第81話 フジ・カケルvs芦屋薪悟 ②
今、炎の青年アブソリュート・ブレイズ……芦屋薪悟はアブソリュート・アッシュことフジ・カケルを知る。軽妙極まりなく、軽薄、軽快。今、その口から立ち上るタバコの煙のように。そして打撃と防御はその軽い力を技術で重みに変換し、盤石とする。あまりにも繊細、緻密なコマンドと動作がそれを支えている。そして芦屋薪悟は己を知る。力強く手を開閉。白と赤が翻る、血の通った手だ。既にこの手の中にあったのだ。
「どうした、デクノボー」
咥えタバコの不明瞭な喋り。口の動き、タバコの動きに敏感に、煙は広がる範囲も霧消する速度も忙しなく変わる。
「デクノボーか」
薪悟はそれに憧れた。そしてすべて失った。無欲。無欲では仲間も恋人も繋ぎとめることが出来ない。彼らが離れると決めればするりと手から抜けていく。だが、小指の欠けた今の手は既に掴んでいる。
「デクノボーでいいんだ。以前とは違う意味で」
「だろうな。前の履き違えたままだったら、デクノボーと言われただけで恥ずかしさで憤死だぜ、俺ならよぉ」
元からデクノボー。そして今は肝の据わったデクノボー。デクノボーは緊張さえ感じない鈍感だ。憧れのアブソリュート・アッシュが相手。払った犠牲は大きく、あの頃抱いて仲間たちに宣言した夢と実現した今の夢が同じかもわからない。だが気負いはない。一切の攻撃が当たらない現在もなお、薪悟は新たに自分で定義したデクノボーを強みと認識していた。
「いぃくぜぇ」
フジがスタートの構えをとった。バチッと炸裂音と電光、そして煙を置き去りにアブソリュート・アッシュはブレイズの目前に迫っていた。ドンピシャだ。さっきと同じだ。この距離は“感じる”。
「バルダァッ!」
プロキシウムチャクラムを這わせた腕が届く範囲が薪悟にとってドンピシャだ。
彩凛の父にして、自分に寝食を与え、大工仕事を教えてくれた偉大なるマイオス。そのマイオスが工務店の傍らで開く道場。仕事で嫌なことがあるとマイオスは薪悟を連れて道場で型の練習をした。社長であるマイオスが嫌な思いをしたのだから、きっと薪悟も嫌な思いをした。従業員の薪悟のストレスも社長のストレスだ。自分では言い出せない、解消の仕方も知らない“息子”を誘って一心不乱の正拳突き。肌に触れない父の拳骨……。なんと温かく逞しかったことだろう。
そして彩凛がブレイズ超えを証明した“絶対会心”のように、薪悟も基本のキである拳に炎の刃を乗せる。
「ぷえっ!」
「バッ!?」
吹き出したタバコが眼前を舞い、灰と煙が目に纏わりついた。一瞬視界が途切れ、正拳突きは今度はフジの頭上を穿つ。そして薪悟の上半身に刺激が走る。フジが薪悟に抱き着き、がっちりとホールドしたのだ。……感じない。至近距離、そしてばっちりの高さのはずだったのに……。
「あばよクソッタレ!」
そのまま後ろにぶん投げるベリートゥベリースープレックス! だが薪悟の肉体はタフだ。嫌になる程、呆れ果てる程にタフだ。それをフジもわかっている。薪悟の受け身は完璧だった。まだ体勢を立て直すことが出来ていない。だがフジにとってはここまで計算通りだと拍子抜けなくらいだ。
「セエアッ!」
顔面を蹴り上げる! 庇った手ごと顔に蹴り足がめりこみ、炎の青年はごろごろと転がって距離を取った。ようやく意味を理解した。フジが自分を怖くないと言った意味が。
「……」
そして薪悟は不敵に笑った。侮られている間が、最大の反撃チャンスだ。わかってしまったのだ。自分の弱点が。
「何を思いついた?」
「……ッ」
「わかりやすいな、お前さんは」
薪悟はまたオーソドックスなアブソリュート拳法の構えに入り、チャクラムを這わせた。
「またセットプレーだな。といってもさっきまでのPKとは違う。ちょっと面倒なフリーキックだ」
フジはスタートの構え。そしてまたダッシュで仕掛ける! 見えた! そしてまた感じた距離から一瞬で離れる。下に!
「バルダッ!」
薪悟はジャンプし、足払いを狙ったフジを躱した。そして踏み込んだ。空中で!
