第75話 裸の付き合いは、うん、嫌いじゃないよ
がらりと扉を開け、入ってきた男は壁一枚隔てた向こうの女湯のただならぬ気配を察した。
「お嬢のピンチか?」
そのままざぶざぶと浴槽に足を突っ込み、歩いて壁へと向かって触れた。その時だった! 暴れ馬のいななきめいた威圧感たっぷりの声が轟いた。
「オイ!」
「……なんだ?」
アッツアツの浴槽……。温度計は既に振り切っている。そこに浸かるのは筋肉製の砦。腕は砲台、大胸筋の城壁。まさに砦だった。切り傷、弾痕、火傷。傷だらけだ。その男は腕組みをしたまま浴槽で胡坐をかき、それでも上半身がすべて露出する程の巨体の持ち主だった。激しく立ち上る湯気に顔を隠され、眼光だけがぎらぎらと光っていた。
「テメェは今、三つもルールを破ったぜ、スティング」
「三つだと?」
「一つ。風呂に入る前には掛け湯しろ。二つ。フェイスペイントは洗ってから入れ。三つ! 女湯を覗くな!」
「今はそんなことを言っていられる程悠長ではないぞ、レイ。何しろ我が姫とジェイドが戦っているのだ。それに私は便宜上男と名乗っているだけで実際は動く石であり、性別は存在しない。むしろ困るのは、私が女湯に行くと追ってこなければならないお前の方では?」
「ハハッ、今更裸の女の一人や二人で動揺する程うぶじゃねぇよ。それに一人は双子の妹だ。お袋の腹の中で十月十日もマッパで抱き合った仲だぜ」
漸罵……。筋肉の砦レイが湯船から立ち上がり、腰に手を当てて不届きものの石の男を睥睨した。
「なんと……なんと!?」
スティングは頑馬の股間を見てある意味でみゆきのピンチ以上に動揺した。これが宇宙最強の男……埒外の超雄!
「何見てんだ?」
「お前の妻に同情すればよいのか祝福すればいいのかわからぬ」
「テメェには関係のないことだ。ここはイかせねぇぞ」
湯船から完全に上がり、ぶるるると馬のように体を震わせると陽炎のオーラで体に付着した湯がすべて蒸発し、サバンナですごむビーストのように乾いた殺意を剥き出しにした。
「お前をお嬢のところへは行かせない」
「奇遇だな。俺もテメェを妹のところへは行かせない。それがちょっとムカつくけどな。俺でよかったんじゃないか? クラウンとか言うのがどれだけやばかろうと、俺でよかったんじゃねぇのかな。なんでジェイドなんだよ」
「お前では力不足なのだろう、銀メダリスト」
「さっきからテメェ、石野郎のくせにジョークのセンスは悪くねぇぞ。ディエゴ仕込みのマイクパフォーマンスか。……お互いに攻めっ気満々、でも行かせねぇ。アメフトのオフェンスラインみたいなもんだ」
「物は言いよう」
「ジャラァッ!」
突然の蹴手繰り! 石の男スティングはまともに食らってすっ転び、フェイスペイントに……。湯気が天井からぽたりと額に。それでもペイントはとれないし滲まない。顔の模様は鉱物生命体スティングの顔に直接白と黒の石で着色されているのだ。
そして! 今の今まで湯船に浸かっていた頑馬は真っ裸! スティングの全身が石で構成されていると知っていながら、その肉と骨の足で石の足を蹴った! 常人なら足の指か足首が折れる程の勢いで!
