表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/23

書状

2話目です。

 

 大成は小倉藩を出立してからも、目星を付けている諸藩を回った。鄭家が数十年かけて行ってきた活動の一端である。手配りはしてあった。

 海路は、無論非合法ではあったが、明の、台湾の商船がひっきりなしに通っている。陸路は、幸運なことに、宮本伊織の好意で手形を使えた。


 中でも私が驚いたのは御三家の一つ、尾張徳川家とも接触を持っていたことである。

 どうやらここは、明との貿易に非常に興味を持っていたようで、出兵に関しても乗り気であったという。ただし、幕府の出方が気になるのはどこの藩とも同じだったと聞く。

 結局、大成は直接幕府に訴えるしかなかった。



 延宝五年、大成は江戸入りを果たす。私と出会う数ヶ月前のことである。


「御免! 拙者、結城源之将昌成が一子、結城源之将大成! 父に代わりてご挨拶を申し上げるべく帰参いたした!」


 江戸は本所の、とある御家人屋敷。門前で大成が呼ばわる。

 それほど大きな屋敷ではないらしく、すぐに中から小物、つまり使用人が出てくる。かなり年季の入った老人であった。結城源之将の名は知っていたようで、一言挨拶があったあと、すぐさま屋内に招き入れられる。


「何! 源之将だと! バカな!」


 小物の注進で当主らしき男が大成の通された部屋に入ってくる。年のころ四十を過ぎた武士であった。


「そ、そのほうが我が兄、源之将の倅とはまことか!」


 入るなり挨拶も無しに厳しく詰問してくるこの人物に対し、父親から実家の内情を聞いていた大成は落ち着いている。


「いかにも。父・源之将の遺言にてまかりこしました」


「なんと、遺言とな。源之将は海に沈んだはず! おのれ! 愚弄するか!」


「お待ちくだされ。父・源之将はとある島の漁師に助けられたのでござる」


 大成を騙りか何かと思い、この叔父であるサムライはいきり立った。


 それが父の性格と似ていると大成は血の繋がりを感じる。冷静に対応した。


「なんと……それでは遺言とは……」


「今年身罷られました。臨終の際、一目父上に会いたいと申して……」


 これはウソである。大成も父の頼みなので仕方がないと思っていた。


「なんと……」


「父の遺言でござれば、正左衛門殿にお目通り願いたい。祖父殿はお達者か?」


「く……いたしかたない。だが、しばし待たれよ」


「承知。是非もござらん」


 大成の叔父はちらりと縁側のほうに目をやると、やはり疑わしそうな目を大成に向けながら部屋を出て行く。

 縁側にはお春が座っていた。無論、男の子の姿で。足を投げ出して狭い庭をつまらなそうに眺めている。一言の挨拶もなかった。

 半刻ほど大成たちは待たされる。


 再び襖が開けられる。入ってきたのは先ほど応対に出た叔父と、若い侍。私が会ったことのある同心であった。おそらく先ほどの小物が呼びに走ったのであろう、お家の大事と慌てる性格ではなさそうだが、お役目途中に駆けつけたと思われる。

 そして、見るからに具合の悪そうな年配の人物が同心に支えられながら登場する。


 これで役者が揃った。状況が状況だけに女の姿はなく、男三世代だけの対面だったという。


「では改めて尋ねる。そのほうが我が兄源之将の倅とはまことか?」


 上座に老人を座らせ、左右に叔父と同心が付く。大成と向かい合うようにして尋問が始まった。同心はやはり舌打ちを繰り返している。


「まことにござる。これを……」


 大成は落ち着いて持参した荷物の中から一通の書状と包みを取り出し、右側に置いてあった大刀を取り上げて三人の目の前に差し出した。


「これは……遺書。それに髷か」


「いかにも。臨終時に託され申した。この刀も先祖伝来と聞き及び申す。お返し申し上げる」


「おお、確かに当家に伝わる戦国刀、胴太貫! この直刃、刃肉の厚み、間違いない! 昌成が腰の物よ!」


 同心が刀を抜いて検めると、隣の老人が一目見てそう叫んだ。

 同心はおそらく初見だったのであろう、腑に落ちない様子だったが、鞘に戻すと祖父に手渡す。

 老人は我が子を慈しむように受け取った。


「ち、父上。この遺書は間違いなく兄上のもの。さればこの者は……」


「うむ。昌成の忘れ形見に違いない」


「チッ」


 大成は、同心の舌打ちを了承と受け取り、改めて姿勢を正す。


「正左衛門殿、次郎左衛門殿。改めてご挨拶申し上げる。結城源之将昌成が一子、結城源之将大成にござる。長らくの親不孝を亡き父に代わり謝罪しに参った。この通りでござる」


