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吸血鬼の孫



 盤上、双方の玉を守る囲いには、徐々に綻びが生じ始めていた。

 奇襲戦法に始まり、中盤には急襲、いかにも果敢な攻め将棋のレディと渡り合うのに、受け一辺倒では圧に負けて押し切られてしまうばかりだ。奏太は己を奮い立たせ、攻め合いを選択した。性格的にも我慢強く相手の攻めを受け止める粘りの棋風を自認している奏太にとっては、賭けとも言える決断である。

 レディの攻め手に屈しないためには、レディの繰り出す以上の攻めで応じなければいけない。首筋ぎりぎりのところを刃が通り過ぎるような心持ちがした次には、髪の毛の先を散らすぐらいの一撃を繰り出さなければならない。その次に放たれる一撃はこの鼻をへし折るものであるかもしれないが、よしんばそれを正面から食らうことになったとしても、踏ん張って、まだ決して倒れずにいなければ。

 だって奏太は、隣に座るこの女性と結婚したいのだ。

 どういう人なのか、という質問は、母にも父にも向けられたし、奏太も月渚の両親から問われた。しかしレディはまだ、そういう問いを口にしていない。

 興味がないのではない……、と思う。

 レディにとって重要なのは、弓岡月渚という女性がどういう人物であるかということではないのだろう。奏太がどれほどの思いの強さでこの女性と結婚することを願っているのかという点のみを、レディは見据えている。月渚がどんな生まれで、どんな育ちで、何をしていて、……目の前にいて見せている姿、奏太と二人きりのときの姿、奏太といないときの姿……、そういったものがどれほど優れたものであろうと、奏太の情熱がレディの心を動かすほどのものでなければ、結局のところ弓岡月渚という女性の評価もその程度で終わってしまう。奏太にどれほどの力を、熱を、発揮させる人物であるかを、レディは見極めようとしているのだ。

 恐ろしい戦い、激しい攻めに晒されながらも、奏太は同時に、この老女に向かういとおしさを止めることが出来ない。優しいところは決して見せない、甘さなんてこれっぽっちもない、……けれど、そうであるがゆえに、この人がいとおしい。

 夏休みも終盤に差し掛かったころだったと記憶している。

 レディは時々、奏太をこの城に独り置いて出かけて行くことがあった。かつてレディに世話になった母の当時の言葉によれば、「あたしが初めて会ったときは、銀座のママをやってたって話よ。でも、いまも、色んなことをしている」らしい。具体的な「色んな」は後になって知ったが、大きく言えば、コラムニスト、エッセイスト、そして評論家。

 将棋に関する仕事ではないのはやや残念な気がするが、かつて銀座で「麗子」という店を繁盛させ、その栄光の最中、店から退きこの湖畔の洋館に引っ込むという転身が多くの関心を呼んだらしい。店での彼女の姿を知る人々の中に、雑誌社の幹部がいて、彼女に執筆の依頼を寄せたことをきっかけに、スポーツ新聞には今風に言えば「夜の銀座あるある」的コラムを書き、その中で垣間見せた鋭い視点が評価され、評論を文芸誌に掲載されたこともあるらしい。

 時代は昭和から平成に移り変わり、既にバブルの栄華も過去のものとなっていた。新たな時代の中、レディは煌びやかな過日の銀座を、決して甘ったるく回顧するのではなく、むしろ自らもその狂躁の一部であったことを静かに悔やみつつ、ありのまま受け止めて言語化するという仕事をした。奏太はいくつかその文章を読んだが、自他の境なく向けられる鋭い視線を感じさせる文体に、上品な諧謔(かいぎゃく)を交え、風格のようなものが滲んでいた。

 その日も、おそらくそうした仕事の関係で日中家を空けていたのだろう。夕刻に帰って来るなり、レディは「出掛けるよ、支度しな」と言った。

「下の神社で祭をやってる。今から火を使うのは億劫だから、晩飯はそれで済ませるんだ」

 このころのレディはほとんどお化粧というものをしなかった。この日も、帰って来て冷たい水で顔を洗い、赤い口紅をすっと引いただけ。どうしてそんなに時間がかかるんだと思うぐらいにいつまでも鏡台の前に座っている母の姿と比べて、いかにも身軽で格好いいと十歳の奏太は思っていた。大人になってからは、銀座で「麗子ママ」をやっているころには母とは比べものにならないほど時間をかけて身支度しなければならなかったはずで、きっとその反動もあったのだろうと想像することもできるが。

