第55話 勝ったのは誰だ?
「……」
地上のメンバーはそれぞれのやり方で備えていた。イツキはストックの手裏剣を投げやすい位置に配置し、メッセは常人なら心臓爆発に達する量のエナドリを飲み、シカリは武器の手入れなどなど……。ラーナは誰にも見向きもされず、墓標のように動かず機能停止していた。上野の地上はシカリが殺したガスパー星人の血が徐々に腐り始め、墓場よりもシリアスな地獄のアトモスフィアが漂っていた。
「気付いているか、犬養さん」
「何がですか?」
「地下でずっと動いていた気配が止んだ。戦いが終わったのかもしれない」
シカリはありったけの弾を装填し、再びスカーフで顔を隠して自作ソードオフショットガンをコッキングした。同じポータル適合者でありながらシカリはやはり役割への自覚が違う。彼は裏方に徹し、ポータル開通のタイミングや位置取りのための感度も優れているのだ。
「俺が行く」
別に女の子の前で……。はじめて対等っぽく話せた女の子の前でカッコつけたかった訳じゃあない。ただなんか……。なんかだ。やはり地下での動きが止まったことを最初に察知したのはシカリだった。彼が立ち上がって地下へとつながる穴に向かって歩き出したことで、地上のすべてのものの視線が彼に注がれた。
「メガネ?」
ヒビ割れたメガネが赤くなった冬の夕日の光を乱反射する。曲がったフレーム、右のレンズは既にない。左のレンズには大きな亀裂。だが丸いフレームはフジのものだ。
「フジ? フジ!?」
「ドドアァッ!」
戦利品のフジのメガネをリーゼントの先端に押し付けて天高く掲げ、ディエゴ・ドラドデルフィンが穴から這い出た。リーゼント以外は満身創痍。顔面にはΔスパークアロー・LEの百連射がすべて至近距離でヒットしてボコボコ、体は無限反射プロキシウムチャクラムでズタズタ。上半身の衣服はもう残っていない。その状態でディエゴは、ぼろぼろと壁面が崩れる二〇〇メートルの竪穴をクライミングしてきたというのか!?
「ホロアッ!」
ジャキッ、パァン! 咄嗟の発砲! ディエゴの胸から血と硝煙が噴き出してのけ反り、そしてすぐにシカリに向き直った。
「ドドアッ!」
「ホロアッ!」
脅かすような上半身の動きに、シカリはクイックモーションのポータル展開で安全距離へと逃れた。邪魔者をどかしたディエゴは周囲を見渡し、醜悪に顔をしかめた。残っていないではないか……。DD興業の戦力が一人も残っていない。ラーナ? あれは元から戦力ではない。
「社長! これには訳があります」
「黙れカス」
ラーナは骨も神経もすべて震え、恐怖のあまりに歯をガチガチと鳴らして口の端から唾液を垂らしながら涙した。……。元々一般職としてDD興業に入職したラーナは、すぐにディエゴの夜伽に指名されて、特別な愛人になった。だがはじめて指名された時の恐怖が蘇ってきた。いつでも余裕でタフに笑っているディエゴは今はもういない。
「犬養さん」
「シカリさん」
「少し時間がある。犬養さんは地下にフジとブレイズを迎えに行ってくれ。生きてるといいけどな」
とことん損な役回りの男、シカリ。二人が死んでいる可能性など口に出してしまえばイツキが罪悪感で苦しむ。なら自分が先に言えばいい。
「今はディエゴの注意が逸れている。行け」
「すみません」
イツキは気配を殺し、物陰に隠れてポータルを開いた。地下宝物殿にダイレクトでポータル展開は不可能。一度地下二〇〇メートルという深度まで軸を合わせ、そこから廊下を走って宝物殿まで行く必要がある。そしてイツキの方がシカリよりも足は速いし持久力は大差をつけて上だ。本音は、シカリがイツキを逃がしたかったからだ。だが話してくれた女の子を好きになってしまったからではない。
