古き英雄たちの集い
2話目です。
「宰相様。こうして公主自らお頼みに参られた。どうか色良きご返答を」
「う、うむ……」
忠臣と姫君。この組み合わせに心動かされない人間はいないだろう。
だが、問題が大きすぎる。甲府宰相様は難渋した。
「僭越ながら……」
大成が宰相様の苦悩を察し、口を挟む。
「宰相様お一人にお頼み致すつもりではござらぬ。幕府として諮っていただきたい」
「む、無論そのつもりじゃ」
「改めて申し上げるが、我らは金が必要なのではござらぬ。金なら、戦費としてこちらから支払う所存。我らが必要なのは人。武人でござる」
「武人……」
「さよう。失礼ながら、お国では浪人が溢れているご様子。その者どもも戦さとあらばさぞ役に立つことと存ずる。それに我が国は広うござる。幕府からすれば厄介払いもでき、一石二鳥ではござらぬか?」
「厄介払いとは聞き捨てならん!」
声を荒げたのはご家老。さすがに大成の言いようはトゲがあった。幕府とは直接かかわりのないご家老まで痛いところを突かれたのであろう。
「これは失言であった。許されよ。しかし……」
形だけは謝る。
「兵がほしい我が国と、仕官がしたいが叶わぬ者のいる日本。利害は一致しているのではござらぬか?」
「ふむ……」
大成の分析は宰相様を納得させたようで、顔つきが変ってきた。先ほどのように取り乱すようなことはない。
「さ、宰相様。い、如何でござろう。後日幕閣の方々にお諮りなされましたら……」
「うむ。そうじゃの。余が一人うろたえても始まらん」
「け、決して左様なつもりでは……」
ご家老が問題の先送りを進言し、宰相様の意志は固まったようだ。
「ご老体。この件はやはり老中たちに諮らねばならん」
「ごもっとも」
これまでの数十年の成果を思えばかなりの進展と思ったのか、鄭成功は素直に頷いた。
だが、大成が再び口を挟む。
「もう一つよろしいか?」
「何じゃな?」
「どことは明言いたさぬが、諸藩の中には明国に対する援軍派遣に積極的な藩もござる。されどご公儀に遠慮いたして首を縦に振れぬだけのご様子。ご公儀自ら音頭を取らずとも許可さえ出せば自ずとこの問題は片付くものと存ずる。いや、これは拙者の浅はかな知恵にござれば、頭の隅にでもお留め置かれ下されば重畳にござる」
「わかった。留め置こう」
「有り難き仕合わせにござる」
とても十七、八の若者とは思えぬ、堂々とした態度であった。無論、身分的には『郡王』という称号を持つ英雄の血筋であるのだから、上様の弟君に対しても少しも引け目を感じていないのかもしれないが、それでも一国の頂点に限りなく近い人物に対し、五分以上に張り合う胆力は見事であった。
私はただ感服するしかない。
「では、本日の謁見はここまでといたすが、その方ら、住まいは何処じゃ? 閣議の決定が出るまでここに留まっても構わぬぞ」
「有り難きお言葉。なれど、それでは宰相様にご迷惑が」
「構わぬ構わぬ」
「宰相様、なりませぬ!」
あろうことか宰相様自らが宿の周旋を買って出る。ご家老が慌てるのも当然だ。
「畏れながら、拙者どもは密入国の身。今こうして首が残っているのはひとえに宰相様のご寛恕を蒙ったおかげと感謝いたす。されどこれ以上の庇護はご公儀の評定にも影響を及ぼすと存ずる。正式に沙汰が出るまではお互い知らぬ仲を決め込むべきと愚考いたすが、宰相様のお考えや如何に?」
「……その方はまことに唐人であるのか?」
大成の流れるような申し出に、宰相様もあっけに取られる。
私は大成の父親が日本のサムライだと聞いているからそれほど感銘は受けなかったが、いくら祖父の鄭成功が日本人の母親を持つとはいえ、明から来たという使者に武家顔負けの弁舌を振るわれたのでは驚くのも無理はない。
「拙者は間違いなく明の人間にござる。いずれ通詞を呼ばれるとよい。その折は我ら三人唐の言葉で話し申そう」
「三人? では杉森は?」
宰相様は私をも明の使者とでも思っていたのであろうか。思わず平伏してしまう。声が出なかった。
「この者は日本人でござる。講釈の腕を見込んで金で雇っただけのこと。我らのことも今さっき知ったばかりでござる。おかげでこうして宰相様にお目通りが叶いました。この者には感謝しているでござる」
