後始末
本日2話目。
延宝六年九月末。
すでに甲府宰相様が身罷れたとの情報が天地会や長崎屋の情報網に入ってきたとき、大成は海の上であった。
ここからは大成だけでなく、当時の中国情勢を語ろう。
延宝六年といえば、中国では実に五つの年号が使われていた。
一つ目は清国の康煕十七年。
二つ目は明国の永暦三十二年、これは主に台湾で使われていた。
三つ目は、三藩の乱で生き残った清の投降武将・呉三桂が反乱時周王を名乗ったときのもの。この年の三月まで周王五年であった。
四つ目はその呉三桂がついに皇帝を名乗ったときに改元され、昭武元年となる。
そして五つ目。大成が危険と不義を冒してまで援軍の約定を取り付け、勇んで台湾に戻った九月には呉三桂は没していた。ちょうど神田屋敷で謀議を重ねていた八月のことである。その後は呉三桂の孫、呉世璠が十五歳の若さで周国の二代目皇帝となり、洪化元年に改元していた。
つまり、大成が台湾に戻ったのは、情勢が混乱を極めていたころのことである。
大成は日本での成果を報告しつつ、複雑な思いで師父・陳永華から戦況を聞いた。
呉三桂とは明の人間にとって許されざる裏切り者である。清の軍隊を自ら引き入れ、官爵を受け取った売国奴である。だが、結局清との関係も最悪となり、清に対抗する手駒の一つではあった。
戦さになれば、その兵力には期待していたので、死を悼むつもりはまったく無いものの、当てが外れたという思いだったらしい。
それでも反清勢力の主力・呉周の国は残っている。鄭成功、陳永華ら天地会は総力を上げて周との連携を計ろうとした。
その計画で最も厄介なのが人間の感情である。
思えば、明の不幸は人心の結束が取れなかったことにある。
大成の仕事は遅々として進まない。
各地を飛び回るが、いたずらに時間だけが経過していった。
「師父! ついに時が来た!」
大成が陳永華のもとを改めて訪れたのは永暦三十四年のこと。延宝八年六月であった。
「どうした。慌てて」
「これが慌てずにいられるか。死んだんだ。ついに!」
「誰が?」
「将軍だ。日本のな」
「なに!」
「これで綱吉が新将軍になれば援軍が来る! 反清復明の最後の機会だ!」
大成が言ったとおり、この年の五月八日、徳川幕府第四代将軍家綱公が死去していた。そして家綱公の養子となっていた綱吉公が朝廷から将軍宣下を受けている。
念書が実際に内容どおりならば兵力が増すというものである。
「……わかった。ちょうど殿下に呼ばれている。台湾に戻って作戦を練ろう」
「よし、では俺はジジ様のところに報告に行く」
ここは鄭家の最前線基地、金門島。台湾と中国大陸の間にある。
陳永華と大成は二手に分かれて行動することに。
鄭成功はその頃、懸案だった周国との連携を何とか強めるため単身周国の首都・貴陽にいた。無論名を変えて。
清国の周に対する攻勢は日増しに強くなり、年若い周の皇帝からは軍心が離れつつある最中のことだ。鄭成功も苦労していたに違いない。
その年の十月、周国は清の攻撃に耐え切れず、首都を昆明に移す。
日本から援軍が来るまではと、大成も鄭成功も必死に耐えた。
だが、しばらく連絡の取れなかった台湾から恐るべき報告が来る。
「ジジ様! 師父が、陳永華が死んだ……」
「なに? ……」
六月、台湾の東寧国・延平郡王鄭経、つまり鄭成功の息子、大成の伯父に呼ばれ台湾に向かった陳永華は、既に鄭氏政権の実権を握っていた馮錫範という武臣の姦計に遭い、強制的に引退させられ、翌月頓死している。
享年四十六歳。
大成には、あの師父があっさりと引き下がり、都合よく病死したとはとても思えなかった。間違いなく暗殺されたのだと考える。
「俺がついていれば……」
涙ながらに祖父に報告する大成であった。
「ワシがこうして生きていられるのは永華のおかげじゃ。やはり死んだことにせず、名乗り出ていればよかったのう。鄭経の愚か者め! 自分で右手を切り落としおって……」
明国復興の道は険しい。次から次に災厄が降り注いでくる。
次の年、ついに清国軍が昆明まで攻めてきた。
二十歳にもならない周国皇帝呉世璠は必死に抵抗する。人心は離れつつあったが、相手が清国となれば話は別である。皆戦った。無論大成も。
