第76話 スティング・セーリィゼリーの最期
「フィリアッ!」
悪くない太刀筋。殺気は籠っている。だが無邪気、無垢。量はあるが重みがない。簡単に受けられる。
「テアッ」
このクソッタレ冷血女……。あぁ、ジェイドのことだよ。つまんねぇんだよ、強くても。宿痾の子の全身はまだHなお店みたいにぬるぬる泡だらけだ。自分の攻撃で使う踏み込みは、まぁ……。力の加減、程度はわかる。だけど敵の蹴りは、腹筋の強度できちんと受けてもすべすべ滑って、漫才師のツッコミくらいの力加減で宿痾の子はあられもなく開脚してスッ転んでまた背中を強打だ。お笑いだね。これでも地獄の主なのに。……わかってんだ、本当は。
にしてもジェイドは良くないよ。いくらオーディエンスがいないにしても、泡のぬるぬるで投げも組みも、防御も全部滑らせるなんてさ。……じゃあ、最小限の動きのこれならいいのか?
「フィリッ」
敵が構える。奇妙なポージング。脳内データベースで検索。完全一致はないが、アブソリュートの光線技の構えに近い。立てた親指、人差し指。辺の長さが歪なV。その最深部で白く緊張する肌。そして放たれる。濃い白。加算に加算を重ね、極限まで濃くした禍々しい白。
「ヴァーチウム光線ッ!」
「テアッ!」
斜め前に前転回避。水の入った手桶を回収。投擲。水しぶきの目くらまし、桶も当たれば多少は痛い。
「……」
恐ろしい情報量。光線に情報量という概念があることをはじめて理解。熱、冷気、電気でもない。言うなれば光線そのものが呪い。流れ弾が壁に着弾。植物の根、蜘蛛の巣に似た汚染と破壊が発生。浴槽が毒水に変わる。感覚的に理解。これは宿痾の力。ウイルスと思われる。
「チッ」
邪魔な桶だ! 徹底的に自分に有利な状況の整備、お見事だよ。ヴァーチウム光線の性質も一瞬で看破したようだね。そう! ヴァーチウム光線は、父親譲りの“呪い”の力! その呪いを物質化し、ウイルスに変換したものがヴァーチウム! そのヴァーチウムが白く変色するまで圧縮し、撃ち出すのがヴァーチウム光線! さすがにこの高温多湿でもヴァーチウム光線ならウイルスは死なないみたいだ。
距離を詰めて来るお相手は相変わらずの無表情。お前がこの戦いをつまらなく感じてるのは百歩譲っていいんだよ。宿痾の子にまでつまらなく感じさせるなよ。戦いって二人で演じるものでしょう?
「少し抱かれてみる?」
敵の体の正中線に切れ込み。そこから左右に真っ二つ。敵が……分離? 断面に色はない。深さのない穴が黒く見える。分離した敵の中間地点に吸引される。さながらブラックホール。
「テ?」
不覚! 銭湯という足場、踏ん張りがきかないのは自分もだ。
「テエエエエエエエエエエエエ!!!???」
広さ、前後左右高低のない空間に転移。距離感の掴めない位置に等間隔で並ぶ無数の黄金の十字星。そしてダメージ。敵からの攻撃が掴めない! ダメージという概念に全身を襲われる!
「テッハ……?」
ようやく血の通った姿が見れたよ、ジェイド。
「……」
……。そして、尊敬もするよ。今のダメージは決して軽微じゃない。もう一度食らう恐怖もあるはずだ。それでも淑やかかつ凛と剣を構えている。変わらず左の逆手……防御のオプションとして。
じゃあもういい。
「ついておいで、ジェイド!」
全力ジャンプ! 脱衣所の足マットの上に着地して泡を落とし、そのまま銭湯の暖簾目掛けて一直線! 外の空気に触れる瞬間に、着衣! 裸の松田みゆきじゃない。これがアブソリュート・クラウンの正装だ!