大成はうまい具合に私が無関係だと証言してくれる。心からホッとした。調子に乗って私まで唐人だとでも言われたらどうしようと密かに心配していたものだ。
「杉森。まことか?」
「はっ! わ、私は間違いなく本朝の者。京より西は赴いたことがございません」
「左様か」
「はっ!」
「では宰相様。我らは退出して構わぬでござるか?」
「う、うむ……出兵のことは別として、その方らの話はもっと聞きたかったのじゃが」
「我ら講釈師の器にあらず。心躍る話などでき申さぬ。だがご案じられるな。そのための杉森殿でござる」
「おう。そうであったな。杉森、これからも講釈とやら、聞かせよ」
「ははーっ!」
「ところで、その方ら、どこに住まう? 用のある折は何処に迎えを差し向ければよいか?」
「その件も杉森殿に」
「余には言えんと?」
「申し訳ござらん。甲府様にはご無礼な言い様になるが、清国から刺客が来ている気配がござる。この身は潜めねばなりませぬ」
「なんと……」
「さ、宰相様。刺客などと、この者たちに関わってはなりませぬ」
刺客などと物騒な話を聞いてご家老が慌てる。
私も初耳であった。
「ご府内で騒ぎはならぬ」
「ごもっとも。我らもそれを心配いたしておるところ。幕府の評議に悪い影響が出てはすべてが水疱に帰すというもの。なればこそ、隠密に動きたく存ずる」
「うむ。しからば何も聞くまい」
「さ、宰相様……」
「主膳。この者たちを送り返せ。万事穏便にな」
「ははーっ」
「ご配慮、かたじけない」
大成と鄭成功はきちっとサムライ式に頭を下げる。唐式がどういうものか私にはわからないが、お春、いや姫様も床几から立ち上がり、一礼した。
「で、ではこちらへ……」
主の命には逆らえないご家老は、渋い顔で私たちを案内する。
謁見の間の戸が開き、私たちはそこを後にした。
「た、大成……どこに向かっているんだ?」
「ついてくればわかる」
甲府藩の中間が鄭成功とお春の乗った駕籠を担いでいるため、私たちは小声で話している。
日本橋を過ぎたあたりから、おかしいと思い始めたのだ。
始めはもと来た寺に運んでもらうのかと思ったのだが、中間たちに外堀通りをそのまま北上させる。では居候先の廻船問屋かと、潜伏先をバラすようなものだと私なりに心配もしたのだが、それも違ったようだ。しかも、私の長屋、浅草でもなさそうだ。
気になって聞いたものの、大成は質問には答えなかった。
仕方なくついていくことにする。
本郷を過ぎ、根津あたりに来てやっと行き先がわかった。
「ここは水戸様の……」
「そうだ。中屋敷だ。挨拶に参っただけでござる。ご家来衆、ご苦労でござった。これは些少だが……」
後のセリフは中間たちへのものである。どうせご家老あたりが大成たちの動向を窺っていると承知の大成は潜伏先を知られるぐらいならと、堂々と御三家の屋敷を訪ねたのだ。
大成から金子を受け取った中間たちは笑顔で引き上げる。ご家老にはその耳で聞いたとおり答えるであろう。
「頼もう!」
「お、おい……」
大成がいきなり門を叩く。
私は、あくまでも潜伏先をごまかすための芝居だと思っていたのに、本気であったとは。
暮れ六つも過ぎ、辺りは暗くなっている。こんな刻限に非常識だと、私はサムライの常識でモノを考えていた。
しかし、御門の前にいる四人のうち、まっとうな武士と呼べる人間は一人もいないことに気づく。
余計まずいのではないか。
私の心配をよそに、門を開けて顔を出した番方との交渉が始まっていた。
やはり尾張家拝領の品の威力は凄まじく、慌てて門番が引っ込んだかと思うと、今度は用人らしき御仁が出てきて来訪の旨を腰を低くして聞いてくる。
何度かの遣り取りがあった後、とうとう駕籠が御門内に運ばれた。
「で、では、舜水先生がお待ちでござる。こちらへ……」
どうやら鄭成功だとは名乗らなかったようだが、用人によって丁重に邸内に招きいれられた。
私は内心、バチが当たるのではという思いで足を踏み入れる。なにしろ一日に二度も大大名屋敷の邸内に上がる羽目になったのであるから。
大名屋敷は、通常上屋敷と下屋敷に別れていて、藩主様は上屋敷で起居、政務を執り行う。
大大名にもなると、中屋敷という、普段は使わない、予備ともいえる屋敷まで持っているものなのだ。