だが、数ヶ月に及ぶ清国の昆明城包囲に、城内の糧秣は底を突く。絶望感が人々の心を支配していた。
周国の洪化四年十月、日本では天和元年になったばかりの頃、周国皇帝呉世璠はついに首を括り、周国は滅亡する。
「大成。お前は逃げよ」
「ジジ様! そんなことできるか! 今にきっと日本から援軍が!」
周国滅亡の折、城内にいた鄭成功と大成、外祖父と外孫は脱出のことで話し合っている。既に六十に近い鄭成功は足手纏いになると、孫だけを脱出させようとしていた。
大成は大成で、師父・陳永華に続いて祖父まで失っては、何のために苦労してきたかわからないと言う。
だが、時間は切迫していた。城が完全に清国軍に掌握される前に出なければならない。
「孝行者よ。だが、ワシは一度死んだ身。鄭成功とわからねば蛮族どもも年寄り相手に非道はするまい。それより台湾が心配だ。ワシに構わず行くのだ!」
「ジジ様……」
大成は仕方なく言うとおりにする。
「大成よ」
鄭成功は大成が去ろうとしたとき声をかけた。思い直してくれたか、そう大成が喜び振り返ると、まったく逆のセリフを言う。
「日本の援軍は諦めろ」
「えっ! 何を……」
「念書なぞ、所詮は紙切れ。それに、ここが落ちたとあらば援軍も焼け石に水だ。敢えて火中の栗を拾うまねはするまい」
「し、しかし……」
「さあ! 早く行け!」
城内が騒がしくなってきた。清国の軍勢が侵入してきたのだろう。
大成は心を決める。
「わかった! ジジ様! きっと生きていろ! 必ず迎えに来る!」
「ああ。わかっている」
大成は城を飛び出した。途中清国の兵隊と戦いながら。逃げるのが目的であったから馬を足も折れんばかりに走らせる。
清国の兵隊も、昆明城制圧が目的であったため、脱出者にはそれほど関心が無く、大成はうまく逃げおおせられた。
悲劇はまだ続く。
台湾の東寧国では政変が起こっていた。
昆明城が清国軍に包囲されていたため大成に情報が入ってこなかったが、ちょうど同じ時期、東寧国・延平郡王鄭経が死去していた。
跡を継ぐはずであった王太子は、監国の地位にあって、陳永華の娘を妃としていたが、そのことも他の重臣たちには目障りだったようだ。馮錫範ら武臣たちによって監禁後亡き者にされる。
その後、馮錫範の娘を妃とさせられる鄭経の第二子、鄭克塽がわずか十二歳で王位に即けられた。
後世、東寧の変と呼ばれる出来事であった。
どこもかしこも謀略の渦が巻いている。
大成はどうするのか。明の復興は、日本からの援軍はどうなるのか。日本にいる明国最後の公主・お春はどうなってしまうのか。
◇◇◇◇
「はーっ。その大成はンでっか? 大変でしたンやなあ」
「それはもう。言葉では言い表わせませんなあ」
「先生が言葉にできないて、そりゃオオゴトでんな」
長年物書きをしてきて、表現力には自信のある私でも、大成ほど波乱万丈な経験は筆舌に尽くし難い。何しろ三つの国で、日本では将軍の交代、大陸では呉周の滅亡、台湾では政変という出来事を当事者として体験している。
「しかし、それって結城はンが日本を離れてからのことでしたな。なんで先生が知ってますんや?」
相変わらず座長は鋭い。
「言いましたがな。結城はンは日本に戻って来ましたンです。お姫様を迎えにな」
「そういえばそないなこと言ってはりましたな。座長、そないなんやて」
「うるさい。わかっとるわ」
「ホッホッホッ。まあまあ、二人とも。あとわずかや。仕舞いまで聞いてや」
「へえ」
話は佳境に入る。
◇◇◇◇
永暦三十五年三月、日本で言えば延宝九年だったが、台湾の東寧国は延平郡王の鄭経が死に、その後政変が起きて、十二歳の第二子が後を継いだ。
大成が故郷の一大事と、三藩の乱の終結を見届けて大陸から駆けつけたのは既に年末も近い頃であった。日本では天和元年に改元している。
「馮錫範! キサマ、この一大事になんてことを!」
「雑種が何を言うか。者ども、捕らえよ」
大成は、いや、大成の母は鄭成功の実の娘である。が、正妻を憚り養女扱いであった。
ために大成の台湾政権での発言力は無きに等しい。しかし、一応は鄭氏一族として認められていたので台南の城に入ることができた。
大成は開口一番、政変の首謀者である馮錫範を罵倒した。
