逃避行
あと3話で完結します。
時間ができたので、一日早く投稿しました。
東海道を西に向かう。
この旅が物見遊山であれば、或いはただの帰郷ならば、どんなに楽しかったことだろうか。
相変わらずの浪人姿の大成、もともと武家の生まれの私も二本差しで同じような格好をしている。加えてお春も羽織袴に脇差と、武家の若様になりきっていた。
「門左衛門殿」
道中、大成は私をそう呼ぶ。
どこから手に入れてきたのかは明言しなかったが、私の道中手形は『佐々木門左衛門』になっていた。
ちなみに大成は結城源之将のままで通している。お春は佐々木春之丞。私の息子という設定らしい。歳からいってお似合いだとは笑い話にもならない。
一刻も早く江戸から離れたかったため、初日から馬力をかけた。途中お春を交代で負ぶい、何とか二日で小田原まで来る。
幸い、どこの勢力からも襲撃されることは無く、ここからは大成の居候先、長崎屋の船に便乗する。
名目上、大阪と江戸を往復する五百石の菱垣廻船である。
最初から乗っていればなどと不平も言ってみたが、出航の日時が合わなかったことと、江戸からでは目立つということで先回りしたのだそうだ。
相変わらず無駄に手回しが良い。
ご府外では役人の詮議も厳しくなく、また、この船は事実上台湾との交易が主だったため、船内では気楽に過ごせた。
三日で大阪に着くという。
その間、私は大成から今回の経緯の全貌を聞くことになった。
船縁に腰を掛けている大成の膝を枕にしてお春は寝ている。海路はよい天気であった。
「ご使者殿。しばしこちらへ……」
八月のある日、残暑の厳しい頃だった。
何度目になるか覚えていなかったが、館林宰相様からのお召しにより、大成とお春に伴われ神田御殿に伺ったときのことである。
宰相様に請われるがまま、今まで私が語ってきた講釈の一つを打っていたとき、私とお春を残し、柳沢殿が大成を部屋の外に連れ出したことがあった。
講釈の最中であったし、お春の存在もあって余計なことには気が回らなかった。
「ご使者殿、悪い報せでござる。ご公儀は明への出兵を断念するそうじゃ」
別室に連れて行かれた大成は、座に着くなり柳沢殿からそんなことを言われたそうだ。
「まことにござるか!」
今になって説明を聞いても、大成の落胆振りが目に見えるようである。
「まことにござる。近く甲府様がご使者殿をお呼びする手筈のようじゃ」
「し、しかし、甲府宰相殿は、堀田殿は積極的であったはずだが……」
「そこはそれ、二人とて生身の人間。特に堀田殿は優秀な官僚でござる。次期将軍となられる甲府様に取り入ろうとの魂胆」
「そうは見えませなんだが……」
「いやいや、人とは見かけによらぬもの。当代上様の治世も長くはないとあの方はわかってなさる。当代様の小姓として今の地位まで上り詰めたものの、大老酒井様は目の上のたんこぶ。何かにつけて反対意見を述べたがるのであろう」
「な、なるほど……」
大成は鄭成功らの推論と、この歳の近い、若きサムライの論法が余りに合致するものだから、思わず話に引き込まれたらしい。
柳沢殿はそんな大成の表情を見て自信を深めたようだ。
「酒井様は、下馬将軍と呼ばれるなど、これまで少々やりすぎた。間違いなく上様代替わりの折は失脚するであろう。次に権力を得るのは堀田様じゃ」
「で、ではそれまで待てと?」
大成は鄭成功の推論からそのことに期待していた。これまで何十年も待ってきたのだ。あと数年ならという気概がある。
「いや、残念ながら、そうもいくまい」
「何故?」
ここが鄭成功の読みと違うところであった。
大成は膝を詰めて問い返す。
「甲府様が次期将軍になったとすると、あのお方は真面目な方である。物事好悪の意地無く、といったところだが、却ってそれが枷となろう」
「ど、どういうことでござる?」
「一度決定した事を己の手では翻さぬということでござる。何しろ、今回明の出兵の件を幕府の評定に持ち込んだ張本人でござるからな。堀田殿も然り。権力を握った後では、構えて上様に逆らう筈もござらん」
「…………」
たった一度会い、後は私から話を聞いただけであったが、大成には柳沢殿の甲府宰相様に対する性格分析が的を得ていると感じられる。
では、今後も日本からの明への援軍は期待できないではないか。
そう肩を落とした大成に、柳沢殿は話を続ける。