 大成は、まだ死んでいない父の言葉どおり、祖父と叔父に頭を下げた。

 こうなると叔父・次郎左衛門も認めないわけにはいかない。


「あ、頭を上げよ。父が認めた上はワシも認めよう。だが、何故二十年経ってから現れた。事と次第によっては、そのほうを兄の子と認めた上で処罰せねばならぬ」


 次郎左衛門は、二十年前お役目を放棄して行方を晦ませた兄の責任を大成に取らせると言う。家督相続でかなり揉めたそうだ。


「とある島の漁師に助けられ、しばらくは動けなかっった父は、お役目での失態を恥じ、名を変えその島に住み着いたのでござる。拙者も、父の過去は臨終の際に聞かされただけでござれば、詳しいことは何も……」


 すべてがウソではない。

 父親が死んでいないことと、その島が外国である台湾ということだけは秘密だった。たとえ父の実家でもだ。


「そうか……だが、本来ならば我が兄、そなたの父はお役目を放棄した咎で切腹は免れぬ。しかし、死んだ者を責めても始まらぬ。事情を知らぬそなたもじゃ」


「ご寛恕、かたじけない」


「それから、既に結城家はワシの倅、修理之助が継いでおる。異存はあるまいの」


「もっとも至極。家督のことなど口にする分にはござらん」


「む、愚弄するか。我が結城家は、小禄ながら大御所様ご入府の折、この屋敷を拝領奉った由緒正しきお家。いわば譜代の家臣。それを見縊るか如き申し様、許せん!」


「そのようなつもりは……」


「親父殿、いつもは江戸の外れとぼやいてるじゃねえか」


「黙れ、修理之助! この地だからこそ明暦の大火如き大事があっても無事に、屋敷換えすることもなく住まえるのじゃ!」


「こんな辺鄙なところ、誰も屋敷換えしたくねえってこった」


「黙らんか!」


 町方という仕事柄か、同心・修理之助は横柄な口を利く。


「それよりも、お前。まだ言ってねえことがあるだろ?」


 修理之助は父親との無意味な口論を勝手に終わらせ、矛先を大成に向ける。


「何でござるか?」


「ござる、とはご挨拶だな。そこの変ったガキのこった。男ガキのカッコはしてるが、よく見りゃ娘ッコだろ? 怪しいな……」


 さすが同心といえば良いのか、目端は利くようで、お春の正体を見抜いている。羽織の中から房付きの十手を取り出し、これ見よがしにちらつかせていた。

 当のお春はというと、変わり映えせぬ庭を見ているのにも飽きたのか、自分を話題にし始めた同心・修理之助のほうを顧みる。十手を物珍しそうに見ているが、不安そうな様子は微塵も感じられない。