 レディに連れられて出掛けることはこれまでにも何度かあったが、それはいずれも都心や、近くても所沢か川越ぐらい。この森に囲まれた人造湖については、初めてここへ来た日以来、まだ奏太は一個も知らなかった。レディには、独りで出ることは禁じられていたし、そんな暇もないぐらい、レディから課せられる仕事と将棋、……合間には宿題も、ちゃんとやった律儀な奏太であった。

 そんな日々の中で、奏太はこんなことを考えていたのである。

 レディには近所に友達がいないのかもしれない。

 庭の花壇に水をやるときに、奏太を見かけてこちらを見た人や、バルコニーの手すりを掃除しているときに、見上げて指を差した、奏太と同じくらいの歳の男の子……、薄く滲んだ嫌悪感か、そうでなければ蔑視のようなものを、奏太は感じて嫌な気持ちになったのだ。

 奏太が「なんだか、知らない人が指差してきました」と報告したら、

「ホースの水でも引っ掛けてやればいいさ」

 レディは無表情にそう言ったのである。

 そういうレディだったから、近所の祭に連れて行くと言い出したのは意外だった。きっと、ただ単に晩ごはんを作ることを面倒くさがったわけではないだろう。レディは短い時間でもきちんとしたご飯をしっかり作ってしまうスキルを持った人なのだ。

 バス停から少し降りたところには、住宅街が広がっていた。のちに奏太が上京してから見るようなマンションやアパートではなく、一軒一軒がゆとりのある広さの、……ありていに言ってしまえば、豊かさを感じさせる家々が、傾斜地に建ち並んでいる。長い坂の先には、駅の光が見えた。道の途中で折れてしばらくすると、忽然と姿を現した長い石段、湖の周りと同じく色濃い緑の森、鳥居、そして妖しく赤い提灯に、スピーカーから流れる祭囃子の音。

 夏の夜風に乗って、焼きそばのソースのにおいがわずかに漂ってきた。

 レディは足が速い、……風のように歩く。奏太は息が上がり、汗を滲ませていたのに、彼女は平然としていた。このとき彼女は既に六十五歳であったことを、奏太は信じられない気持ちでいる。奏太が背中を丸めていると、「姿勢が悪い」と厳しい声が飛んできたものだ。

 神社の境内は混んでいた。この近所中の子供がやって来ているようだった。薄暗がりの中ではレディに視線を向ける者はいないようだ。短い白髪に痩せて美しく、女性としては背の高いほうであるレディはどこにいても目立つけれど、祭の夜にははもう少し手近なところで視線を誘うものが多かった。レディは奏太に焼きそばとたこ焼きを買い与えてくれた。彼女は特に楽しそうにするわけでもないが、かといって不機嫌な様子でもなく、本殿の脇の小さなベンチに奏太と並んで腰掛けて、雑踏を眺めていた。

 奏太と同じぐらいの子供たちはみな、子供同士だけでいる。それより少し幼くなると保護者に連れられている。この辺りの学校で何かそういう取り決めでもされているのだろうか。

「あんたの住んでいるところのほうが、きっともっと大きな祭をやってるんだろう」

 奏太には顔を向けず、レディは言った。

「……やってる、と思います。でも、行ったことはないです」

「どうして」

「……行っても、楽しくないから」

 子供だけで行ってはいけません。と言われているから……、ではない。行ったって面白くないと思っていたからだ。

 不登校になったことこそなかったものの、奏太は明るく元気で友達の多いタイプの児童では決してなかった。友達と呼べるような相手は思い浮かばず、先生に当てられなければ学校にいる間じゅう一言も発さない日だってあったぐらい。同級生が、恐らくはさほどの悪意もなく向けてくるのであろう言葉の一つひとつに、奏太は律儀に動揺し、傷む癖があった。繊細と言えば響きがいいが、臆病で心の細い男児だったのだ。