自分の方が価値が軽いからだ。ディエゴ次第ではこの場にいる人間は皆殺しになる。
「ラーナ。オスカーはどこにいる?」
「……オスカーですか?」
「オスカーだ。あいつは逃げたのか? そんな訳ねぇよな? な?」
「えぇと……」
「オスカァーはどこだァ! オスカァーッ!」
マズい……。ラーナはこれ以上の恐怖があるものかと判断力まで凍結し始めていた。この剣幕は尋常ではない。そしておそらくオスカーは殺されるのだろう。
「ディエゴ・ドラドデルフィン」
「メッセンジャーか」
メッセはすぅーっと顔の前に掌をスライドさせ、能面を装着した。能面を装着することが怪獣化のトリガーだ。シャオシャオ相手には怪獣化よりも耐久力のある人間態で殴り合うことも出来たが、ディエゴ相手なら人間態でも怪獣化でもワンパンチだろう。ならば怪獣化の速度に賭けるしかない。
「オスカーとかいうタコは落ちたわ。あいつはDD興業らしくないスポーツマンだったわね。でも倒した。シャオシャオとかいうクズも同じよ。お前の味方はもういない」
「ウソを言うな!」
バァンッ! 音量で国立科学博物館のシロナガスクジラ像が落下し、メッセは数メートル吹き飛ばされて尻餅をついた。
「オスカーが……」
暴君に自制心が働いた。そしてそれはすべてオスカーのためのものだった。
オスカーはディエゴのプロレスラーのデビュー戦の相手。オスカーはディエゴにプロレスを教え込み、ディエゴを相手に負け続けるジョバーとしてディエゴとDD興業の価値を高め続けてきた。そしてDD興業が事業拡大する際にオスカーは戸籍を変え、ディエゴにプロレスを教え込んだ人物を自ら抹消してはじめからオスカーは情けないジョバーだった、ということに歴史を改竄した。ここでディエゴがオスカーに抱いていた感情をぶちまけるとオスカーの覚悟が汚れる。
「……ラーナ。一人か? 俺は?」
その声は暴君でも王者でもなかった。何も特別ではない一人の男が、否定されることを望んで放った悲しい問いだった。
〇
「生きてるか?」
「うるせぇボケナス。何も見えねぇ。手を貸せ」
比較的軽傷で先に気を取り戻したブレイズはフジの肩を揺さぶり、声をかけた。フジの声はかすれ切っていた。それでも悪態をついたのは彼なりのプライドだった。
「ここから出よう」
「そうだな。ここにはメロンが入ってこられねぇ。分身メロンがアクティブになる位置まで移動すれば犬養が迎えに来てくれる。クソォ! 見えねぇ!」
フジの視力は非常に劣悪であり、メガネなしでは大まかな色彩しか認識出来ない。だが今日の戦いではスペアメガネさえもすべて割られてしまっている。壁伝いに立ち上がり、ブレイズに肩を支えられるとフジは苦痛に顔を歪めて呻いた。もうその程度の負荷にも耐えられないのだ。
「歩けないか?」
「歩くしかねぇだろ」
二人の敗者はよたよたと地下宝物殿の出口を目指し、鉄扉の横で大やけどを負って倒れている二人の怪獣を見た。オスカーが最初に倒した怪獣だ。生きているかもしれないが、今は助ける余裕はない。
「お前はいつもこうなのか?」
「何がだ?」
「死にたくない、死ぬくらいなら土下座も命乞いも辞さないと言ったのに今日は死ぬところだったぞ」
「矛盾に見えたか? 死にたくねぇ俺が死のうとしていると」
「死ぬかもしれない時を見誤るお前じゃないんだろう?」
「今日は負けたくなかった。イチかバチかに賭けた。それだけだ」