「左様せいサマと呼ばれるほど定見がないのにも困ったものだが、融通の利かぬ将軍というのもまた困りもの。だが、我が主なれば清濁合わせて飲み干せる度量がありまするぞ」
いくら大成が本朝の者でないとしても、柳沢殿は言い過ぎである。
しかし、そのときの大成の精神状態はそのことを気にかける余裕も無かった。
「……どういうことでござるか?」
「我が主、館林宰相様が征夷大将軍におなりあぞばせば、きっとご使者殿の悲願も叶うというもの」
「……しかし、この国にも長幼の順が……」
「そう、それが問題なのでござる。甲府様がおわすうちは……」
ほぼ謀反といっていい会話である。
反清組織の幹部ともいえる大成は、目の前の小姓組番衆の意図がはっきりとわかった。
「拙者に何をしろと?」
「さすが歳若くして大任を任されることだけはございますな。話が早うござる。聞くところによりますると、鄭成功殿は一見して毒とは思えぬ薬で暗殺されなさったとか」
「如何にも。間一髪であったそうだ」
「その薬、手に入りませぬか?」
「なに?」
暗殺用の毒。それも周りにはそうと気づかれぬ薬。ますます柳沢殿の計画が浮き彫りとなった。
「その薬と引き換えに、念書をお渡し致そう」
「念書?」
「如何にも。我が主が首尾よく将軍となられたときには、明への援軍の件お引き受け申そう」
「しかし、貴殿の一存では……」
「何を申される。拙者如き一介の従者が画策できる大事にあらず。今までのご使者たちへの応対等、すべて我が主が指示によるもの。念書も私が書くのではなく、館林宰相様、徳川綱吉公自らが筆を取るとの仰せである。拙者は単なる遣いに過ぎませぬ」
「うーむ……」
権力の座を巡る肉親同士の争いなぞ、長い中国の歴史に数え切れぬほどある。故にそのことについては大成がとやかく言う立場ではない。外祖父鄭成功も似たようなことを過去してきたのも知っている。
問題は、援軍要請の条件として、現将軍の弟の暗殺に手を貸すことの危険性についてである。
援軍が得られないわ、公儀高官殺しの下手人にされるわであれば、鬼一口を遁れまい。
「ご使者殿。いくらでも思案なされるがよい。しかし、我らに時はあっても、明のお国は如何でござろうかの?」
何ともうまい言い方である。
確かに数年は待とうと大成は言っているが、その実中国の情勢は刻一刻と清国の有利になっていると聞く。
徳川の世と同じく、清の政権が長く続けば、それだけ世情が落ち着くというものだ。さすれば明の復興など誰も求めなくなる。
ついに大成は決意した。
ちょうど私の講釈が終わった頃、二人は戻ってくる。今だからいえるが、表情の明暗はっきりと分かれていた。
「保明、如何であった?」
「はっ。上々にございますれば、宰相様にはお心安らかに」
このときの主従の会話の意味が今になってやっとわかった。
そのときは機嫌の良い館林の殿様に褒美の金子と杯を賜ったのだが、私の講釈に感動したと言われては、素直に礼を述べるしかないではないか。
「で、では、あの時既に宰相様を亡き者にと決めていたのか……」
「……ああ。背に腹はかえられなかった……」
「春殿は知っていたのか?」
私は、普段は大人びているが、寝顔だけはそこらの子供と変らぬ、大成の膝の上のお姫様を見ながら聞いた。
「……知っている。何もかもな」
「何と言っていた? まさか、賛成したのではなかろうな」
子供に何と惨いことをと私は憤った。
「俺の好きにすれば良いと。どうせ拾われた命だから意見なぞ無いと」
「何と不憫な……」
世が世なら私など口も聞けぬ身分。運命とやらの不条理さに腹が立ってくる。
「それで毒を渡したのか」
「ああ。急ぎ台湾に連絡した。駕籠の中の刺客に渡せば念書をくれる約束であった」
「そうか……待て! 宴の酒といったな。それでは堀田様も……」
今更ながらに気がついた。幕府の重職二人が相次いで頓死でもしたら、疑われるのは最後に同席した我々ではないかと。
「いや、毒が盛られたのは堀田殿が帰ってからのはずだ」
「なに?」
大成はその辺は抜かりがないようである。私の心配など杞憂に過ぎぬということか。
「一時宴席の場を無人にしろとも言われていたからな。でなければ俺が自ら毒を盛らねばならなかった」
「そうか、あの時……」
堀田様をお見送りしたとき、確かに謁見の間は無人となっていた。さすればその隙に刺客が忍び込んだというわけか。