 具体的に話したことはなかったが、そういう奏太であることを、レディは知っていたのではないか。盤を挟んで向き合っているとき、彼女は奏太をよくこういう言葉で叱った。

 ……攻めるか守るか迷って判らなかったら、攻めることを考えるんだ。将棋ってのは、一度守りに回ったらずっと守り続けなきゃならない。それじゃあつまんないだろう。守りたいと思っても、そこで踏ん張って立ち向かう……、そういう勇気が将棋には必要なんだ。

 将棋を通して、この貧弱な少年を鍛え、少しは心の強さというものを身につけさせてやろう……。レディが同意してくれるかは判らないが、奏太は彼女がそう考えて奏太と接してくれていたのではないかと思っている。十歳の奏太自身はそんなことには無意識で、このおばあちゃんはほんとに怖いな……、と思いながらも、いい手を指せばきちんと褒める言葉を贈ってくれることには、ずいぶん勇気付けられてもいた。はじめのうちはお母さんに早く迎えに来て欲しいと思っていたし、家に帰りたい気持ちも強かったのだが、よくよく考えれば家に帰ったってどこかへ連れて行ってもらえるわけでもない。先述の通り友達もいないし、面白いことなんて何もない。それならばレディの小間使いとして過ごす夏も悪くなかったのではないか……。

「焼きそばは美味かっただろう」

 奏太はこくんと頷いた。

「衛生的にどうかとは思うけど、どういうわけかこういう屋台の焼きそばってのは美味いんだ。……あたしがあんたぐらいのころ、この国はいまよりもっとずっと貧しくて、物もなくって、……でも、夏になると近所でこういう祭をやってたよ。あたしは将棋指しの家に厄介になっていたんだけどね、その将棋指しの弟子の、……将来は自分も将棋指しになろうっていう連中と一緒に、小遣いを握りしめて祭に繰り出したもんさ」

 これはレディが語る初めての昔話だった。焼きそば、イカ焼き、タコ煎餅……、レディは西の方の生まれだと教えてくれた。十五歳までその棋士の人のところへいて、中学を卒業するなりそこを離れ、働き始めたと聞いて、驚いた。奏太には、あと五年で社会に出るなんてことは到底できないだろう。

「出来る出来ないじゃなくて、やらなきゃなんなかったのさ。通子……、あんたのお袋だって、親父に捨てられて、……もう亡くなったんだっけな、あんたのおばあちゃんと二人で路頭に迷いかねなかった。塞がりそうな道をどうにか切り開いて来たんだ」

 そこで、彼女は少し、表情を和らげた。

「あんたが生きる世界は、そんなことがないといいね。……まあ、あたしが若いころとは違う……、あのころは戦争が終わったばっかりで、この国は大怪我から治ろうかって時期だったからね。でもって、あんたのお袋が子供のころっていうのは、社会全体が熱病に罹って冷静さを失っちまってるようなころだった。そう考えれば、……今はずいぶんマシだろう。春にでかい地震があった、住む場所を無くした人たちもたくさんいる。恐らく元の形には戻らないだろう……、それでも、仕事をしてる連中がたくさんいるよ。あんたが最初に来た日にいた、あの男もそうさ」

「あのおじさん……?」

「あたしの古い知り合いなんだ。……偉そうなことを言ってたわりに、ちっとも偉くはなっちゃいないけどね」

 レディはずいぶん愉快そうに笑った。レディがそんなふうに笑う顔を見せてくれたのは、そのときが初めてだった。彼女は上機嫌に財布から千円札を出して、奏太に握らせた。

「暑いから、かき氷を買っておいで。あたしはイチゴがいいな」

 レディは紅いものが好きなのだろうか、口紅も赤だし、お味噌汁は赤だし、毎日朝夕にトマトジュースを飲んでいる。奏太はちょっと苦手なのだが、「薬だと思って飲みな」と言われて、仕方なく付き合っている。