規模の大きさに恐れおののくと共に、私は藩主様のいない屋敷でよかったと少し安心感を持った。
唐服姿の老人と幼女、加えて浪人者が二人という奇妙な集団が長い廊下を歩く。水戸藩家臣たちは奇異な目を向けてきた。私は目を伏せるしかない。
「ど、どうぞ……」
鄭成功たちの姿に尋常ならざる事態を感じたのか、用人は言葉少なに一室へといざなう。
中には、鄭成功殿よりさらに年配の、古稀は既に越えているであろう白髪の老人が座って私たち、いや、大成たちを待っていた。
私は一目でわかった。
この老人も本朝の者ではない。ゆったりとした唐服、あれは儒学者が好んで着るものだと中途半端な知識で知っている。
それに、鄭成功殿よりもさらに見事な白くて長い髭。
まごうかたなき唐人である。
「こっ、これは夢か!」
その老人は鄭成功殿を見て驚いていた。
「く、草野殿。暫時人払いを願う」
白髭の老人は上座に座っていたが、そこから下がりながら同行してきた用人に慌てて頼む。
「し、しかし先生。私は職務として」
「老人たっての願いじゃ。頼む!」
「……わかり申した……ですが、ご家老様に報告いたす」
そう言って用人たちは周りのご家来衆を連れて部屋の周りから引き上げていった。
「ど、どうぞ……」
またもや広い部屋に少人数が取り残される。しかし、慣れというものがあるはずもなく、私は緊張の面持ちで中に入った。
「久しぶりじゃな。舜水」
「やはり国姓爺殿か。生きておいでとは……」
舜水と呼ばれた老人に上座を譲られた鄭成功はお春を連れてその場に座る。
私と大成は右側に並んで座った。
「ワシが死ぬ前にお主を日本に遣わしてからじゃから、二十年は経っておるのう」
「はい。長うございました……」
二人は無論唐の言葉で話していたので、私には何のことかわからなかった。
気を利かせた大成が、随時説明をしてくれたので助かる。いや、私にはそもそも関わりの無かったことだが、気まずい思いをしなくて済んだ、というところか。
話によると、この白髭の老人、名を朱舜水といい、明国の儒学者であったそうだ。
鄭成功殿とその父・鄭芝龍と共に反清活動をしていて、大成に先駆けて日本へ援軍要請の乞師として派遣されていたが、永暦帝の死を聞くと反清の志を捨てて日本に住み着いてしまったのだという。
「国姓爺殿が御自らお越しとは、私を成敗しに来られたか」
「……苦労をかけたな。髪も髭もすっかり白くなって……」
「勿体無きお言葉。明に背いた私などに……」
「本日は懐かしき先達の様子を見に参ったまで。他意はない」
その言葉にホッとしたのか、舜水先生は我々三人に言及し始めた。
「国姓爺殿。お側の娘ごは? お身内でございますか? こちらの背の高いほうも日本のサムライには見えませぬが」
「大きいほうはワシの孫で大成という。隣は義兄弟の杉森殿だ」
鄭成功殿が突然日本語で私を紹介し始めたので慌ててしまう。
「す、杉森と申します……」
私たちを鄭成功殿の警護役とでも判断したのか、舜水先生は軽く頷いたのみで、やはり唐服のお春が気になるようであった。
「で、こちらの娘ごは? やはりお孫さまで?」
「……お主はすでに反清復明から退いた身。聞かぬが花というもの」
「そうでございますか……」
私は、鄭成功殿の言葉から、この度の水戸家訪問は最初の言葉どおり挨拶に来ただけとわかった。
ホッと安堵する。
が、しかし、その私の安堵を打ち破る事態が起こる。
「失礼いたす。中納言様、急のお渡りにござれば、御一同龍の間に参上されたし」
「なに! 中納言様が!」
先ほどの用人が突然入ってきて、用件だけ告げる。
驚いた。こともあろうに、上屋敷に呼びつけるのではなく、藩主自らが中屋敷に足を運ぶとは。
それだけ急ぐということは、用人の報告で、鄭成功の名はともかく、明の密使が江戸にいるということに感づいたのではないだろうかと心配になった。
ともかく、私たちは用人に案内され、その龍の間という部屋に急いだ。
甲府浜屋敷の謁見の間に似た広間である。
私たちは、舜水先生を入れ五人、下座に着く。
「水戸中納言様~、おな~り~」
前触れの後、水戸中納言様がお部屋に入ってくる。
私の心臓はドキドキであった。