「柳沢がおかしな気を起こして全員に毒を盛ることも考えられたから、一応義兄上にも毒消しは飲ませたが、翌日の態度からして考えすぎであったようだ」
「なるほど……」
約束を反故にしたり、口を封じるなどは権力者の常套手段である。
では、別れた直後に襲ってきた覆面の一団は何だったのか。あれは館林藩とは関わりが無かったのか。
その件についても大成は確証がないという。
「確かに、一国の主が兄殺しを画策したというのを知っている人間がいるのは目障りだろう。しかし、お互い利害は一致している。藪をつついて蛇を出す、ということにでもなれば、それこそ元の木阿弥だ。あの奸智に長けた小姓のやり方ではない」
「なるほど……」
謀略の世界とは無縁の私は、遥かに年下の若者の言葉に感心する他はない。
「では、我らは安心というわけか?」
「それはわからん」
「なに?」
「柳沢が俺の正体を知っていたように、清国の犬どもも柳沢の計画を知っているかもしれない。この書状、どちらにとっても見つかってはならぬもの。気をつけるに越したことは無い」
「そ、そうか……」
そう言った後、私は言うべき言葉を見つけられなかった。
目線をふいと動かすと、空も海も赤く染まっている。
逃亡の最中だが、綺麗であった。お春も起き出してその海を見ている。どこか遠くを見ているかのようであった。もしかしたら故郷を思い出しているのかもしれない。
もうじき夜が来る。後二晩で大阪に着くが、それからどうするのだろうと不安は消えなかった。
「いやじゃ! わらわも戻る!」
「春……」
大阪に着いてしばらくは長崎屋の息がかかった船宿の二階に身を潜めていたが、ついに大成が次の行動に移ろうとした。
だが、これまで常に行動を共にしてきたお春を大阪に置いていくと宣言したため、少しばかりもめることになる。
「これからは更に危険になる。俺一人のほうが身軽でいい」
「わらわは邪魔か? 足手まといか?」
「まあな」
「おい、そんなはっきり……」
あのお春が泣き出しそうな表情になっている。つい情に絆されて肩を持ってしまった。
「ならばもう明の復興などどうでもよい! 大成も帰るな!」
「春……」
お春はついに泣き出して大成に抱きつく。
本音が出た。
これまで鄭成功たちの妄執に従って行動していたように見えたが、幼い身で海を渡ってきたことといい、単に大成と一緒に居たかっただけなのであろう。人前で公主だと名乗るのもこの娘にとってはママゴト遊びと変らないのかもしれない。
健気な。私は今更ながら数奇な運命のお姫様に同情する。
「春。俺は、鄭大成は天地会の人間だ。一度誓いを立てたことは最後までやり遂げねばならん。わかってくれ。それに、ここには義兄弟の門左衛門殿がいる。春も一人ではない」
いつも思うが、義兄弟の誓いなど立てた覚えは無かった。が、さすがに口にできる状況ではない。済し崩しに義兄としてお春の面倒を見なければならなくなった。
勿論、お春を守り育てること自体に異議は無い。
「春殿。大成もこう言っている。我々はここで帰りを待とう。なに、すぐに帰ってくる」
「……本当か? すぐとはいつだ? 三日か? 十日か?」
「無茶を言うな。一国の存亡がかかっている。ジジ様に綱吉公の念書を見せ、さらに呉三桂に日本の出兵時期と連携させねばならない。こちらの将軍が代替わりしてすぐに出兵したとしても、あと一、二年はどうしてもかかるだろう」
「二年……」
泣き顔のお春はさらに強く抱きついた。二年もの間、兄のように慕ってきた大成と別れなければならないのは辛い。そう身体で訴えている。
それは大成にも、そばで見ている私にも伝わった。
「……仮に春を台湾に連れ帰ったとしても、俺はあちこち、大陸を飛び回らねばならない。結局台湾の父上の所に置いておくことになる。それに、台湾にも不穏分子はいる。大阪のほうが安全だ」
確かに。昔のことだが、鄭成功が暗殺されかかったのは自分の縄張りにいるときではないか。清国に投降しようとする人間にとって、お春の存在は格好の手土産になる。正体が露見しては鄭成功以上に危険な立場だ。
「俺が台湾に戻ったとわかれば、日本に来ている清の犬どもも戻る。さらに安全になるだろう」
「なるほど。確かにそれなら安全だ」
始めは江戸脱出どころか日本脱出までさせられるのではないかと冷や冷やしていた私だったが、どこにいてもそれなりに危険のあることがわかった。