「バルダァッ!」
「セエエエッ!?」
プロキシウムチャクラムを纏った攻撃は、結局のところパンチ、チョップ、貫き手といった腕の射程距離でのみ展開可能。それは薪悟の胸の先に数十センチの扇型射程圏があるだけで範囲は非常に狭かった。そのためその手が届かない足下、そして超至近距離で組まれてしまうと無力!! だが薪悟はその問題を克服した! その証拠にプロキシウムチャクラムの断頭パンチがフジの顔面を捉えかけていた。
「セブブ……」
断頭パンチは間一髪バリアーで防御したが、洗練されたとは言い難い、それでも強靭なフィジカルが撃ちだした打撃はバリアーを押し込み、フジの顔面に張り付き、メガネが顔に食い込んで後頭部を強か地面に打ち付けた。何も見えないはずの脳内に嫌な銀粉が舞った。
何が起きたのか? 答えはバリアーである! 事実、和泉と音々、二人のオーディエンスは捉えている! 薪悟の背後に屹立する赤いバリアーを! そう、アブソリュート拳法の突きは強く踏み込むことにより威力が成立する。そして足下にフジが潜り込んだのを認めた薪悟は後方に垂直のバリアーを張り、そこで再度踏み込んで九十度角度を変え、真下に突きを繰り出したのだ!
「どけぇこの野郎!」
「バルダァッ!」
そのままマウントポジション続行! だがフジは三本足のカラスに変身して足の間をすり抜け、強い潮風に全身をシェイクされ、すぐに旋回してブレイズ目掛けて急降下した!
「バルダッ!」
またもやバリアーの足場! スロープを作り、正拳突きが空に向かって撃ちだされる。フジはカラス化を解除し、頬を焼き切られながらライダーキックで足場からブレイズを蹴り落とした。そして対空の逆さ半月蹴りがクリティカルにヒットし、ブレイズはチャクラムを地面に突き刺して火花とともに減速しながら燃える双眸をフジに向けた。
また距離が離れ、セットプレーの時間だった。
「バリアーはお前の専売特許じゃないぞ、フジ。これでどこででも踏み込める。どこからでも、どこでも殴れる」
「……アッチョンブリケ」
神経質にフジは服についた汚れを払い、構えた。薪悟は再び掌を開閉し、血潮の熱さを確かめた。自分の体は何も問題がない。
薪悟は父を知らない。母は語ろうとしなかった。だがフジの攻撃に耐えられる丈夫な体に生んでくれた母に感謝。そしてフジに通る攻撃……拳法で伝授してくれたマイオスは薪悟にとって精神的父である。今の薪悟は孤独かもしれない。だが過去には母、マイオス、Z飯店が確かにいた。薪悟の顔を見て何か読み取ったフジは意外に悪い気分ではなさそうだった。
「それでいいんじゃねぇか? ブレイズ。俺はこの約二年、クソッタレどもと戦ってきた。どいつもこいつも自信過剰で傲慢、鼻持ちならねぇクズ野郎どもだ。だが倒した。お前さんはどうだ? お前さんだけが……。俺に挑戦した。ウラオビも金田一も、俺が挑んだ。ああ、はじめてだったよ。明確な格下から、純粋に強さをかけて挑まれたのは。挑発でもなんでもねぇぞ。俺に流れるミリオンの血、俺を作ったホープの教え。それが敗れていいはずがない。ましてや同じアブソリュート人に……。俺は確かに環境に恵まれた。言い訳出来ない環境だ。だが何もしてこなかった大馬鹿野郎に逆恨みされるなんてまっぴらごめんだってことがわかった」
「……」
「だが、お前さんはそういう馬鹿野郎じゃねぇみたいだな」
「わかってる。お前が手を抜いていないことぐらい」
「俺が手を抜いてねぇだと? ハッ」
フジは肩をすくめ、弛緩した笑みを浮かべた。不快なようではなかった。
「逆に舐めてんのか? この程度の俺が本気だってのか?」
「じゃあ本気にさせてやる!」
ぐっと握る。愚鈍だった過去のケジメはつけた。ステレオタイプだが、欠けた小指が証明している。
「バルダァッ!」
今度はブレイズがキッカーだ。フジよりも大きなストライドで走り、拳を引いて威力を溜めた。馬鹿野郎……。馬鹿の一つ覚えではない。チャクラムを消したことで、フジの注意はチャクラム一点ではなく薪悟の全身に向いている。薄く広く引き伸ばされ、密度が下がっている。フジは瞬時に構えた。ゴア族カンフー守りの奥義。超能力を用いない戦闘において九十九パーセントの防御成功率を誇る!
「バルドラァッ!」
「セエエエエーーーッ!?」
痛烈! 一閃!
ブレイズの引いた拳のフェイントにつられ、乱雑極まりない暴虐なヤクザキックを処理出来ずノックバックされた。
「もう一発食らえ!」
高高度ヤクザキック! 小指のケジメ……。小指を切られた淀川みちか戦で活路を見出したこの技は、もうブレイズにとって大事なバリエーションとなり彼を支えていた。大まかにヤクザキックと呼ばれているだけで、実際は筋力任せに前を蹴っているだけである! フォームはバラバラ、ヘタなフェイントで威力も下がり、最適化のサの字もない。だがそれが強い! 砕く、潰す、そしてブッ壊す! 憧れの相手の顔面を蹴り飛ばす!