周りには馮錫範に加担する鄭氏一族、大成にとっては血の繋がった者たちがいる。
既に鄭成功直系の孫、世子を殺している。大成如き傍系を亡き者にするのに忌憚はないようであった。
「叔父上たち! それでも鄭成功の血族か!」
大成の叫びは効果があった。
広間は静まり返る。
だが、馮錫範は引かない。
「先代は東南の地を棄てられた。それもこれも清の遷界令のため。人も金も無いのに盾突くのは愚の骨頂である」
「日本から援軍が来る!」
「来るはずが無い」
「なに?」
大成は訝った。
日本で将軍が替わって一年以上になる。しかし一向に出兵の気配がなかった。始めのうちは政権が交代したばかりですぐには無理なのだろうと楽観視していたが、一年を過ぎて気になりだす。まさか反故にする気ではないかと。
そして目の前にいる馮錫範の口から妙に確信めいた発言が。
「どういうことだ!」
「どうもこうもない。日本国は大事な貿易相手。援軍が必要かと打診があったので丁重に断った」
「なん……だと……」
大成は絶句する。これまでの苦労は一体何だったのだ。親身になってくれた甲府宰相様まで手にかけて取り付けた援軍の約束を、己の立身出世しか頭にないこの男の一言でなかったことにされたのだ。
ガックリとうなだれる大成に馮錫範はここぞとばかりに畳み掛ける。
「今後大陸に上る必要なければ髪を剃る必要無し、衣冠を替える必要も無し。臣を称すれば貢ぎ、臣を称さずば貢がざるもよし。台湾を以って箕氏の朝鮮、徐福の日本となさん――先代のお言葉じゃ。意味はわかるな、雑種」
「……負け犬の遠吠えというわけか……」
「無礼者が。捕らえよ」
「最後に聞く。師父を、陳永華を殺したのか!」
「埒も無い。おい! 早く捕まえろ! 牢に入れておけ!」
大成は馮錫範の口振りからそれが事実であることを知る。あまりの情けなさに抵抗する気も失せて黙って捕まった。
幸い、無抵抗だったせいか、或いは天地会の影響か、その場での惨殺は免れる。
城内の牢に入れられた後、大成は時間はいくらでもあると考え事をする。
「この国はもうダメだ……」
それは今までにも薄々は感じていたことだ。
しかし、鄭成功と陳永華の情熱が大成にも伝わってきて、それが大成の行動力の原動力となっていた。
二人がいなくなったのではやる気も起きないというものだ。
それにしても、と大成は考える。
過去中国では幾多の王朝が興亡を繰り返してきた。国を建てた偉人たちと自分はそんなに違うだろうかと比較してみる。
始皇帝、劉邦、劉秀、司馬炎、楊堅、李世民、趙匡胤、朱元璋……思いつく限りの皇帝の名を挙げる。
「運か……」
馬上天下を取ったのはごくわずか。ほとんどが内部からの乗っ取り、禅譲を迫ったやり方である。それでも様々な好条件が重なってのことだ。極論すればまさに運ということになる。
大成の場合は、いや、大成が皇帝になろうとしていたわけではないが、鄭成功たちは運が悪いとしか言いようがない。方法を誤ったというべきか。
既に人民に見放された亡国の皇族を担いだことがそもそもの躓きであっただろう。しかも皇族同士まったく連携が取れていなかった。次々と各個撃破されていったのだ。
しかし、これは東漢の劉秀の場合と似ていた。違うのは敵が王莽のような、いい加減な相手ではなく、清国というとてつもなく強固な国家だったことも不運といえば不運である。その点においては、元に滅ぼされた南宋にも似ている。
「そうか、どう転んでも目が出ないわけだ」
大成は翻然と悟ると、暗い牢の中で呵呵大笑するのであった。
牢番が気味悪そうに見ている。精神に異常を来たしたとでも思っているのだろう。
「そうとなればこんなところには用は無いな……」
大成は脱出を決意する。
牢にいたのは一年半。長いような短いような暮らしであった。幸いというかこれまで殺されずに済んだ。
というのも、台湾の情勢は日増しに悪くなり、大成のようなただの生意気な混血児に関わっている余裕が馮錫範たちになかっただけであろう。
ついに清国の海軍が台湾を落とす。
永暦三十七年、これがこの元号の最後の年になったが、日本の天和三年八月、鄭氏政権は清国に降伏した。
ちょうど私が近松門左衛門として初めて戯作を発表したころである。