「結局こうなるのか……」
スティングは仰向けに倒れたまま厭世的にため息めいた動きを見せた。それも人間を真似た動作に過ぎない。直線的な体の男は直線的な動きで立ち上がり、レゴブロックじみた体で胸を張って仁王立ちの頑馬の前で胸を張った。互いに身長一九〇センチ超、体重一一五キロ超。隣の女湯がどちらも一六〇センチ未満と考えるとスケール違いだ。
「譲ってはくれぬか?」
「あぁ~ん?」
「お嬢の計画を邪魔しないでほしい。お嬢はすべての生命が、死してなおよき循環の中で永久になることを望んでいる。XYZは怪獣の王。王の中で我々は存在し続ける」
「それ、東大でも言ってたな。テメェは鉱物扱いで、アブソリュートマンに殺されてもXYZの魂に加われないと。つまり、死んだとカウントされていねぇと」
「そうだ。だから私はお嬢のために生きる。お嬢の野望が成就し、私は死んだときに死んだとカウントされ、悔やまれ、或いは喜ばれたい。死を知りたい。あんまりではないか? 私はDD興業のプロレスラーとしてトップヒールを務め、それなりに人気はあった。だが私が壊れた時は、ああ、あいつ壊れたのか。じゃあ次。となってしまう。だが私の最期が死であれば、墓標も立つことだろう」
「うぅん、なんか既に悪循環してねぇか? クラウンはお前の最期を“死”と定義してくれる。お前はそのために生きる。そしてクラウンのためなら戦って死んでもいいと思っている。この時点で既にお前は死を受け入れ、嫌悪していたはずの死をむしろ歓迎し、それ以外の生きる喜びを二の次にしている。そしてクラウンだけがお前を搾取し、得をしている」
「わからぬよ、お前には。お前は子供も生まれるのだろう? 私に何が残る?」
「残しただろう、DD興業のファンにスティングってプロレスラーのメモリーを。まぁいいや。だが言っておくぞ。死後の担保をかけた時点でお前は既に死んでいる。今の人生の重要さが薄れ、死んでも大丈夫と思った時点でお前は死んだ。俺もお前も、死んでも周囲の人間の記憶には残る。だが俺たちが行く先は果てのない虚無だ。何もない真っ白……或いは真っ黒のどこかで、何も感じず考えず、存在もしない。それが死だ。だから恐れる。限りある命を謳歌する。死を恐れなくなり、死のための用意をして、むしろ死に期待するようになった時点でお前は死んだ。……だが、確かにお前に同情の余地はあるのかもな。理解を示そうと思う」
「そうか」
「一応、俺たちアブソリュートマンは、お前と同じ鬼ラメ鬼という怪獣がいたことを覚えている。だが同類が弔わず、死後の救済のためにクラウンに縋りたい気持ちもわかる気がするぜ」
「さすがだ、厚情の男。だからお前はジェイドと違う」
「だが許さん」
破護ォッ!
文字通りの火を噴くボディアッパーが陽炎の軌跡を残し、スティングの上半身を粉々に粉砕した! バラバラのキューブに破砕したスティングのパーツは鏡台の前に飛散し、一つ一つにフェイスペイントをデフォルメした小さなスティングの顔が浮かんでいた。
「それでもお前は計画のためにブレイズを踊らせた。俺はやつのことは知らねぇよ。だがお前はブレイズを利用するために、少なくとも一度は八百長でやつに負けてやつを愚弄した。お前はブレイズの勝利を穢したんだ。たった一度でもあんな勝利があれば、もうブレイズは純粋に勝利の美酒に酔えねぇ。だから許さん」
……。まだ気取られていないが、この素っ裸の状態で石を思いっきり殴るにはある程度オーラでコーティングが必要なようだ。現に今、殴った拳、先程蹴った足がじんじんと嫌な熱を持っている。だがそういった箇所をコーティングすれば、そこから攻撃すると宣言しているも同然! あまりにも強くオーラを纏うと隣のみゆき、そしてスティングを余計に刺激する可能性がある。
何よりスティングの身の上が憐れだ。ユキは父から、敵に理解を示さず倒せと命令されている。だがレイは違う! 厚情、敵を照らす光の言葉。それが、強さではジェイドに一歩譲っても救世主としては最高のアブソリュートマンであるレイの身上だ。
「わかった。戦おう」
スティングのパーツは角ばったものはずずと滑り、丸まったものは転がってカランの仕切りへと集合した。そしてカラン仕切り内でデフォルメスティングペイントが集合し、一つになった。石の男スティングは、石と同化する能力を持つ! カラン仕切りの蛇口、タイルと同化したスティングは、タイルと同じ模様を浮かばせて再び体を構成……
「ジャラァッ!」
覇危ィッ!!!