今日はクリスマス・イヴで、鼎の誕生日だ。だったら今日は負けて帰ってきたぞ、なんて恥ずかしくて言えるはずもない。それにディエゴにはいつか勝たねばならないと思っていた。それが今日ならなおよかった。
「矛盾でいいんだよ。……大黒顕真を知っているか?」
「大黒顕真?」
「アブソリュート・フォックスともいうな。アブソリュート人じゃねぇただの化け狐なのにアブソリュートマンを目指したバケモンだ。あいつはめちゃくちゃ強かったが人間くさかった。……」
「フジ? おい! 続きを聞かせろ」
「ん? あぁ……。あいつは完璧じゃねぇんだ。才能は並み以上だが天才じゃねぇし、頭もいいがお利口さんじゃねぇ。だから努力だけでアブソリュートマン級にのし上がった。口の上手さは完璧。やつが言っていた。自分の中にある矛と盾、それをぶつけ合わせた時に散った火花で魂に火をつけろとな。矛盾でいいんだとよ。悩みが強けりゃ火花もデケェ。そして俺はやつに負け、その後にやつは死んだ。あんな人間になりたかった」
「なれるだろ。矛盾が強い程燃えるなら、俺たちは」
「お前さん、さっき共闘したからって馴れ馴れしいぞ。何を知ってるんだよ、俺の。俺はお前さんのことは何も知らねぇ。友達でもねぇし仲間でもねぇよ」
「……」
「だがお前さんがいなけりゃ俺はあそこでディエゴに殺されてたし、今も何も見えないまま死んでただろうな。そこは感謝してやるが、忘れるな。お前さんの敵は俺だ。俺を倒すっていう目標を忘れるな」
「……」
「お前さんが強くなったきっかけを思い出せ」
「孤独か」
「俺はそれでいいとは思わねぇ。だからそれが正しいかどうかはお前さんで証明しろ。ここで俺に甘えるとそれが鈍る。ここまでだ。お前さんにくれてやる礼はここまで。もう喋るな」
薄暗い廊下の先に馬鹿げた怪盗ルックの女が立っていた。イツキだった。フジが生きていたことを本当は泣いて喜びたいくらいなのに、彼女はいつも通りのクールと表裏一体の人見知りで静かに二人を迎えた。
「犬養がいるのか?」
「いるよ。スペアメガネ」
「悪いな」
さらさらのメガネをかけたフジは急に増加した視覚情報に少しめまいを起こし、自分をここまで運んだ男を見た。ぼろぼろじゃねぇか、お前さんも……。
「二人ともひどい傷だよ。特にフジは」
「治癒能力のあるアブソリュートマンは……。姉貴がいねぇからもういねぇか」
「淀川さんがいるよ」
ブレイズが確実に動揺した。それも強く、不穏にだ。めき、とみるみるうちに眉間に血管が走り、ブレイズは何事もなかったかのように言葉の代わりに深呼吸をした。みちかは旧Z飯店。Z飯店が解散した原因はブレイズにあり、今更みちかに治してもらおうとは思わない。Z飯店解散後にフジがみちか、シカリと接触を図ったことは知っている。フジなりの気づかいなのはわかるが、ブレイズにとって気持ちのいいことではない。
「今日はもう女の世話にはなりたくねぇな。鼎が妬くぞ」
「望月さんは淀川さん一緒にいる。わたしの部屋で二人で『FF7』をやってるよ」
「そうか、淀川……。鼎を守ってくれてたのか」
「それに病院に行っても看護師さんがいるし、淀川さんのところに行かないと死んじゃうよ」
「お前さん、マインの超能力を全部継承しているが、治癒は使えねぇのか?」
「まだ使えない」
「あぁー……悪い、きつくなってきた。鼎もいるなら許してくれるだろ……。淀川のところに送ってくれ」
フジにはブレイズの動揺はわかる。だからあえて彼を誘わなかった。銀褐色のポータルでみちかのところにフジを送ったイツキは、残されたボロボロのブレイズを見た。フジより傷は浅い。臆病者は傷も浅いというが、こいつは臆病だったんじゃない。未熟なだけだ。オスカーと戦った自分だって傷は浅い。