「少爺(坊ちゃん)、今が好機ですぜ」
牢に天地会の人間がやってきた。それも堂々と。これまで差し入れや何かでこっそり来ることはあったが、この日は武器を手にしている。
「お、ありがたい。見張りはどうした?」
「それどころじゃありません。馮錫範のヤロウ、清に降りやがった」
その情報に大成は少し眉を顰めただけで、極めて冷静であった。おそらくそんな予想をしていたのだろう。
「一人でか?」
「いえ、殿様も、城の中全員でさ」
「まあ、そうだろうな」
「そんな気楽な」
「いいさ。けりはつける」
「どうするんで?」
「奴らはどこにいる?」
「それが、清の朝廷に挨拶に……」
「すぐに尻尾を振るか。犬め……まあ、おかげでこうして出られるか」
牢を出た大成は大きく背伸びした。表情は明るい。
「少爺、そんな悠長な……」
「それより船を手配してくれ」
「逃げるんで?」
「バカ。あいつらを追うんだよ」
「へ、へい! わかりました!」
天地会の仲間は大成に起死回生の手があると見て、喜び勇んで城を飛び出す。
大成は懐かしの実家に顔を出し、父母に自分が生きていることだけ知ってもらうと、すぐに家を出る。
「父上、母上。待っててください。もうすぐ迎えに来ます。これからは別の場所で一緒に暮らしましょう」
それだけ言うと、返事も聞かずに港に向かった。
海上は鄭家の独擅場である。日を置かず大陸に到着する。
「まずはジジ様を……」
鄭成功が死んでいないと信じている大成は、天地会協力の下、祖父を探すことに。
昆明で別れたことから近くの町に的を絞ると、あっけなく天地会の目印を発見することができた。
暗号の指し示す場所は、小さな寺院であった。
僧形となっていた鄭成功と大成は対面を果たす。
「おお、大成。よく無事で……」
「ジジ様こそ」
「話は聞いている。捕まったそうだな」
「……いい骨休めになりました。それより、私と一緒に行きませんか?」
大成は今度こそと同行を求める。
「……大成。ジイの頭を見よ」
鄭成功は自分の頭を撫でた。僧形なので当然剃髪してある。
大成はこれまでどおり総髪のまま、今は唐風の笠をかぶっていた。
「清に屈するよりはと一思いに剃ってみた。今では本当に出家したつもりになっておる」
「それでは……」
「うむ。ここに骨を埋めよう。まだまだ清に抵抗する血気盛んなバカモノもおるじゃろう。その者たちの骨は拾ってやらねば」
「ジジ様……」
「お前はまだ若い。それに春麗のこともある。行ってやれ。お前でなくては務まらぬ」
鄭成功は孫の肩をポンと叩く。
「さ、行け」
「はい……」
大成は再び祖父との別れを悲しまねばならなかった。今度こそ今生の別れとなるだろう。だが、それも一つの生き方だと牢暮らしの中で悟っていたようで、それ以上は何も言わずに背を向ける。
僧形の鄭成功はしっかりとした大人に育った孫の後姿をいつまでも眺めていた。
数十日後、大成は台湾に戻った。
「少爺、首尾は?」
「受け取れ」
大成は抱えていた壷を渡す。
「何ですか? こりゃ……うわっ!」
中には塩漬けの首が入っている。辮髪、清国国民の証の髪型をしていた。
「こ、こりゃあ、馮錫範……」
「ああ。師父の仇だからな」
大成は鄭成功と別れた後、清の都に赴いていたのだ。
清国に投降した台湾勢は一様に清国から爵位を受けて都に暮らしていた。台湾を売った見返りということだ。
大成にはそれも許せなかったが、戦さに負けた者を責めても仕方ないと達観する。
が、大切な師父を騙し討ちにしたことだけは別だと、復讐を見事遂げたのである。
「そいつは天地会で処分してくれ」
「少爺はどちらに?」
「なに、また旅に出る。ここはもう清国の手に落ちた」
「そうですな。我々も新しい住処を探さねえと」
「落ち着いたら連絡する」
「へい。気をつけて」
もう台湾にも戻ってくることは無い。そう大成は思った。天地会とも縁を切ろうとも。
実家に戻った大成は、渋る父親を説得し、用意してあった船に半ば強引に乗せる。
母はもともと日陰の身であったからか、柔軟に行動できている。
流石は鄭成功の娘だと感心し、船の中、生意気だと父親に怒鳴られる一幕もあった。
天和三年の晩秋、鄭大成とその父母は日本の地、長崎に上陸する。