咄嗟の判断でカランをパンチ! みるみるうちに力の枝葉が広がり、亀裂に沿って仕切りが割れた。このまま時間を与えれば、床も壁も天井もすべて石で出来ているこの銭湯はスティングの独壇場になり、規格外のサイズになってしまうだろう。かくなる上は……。
「我慢比べと行こうぜ!」
スティングのボディが収まっているひときわ大きな破片を抱き抱え、頑馬はオフェンスラインではなくランニングバックの動きでサウナへタッチダウンした。そしてスティングを投げ捨て、息を吸った。極度の熱風が、喉の奥に強い熱を与えて気管を害した。さすがのレイもここで長時間戦えば堪える。
「さぁ、周囲をよく見てみろ」
「木だな」
「そうだ、木。このサウナ室は壁が木造だ。同化は出来ねぇぞ。さぁ、どうやって逃げる?」
「お前を倒して」
「そうはさせねぇ。サウナデスマッチだ!」
〇
「テアーッ!」
まずはユキがみゆきの喉笛に肘を撃ち、そのまま壁際まで追い込んだ。激しい波濤が浴槽の端まで達して津波になり、溢れた湯が床のせっけんや桶を流した。押し付けられたひんやりとする壁の温度。それ以上に寿ユキの戦意は冷たい。ぎりりと歯を食いしばり、殺気を剥き出しにするユキは淑やかなだけのお嬢様ではない。一方でユキの方も見破っていた。情報通り、左目に外庭数の義眼が移植されている。
「テオラッ!」
「フィリエッ!?」
屈めた腹に膝蹴り! みゆきは口から唾液を吐き、痛みに抗って目を閉じた。ジェイドが来ることはわかっていた。強いことも知っている。だからこの程度はエマージェンシーではないし、スティングの助けもいらない。
膝蹴りのまま腹部を圧殺するユキの膝を抱え、そのまま持ち上げて後方に叩きつける! だがユキは初代アブソリュートマン、アブソリュート・レイを超える史上最強の戦士。垂直の壁に受け身をとって着地し、描かれる富士山の頂上よりさらに上から宿痾の子を見下ろした。自然現象のように冷酷な目で。裸だからこそよりネイキッドにその冷たさが伝わる。
「何が優しい戦士だ。敵を殺さないってこだわってるだけだろ、こんなの」
みゆきはため息をつき、壁を使ってクラウチングスタートしたユキの形相を眺めた。……。これに臆すようだったら自分もそれまでの人間だ。野望と力の大きさが釣り合っていない人間は滑稽だ。野望の大きさの自覚はある。だがこの難局を乗り切れない程度の力しかないのであれば自分はそれまでだ。
そして滑稽にして憐れ、アブソリュート・ジェイド。
「フィリアッ!」
空中でユキの顎を自分の肩口に乗せ、頭を抱えたまま前方にダイブして自分ごとユキを浴槽に沈める! カウンターのジャンピングダイヤモンドカッター! だが着地点がお湯のため、相手の気力を削ぐ以上の効果はない。
「テハッ」
「君のと違って立派でしょう?」
一足先にお湯から顔を出したみゆきはユキの頭を仰向けに脇に抱え、豊満なバストを幼児体型のユキの顔面に押し付けて謎の愚弄をした後に、唇を奪った。めりめりと舌を押し込み、接吻したままみゆきはユキの頭を再び浴槽に沈めた。ぼこぼこと激しい気泡! 肺活量の我慢比べだが、仰向けのユキは激しく酸素を消耗し、みゆきは口移しでユキからの酸素を奪える。松田みゆき、恍惚……。
「……」
酸素の残りが限界に近いユキは考えていた。はじめはリードしていた自分が反撃されることは、戦っていればなんらおかしいことではない。だがこのディープキスやバストの押しつけといった過剰な挑発による報復。やはりこれはマインの血筋だ。事実、血縁はなくともマインの薫陶を最も強く受けた因幡飛兎身もこうだった。
……。
「フィリエエエエ!!!???」
みゆきの首元を……ユキの指が強く押した。全身に走る電撃じみた激痛! 噂には聞いたことがある……。寿ユキは相手を弱い力で効率的に攻撃する経絡の急所、つまり秘孔を知っていると。今、自分は経絡秘孔を突かれたのだろう。
「フィリアッ!」
ここまでだ。体を旋回させ、抱えたままのユキの顔面を浴槽の縁に強打させる変形フェイスバスター! ヒットの瞬間にユキの体がビクンと脈打ち、うつぶせに沈んでじわじわと血が湯に混じっていった。
「いい技でしょう? スティングから教えてもらったこの技は、ブレイ・ワイアットの“シスター・アビゲイル”。撃つ前に相手にキスするところも再現してみたよ」
ざばっとユキが大怪獣上陸じみて再起した。割れた額の血はすべて洗い流され、むしろ傷跡が敵を睨み殺す第三の目じみている。そして激しく酸素を補給しながらゆっくりと構え、右手の指でみゆきをさした。同じ構えだ、奇しくも……。
「ゼータストリームショット」
SPLASH! 水滴の弾丸がウェブじみて拡散し、みゆきの顔面に張り付いて凍結した。この高温多湿の銭湯。空気中の水分に不足はなく、冷気と水を操るジェイドにとってはこれ以上にない環境だ。
「テアッ!」
素早く飛び出したユキはサイドスローでせっけんを投げ、しゃぼんの一直線が引かれた。そのルート上に氷の蜘蛛の巣で顔を覆われたみゆきを引き倒した。しゃぼんで滑りがよくなったみゆきはなす術もなく引き回され、やがて投げられた!
「フィリエエエエエ!?」
「テアーッ!」
うつぶせの体勢のまま床と体の泡沫でぬるぬるになったみゆきは壁に向かって一直線に滑る! そしてユキはその背中にサーフボードよろしく飛び乗り、抵抗を許さない!