「ふぅー」
道化師じみた二股帽、バイオレットの軍服、マント、ブーツ、メイク。ご機嫌なみゆきは呼吸を整え直し、寒暖差で少し整いかけた。ジェイドに通用し始めている手応えもある。低温乾燥の外はウイルスもよく動く。だがここで決着をつける気はない。ただ、もう少し戦わないと気が済まないだけだ。やつにはわからないだろうとみゆきはしばし歪な優越感に浸った。アブソリュート・ジェイドには優先すべき“私”がないか、極めて希薄だ。気が済まないから戦闘続行などという感情も判断もない。……。みゆきは傲慢だが、自分がジェイドに確実に勝てると計算する程バカではない。だが自分は強い。レイも当然強い。自分、レイ、ジェイド。力の差はほぼないだろう。だがジェイドは強くても強さの質が違う。それが虚しいのだ。……その虚しさをジェイドに教えてやるのはお節介なのか、それとも嗜虐なのかは自分でもわからなかった。
そして指をくいくいと動かし、挑発した。
「カァモォーン、裸の女王様。恥ずかしがらずに出てこられ……」
「テアーッ!」
「フィリエエエ!?」
全裸のまま一月の夜の下北沢に飛び出し、氷の槍のようなキック! 痛みが神経を焼き、心を冷たく凍結させていった。みゆきは腹を抱えて蹲り、帽子やマントの先端といった部分がゲームのバグじみてビジョンがブレ、その他の部分もボタンや模様などの解像度が下がってファミコン画質になり、ポリゴンと化した。みゆきの感情や痛みと連動して画質が乱れていた。
「テアーッ!」
一撃入れたジェイドが不届きもののカメラのシャッターの中で腕を振ると袴に着物姿になっていた。その顔。相変わらずの氷。
「衣服を幻で再現することなんてわたしも出来るわ」
「じゃあそうしてから出て来いよ……」
「それで伝わる? わたしの覚悟が。勝利が最優先であるというわたしの覚悟が! 隙だらけだったわ。あなたを侮らないからこそ、その隙を突いた」
「……」
腹を抑えながら蹲ったみゆきが顔を伏せたままぱちんと指を鳴らすと、周囲で裸のユキにレンズを向けていたもののスマホがすべてバイオレット・カンパニーのステッカーに変わってしまった。そして二度とスマホに戻ることはなく、その写真を見ることもない。
「ちょっと嬉しいね。マジになってくれたかな?」
「わたしは最初からずっとマジよ」
「そうっすか……。じゃあ逆に少しは遊び心を持った?」
「……戦いは戦いよ。そこに愉悦を求めてはならない。そうね。この戦い。お互いが幻覚で服を再現している以上、気絶した方は」
「一生誰かのフォルダ内で慰みものさ。……わたしは戦闘狂じゃない。レイやバース、碧沈花みたいなバトルジャンキーじゃないけど、せっかくの戦いは楽しみたいと思っている」
「ああは言ったけど、過程で楽しくなってしまう戦いはあるわ。でもこれはそうではない。そうであってはならない」
仕切りなおし。
ユキは左手を胸の高さで斜め前に突き出し、みゆきは左目に横から左手の人差し指と中指の背を当てた。そしてユキはカルタをとるように振り払う。みゆきは揃えた指をぱかっと開き、左目を覗かせる。
「“スノウブレイブ”!」
地吹雪纏う強化形態、白銀の戦士アブソリュート・ジェイド。凄まじい冷気に湿っていた二人の足跡の雫が凍り付いた。
「“ハートブレイクキッド”!」
マントの先端が逆立ち、その先端から黒い粒子……呪いのウイルス、ヴァーチウムが噴き出した。これそのものに感染力はないが、無意識に溢れ出る宿痾の子の潜在能力の可視化だった。
それはまるで、世界を蝕むウイルスとそれを阻む白血球のような対峙だった。
「第二ラウンド、はじめるよ」
駕ッ捨ァ云!
真っ赤に赤熱した何かが銭湯から弾き出され、それに触れた暖簾が炎上した。石の男スティング。男湯で何があったかわからないが、その温度は既に固まったばかりの溶岩じみて熱々になり、触れただけで布が発火する領域に至っている。
「お嬢……」
「気にするな、スティング。お互いにお互いの敵を倒そう」
そして一応タオルは巻いているが、巨漢レイがむんむんと男性ホルモンと湯気を放ちながら真っ赤に上気して銭湯から飛び出し、目を充血させながら血混じりの唾を吐いた。
「おぉう、イカした衣装だな」
「頑馬」
「手を貸してほしいか?」
「そんな余裕あるの?」
「今から作る」
その言動にみゆきは露骨に顔を歪め、器量よしが台無しになった。
「スティング。こっちこそ手を貸そうか?」
「ボド……」
既にスティングに言葉はない。体には失った体積と質量を補填すべくタイルやガラスなど脆い無機物が混じっている。そして明らかなダメージ……。そうだ。スティングは無機物と融合することで体が再生するが、短期間にダメージを食らい続ければ死ぬ。
「お嬢……ォッ!?」
スティングの体が上下反転し、その温度で頑馬の肌が黒煙を上げた。頑馬が石の男を担ぎ上げているのだ。
