という心境になる。
政太夫の浄瑠璃語りは続くが、私の昔語りはこれで一巻の終わりと致しましょう。
了
次回作もよろしくお願いいたします。