「セガッ!?」
フジの口内が裂け、鮮血が歯の隙間を埋めた。激しく出入りする空気が口の中に鉄の味を広げ、そして目を回して尻餅をついた。フジの意志が選んだ行動ではなかった。そうせざるを得ないと無意識に体が選んだ行動だった! フジ、ダウン!
「バルダッ!」
下段突きを躱し、フジはイヌのようにシャカシャカと背を向けて逃げた。むしろ正常な姿だった。普段フジはこうやって、少し情けない。だが深追いは危険だ。フジ・カケルはこの程度で腰が引けるような相手ではない。むしろ罠に誘うのだ。
「ちょいとばかり……。グルメになりすぎちまったな」
体勢を立て直したフジは薪悟に背を向けたまま立ち上がり、全身の筋肉に刺激を与えてダメージを探った。そして右足に重心をかけた時、前面にいる和泉にしか見えなかったことが幸いな程に顔を苦痛に歪めた。ヤっちまった……。右の足首に無視出来ぬ負傷。おそらくセオリー無視のヤクザキックを受け流さず、無理にブロックしてしまった際に威力に負けたのだ。
「いろいろと“うまい”相手とばかり戦いすぎて、珍味への免疫が下がっちまってたぜ」
フジは血筋や偉大なる師匠といった形のない重荷を背負って生きてきた。だが薪悟は資材や怪我人といった実際に重いものを背負い、いつも現場を歩いていた。戦闘用にしか鍛えられていない筋肉に対し、薪悟の筋肉は労働に適応するために強くなった筋肉だった。その筋肉がセオリー無視でただ馬鹿力を発揮する。それが薪悟のヤクザキックだった。
フジはこの二年間、敵に恵まれ過ぎていた。強いパワーに優れた技量、うまい相手。だから読んで捌ききれたし、捌いた後に流すのも簡単だった。自分ならそうするとわかるからだ。芦屋薪悟……。こいつは半分素人……なのか? だから無形の攻撃であるヤクザキックを捌けなかったのだろうか?
経験値の炎と技術の水で鋭く陶冶された敵の刃、それを通さぬために身に着けた隙のない鎧じみた守りの奥義。だが、技術もクソもない馬鹿力の蹴りは、鈍器として鎧の上から衝撃を貫通させたのだ。
「……ッ」
薪悟は涙を堪えた。まだ何も達成していない。まだフジに勝ってはいない。
だが……。確実に通用している! 食らいついている! もしかしたら追い込んでいる!
Z飯店よ……。もし俺を許してくれているのなら、少しは喜んでくれているのか?
そしてすぐに上書きされる、悲しみ。
ずっと貧乏で娯楽らしい娯楽もなく、アブソリュートミリオンに勧められた学級文庫の無料の本が唯一の楽しみ。田中角栄と宮沢賢治に出会った。母が病気になりヤングケアラー。学校にすら通えない。高校には入学すらしていない。母も死ぬ。彩凛が生き地獄を見る。
全部クソッタレだ。怒ってよかったし、泣いてよかった。そして今、薪悟はここに立っていた。過去の辛さを今、直視した上で超克した。背を向けたまま天を仰ぎ、肩で呼吸するフジ・カケルを見下ろしながら! ようやく薪悟は自分を殺してきた過去を憎んだ。誰のせいでもないが、言うなればそうなってしまった運命を。その憎しみはポジティブな薪となり、臥薪嘗胆の男の魂の炉で明るく燃えた。
「……止まない雨はなかった」
「もう水没してるかもしれねぇぞ?」
「素人同然だったかもしれない」
「素人がプロよりいい仕事出来るのはアダルトビデオだけだ」
「抜けないトンネルもなかった」
「暗いところに長くいれば、余計に光に目が眩むぜ。くだらねぇポエムだ。小学生でもよめらぁ。誰に向けて言ってんだ? 自分自身か? ヒーローインタビューか? 辞世の句か? 今のお前さんがなんだってんだ? あぁ!? なんだってんだよ!」
ビキビキと眉間に血管を浮かばせ、血走った目でフジが振り返った。全身に稲妻が弾け、再び彼が強化形態に入ったことを告げていた。フジの強化形態の最大持続時間は約九十秒。これはアブソリュートマンの強化形態としては異例過ぎる程に異例の短さだ。それでも発動している。速攻でケリをつけるつもりなのだ。そして薪悟にはわからなかったが、フジの足は動くだけで激痛が生じる。機能はさほど下がっていなかったが、その痛みに抗うには強化形態に伴う興奮状態しか手がなかったのだ。……そして、アブソリュート・ブレイズ……芦屋薪悟は雑念が混じりやすい相手だった。それを消すにも強化形態しかない。
「お前を倒すぞ、フジ」
「何度も聞いた」
……。
「バルダッ!」
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッ!!!!!!!」




