第54話 DD興業チャンピオン
どこかの居酒屋。ここで頭にタオルを巻いて汗を止め、大型コンロで一心不乱……のように見えてどうでもいい空想ばかりしながら、オーダーされた焼き鳥をあぶる男がいる。
「隼! そろそろ交代だ。秤と一緒に休憩取ってこい」
「了解っす」
瀧澤隼(23歳)。
成瀬秤(23歳)。
この居酒屋でバイトしているうだつが上がらない男たちだ。二人は店の裏口から出て行って路地裏でビールケースに腰掛け、ビールの空き缶を灰皿にしてタバコをふかした。ヤニにまみれたポスターに紫煙を吸わせて。
「ハァ……」
“キリリとスッキリ! とびっきりの爽快感で明日も張りっ切り!”
“肉を食え! ガツガツ肉食パワーでビッグバン!”
清涼飲料水のポスターはアブソリュート・ジェイド。畏れ多くてあまり口に出す人はいないが、やや薄味できれいに整った清い顔立ちでポスターに清潔感をもたらす。
肉のポスターはアブソリュート・レイ。生まれ持った顔面の精悍さもさることながら、肉を食って作った筋肉美が性的な意味ではなく、男を興奮させ、肉への欲を煽る。
「チョコは酒のアテにならねぇんだよな」
“おやつはヒジリ 美味しさ100万ボルト!”
そして少し前から、ここにアッシュのチョコレートのポスターも貼られるようになった。どこか虚し気な笑顔で。SNSにはスポンサー企業のヒジリ製菓広報担当者富良野フェラーリによるフジのオフショットが山程載せられ、そこには「イケメン」や「最強」といったしっかりとアッシュを見ていないチープな誉め言葉のコメントが並んでいる。
「俺はアッシュがポスターになるんなら絶対に廃品回収がいいと思ったね」
「あとはタバコか酒かギャンブルな」
瀧澤隼の本名は“アブソリュート・ファルコン”。
成瀬秤の本名は“アブソリュート・ジャッジ”。
アッシュの幼馴染で落ちこぼれのアブソリュート人だ。彼らはアッシュと同じく富裕層の出身で、アッシュと同じく公立中学校には行かず戦士としての高度な教育を受けたが、大成はしなかった。それでもアッシュの才能は破格だった。
だがアッシュは“神童”どまりだった。レイは“国宝”、ジェイドは“最高傑作”。同じ血筋なのにレイとジェイドが上振れなのか、それともアッシュが下振れなのか。どちらにせよアッシュが直面したコンプレックスとプレッシャーは少年には耐えられないものだ。
そしてファルコンとジャッジは徐々に余裕を失って変わっていくアッシュから距離をとった。嫌ったのではない。自分たちが同格のようにアッシュと接すると彼を傷つける。そして今では雲の上の人になってしまい、話しかけづらい。この二人との関係が途切れたことでアッシュは数年間地獄のような孤独にさらされた。
「今更会いに行ってもいいのかな?」
「どうだろうな。多分アッシュは何とも思わねぇよ、良くも悪くも。ただ、合わせる顔があるか? もう俺たちは戦士ですらないんだぞ」
「焼鳥屋のプライドはある」
「それはある。俺は焼鳥屋がアブソリュートマンに劣っているとは思わない。焼鳥屋があっていただけだ。そういや、パトラちゃんっていただろ、小学生の頃」
「いたな。めちゃくちゃ可愛かった。あの子がいるなら一緒に公立に行くべきだった」
「パトラちゃんと仲間たち、アッシュに挑むんだとよ」
「ハァ? 意味不明」
「アッシュを倒して世代ナンバーワンアブソリュートマンになりたいんだってさ」
「パトラちゃんが?」
「パトラちゃんの周りをウロチョロしていた……フレイム? いや、ブレイズだ。ブレイズってやつが」
「舐めてるな。舐めてる」
「ああ、舐めてる。でももう俺たちもアッシュについてデカい顔出来ない立場なんだよな」
「悔しいのは、アッシュが舐められて挑まれてるってことにも、そのブレイズってやつの舐めた態度を考えても、もう俺自身が戦おうって気が一切起きないことが悔しいんだ。マジでアブソリュートマンへの執着がねぇ。頭に残った修行の履歴だけが引っかかって、変な悔しさになっている」
「デカい顔しようぜ。宇宙一……宇宙一? その焼鳥屋になれば、また対等にアッシュと話せるだろ」
〇
「まだ手を出すんじゃねぇぞブレイズ……」
壁の瓦礫を押しのけ、フジは再起した。その立ち姿は英雄でも戦士でもなく、強すぎる執念が既に死に体のフジ・カケルの体に憑依しているだけのようだった。体の末端に震えが生じ、顔の上半分の筋肉をフル動員した大きなまばたきを繰り返しながら喉を鳴らして口呼吸。既にこの戦いで負ったダメージは碧沈花戦、大黒顕真戦といった負け戦のそれを越えている。それでも彼は立っていた。立っていた! 暴力的な執念と共に!