「ああ、そのことでござるか」


 大成も慌てない。秘密組織、天地会の一員として、このような場合の切り抜け方はよく知っているらしい。


「実は……」


「おめえの子じゃねえのは年からしてわかるが、まさか伯父貴の子か? おめえの妹なんか?」


 大成が事情を告げようとすると、十手の威光が武士の大成にはともかく、幼子のお春にすら通じないとでも苛ついたのか、修理之助が先走る。

 これは常識的な物の見方で、私でもそう考えた。

 だが、大成はお春をこの一族に関わらせることを心配したのか、またもやウソで、いや、微妙な発言でうやむやにしようとした。

 そういえば、私もはっきりとは聞いていない気がする。


「この娘は、ある御仁から預かり申した。訳あって素性は申せん」


「そうは問屋が卸さねえ。誰だ?」


 修理之助は十手を笠に問い詰めようとする。


「これを……」


 大成は再び荷物の中からあるものを取り出した。女物の櫛である。


「こ、こりゃあ……」


 修理之助だけでなく、残る二人も、結城家三代が息を呑んだ。

 大成がちらりと見せた櫛には三つ葉葵の紋が付いていたのだ。正確には尾張葵だったが、主家筋の、尊い御紋には違いない。

 それ以上お春についての詮索は憚られた。


 大成が私に打ち明けてくれた事情によると、明への救援要請が確定しないことに対する詫びとして、各藩からそれなりの土産をもらったとのこと。つまり、お春とは全く関わりがないということだ。