「フィリエエエエエ!?」
高く積まれたピラミッド状の桶をストライク! すべての桶をボウリングピンのようにフッ飛ばす!
「フィリエエエエエ!?」
高く積まれたピラミッド状の椅子をストライク! すべての椅子をボウリングピンのようにフッ飛ばす!
「フィリエエエエエ!?」
壁が来る……。何も見えない状況下で、みゆきは二択を迫られた。このまま壁に激突すれば大ダメージだが、無理に抵抗しようと顎を上げれば首にさらなる大ダメージ。受け入れて頭頂部で受ければ最小限で済む。
「テアーッ!」
みゆきが格闘技好きなら、ユキは筋金入りのマンガ好きだ。横方向にフッ飛ぶ敵の背中に飛び乗り、壁に激突させるこの大技は……『キン肉マン』に登場する奥義!
「テアーッ!」
「フィリエエエエエエエエ!!!???」
その名もマッスル・インフェルノだ! みゆきがどう受けたかはすぐにわかった。なかなか血が床に拡散しない。銀の髪に吸われている。つまり、みゆきは頭頂部で受けたのだ。
「投げ技、組み技に自信があるのはわかったわ。そしてわたしは打撃が得意」
ユキは無事に残っていた桶の中の湯に足を浸し、ぬるぬるのみゆきの背中で付着したせっけんを流してスリップのリスクを排除した。
「その全身泡だらけできちんと組める? 投げられる?」
「……最強ってのはそういうことかよ」
奥深いな……。みゆきはダウンしたまま少し考えた。単純な力……腕力や念力の出力、技のレパートリーではジェイドに劣ってはいない。だが環境をいかに味方につけるか、どうやって戦いを組み立てて有利を作るか。
この銭湯での戦いは装備品の有無や裸の付き合いでわかりあうためではない。
多湿の環境で氷が作りやすい。高温の環境ではジェイドは冷気の応用で広い範囲から少しずつ奪った熱を集約し、解き放つことで爆発の能力も使用可能。そして相手は投げ技と組み技が得意と看破すればせっけんで封じる。計算ずくだ。
「もしかしてこれもダメか?」
立ち上がったみゆきは手のグーパーを繰り返し、血流と同時に自らに宿る宿痾の力を呼び出し、指鉄砲でウイルス弾を試射した。奇しくもユキのゼータストリームと同じ構えだった。……。この高温多湿ではウイルスの力も動きと範囲に制限がかかっている。戦況は良くない。
「どうしようかなぁ」
みゆきは悠長に腕を組み、思案した。この銭湯という究極不利環境を抜け出して互角に戦うか? それともハンデを背負った上でユキ……宇宙最強ジェイドを倒し、自らの最強を確固たるものにするか?
「アンクラウン」
みゆきは左拳を左目にあて、ゆっくりと短剣を引き抜いた。白と黒、そして目の意匠。禍々しい。
「しばらくここで戦おう」
考えてみれば最強へのこだわりなどないのだ。ここでジェイドに敗れて野望が途切れるくらいなら逃げることもやぶさかではないし、最強争いはアッシュ、レイ、ブレイズがやっていればいい。みゆきにとって強さは手段だ。強さがなくても目的を達成可能ならば一番弱くてもいい。そしてジェイドが最強である以上、不利な状況下で倒してしまえばもう敵はいない。楽に野望は達成出来る。だがジェイドを倒してしまえば即刻アブソリュートからの総攻撃を受け、矢継ぎ早に次の戦士が送り込まれることだろう。
「ジェイドセイバー」
ユキは首から下げていた勾玉を巨大化させてヒスイの短剣を作り、左で逆手に握り、右の拳を構えた。あくまでも剣は防御のオプション、右で殴り、自分を殺さないことに努めるらしい。
「だから滑稽なんだよ、ユキ」
そうだ。野望と力が釣り合わないものは滑稽だ。だがユキは珍しく、力の大きさに対し野望の大きさが伴っていない。生まれつきの天才ははじめから強すぎ、強度の高い努力はしても強さへの渇望を感じたこともないだろう。そして抱いた野望は敵を殺さない、モノを壊さない。それだけ。
「一度言うわ。戦うのをやめ、XYZの復活も諦め、もといた場所へ帰りなさい」
「嫌だ。戦う」
野望を叶えるために強さではなく別の力が必要ならば誰より弱くてもいい。それは詭弁だ! 自分の人生は野望のためだけのものではない。そしてここまで鍛えた時点で、野望とは別のベクトルのものがみゆきの中にある。即ち! 鍛えた先にある別の概念……。
「……一応、プライドあるんでね」