「しつこい野郎だな。だが嫌いじゃねぇ」
「……」
フジは静かに口と目を閉じ、放とうとした言葉の重みでひどく動悸がした。
「おいディエゴ。お前さんがキッドに負けた時、もっと苦戦したか? その時のお前さんは、今よりも弱かったのか?」
「要約して答えを言ってやろう。今のお前ではまだキッドには及ばない。舐めるな、坊や。俺に勝ってから考えろ」
……。ぎり、と歯を食いしばった。今まで誰もが、どこかの学校や道場で天才だの神童だのと呼ばれた逸材だろうが、大人になったら思い描いてはいけない“六大レジェンド超え”。フジは今はじめて明確に、六大レジェンドの一角であるキッドを超えることを意識した。キッドが低いハードルだからではない。ディエゴを通して測れると思ったからだ。
「だが俺に勝てば、キッドと並ぶ黄金の歴史として記憶してやろう」
「なら余計にブレイズにくれやるには惜しいな」
何故だ……。ブレイズは臆し始めていた。フジは死ぬくらいなら土下座や命乞いも辞さず、虫になっても生き延びると宣言したはずだ。だがこれ以上は確実に死ぬ。勝てる見込みもない。……勝てる見込みもない? じゃあフジが勝てない相手に自分が勝てるのか? 勝つつもりでいた。フジが死にかけるまで、ディエゴに勝てる気でいたのだ。自分なら勝負を捨てられるか? 簡単ではない。だがパトラという恋人も、Z飯店という仲間もいなくなったブレイズがディエゴに降参しようと誰も責めないし落胆もしない。フジはどうだ? 仲間たちもフジのとにかく死にたくないというスタンスを知っているだろうし、責める気もないだろう。
「セエアッ!」
ディエゴのタックル! だがまた板バリアーで挟んだ弾力バリアーで完全にカウンターに成功する! もう距離が開けばタックルは跳ね返せるのだ! フジは体の開いたディエゴの右腕に狙いを定める。さっきの足4の字固めは手ごたえがあった。肩関節一点突破でぶっ壊す気だ!
「死ねぇ! ディエゴォ! 死ねぇッブ!?」
ディエゴの超特大のアイアンクローが空中のフジの顔面を掴んだ。親指と小指は耳の先まで伸びる程の桁外れの巨大な手! 指に沿ってフジの顔面の肉が隆起して血管が浮き上がり、ぱき、と命綱のメガネにヒビが入ってフレームが歪んだ。
「くたばれこの野郎!」
掴まれたまま逆上がりじみた動作でディエゴの顔面に足踏みのような連続キック! 徐々に靴底に付着する血も増えてくる。ディエゴの痛覚は大したことのないダメージと認識しているが、鼻腔内の毛細血管を破損させるには十分な打撃だったのだ。
「ITガールという言葉を知っているか?」
「ガアアア!!!」
「ハリウッドで時代を象徴する女優のことだ。そういえばお前らアブソリュートマンは……。初代が“THEアブソリュートマン”であるから誰も二代目を襲名出来ないんだな。お前の姉貴と兄貴は初代を超えたが、襲名しなかったからこそレイとジェイドには価値がある。お前に捧げるぜ、“現代最高の女優”……」
ディエゴは大きくフジを振り上げた。真上! その長身と合わさり、フジの頭は二五〇センチを超える高さまで掲げられた。まるで贄だった。
「“スカヨハ・スラム”!!」
ガシャアン! 喉輪の代わりに頭を掴んだ変則チョークスラムは、真下に叩き落す超火力!! フジの背中は冷たいコンクリの床を砕き、ヒビの中にじわじわと血が浸透して床全体が出血するような酸鼻極まる地獄の様相をなした。これぞ! ディエゴの殺人技の一つ“スカヨハ・スラム”! 現在最もギャラが高額な女優の名を冠するこの技は、引力と腕力でリングすら破壊する!