 人の波を掻き分けてかき氷屋の屋台を見付け、左手にレディの氷イチゴ、右手には奏太の氷レモンを手にレディの元へ戻ろうとしたときだった。

「おい見ろよ、あいつ、吸血鬼ババアのとこのやつだ」

 声変わりの始まりかかって、掠れ濁った声に振り向けば、このころ背の順で前から二番目だった奏太より頭ひとつ近く大きい、甚兵衛を来た男子が立っていた。人間として生を享けて十年、愛想を出し惜しみ迫力のある態度で奏太に接するレディの中に優しさを感じることができるように、笑っている顔の中にも隠しようのない悪意、害意を捉えることが出来てしまう。

 また、それに対する正常な反応として、咄嗟に心が防御体勢を築いてしまう……、そういうとき、反射的に顔に、特に目に浮かべる弱々しさがまた、見る者の嗜虐性を刺激するのだ。

 相手は四人組、五年生だろうか、ひょっとしたら六年生かもしれない。まだよく知らない街の、名前も知らない子たち、でも向こうはこちらがどこに住んでいるかを知っている。知らない相手であるがゆえにか、「吸血鬼ババア」なんて失礼な言葉をぶつけることが可能だし、ぶつけてやった後の顔を見れば、両手にかき氷を手にしたこの小さな四年生に実効力のある反撃を繰り出せるわけもないことは容易く想像が出来る。

 同じ学校ならば、本当に近所に住んでいるならば、こうは行かないだろう。法律や倫理よりも身近な親や先生に嫌なことを言われるから。……そういう想像が出来てしまえるぐらいには、奏太自身にも子供の強さと弱さについて語ることができるのだった。

 夜にも残る蒸し暑さの相俟って、奏太の額から嫌な汗が伝い始める。四人に囲まれ背中を押され、人混みから出外れた。祭囃子の声が遠ざかり、虫の声がはっきり聴き取れる暗がりの中で、

「なあ、おまえあの吸血鬼ババアの孫なんだろ」

 尖った声を投じられる。

「違うのか? 何とか言えよ。あのババア気持ち悪いんだよ、ちょっと入っただけでホースで水掛けられそうになったしさ。あんだけ人が来るのが嫌ってことは、どうせあの邸になんかろくでもないもん隠してるんだろ、犯罪者なんだよ」

「うちの親もあそこには行くなって言ってるしな。あそこに住んでるのは銀座でいっぱい悪いことをしたババアだって言ってた」

「ああいう女に引っ掛かったら一生沼から抜け出せなくなるんだってさ。水商売の女なんだろ、男の生き血を啜って生きて来たんだろ」

「おまえももう、あのババアに血を吸われた後なんだろ」

 暗がりの中、祭の灯りを背景にした四人の目と口ばかりがぬらぬらと光って見えた。奏太はかき氷を手にした自分の手と、大地を踏み締めて立つ足が震えていることを自覚していた。喉がぐっと苦しく締まって、鼻の奥が痛くなって。

 泣いてしまう。

 泣いてしまったら、壊れてしまう。

 そう思うから、必死にそれを押し留めようとする。我が身を襲う理不尽に、押し潰されてしまいそうになったそのとき、心の茂みを掻き分けて奏太の内側から声を発するものがあった。

「ババアじゃない」

 声帯の、出し慣れていないところを使ったからだろう、……レディのように鋭く強く低い響きを伴うことはなかった。

「吸血鬼じゃない!」

 それでも、奏太の声は迫り来る目と口を痺れさせた。

 あと一手で負けてしまう……、という瞬間が、将棋にしばしば現れることを奏太はレディとの対局の中で学んだ。

 その手を見逃せば、あとは負けまで一直線という局面。しかし、そこからでも逆転が起こりうるのが将棋であるということも、併せて奏太はレディから習った。相手が攻めてくる、こちらは苦しい、……そういうときこそ、局面を打開する手はないかと目を凝らす。

 奏太は、サディスティックに自分を責める少年たちの中に、得体の知れないものに対する恐怖心があることを見抜いていた。湖畔の洋館に一人住む、男装のレディ。興味はあるけれどコミュニケーションの取りようがなくて、おいそれと近寄れば排除される、理不尽さを感じて、「敵」と見做す。直接近づくことはもう怖くて出来ないけれど、奏太はこの通り小さくてひ弱な子供でしかない。自分たちの中にある恐怖を、奏太に攻撃を加えることで克服しようとしているのだ。

