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アブソリュート・トラッシュ  作者: 三篠森・N
第7章 アブソリュートマン:ニュージェネレーションスターズ
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第79話 彩凛ングロック

 一月八日(土)。大安。


「そろそろ仕事に復帰しようかと思っています」


「そう」


 メッセのことは尊敬している。この一か月の宿を貸し、技を授け、居場所をくれた。少々極端だが、Z飯店を経験した彩凛は他人への依存を少し怖がるようになっていた。メッセに甘えすぎてもいけない。誰かの場所に属するのではなく、自分自身の……砂金彩凛という場所を自分で作らなければならない。それが店であり、メッセの事務所だ。適度な距離感を保ちながら。


「お薬は?」


「やめます」


「仕方ないわ」


「現場には復帰せず、裏方の仕事にしようと思います」


「ええ、その方が職場の人も安心よ」


 彩凛は池袋へと向かった。オーナーに長期休暇を詫び、しばらくはステージに立たないことをオーナーからも提案された。


「復帰出来るといいですね。月岡さんも待っていましたよ」


「月岡さんが?」


 月岡。月岡金吾。常連客で、大黒顕真の親友。金吾と顕真は大人のカッコよさを教えてくれた二人だった。接客というよりも、彩凛の方が学びに行くくらいだ。


「砂金さんはいないんですか? なんて訊きはしないけど、いつもどおりシーシャを吸って、裏メニューのお稲荷さんを食べて、そしていつも通り寂し気だったわ。大黒さんが来なくなってからずっとあんな感じ」


 大黒顕真は死んだ。昨年の夏、地球史上最大の危機となったメタ・マインとの戦いで命を落とした白狐の戦士アブソリュート・フォックスが顕真だった。そんなことは誰も知らない。ひっそりと仕事をして去る。そして愛する人……ユキを守って死ぬ。死は何よりも嫌悪すべきものだが、愛は何よりも尊重されるべきものだ。顕真はそれを選んだ。


「今日も月岡さんはいますかね?」


「来ているみたいよ」


「……月岡さんとお話しすることは可能ですか?」


「ええ、いいわ。行ってらっしゃい」


 シーシャと歌、お酒のお店が彩凛の職場だ。普段は歌を歌い、たまにお客と一緒に飲む。だが彩凛はまだ顕真、金吾としか飲んだことがなかった。

 金吾はいつものように、夜のように静かでミステリアスにシーシャを吸い、地味な私服の彩凛を見てふにゃりと笑った。糸の切れてしまった笑顔だった。


「元気だったかい?」


「元気ではありませんでした」


「そうか。……僕はこれでも少し君たちの界隈に詳しいんだ。DD興業、Z飯店、フジ・カケル。そうだ、君が以前言っていたこと、ようやく実現するんだね」


「なんでしたっけ?」


「あの芦屋薪悟という青年が君の恋人だろう? 君は以前、恋人がフジ・カケルに挑もうとしていると言っていた。その応援がしたいと」


「そうみたいですね」


「……君が元気ではなくなってしまった理由はそれか。でもそれでいいんだ。いつだって、デートも関係もお話しも、終わらせるのは女性の仕事。長引かせるのが男の虚しさだ。僕だってそうだよ。妻の方から離婚届を突きつけられ、顕真もジェイドにフラれた」


「わかりませんよ? 薪悟がわたしをフったのかも」


「こんなに綺麗でいい子をフるような男なら付き合うことないよ」


 霧消寸前の気障。かつて金吾は、大学の王だったと聞く。大学最大の演劇サークルを率い、ミスター・キャンパスで金賞に輝き、金吾は大学の主演男優賞だった。社会で挫折し、離婚され、顕真と出会って脇役になり、むせ返るようなダンディズムを纏ったいぶし銀。


「じゃあ必要なかったね。渡そうと思っていたものがあったんだ」


「なんです?」


「僕たちが集めたフジ・カケルの戦闘映像。以前君に渡したものはフジ・カケルvs大黒顕真だけだった。フジ・カケルvs金田一蔵之介、フジ・カケルvsディエゴ・ドラドデルフィン。フジ・カケル対策になるかと思ったんだが、渡さないでおくよ」


