第2話 未処理のままにはしない
検分場は、砦の外れに急ごしらえで張られていた。
片側だけ屋根のある長い張り出し。その下に、泥へ半ば沈んだ長机が三つ。割れた車輪、裂けた幌、血のついた縄、矢の刺さった板。帰ってきたものが、戦場の形のまま積み上げられている。
風が吹くたび、帆布の端がばたついた。
運び込まれた負傷兵のうめきが近い。遠くでは、まだ荷の積み替えが続いていた。静かな場所ではない。戦いの後ろ側が、そのままここへ押し寄せている。
その真ん中で、ラザール・ヘニングが声を張っていた。
「順番を守れ。破損物は左だ。札を切って未処理箱へ。証言はあとでまとめる」
黒い上着は泥ひとつついていない。机の上には控え板、細筆、封蝋、差戻し印。ラザールの前だけ、この場が戦場ではなく処理場に見えた。
「補給分を先に通す。護衛損耗は別欄。越権行為もあとで拾う。止めるな、流せ」
その机の前に、トーマが立たされていた。
右肩から胸にかけて包帯が巻かれている。顔色は悪い。立っているだけでやっとなのに、呼び出し札を握らされている。札には新しい墨で順番が書き足されていた。
後ろへ回されている。
リオンはそれを見て足を止めた。
トーマも気づいた。何か言おうとして、唇だけが動く。
その前に、ラザールの部下が札を取ろうとした。
「まだ立たせるのか」
低い声が落ちた。
部下の手が止まる。
ラザールが顔を上げた。
「グランフェルト卿。あなたの処理は後です」
「そいつは後列にいた」
リオンはトーマの手から札を抜き取った。書き足された墨を一度見て、それから机に置いた。
「一度切られかけた列に、もう一度順番を押しつける気か」
ラザールの眉がわずかに動く。
「立会いは必要です。生存者の順は現場で変わります」
「勝手にな」
リオンはそれだけ言って、机を離れた。
誰も止めない。止められない。まだ血の乾ききらない鎧で、あの男は破損物の山へ向かった。
リゼット・アシュベルは張り出し柱の影から、その背を見ていた。
第1話で見た背中と同じだった。誰より先に危険へ入る背中。だが今は剣を抜いていない。代わりに、切り捨てられかけたものを拾いに行っている。
見た責任が、まだ胸の奥から抜けていない。
リオンは四番車の前でしゃがみ込んだ。
輸送隊の先頭にいた荷車だ。右前輪は砕け、車台は斜めに落ちている。幌は大きく裂け、側板には矢が二本残ったままだった。
「それを未処理に入れるな」
ラザールの部下が言い返す。
「破損物です。後で照合します」
「後だと消える」
短い声だった。
リオンは傾いた車台の下へ腕を差し入れ、泥を引きずるように木箱を引っ張り出した。重い音がして、近くにいた荷役兵が身を引く。
箱の角に、赤い蝋の欠片がこびりついていた。
普通の補給印ではない。再封印の跡だ。
ラザールの目が細くなる。
リオンはそのまま蓋の裂け目に指をかけ、板をこじ開けた。
中から覗いたのは、布ではなかった。
鈍い鉄の光。
鏃束だった。
ざわめきが走る。
ラザールがすぐに口を開く。
「襲撃後の混載でしょう。帰還途中で積み直された可能性はいくらでも——」
「この沈み方でか」
リオンは四番車の車軸を指した。
前荷重だけが異様に深い。泥へのめり込む角度が、他の車と違う。
「軽い箱の入り方じゃない」
それ以上は言わない。
見る者が見れば分かる形だった。
リオンは今度は砕けた車台の脇から、革の書類袋を引きずり出した。切られた荷運びの腰から落ちたものらしい。泥をかぶっているが、内袋は濡れていない。
中の紙束を、近くの木箱の上へ落とす。
控えが数枚散った。
その中の一枚に、家政印の残る欄があった。
「読める奴」
呼ばれて前へ出てきたのは、灰色の外套を着た痩せた男だった。袖口に墨の染みがある。検分場書記、コルネル・サイス。
彼は紙を受け取り、封印欄を見て、文面へ目を落とした。
「……積載変更控えです」
場が静まる。
コルネルは読み上げた。
「四番車。医薬予備二箱を削除。鉄材箱二、石弓鏃束三を追加」
一拍置いて、続きを読んだ。
「護衛列は、そのまま」
今度は誰も声を出さなかった。
ラザールが口を開く。
「変更は運用上、珍しいことではありません」
だが、その言葉は広がらない。
コルネルの指が紙面の下半分で止まっていたからだ。
「護衛再計算欄が空です」
その一言でよかった。
周囲の兵の目が、一斉にその紙へ落ちる。
ラザールの手が机の上で動いた。差戻し印に触れかけ、止まる。別の札へ伸び、また止まる。
処理の手が一本、折れた。
リオンは紙を見たまま言った。
「一人で閉じるな」
怒鳴りはしない。
だが、その声は机より重かった。
ラザールが低く返す。
「紙一枚で現場を止める気ですか」
「止まる紙なら止める」
リオンはトーマを振り返らない。だが視線の先には、まだ立たされたままの生存者たちがいる。
「流していい順番じゃない」
その時だった。
「違います」
凛とした声が差し込んだ。
何人かが振り向く。
リゼットが柱の影から出ていた。血の残る長靴で泥を踏み、長机の脇まで歩いてくる。視線が集まっても、足は止まらない。
ラザールが険しい顔になる。
「アシュベル卿。証言は後で——」
「私はその場にいました」
リゼットははっきり言った。
「彼が入らなければ、後列は崩れていました」
それだけだった。
だが十分だった。
戦場を見ていない者の処理と、見た者の一言。その重さの差が、検分場じゅうに落ちる。
言い切ったあとで、リゼット自身がほんのわずかに息を呑んだ。予定していなかったのだろう。だが、もう引かない顔をしていた。
見た責任を、置いていかない顔だった。
リオンが一度だけ彼女を見る。
その視線を受けて、リゼットの喉が小さく動く。けれど彼女は目を逸らさなかった。
コルネルが新しい紙を引いた。
「四番車は未処理箱へ入れません。積載変更控えは別保全。生存者証言は分離記録。単独処理不可で回します」
筆が走る。
未処理で押し流されるはずだったものが、そこで止まった。
ラザールが一歩前へ出る。
「勝手な判断です」
「違います」
コルネルは顔を上げずに答えた。
「閉じる順を変えただけです」
その返しに、ラザールは何も継げなかった。
机の上には、差戻し印。未処理札。控え板。いつもなら流せる道具が、今だけ全部役に立たない。
トーマがようやく膝を折った。
リオンはその気配だけで振り向く。
「先に座らせろ。手当てだ」
近くの兵が慌てて駆け寄る。今度は誰も止めない。
検分場の空気が、さっきまでと変わっていた。まだ決着ではない。だが、もうラザール一人の手では畳めない。
その時、張り出しの外から足音が響いた。
伝令兵が泥を跳ね上げて駆け込んでくる。手には赤紐付きの呼び出し札があった。
「リオン・グランフェルト卿!」
場の視線が集まる。
伝令兵は息を整える間もなく、札を高く掲げた。
「仮設指揮所より当事者呼び出し! 今回の輸送隊襲撃、および廃砦引継ぎの件で、至急出頭を求む!」
赤紐付きの札が、机の上へ打ちつけられた。
控え紙の上に、墨で書かれた名がはっきり見えた。
リオン・グランフェルト。
ラザールの手が、その札へ伸びかける。
だが触れる前に止まった。
もう、その名は未処理箱へ落とせない。