……お嬢の下半身、足。何度も見てきた。私は何度もお嬢の前に跪き、両手をつき……。
「悪いがお前には死んでもらおう」
「やめろ!」
クイックモーションのヴァーチウム光線! 頑馬はウイルスに顔を焼かれながらも全身に力を込め、必殺のツームストン・パイルドライバー……ガンマ・ドライバーでスティングの脳天をアスファルトに打ち付けた。愚捨唖と音を立ててスティングの首が折れ、残った胴体は技の名の通り墓石となって地面に埋まった。
頑馬、ユキ、みゆきは直感的に理解した。スティング・セーリィゼリーの最期だ、と。
「スティングゥゥゥ!!!!!」
みゆきが金属を裂くような慟哭をあげた。そして折れて転がったスティングの頭部の前で膝をつき、顔色を覗き込んだ。ユキと頑馬には不穏な空気が流れていた。
ユキは敵を殺さない戦士。そして頑馬は状況に応じて殺すこともある戦士。特に何をもって撃退となるかわからない相手……例えば鉱物生命体のスティングには、極端な結論を選ばねば終わらないこともある。そして二人に共通しているのはここからがヤバイということだった。
「スティング……」
「神よ……。私を憐れみ給え……」
その神とは、みゆきでもXYZでもないだろう。創造主、この世のすべてを司る何か。スティングは最後の最後まで“命あるもの”の行いに終始した。祈ったのだ。
「スティング……。ごめん! 約束が果たせないよ……。XYZの魂に加えるって約束したのに! 箱舟に乗せるって約束したのに……」
……。さらり、とスティング・セーリィゼリーは砂になった。
この忠臣がいなければ、松田みゆきは自己催眠にかかったままZ飯店の淀川みちかとして生涯を終えていただろう。その報酬は、死後の約束。壊れた、ではなく死んだと扱うための約束、殺される怪獣の無念として弔うこと。だがみゆきは間に合わなかった。このままスティング・セーリィゼリーはXYZの魂に加わることなく、スティング・セーリィゼリーを覚えているものがすべて死ねばスティング・セーリィゼリーは存在しなかったことになる。
「あぁ……」
バキバキと音を立ててみゆきの形相が猛悪なる人外のものと化す。胸を満たす憎悪と殺意の発露として眉間に血管が浮かび、全身から放つ暗黒のオーラが砂嵐のように強くなった。
「あああああ……」
みゆきの変化がまだ終わらない。義眼。左目に移植された外庭数の義眼が高速で回転し、そこを軸にさらに強く暗黒が溢れだしている。義眼が黒く変色し、瞳孔が赤くなった。みゆきはハートアタックを受けたようにビクンとのけ反り、食いしばった歯と首に浮かぶ筋が彼女の凄まじい怒りと苦しみを雄弁すぎる程に語っていた。
「フィリアーッ!」
義眼から空に向かって一直線に放たれた一条の赤い光線。それは冬の雲を吹き飛ばし、空に爆炎を浮かばせた。その爆炎が……収束していくというのか!? 三つの首を持った禍々しい龍の形へ!
「サウザン!」
「サウザン?」
鋭く声をあげたユキに頑馬が答えた。こうしている間にもサウザンは巨大な翼を広げ、東京の上空で滑空し、羽ばたいて明確に飛翔を始めている。周囲でも怪獣警報のサイレンが鳴り始めている。
「ゴア族の兵器怪獣よ。怪獣としては強くないけれど、厄介。あれは広い範囲に隕石を降らせる。外庭数がストックしていた個体がまた呼び出されたようね」
「マズいな」
頑馬は左掌を左目にあて、変身の準備を終えた。
「悪いがあいつも殺す。すぐに殺して加勢する。持ちこたえろよ」
「出来れば早くしてもらいたいわね」
“烈”!
頑馬は深紅の巨人レイに変身し、サウザンを迎え撃つべく飛び立った。ユキは剣を握りなおし、自分の敵を見た。
今のみゆきは自分の外見を幻覚で定義している。だからいつもの衣装だったが、怒りに我を忘れた今は歯は牙へ、爪は刃へと変化し、地獄の主に違わぬ魔獣に変わっていた。ユキも構えを変えるしかない。これはもう言葉での説得なんて悠長なスタンスでは自分の身が危ない。
……。おかしくないか? 父は自分に、みゆきと言葉を交わしてお互いが共感してしまう前に戦いを終わらせろと言っていた。だが自分はみゆきを説得しようとしている。そうか……。そもそも自分が間違っていたのか。父は遠回しに言っていたのだ。松田みゆきは元いた場所への送還でも説得でもなく、XYZとマインの血筋を完全に断つために殺せ、と。
もしかしたら頑馬だったらもう少し楽にみゆきをどうにか出来たのかもしれない。その野望への理解も、危険すぎるから殺すという判断も。
「フィギアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」
父XYZ譲りか、それともアブソリュートマンにはまだ可能性があるのか。
怪獣じみた姿になった松田みゆきは吼えた。そして襲いかかっ……。