 大成は嘘偽りを言っているのではなく、土産を見せただけだと言っている。とんだ如何様だ。

 結城家はここで大成の存在をどうしても認めなくてはならないことになった。

 まずは叔父の次郎左衛門が震える声で確認する。


「げ、源之将ど、どの……お、おぬし、こ、これからこっ、この家をどっ、どうなさるおつもりか?」


「叔父上、拙者は謝罪に伺ったまで。父の所業をお許しいただけるなら、それだけで有り難き仕合せにござる」


「そ、そうか……」


 次郎左衛門がホッとしたところで、最年長の正左衛門が新しくできた孫に声をかける。


「源之将よ。家督は既にご公儀に届けてあるゆえ如何ともしがたい。なれどお前様はれっきとした結城家の総領。これを改めて授ける」


 そう言って、大事そうに抱えていた父の形見という名目の胴太貫を差し出す。

 同心・修理之助は舌打ちをした。


「ありがたく」


「うむ。無骨な刀じゃが、お前様によく似合っておる」


 体格のよい大成が胴太貫を持った姿を見て、正左衛門は目を細める。修理之助はまた舌打ちをした。


 体格こそ負けるが、どう見ても年下で、自分は家督を継ぎお役目にも就いている。だが、突然出てきた総領という存在にどう接したらよいか、距離感がつかめない。

 おまけに徳川家ゆかりの品を持っているという不気味さだ。触らぬ神に祟りなしと無言のままである。


「では、長々とご無礼仕った。これにて暇申し上げる」


 目的は果たしたと大成は腰を浮かす。


「なに? ここに住まうつもりはないと?」


 面倒にはなるが、辻褄の合わぬ大成の行動に次郎左衛門は意外そうな声を上げた。

 大成が釈明をする。


「父は不名誉を恥じ、死ぬまでこの屋敷に足を向けなかったでござる。不肖の息子が居座ったとあれば父も瞑目できぬと存ずる。どうかお察しくだされ」


「む……」


 三人は遺言を盾に取られ、返す言葉もない。


「で、ではどうするつもりじゃ? 島とやらへ戻るつもりか?」


「拙者、この江戸で致さねばならぬ大事があり申す。暫時日本橋の知り合い方に寄寓する所存にござる」


「知り合いとは?」


「廻船問屋長崎屋どのでござる。離れをお借り致した」


「ご公儀御用達じゃねえか。何だってそんなトコ……」


「修理之助!」


 次郎左衛門は息子を、詮索無用とばかりに怒鳴りつけた。先ほど見た拝領の品といい、甥のことながら、御家人の身には手に負えないと判断したのであろう。


「……では、ご一同様、ご健勝で。失礼致す」


 大成は深々と一礼すると、お春を呼び寄せ、立ち上がった。部屋を出て玄関に向かう。三人は呆然と座ったまま見送ることしかできなかった。


「大成。よいのか? おぬしの家であろう?」


 上がり框に腰を掛け、草鞋を大成に履かせてもらっているお春が、無表情だったが、心配そうに声を掛ける。


「いいんだ。父の家の者に迷惑は掛けられん」


「そうじゃの……」


 大成は私に話してくれた。大成の、いや、鄭家の仕事がどれだけ危険なことか。

 父親の頼みで会いに来たものの、関わりのない者たちを巻き添えにするわけにはいかないと、嘘で塗り固めた親族との対面だったという。




「それでは、私は巻き添えを喰った、ということか?」


「義兄上、それは誤解だ。義兄上はただ講釈をして、それが世に認められただけだろ?」


「調子の良いことを……」


 私も怒っていたわけではないが、気になったのでつい口に出してしまう。

 今でこそ義兄だ何だと持ち上げてはいるが、最初から私を、講釈師の誰かを利用するつもりだったのはわかっていた。


「それで、その後は会いに行っていないのか?」


「ああ。修理之助には同心として色々聞くことがあったから、八丁堀の長屋には訪ねたがな。できれば関わらせたくない」


「まあ、わかるが……」


 私も京に両親、兄弟がいる。江戸で武士を捨てたとはとても言えない。その気持ちはよくわかる。

 その後も大成の話は続いた。



 私に会うまでの数ヶ月、必死でご公儀への伝手を探したという。

 居候先の長崎屋から、実は台湾との抜け荷もやっている関係での知り合いだそうだが、上辺だけの伝手ではこれだけの大事、とても本気になって取り上げてはもらえまいと忠告を受ける。


 それで、平和の世に慣れ切った公儀の者たちに戦乱の忠義が如何に素晴しいかを再確認させてから話を切り出そうと思い至ったらしい。『義を見てせざるは勇無きなり』を、武士を名乗る者に実感させようというのだ。

 一歩間違えば、現体制に刃向かう逆賊と捉えられかねない作戦であった。

 日本人としての、武家の血がサムライの国を信じようとする表れだったのか、私には判断がつかない。その点は大成も詳しくは口にしなかった。


「義兄上。これは義兄上を男と見込んで話したんだ。内証に頼む」


「言われずとも。私も命は惜しい」


「では、改めてこれを託したい」


 そう言って大成は懐から例の書状を取り出した。

 私は躊躇しながらも受け取る。

 確かに、話を聞いた以上、見て見ぬ振りはできかねる。


「……おそらく次の講釈ではそのネタ元を聞かれるはずだ。何故一介の講釈師がそれだけのことを知っているのかと。そのときはこの書状、間違いなく渡す。だが……」


「わかった。もし聞かれなんだら、その甲府宰相とやらも、ただの珍し物好きの凡人ということよ。次の人間を探す」


「おい! 言葉を慎め!」


 信奉するものが違うと、こうも大言壮語できるのかと驚く一方、今の発言を誰かに聞かれなかったかと心配する。


「心配無用。ここは長崎屋の息のかかった店だ。抜け荷にも使われる」


「そ、そうか……」


 世の中の闇を垣間見た気がした。ということは以前の船宿もかと慄然とする。

 私は既に抜け出られぬ深みに嵌っているのだ痛感した。




 すべてではないだろうが、大成から秘密を打ち明けられた次の日も、私は辻に講釈を打ちに出かける。

 さすがに今回は乞胸頭たちのところへ報告に行く気がしなかった。それに、自分でも何故かはわからないが、落ち着いたものである。

 ひょっとしたら、余りに大きすぎる話に私のココロが引っくり返ってしまい、そのまま何も考えられなくなっているのかもしれない。

 ならば、そのココロとやらが起き出して、またぞろビックリする前にすべてを終えてしまいたいと考えてしまうのは、私が小心者だからであろうか。


 それから数日後、私のココロがまだ眠っているらしいうちに、甲府宰相様から呼び出しがあった。

 場所は同じく芝のある寺の前。駕籠が止まる。

 私は返事一つしてその駕籠に従った。そして浜御殿へと向かう。


「杉森、待ちかねたぞ」


「はっ、お引き立て、まことに感謝に耐えませぬ」


 甲府宰相様は機嫌よく、庭に畏まった私に声を掛けてくれた。四度目になるも、こればかりは私を緊張させる。

 既に座敷には、私の拙い講釈を耳にしようと人が集まっている。今日は十人近くいる。先日の倍である。まともに顔も見られなかったが、甲府宰相様と、ご家老、学者先生の姿だけはちらりと判別できた。おそらく、その他の方々もいずれ名のある御仁たちであろう。