何とも恐ろしい世界に首を突っ込んでしまったことだ。
後悔はしていないが、命は惜しい。
「春殿。私と一緒に大成を待とう。きっと約束を守る男だ。私より長い付き合いの春殿のほうがわかっているはずだ」
私は、大成に抱きついて肩を震わせているお春に力づけるように説得した。
「……わかった……待つ……」
「そうか。いや、これで安堵した。いや、よかった」
大成はこぼれんばかりの笑顔でお春の頭を撫でた。お春は複雑そうな表情である。
「……待つから、わらわを嫁にしろ」
「なに?」
不意にお春が妙な条件をつける。大成は反応に困った。
「嫁にするか、連れて戻るか、どちらか選べ」
「……わ、わかった……よ、嫁にする……」
「そうか。なら待とう」
背に腹はかえられぬ大成は、お春の条件を飲むしかなかった。
ここでお春はやっと泣き止んだようだ。
生死に関わる状況の中、何ともほほえましく、私もホッとする。
「で、では義兄上。春を頼む」
「ああ。任せろ。何しろ私は父親だからな」
「……父上と呼んでほしいか? 信盛」
涙を拭いながらのお春のセリフに、私たちは大笑いする。江戸を出てから始めての愉快な一幕であった。
だが、その楽しさもまもなく失われる。
大成は長崎屋の船で長崎に向けて出発してしまった。そこから本拠地台湾に向かう手筈である。
見送ったお春は、やはり泣いていた。私はぎゅっと繋いでいた手に力がはいる。
《守ってやらねば……》
そう改めて思った。
私は暗く沈んだお春を連れて、長崎屋の伝手で見つけた町の一軒家に入る。
天地会が密かに、策とわからないように、明の密使が明の公主を連れて台湾に戻ったと噂を流してくれたおかげで、とりあえずお春の身辺は無事になっただろう。
あとは大成が戻ってくるまでここで暮らすだけだ。
だが、甲府宰相様の一件がある。館林藩に見つかったら、今は取り決めがあるかもしれないが、いつ気が変って口を封じられるかわかったものではない。身を潜めておくことに如くはない。
幸い、乞胸頭にいただいた二十五両と、これまで講釈で稼いだ数両が手付かずのままであった。お春も大成から預かった為替などかなり持っているので、十年は楽に持つ。
杉森吉次郎信盛は佐々木門左衛門と名を変え、養女のお春と街中の一軒家に引っ越しの運びとなる。
大の大人が普段外に出ないことで回りを不審に思わせないために、戯作を書いていると触れ込んだ。
これは嘘ではない。大成のやり方を見習ってみた。江戸での経験が二重に役に立つ。確かに効果的だ。罪悪感もあまり感じない。偽名も雅号と捉えれば堂々としていられる。
大阪での新しい生活が始まった。
◇◇◇◇
「へーっ! 先生の門左衛門いうお名前、そのときに」
「はい。そうです。結城殿が適当につけた名前でした」
ここも大阪。場所は道頓堀。以前住んでいたところからは離れているが、江戸や明国に比べればご近所の話になる。
二人は俄然私の話への興味が深まる。
「近松いうお名前はいつから?」
「しばらくは売れない戯作者してましたが、天和三年に『世継曽我』いうのを京の宇治座で上演したときでしたかな。思いのほか売れたんで名前を出そうということになりましてな。お春はンがつけてくれはったンです。何でも結城はンの幼名に『近い』とか。」
「世継曽我。知ってますがな。竹本座の旗揚げの演目でっしゃろ」
「流石は座長。古い話をよくご存知で。そうですな、翌年の貞享元年のことでしたな。竹本義太夫はンと意気投合しましたのは」
「お師匠はンと……」
今は亡き師のことを思い出したのか、政太夫は神妙な顔つきになる。
「ええ男やったで。私より二つ上で、旗揚げ当時は三十……三やったか。政太夫はン、あンたもそれまでには『義太夫』の名を継げるようにならんとな」
「へえ! きばります!」
話はそれたが、大事な竹本座の後継者に関することだ。疎かにはできない。
「それにしても……」
座長が話題を戻そうとする。
「お姫様が大阪で暮らしてたとは驚きですな。てっきり明に戻ったと思いましたが」
うまく浄瑠璃の内容に合わせていた。流石は私の弟子、などと言えば自画自賛になってしまう。
「戯作は戯作です。それに、ちゃんと結城はンは戻ってきましたで」
「ほう。仕事はうまくいったんでっか? ん? いや、ちゃいますな。明は結局なくなったんでしたな。ほな、どういうことで……」
「それはな……」
私は昔語りを続ける。