徳川光圀公。あの『天下の副将軍』と世に名高い名君である。庶民にも人気が高く、知らぬ人はいなかった。
畏れ多くも権現様のお孫様であり、先代将軍家光公とは従兄弟同士だ。当代将軍・家綱公は『叔父上』と呼ぶ。
そんなお方が目の前に現れた。
私の心中がお分かりだろうか。
◇◇◇◇
「ひゃーっ、黄門様や! 座長! 黄門様や!」
「う、うん……」
まさか御三家のお一人を浄瑠璃や歌舞伎にしてしまう人間は当節いなかったが、それでも上方者の座長や政太夫もお名前を、唐官名の『黄門』という通称を存じ上げていた。太閤秀吉殿下に匹敵する知名度である。
このくだりには二人とも、鄭成功の登場のくだりのときよりも興奮する。
「先生はとんでもない人らと知り合いでんなあ! ひょっとして、公方はンとも……」
「ですから、知り合いやない言うてますやろ」
私は、何度目になるかわからないが、同じようなセリフを繰り返す。おかげで政太夫も座長もその点については聞き流しているようであった。
楽しければ良い。そんな空気である。
「で、先生。水戸屋敷でも講釈しなはったんで?」
「いえ、とてもそんな気分やなかったンです。わかりますか?」
「わかりますで。私かて、小屋にお忍びでならともかく、お屋敷に呼ばれて殿サマの前で語るいうことなったら、心の臓がもちまへんわ」
政太夫も私の話を聞いてやっと私の当時の心情を理解してくれたようである。
といっても、この場だけだろうが。
「で、先生、黄門様と鄭成功はンはどんな話をしたんでっか?」
「はい、実は大した話はなかったンです」
「え? その取り合わせででっか?」
あからさまにガッカリする政太夫。
「確かに歳も同じぐらいで、気が合いそうでしたけどな、結局黄門様には自分が鄭成功だとは名乗りませんでした。ただ舜水先生の昔馴染みで、明の密使だと、黄門様の推測が正しいことは伝えてました。もちろん目的も」
「なんでやろ?」
「もちろん、舜水先生に気を使ってでしょう。既に反清の活動から身を引いたお人です。御三家お抱えの学者だからと利用するのは気が引けたのではないでしょうか」
「妙な仏心が出たゆうことでっか。サイショウさまに黄門サマ、二人とも味方にしてたらよかったンやないでっか?」
「ほんに、今思うとそうですな」
政太夫の感想は的を得ていた。歴史の一齣は割りと意外なところでその方向が決まってしまうというところだ。
だが、当時水戸様は文化振興に積極的な方として知られていたため、鄭成功もあえて重視しなかったとも考えられる。
私にはその判断が正しかったかどうか、今なおわからない。
とにかく、歴史的にはまったく記載されない、高名な人物同士の対面は特に盛り上がることもなく終了する。
水戸様は援軍の件に関わらないということで話は結した。
対面自体が予定外だったので、然したる失望もなく一同は、すっかり夜も更けたころ水戸屋敷を辞する。
「国姓爺殿、まだお続けるおつもりか?」
見送りした舜水先生が、中納言様のお帰りになられた後小声で鄭成功殿に聞いた。いや、諦めるように建議したというべきか。
「朱姓を賜ってしまっては今更逃げられぬ。おっと、お主も『朱』であったな」
「おはずかしい……」
「いや、お主を責めているのではない。他人にどうこうしろと指図するつもりもない。これはワシが勝手に決めた信念なのだ」
「信念……」
その言葉は、年老いたとはいえ、男の心にずしりと響いたらしい。舜水先生はその後無言となる。
鄭成功殿もそれ以上は何も言わず、駕籠にお春とともに乗り込むと、水戸家の中間たちに担がれ屋敷を出て行く。
私も舜水先生に一礼し駕籠の後に続く。
そのときの舜水先生の表情は形容しがたかった。
《後悔か。或いは自己嫌悪か。それとも昔の闘争心が沸いたのか。どれにせよ、もう過ぎたことなのだろうな……》
私はそんなことを考えてながら大名屋敷の立ち並ぶ通りを歩いていた。
事実、その数年後、大成や鄭成功殿の信念の結果を見届けられず、舜水先生はお亡くなりになられる。享年七十八歳。反清復明はともかく、水戸藩の学問に、いや、我が国の学問に大きく貢献なされた方であった。
その後私は鄭成功殿たちと上野辺りで別れる。
さて次回どうなるか?