「ぐあ……」
「まだ息があるのか。すげぇな。だからこそお前はしっかりと倒しておかなきゃならねぇな」
興行ではなく、ガチの殺し合いでスカヨハ・スラムを耐えられたなどと知られれば技の名前に傷がつくからだ。
「今度こそ死ね!」
倒れたフジに向かって振り下ろしたディエゴの拳が……。鮮血に塗れる! バリアーの杭が無数に生え、ディエゴの胸、肩、腕に突き刺さった! ディエゴ、今までで一番のダメージ! 馬鹿力ゆえに杭は深くまで突き刺さって骨まで達し、骨に当たらなかった杭は肉を貫通していた。さすがの暴君も苦痛に顔を歪め、そしてもうアブソリュート・アッシュを侮ってはならないと殺意を刷新した。
「Δスパークアロー・LE!」
フジは床を背にしたまま左手を突き出す射手の構えをとり、その周囲に弦の張り巡らされた桃の木の弓のイメージが発現した。ブレイズからは邪を祓う桃の木がフジを守っているかのようなイメージさえ抱いた。そして!
「ああああああ!」
桃の弓から発射される光の矢、その数は実に百本! 直進、蛇行、カーブと百様の軌道を描き、時間差をつけて至近距離で暴君の顔面を穿ち続け、その頭部はガクガクと揺れて上ずっていった。目も眩む閃光に徐々に、徐々に鮮血が混じり始めた。手応えありだ。
「ガアアア!」
好機! 捨て身の突撃でフジは全体重でディエゴの右腕をとり、極めながら強引に背中の方へと捻り上げた。……だが顔面に百連撃を食らって一時的に視力を失った暴君はプロレスラーの経験値により痛覚だけで状況を把握……或いは怪獣としての本能で察知したのか、機関車ピストンめいた筋肉に蒸気を吹かせて抗い始めた。
「セエエアッ!」
フジは腕をとったままディエゴの背中を駆けあがり、その鋼の背筋を両足で全力キックした! ごきり、と嫌な音を立て、ディエゴの右腕がだらりと力なく垂れ始めた。脱臼か骨折。そしてこの五十年体感しなかった激痛に動揺して膝を少し折った。
だがブレイズには見えていた。ディエゴの形相はもう怪獣だとか暴君だとかそういった言葉では片づけられない。確かに威圧される恐ろしい表情だったが、もっと直接的に殺害という危機感を脳に書き込むものだった。危険や危機といった言葉や概念を知らない赤ん坊や動物でもこの顔を見れば死を覚悟して恐怖で気を失うだろう。
「ブレイズ」
「なんだ?」
「気が済んだ。気が済んだからよ……。ここからは共闘だブッ!?」
存在感と騒音の擬人化のようだった男が突如タックル! フジに手応えの余韻さえ残さず……いや、腕の一本で満足するような低い理想をなじるようなタックルだった。
「あっぶねぇ! もうタックルは効かねぇと言ってるだろうがボケがぁ!」
既にセオリー化! 弾力バリアーで挟んだ板バリアー! だがディエゴはそれにあえて突撃することで肩の関節を強引にはめ込み、雄叫びを上げた。
「怒怒怒怒怒唖唖唖唖唖―――ッッッ!!!」
バァン! 桁外れの音圧に近くにあったオーパーツのアブソリュート・ブッダ塑像が粉砕され、先のアイアンクローでヒビが入っていたフジのメガネの右レンズが弾け飛んだ。これはまずすぎる! フジの視力は超劣悪! メガネがなければ本とやかんの区別もつかない。
「邪魔くせぇバリアーだ!」
一発パンチ! ディエゴを受け止めていた板バリアーに大きく亀裂が生じ、フィードバックでフジは鼻血を噴き出しながらのけ反った。だが目には雷光の閃きが走っている。そして歯茎から出血する程食いしばり、バリアーを修復して強度をさらに高めた。だが危険だ。高度の高いバリアー程、破られた際の反動は大きい。
「ブレイズゥゥゥ!!! 手を貸せぇえええ!!!」
「バルダァッ!」
もうどうでもいい!