「あの人は、吸血鬼なんかじゃない。とっても強くて、カッコよくて、怖いけど優しい人だ。僕の……、僕のおばあちゃんだ!」

 恐怖による刃によって齎される恐怖を振り払うように、左手を正面の少年に向けて投げつけた。ばしゃっと音が響き、少年が「つめてぇ!」と高い声を上げて飛び退き股間を抑える。早くも溶け始めていた氷レモンが、彼のクールな甚兵衛の下腹から太腿までをぐっしょり濡らした。

 憤怒に満ちた目を向けられても、奏太は一歩も退くつもりはなかった。

 ……まったく、いま振り返ってみても、羽田奏太の人生においてあれほど凛々しく強く在った瞬間は他に一つもない。残念ながら彼は弓岡月渚をして「とっても優しい人」という評価に留まっているのである……。

「何をやってるんだ」

 低く強く、恐ろしい声、……ドスの効いた声って言うんだと、後年になってから奏太は知る。それほどヴォリュームが大きいわけでもないのに、少年たちはたちまちすくみ上がった。

「いつまでも戻ってこないと思ったら。近所のガキどもか。人ンちの花壇を踏み荒らすのみならず……」

 退きな、とレディが押し退ける。彼女は奏太の手にかき氷が一個しかないこと、股間の濡れた少年の足元に氷レモンのカップが転がっているのを見て、見たこともないぐらい嬉しそうに笑った。レディのお金で買ったかき氷を一つダメにしてしまったことを叱られる覚悟を決めていたのに、

「……やるじゃないか」

 彼女はぽん、と奏太の頭を撫でて、左手を取り、歩き出す。

 そして振り返ることもなく、

「覚えときな、あんたたち。二度と再びうちの()にちょっかいを出すような真似をしたら、次はタダじゃおかないってね」

 これまで奏太が聴いたどの声よりも最も恐ろしい声を少年たちに聴かせた。

 ……後年このときのことを振り返る奏太には、親がレディの仕事を文章を通して知り、妬みと蔑みの入り混じった感情を向けているのを目にした少年たちが、「吸血鬼ババア」という物語を作り上げたのだということは容易く想像が出来るのだった。苦労の末に銀座でママとなり、辿り着いたのが湖畔の城。藤原麗子という人の真っ当な努力のすえのことであったとして、一般の枠に収まる宅地住まいの人々には、不条理な妬みの対象となっていたのだろう。

 すでにだいぶ溶けてしまった氷イチゴを、先の開いたストローですくって一口食べたレディは、次の一口を、奏太に差し出した。

「え」

「え、じゃないんだよ。口開けな」

 恐るおそる言葉に従ったら、ひょいと放り込まれた。まだしっかりと冷たく、はっきりと甘い。レディは赤いシロップのたっぷりかかったところを奏太に食べさせてくれたのだ。

 奏太はなおのこと申し訳なくなった。

「ごめんなさい、レディ。せっかく買ってもらったのに、台無しにしちゃって……」

 レディは表情を変えなかった。

「……夢を壊すようなことを言うもんじゃないとは思うが、現実ってもんを子供に教えてやるのも大人のつとめだと思うから教えておくよ。奏太、かき氷のシロップっていうのは、色と香りが違うだけで、全部同じ味なんだ」

 虚を衝かれた奏太の口に、レディはまた赤い氷を放り込む。

「だからこの赤いシロップと、あんたが食べるはずだった黄色いシロップは同じ味がするし、あたしはよく考えたら元々一杯丸ごとは多すぎる、……あんたに後で腹を壊されてもかなわないしね。だから、これぐらいで丁度いいんだ」

 二人で一杯の氷イチゴを空にして、祭を後にするとき、暗いからと言ってレディは手を繋いでくれた。母親ではない女性と手を繋ぐのは、あのときが紛れもなく初めてのことだったと断言できる。レディは奏太が「おばあちゃん」と言ったことを最後まで責めず、家に着いて灯りを点けるなり、

「舌を出しな」

 と命じた。

 彼女は奏太の舌の色を見て満足げに微笑み、自らも舌を出した。氷イチゴのシロップですっかり真っ赤になった舌を見せて、

「これじゃあまるで、吸血鬼のババアと孫だね」

 と笑って言った。

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