 渡さないと自分で言うのが金吾の憎いところだ。彩凛には断る勇気がない。


「月岡さん。月岡さんは、どちらが勝つと思いますか?」


「フジ・カケル」


「……」


「君がそんな顔をしているってことは、やっぱり間違っているのは薪悟くんなんだ。女の子を悲しませるような男は勝つべきじゃないんだよ。きれいごとや、かっこつけに聞こえるかい? でも違うんだ。大切なことなんだよ」


 男らしさ、女らしさ。男だから、女だから。職場や学校でそんな風に役割を押し付けられればハラスメントになる現代社会。金吾は誰にも押し付けていない。ただ美学があるだけだ。今のセリフだって彩凛を慰めるためやこの場でいいカッコをしたいだけじゃない。

 金吾も顕真も愛する女性を泣かせた。その報いを受けた。


「フジ・カケルは強い。……本当に強いよ。僕は彼の恋人の望月さんも知っている。あの子も強い子だ。僕は……殴り合いのケンカなんて大学生時代に卒業……いや、実は卒業後も五年くらいはしていたけど、美学のある戦いをしたことはない。いつだって血が昇っただけだった。だけど顕真も言っていた。守るものがあるアブソリュートマンは強い、と」


「薪悟にも守るものはあります」


「当然だ。だがフジくんの方が多い。薪悟くんは覚醒が遅かったし、僕が見たアブソリュート・ブレイズは孤独を糧に強くなろうとしていた。孤独は何もくれない」


「……」


「君に責任はない。参ったな」


 金吾はため息をつき、清潔なハンカチを差し出した。


「ただ、フジくんは必ず薪悟くんに何かをくれる。彼は飛燕頑馬譲りの“烈”の男だ。見守ろう。見守ることだって無力ではないと僕は信じたい」


 だって、もし見守るだけが無力だというのなら、僕は顕真を見殺しにしたんだから。


「話せてよかったよ。ありがとう。そしてごめん」


「いえ、せっかく来てくださったんですし」


「さっきも言ったろう?  デートも関係もお話しも、終わらせるのは女性の仕事」


 一通り仕事場でやることを終えた彩凛は夕刻新宿のメッセの事務所に帰り、扉を開けてすぐに物凄く強烈な甘い香りを感じた。果実と酒のにおいだった。


「メッセさん?」


「彩凛、あなたもどう?」


 リビングでメッセ、メロン、狐燐の三人が、スタイリッシュ探偵アクション映画を観ながらメロンを食べていた。ヘタの部分を大きく切り取り、丸ごと抱えてギザギザスプーンで食べる。適宜ブランデーを果肉に注ぎながら。


「お酒は……」


「そうだったわね。でもメロンはあなたの分もあるわ」


「ではメロンだけ。この後また出かける予定なので、少しだけカットしていただきます」


 宇宙一と称されるメッセの美貌は少し曇っていた。彩凛は知らなかったが、この時下北沢ではユキ、頑馬、みゆき、スティングが戦っていた。メッセもやってられなかったのだ。松田みゆきのことを考えるたび、消えてしまった淀川みちかのことが頭をよぎる。メッセのヤンキー時代の仲間は頑馬以外みなブタ箱にいるので会いに行こうと思えば会える。だが彩凛の親友だった淀川みちかはもう戻らない。淀川みちかを生み出し、消した松田みゆきをどう扱うべきなのか? あれが淀川みちかという善人の延長線上にいるものではないことぐらいメッセはもちろん、鼎でもわかるだろう。

 そして冷静沈着なメッセがこうやってやけになってメロンを食べているということは、何かあったのだと彩凛は察した。さっきの怪獣警報はただごとではなかったらしい。


「メッセさん」


「なぁに?」


「率直に聞かせてください。フジくんと薪悟、どっちが勝つと思いますか?」


「芦屋薪悟」


「……」


 迷いのない断言だった。酒に酔った勢いではない。それにメッセは他人の顔色を伺ってご機嫌をとる人間でもない。


「わたしはフジをよく知っているからね。あいつのここ一年の成長はエグいくらいよ。そして頑馬もね。頑馬とはもう十五年近い付き合いだけど、一番伸びたのはこの一年。はじめたのが遅いから、天才はレベルが違うから、世界はあまりにも広いからなんてアブソリュートマンには通用しない。いえ、アブソリュートマンには限らないわね。碧沈花。あいつは当時のフジに負けて泣かされるガキから数日でわたし、レイ、ジェイド、アッシュに四連勝した。きっかけさえあれば数日で人は変われる。ブレイズもね」