「えぇと、犬養さん。俺も病院に送ってくれるとありがたい」
「その必要はありません」
「なんだと?」
「フジにはウソをつきました。わたしは治癒を少しだけ使えます。傷は塞ぎますので、病院へはご自分で」
「何故ウソを?」
「こうしないと今日はフジは多分望月さんのところへ行かなかっただろうから」
メリークリスマス、そして、ハッピーバースデー、鼎。あとはみちかが空気を読んでくれるのを祈るばかりである。
〇
「ディエゴ・ドラドデルフィン」
全員が慎重すぎる程慎重に距離をとり、ディエゴを刺激しない程度に緩く臨戦態勢をとっていた。メッセは考えていた。今のディエゴはかなり弱っている。ここでメッセの最大火力であるピープルズ・E、もしくはディグニーの全力パンチが複数回クリティカルヒットすれば仕留められる可能性はあるが、ピープルズ・Eは溜め時間と命中精度に問題のある欠陥技、ディグニーは足の障害でまともに動けない。
そんな中、シカリが全身に仕込んだナイフ、ナタ、手斧、警棒、拳銃といったすべての武装を外しながらディエゴに歩み寄り、顔を隠すスカーフとゴーグルとキャップを外した。何度見ても覚えられないような特徴に欠ける顔の男をディエゴはギロリと睨みつけた。ディエゴには既に言葉はない。憔悴しているとも言える。シカリは最後に残った武器であるソードオフショットガンを投げ、丸腰のアピールとして両手を挙げた。
「ここで暴れるのはもうやめてくれないか」
「あぁ?」
「俺たちはもう限界だ。悪いが見逃してくれないか?」
「俺に何の得がある?」
「俺が人質になる。あんたは俺を狙っていた。俺の作る武器には価値があると。今日、ガスパー星人が何十人も死んだ。俺が殺した。だがガスパー星人は武器の扱いが上手い種族。俺が作成、調整した武器をガスパーに使わせれば戦力は一五〇パーセントはアップするだろう。これをあんたの得として、ここはもう終わりにしないか」
「いらねぇ」
「……そうか」
暴君は一刻も早くここを立ち去りたかった。
俺にとってオスカーとはなんだったんだ? 使えねぇカス、お情けで一軍にいるジョバーじゃなかったのか? 最近はそう扱ってきた。そう扱われることをオスカーが望んでいたからだ。
俺は……オスカーのことを……。
オスカーがいない。それだけで何もかもがどうでもよくなり、胸に穴が開いてとにかく気分が憂鬱だった。この世の誰とも一線を画す王者の中の王者たるものが、簡単に他人に共感や理解をされてはいけないと親友だったはずのオスカーを遠ざけていたのだ。それでも残った王者の矜持が、威厳を保ちつつこの場を去るセリフを探していた。
「だがテメェに免じて……。クソ。ラーナ。ポータルを開け」
「社長……。DD興業の株の売りが殺到しています」
ラーナは普段通りの姿を演じようと努めた。ディエゴにとって不都合なことも臆せずに話す豪胆の愛人にして側近。いつもなら熱々の紅茶で角砂糖を溶かすよりも楽な仕事だったが、今はマグマに指を突っ込むような恐怖だった。
「黙れ。黙って会社に送れ」
ディエゴ・ドラドデルフィンの長い長い一日が終わった。
上野に暴威の嵐を吹き荒し、町の形を変えた。地球最強の戦士アブソリュート・アッシュを撃破した。そして失ってから理解した最大の親友オスカーへの想い。
そして翌日、株主はすべてDD興業への融資打ち切りを決定した。株式会社DD興業は事実上死んだ。