 私は早速に講釈を始める。

 今回こそ、大成の目論見どおり、明と清の興亡物語である。否が応でも気合が入ってしまった。


「さて、今回申し上げいたしますは明国につきまして。かの蒙古、我が国に二度も攻め入ろうとした憎き元の国を倒して建てられた、いわば仇を取ってくれた盟邦のお話でありまする……」


 私は殊更に明について持ち上げる発言から始める。

 こんな浅知恵が役に立つかは神仏のみが知りえることだろうが、既に私も相当明国に肩入れしているということなのだった。

 明史の前半部分は適宜に端折り、問題の崇禎帝の最後、長平公主、李自成、呉三桂など歴史に名を残すであろう人物の事跡を語った。

 そして清国軍の入関。明国の民が塗炭の苦しみを味わっていると、話を大袈裟に、明国に対する同情心に訴えるかのように進める。


 続いて、四度の講釈の主題となる忠臣の登場である。

 主人公は無論のこと、鄭成功であった。

 既に日本にも話は伝わってきているようで、並み居る大身武士は納得したような声を上げていた。


「……かくして、鄭成功亡き後も鄭家はその身を賭して宿敵・清国に立ち向かい、お家再興を目指しております。果たしてその結末や如何に。これは神仏のみの知るところにありまする……」


 こうして私の講釈は最後となった。

 講釈としての結末が、本当の結末ではないとわかっている宰相様たちは言葉もなく、どう評価すればよいか迷っておられるようである。

 その静寂を打ち破ったのは学者先生の関殿であった。


「杉森どの。お話、興味深うござった。一つお聞きしてよろしいか?」


「なんなりと」


「先日のご講釈の折も思ったのだが、一体如何なる方途でその講釈の内容を得られたのか。失礼ながら浪々の身のご様子。とても書籍が手に入れられるとは思えませぬ。その上今回の明の話など、まるでその場で見てきたか如き語り様。講釈師としての力量だけとも思えませぬ」


「それは……」


 関様のおっしゃりようは的を射ていた。が、私は、本来甲府宰相様に聞かれたら答えるつもりだったので、言葉に詰まる。

 すると、


「余も気になっていた。杉森の知識は幕府お抱えの学者も勤まるほどじゃ。話せ。どこでそのようなことを学んだのじゃ」


 と、甲府宰相様までが私に問いかけてきた。


 ついに時が来た。私は覚悟を決める。


「とある御仁より、様々な書物を借り受けましたのでございます」


「ほう……余程の人物のようであるな。何者じゃ?」


「はっ! 恐れながら、これを……」


 私は震える手で懐から、例の、大成より託された書状を取り出し、用意してくれていた畳の上から地面に降りると、平伏して差し出した。

 先ほどした覚悟とは、今日を以って私の人生が終わるかもしれないというものである。直訴に等しい行為であった。


「控えい! 直訴はご法度ぞ! 講釈師風情が調子に乗りおって!」


 やはりご家老が恐ろしい剣幕で叱責し始める。

 だが、私は今更この書状を引っ込めるわけにもいかなかった。


「じ、直訴ではございませぬ。宰相様より伺われました、件の御仁より宰相様に宛てられた書状にございます。宰相様よりご下問がございましたら、是非ご覧じいただけるようにと託されましたのでございます」


