VTuber事務所の社長秘書は社長のために頑張る①
私は社長のことを尊敬している。
これから先、どんなことになってもこの人の側で支え続けると心に決めているぐらいには尊敬している。
だからその人が困っているのであれば秘書としてそれを助けるのが役目だ。
私は休日を利用して、ある場所に来ていた。
社長は私の家から出ないようにしっかりと言い聞かせたので問題ない。本当はどんな時でも社長の身を考えるのであれば離れたくはないんですが。
ある場所というのはカラオケだ。私は別にカラオケが趣味というわけではない。ただ待ち合わせをする上でこの場所が最適だと判断したため、カラオケにしただけだ。これからする話はあまり外部に漏れることは望まれない。
だからこそ、カラオケという場所は密室であり、声が漏れることもほとんどない。秘密の話し合いをするにはちょうどいい場所。
相手にはちゃんとメッセージアプリで部屋番号を送っているので、しっかりと来れるはず。
来るまでの間はスマホをいじって時間つぶしをする。
しばらくして約束の人物が入って来たので、私は立って挨拶をした。
「お久し振りです、羽衣石さん」
約束の相手は羽衣石花蓮さん。私が勤める会社でライバーとして活動している方で、ここ最近社長の頭を悩ませている人物。
退職したいという要望を出していて、もう受理されているため、もうしばらくすれば彼女は同僚ではなくなる。
私の挨拶に羽衣石さんも頭を下げて「こちらこそ、お久し振りです、倉掛さん」と挨拶を返してきた。
お互いに向かい合う場所に腰を下ろす。
「今日は私の無理なお願いを聞いて頂き、ありがとうございます」
「いいえ、倉掛さんからのお誘いなんて初めてのことだったので驚きましたが、予定を空いていたので全然大丈夫ですよ」
「そうですか。それはよかった」
私と羽衣石さんはそこまで仲が良いわけではない。仲というか、話したことすらほとんどない。
私は秘書という立場柄、ずっと社長の近くにいることが多い。そして社長はタレントと密に関わるわけではないため、羽衣石さんと顔を合わせることもほとんどない。
だから、お互いに緊張している。
私も羽衣石さんと話すことに緊張しているし、あちらも私と話すことに緊張していると思う。
でも、早いうちに本題を切り出しておかないと時間だけが過ぎていくだけ。
「私が今日、羽衣石さんと話がしたかったんです」
「話ですか?」
「はい、羽衣石さんは事務所を辞めようとしていますよね」
「…はい」
「それは別に構いません。それぞれの人生でそれぞれの判断があるのが普通ですから。辞めるも続けるも個人の判断です。だからそこに関して何かを言うつもりはありません」
それ自体は当然の権利だ。
働く場所を自由に選ぶ権利は全ての社会人にある。
「ただ私が言いたいのは……社長を悲しませないでください。あの人を傷付けないでください」
「………」
「あなたが社長に話した理由は…嘘です。それは付き合いの少ない私でも分かります。あなたと身近な人であれば、あなたの嘘はすぐにわかるはずです」
社長は純粋だから全てを信じてしまっているようですが。
「ですが、本当の理由は分かりません。そこまで私はあなたと密接な関わりを持っていたわけではないので」
彼女はずっと俯いて口をつぐんでいる。
「何より私はあなたが社長のことを大好きなのを知っています。だから、あなたが社長の元を離れるのであれば余程の理由だと思います」
「…な、なんで…?」
「あ、なんで社長のことを好きなのを知っているのか、ですか?」
羽衣石さんは顔を赤らめながら首を縦に振った。
「それは…会議室で社長の写真を見ながら愛の言葉を呟いているのを見てしまったからです」
「…え、ほ、んと…に…?」
「はい、見ました」
あれを見た時は驚いたけど、私も社長のことを尊敬しているし、言葉を変えれば愛していると言ってもいいかもしれない。私以外にそういう人がいたとしてもおかしくない。
「恥ずかしいです…」
「いえ、いいじゃないですか。社長は素晴らしい人なのは事実ですし」
「そ、それでも…あんなところを誰かに見られるなんて」
「別に私はそれぐらいで引いたりしませんよ」
彼女が社長に対して愛を抱いているのは分かっていたけど、聞いてみたいことがあった。
だからここで私は彼女に対して一つの質問をすることにした。
「あなたにとって社長とは?」
「…わたしにとって…社長」
「はい、それを聞きたいです。私にとっての社長は全てです。どんなことがあっても社長のことを支え、社長のために生きていくと決めているぐらいに大切な方です。ではあなたにとって社長は?」
その問いに対して、俯いていた顔をあげてやっと私と目が合った。
「…私にとって社長は…恩人です」
「恩人?」
「はい、この事務所のオーディションが開催されて、応募しました。でもその時の私は自分に自信はなかったんです。最後の最後までオーディションに応募するかも悩んでいたぐらいで」
「そうだったんですね」
「でも、どうにか勇気を出して応募したんです。その時の面接官が社長でした」
「そうですね、最初の頃はずっと社長が面接官をしていましたね」
「緊張しながらも社長からの質問に答えました。何回か、無言になっちゃったり、嚙んじゃったりして聞き取りにくかったと思いますけど、社長は急かしたりすることもなくてただずっと待ってくれましたね」
「そうでしょうね。社長は急かさず、静かに待つタイプですし」
「そして、面接が終わるタイミングで社長はこう言ったんです、『あなたはもっと自分に自信を持っていい。あなたが自分で思っているよりも素晴らしい人ですから』と」
そう話した時の彼女は本当にその言葉が嬉しかったのか、誰にでも伝わるぐらいに笑顔を浮かべていた。
「誰にもそんなこと言われたことありませんでした。自分はダメな人間だとずっと思い続けて来ましたから」
彼女にとって、社長の言葉がどれだけ嬉しいものだったのかは本人にしか分からない。言葉からも表情からも、言い表せないぐらいに嬉しかったのだというのは分かる。
「でも、社長は私に『自分に自信を持っていい』と言ってくれたんです。その日から私は少し自分に自信を持てるようになったんです。あの言葉がなかったら、この活動もここまで頑張って来れなかったと思います」
やっぱり社長、あなたはすごいですよ。
言って欲しい言葉を伝えてくれる。
そしてその言葉の所為と言えばいいのか、お陰と言うべきかは悩むけど、人の心を奪ってしまう。
もうそれは一種の魔法のようで、鎖のようで。
「だから…私にとって社長は恩人なんです。私という人間を変えてくれて、私に頑張る理由をくれて、活躍する場所をくれた。もう恩人という言葉で言い表せない存在です」
そこで彼女の話は止まったため、私は質問をぶつけてみることにした。
「そしてそんな恩人の元を離れる理由を教えてください。余程のことでないと説明できません。あなたは私と同じ位、社長に対して強い気持ちを持っているはずです。それなのに辞める決断をしたということは…」
「これは社長に言わないでください」
「……分かりましたとは言えません。それはあなたの理由を聞いてから決めます」
ここで「分かりました」と言い、後で社長に言うような卑怯なことはしたくない。
「……本当に倉掛さんは正直ですね」
「あなたに嘘は付きたくありません」
「そうですか…じゃあ話しますね」
「いいんですね?」
「倉掛さんの方から教えて欲しいと言ったんですよ?」
「そうですけど……」
「いいんです。これは私の意思で決めたんです」
「そうですか」
そして彼女は自分が辞める決意をした話をしてくれた。