「変われるでしょうか。薪悟は、急激な変化とは無縁の人物に感じられたんですけど」


「あなたと別れたじゃない。それ以上の急激な変化がある? それで変われないならあいつはただのゴミよ。でもあいつはあなたと別れてから強化形態を身に着け、万全ではなかったとはいえディエゴを倒した。あいつも確かに変わっている。そしてね、モチベーションが違うのよ。フジは強い。確かに強いわ。でも今のブレイズはディエゴに勝ってエゴが出て、飢えている。そして憎みはじめている。いい憎しみよ? 環境、才能、貧富、劣等感といったフラストレーション。それが強い戦意になる。フジがロッキー、薪悟がクラバー・ラングなら、クラバー・ラングが勝つに決まっているわ。そこがフジの弱点なのよね。あいつのコンディションに一番作用するのはモチベーション。確かにあいつは頑張った。でも兄姉の偉大さから常に自分を過小評価し、プライドが低い。王者として臨む勝負は初。そのモチベーションとプライドが弱点よ」


 さく、と包丁が入り、断面から漂う危険な甘い香り。


「それに薪悟が勝利すればわたしは歴史に立ち会える気がする。全アブソリュートという観点で見れば、初代最強は初代アブソリュートマン。二代目最強はジェイド。どちらも静かで孤独な“淑”の人間よ。フジは違う。頑馬もね。でも孤独を糧に強くなると決めた薪悟は間違いなく前者。前者こそ最強の素質なのか、フジの世代の最強という小さな単位でも証明されることになる」


「そうですか……。メロンさんはどう思います?」


 メロンはブランデーを少し注ぎ、果肉と酒を馴染ませ、苦渋の決断のように絞り出して言った。


「勝者はフジ・カケルと予想するわ」


「……」


「積み上げたものの違いは大きいと思うの。この一年の激闘、そしてリベンジしたい相手に限って引退したり死んでしまったりする。フジくんは勝利に飢えているし、今のフジくんには勝者のプライドもある。メッセには悪いけど、フジくんも並々ならぬモチベーションで臨んでいるはずよ。確かに薪悟くんも強くなったかもしれないけど、実戦の量と質、そして敗北という暗黒を知るフジくんはもう負けていい勝負なんてないと思っているはず。負けたけどいい勝負だったから満足、負けたけど相手と仲良くなれたから収穫があったなんて思わない。何よりも金田一との戦いがフジくんを強くしたわ。誰よりも憎んだ相手を倒す。しかも正義という使命と復讐という情が重なっていた。あの勝利を知ったフジくんはもう手を抜かないし遅れもとらない」


 次は狐燐が手を挙げた。本来下戸の彼女はだいぶ酔いが回り、赤い顔をしていた。


「芦屋薪悟に一票。わたしは碧沈花信者。メッセ所長が言ったように、人間は何かのきっかけで突然成長する。それが突然であればある程上り幅は大きく、天井を突き抜けていく。芦屋薪悟のこの一か月は濃厚過ぎた。沈花ちゃんのようなジャイアントキリングを起こす可能性は十分にある」


「皆さん、ありがとうございました」


「君はどっちを応援したいんだい?」


「薪悟です。アブソリュートマンでも恋人でもなく、昔仲の良かった同級生として」


 メッセは倦んだため息をつき、頬杖をついて遠くを眺めた。


「安心なさい、彩凛。あなたが薪悟を切り離し、距離を取ろうとしているのは薪悟が負ければXYZに上書きされてしまうからよ。だから薪悟に対する感傷を切除しようとしている。どうにかなるわ。XYZはわたしたちがどうにかする」


「……ありがとうございます」


「出かけるのね? カギは持った?」


「そう遅い帰りにはなりません。ちょっと会ってみたい人がいるのですが、話が弾まなさそうで」


「あらそう」


「ええ。望月(モチヅキ)(カナエ)さんに会ってきます」


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