 平伏しながら、私は必死に訴える。まだ私のココロに住まうビックリ虫は起き出して来ないようであった。


「ほう、その御仁とやら、用意のよいことじゃ。主膳、構わぬ。これも余興じゃ。これへ持て」


「ははーっ。これへ持て。宰相様のご意思である」


「はっ!」


 とうとうこのときがやってきた。大成が何を書いたか察しは付くが、内容より、書き方如何で私の処遇も決まる。

 小姓がキザハシを降り、私が平伏しているところに来たのがわかったので、私は顔を伏せたまま差し出す。

 座敷の上は見えなかったが、どうやら無事に宰相様の手に渡ったらしい。封を開ける音が聞こえてくる。


「これは……」


 宰相様は、一言つぶやくと、無言となってしまった。

 外国からの救援要請の書状を、一介の浪人者から渡される驚きは私も自ら経験している。宰相様の心中は容易にお察しできるというものだ。


「余興はこれまでじゃ。皆の者、下がってよい」


「ははーっ」


 上様の弟君である甲府宰相様のお言葉に異を唱える者なぞ居る筈もなく、座敷の上では、私は見えなかったが、客人たちが一礼し、ぞろぞろと立ち去っていく。

 宰相様の指示で庭からも警護の武士が下がらされ、この場には、客人たちを見送ってから戻ってきたご家老を合わせて三人のみとなった。

 私は宰相様のお許しがなければ立ち去るどころか顔を上げることすらできない。


「主膳。読んでみるがよい」


「はっ、では失礼をば……」


 その後ご家老の声が聞こえなかったのを見ると、顔が青ざめてでもいたのかもしれない。それだけの内容なのだ。

 しばらくお二方はなにやら話し合っておられた。


「杉森。面を上げよ」


「はっ!」


 そうは言われたものの、事が事だけに気後れする。だが、知らぬ顔を決め込むためにも、私は恐る恐る顔を上げる。

 やはりご家老は蒼い顔でおろおろしているようであった。


「杉森。この書状を読んだか?」


「宰相様宛ての書状、どうして私如きが目を通せましょうか」


 私は宰相様の言質を取る。内容は知っていたが、確かに手紙の中は見ていない。大成の狡猾さがうつったようである。


「ふむ。殊勝な心がけである。では下がってよい」


「ははーっ!」


 私はホッとすると同時に、心から宰相様に感謝して平伏した。

 が、ご家老がその安堵を打ち破るが如き進言をする。


「なりませぬ! この者、留め置くべきかと存知上げまする!」


「知らぬと申す者を留め置いて如何する。それに、案内役でもあると書き記しておる」


「そ、それは……」


「杉森。後日改めて事情を聞くことにする。下がってよい」


「ははーっ!」


 納得しがたい様子ながらも、主人の意向には逆らうこともできず、ご家老は私の退出を認める。再び警護の武士が呼び戻された。


「よいか。この期に及んで江戸から立ち去ろうなどとユメユメ考えるでないぞ」


「はっ。決して」


 去り際、ご家老から釘を刺された私は、正直に申し上げた。私も今となっては明の、いや、大成の仕事がうまくいくか気になっている。

 ちっぽけな私の命を懸けても結末を知りたい。


 警護の武士に連れられ門の外に出た私は、一歩踏み出したとたん地面にへたり込んでしまった。やっとココロのビックリ虫とやらが起きたのだろうか。

 門の外は既に暗くなっていた。十三日のことゆえ月が昇っている。


 私はその月の光のもとに、しばらくしてから立ち上がると、大成に今日の首尾を報告しようと、居候先と聞いている日本橋に向けて歩き出す。


「ご浪人さん。青木さまのお屋敷はどちらでしょうか?」


 途中、大きな荷物を担いだ行商人に道を尋ねられた。


「不案内ゆえ存じませぬが……」


「杉森様。尾行られています。日本橋には足を向けぬよう」


「お、おぬしは……」


 スッと顔を寄せてきた行商人は、小声で何か忠告してくる。

 瞬時に大成の、秘密組織とやらの仲間であると感じた。


「繋ぎは任せてください。ああ、ご存知ありませんか。こりゃどうも!」


 行商人風の男は、手拭いで頭を包んでいたため日本人か漢人かはわからなかったが、最後のセリフを後ろから私を見張っているという者に聞かせるために大声で言うと、スタスタと立ち去っていった。

 尾行者はおそらくご家老あたりが差し向けたのだろうが、私は男に言われたとおり、そのまま浅草に戻ることにした。

 途中、斬られはしないかとビクビクしたのは言うまでもない。



 ◇◇◇◇



「とうとう手紙を渡しましたか! お手討ちモンですがな!」


「はい。心底肝が冷えました」


「そうでっしゃろな。おー、こわ」


 茶屋の一室では、近松門左衛門の奇譚に政太夫と座長がハラハラしている。決して人に言えぬというのが実感できてきたらしい。

 ここまで話したら、途中で止めるのも芸がないと、私は話を続ける。

 さて次回どうなるか。続きをお聞きあれ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