「もうどうでもいい」とアグレッシブに考えられるようになったのがブレイズの成長だ! 家族との死別、貧困を「もうどうでもいい」と思って遠ざけることとは違う。こだわり、縛り、因縁。そういったものを「もうどうでもいい」と臨機応変に考え、時には捨てる!
もうどうでもいい! いつかフジを倒したい、一人でディエゴを倒したい。そんなことはもうどうでもいい。今、ここで一人のアブソリュートマンが死ぬかもしれない。ならばフジや自分のプライドなどどうでもいいのだ!
ブレイズは大きなストライドで突進し、ジャンプしながらチョップをディエゴの脱臼を直したばかりの右肩に叩きつけた。めき、と音、顔、骨が歪み、ブレイズは故障した手の痛みに抗った。ディエゴはまるで歌舞伎役者か、というような大見得でブレイズを睨み、無造作にブレイズの腕を掴んだ。体温は高いのに非情な冷たさにシンとブレイズは凍えた。
「それがお前の捨て身か? それがお前の捨て身か!? アッシュの捨て身とはまるで重みが違うぞ!!!」
「ッ“ストーンコールド”!」
強化形態発動! 同時にブレイズの右手にサンライトイエローの炎が迸り、収束して丸鋸状になりディエゴの肩を黒煙、火花とともに焼き抉った。だがディエゴは少しも曇ってはいない。
「軽いんだよ。人生や経験値の問題じゃねぇ。死にたくねぇやつの捨て身の方が怖いに決まってんだろ」
「バルダァァァ!!!」
「だが対等に、お前にも大技をくれてやろう!」
スカヨハ・スラムには遠く及ばない簡単な投げでブレイズを地面に叩き伏せ、ディエゴは……イルカになった。巨体から想像も出来ない高度まで跳ね上がり、上下左右に激しくスピン! そして常軌を逸したアクロバットでありとあらゆる方向に慣性をつけ、そして一〇五キロの体重を技で数倍にも増幅させたヒップドロップでブレイズを押し潰した。そしてイルカの着水と同じく、血飛沫のクラウンが暴君を讃えた。
「“ゼンデイヤ・ドロップ”……最初の犠牲者になれたことを光栄に思うがいい」
びっ、と暴君は気障なポージングで自慢のリーゼントを撫でた。そうでもしないとディエゴも気が持たなかったのだ。久しぶりの戦いでのスリル、痛みで暴発したアドレナリン。いつものルーティーンで落ち着く必要があったのだ。
「おいおいしぶといな、そろそろ嫌になるぜ」
バチバチと自爆寸前の雷撃をバリアー製の槍に押し込めるのは、こちらもディエゴを圧倒する形相のフジだ。この技も知っている。
「“カミノフル”ッ!」
電撃を込めた槍の投擲! 全身全霊をかけたモーションでフジは前のめりに転倒し、顔面を強かに床にぶつけた。すべてを白く塗りつぶす光はディエゴの脇腹を捉え、衝撃で暴君は数メートル後方へと滑った。槍はそのまま貫通して宝物殿の秘宝を破壊しながら壁に突き刺さり、天災のように爆散した。
“カミノフル”。フジのレパートリーで最高威力。だがそのリスクは大きい。
「ガス欠だな」
フジの目はもうほぼ機能していなかった。右のレンズが割れて何も見えず、激しい酸欠で左目も像を結んではくれない。口の中に激しい呼吸で張り付くような苦痛を感じる。足りない……。電撃も血も酸素も、何もかもが足りない。
そしてディエゴは……。カミノフルで貫かれた脇腹は急所ではないと判断し、傷を強引に筋肉で塞いで応急処置をし、それで良しとした。それをフジが見ていなかったのは不幸中の幸いだ。カミノフルならディエゴを貫通可能とわかっても、元より命中精度が劣悪なカミノフルを今度は急所に当てる自信はないしもう一度放つことも出来ない。
「プロキシウムチャクラム!」
山吹色の円盤が暴君の首を狙う! だがディエゴは既にブレイズをどうでもいいものと認識し始めていた。先程の捨て身が軽かった時点でこいつはフジに劣るのだ。上体を大きく反らしてリーゼントを真上に向け、それを撫でてポージングしながら回避した。
「ドドエッ!?」
危機一髪! 先程とは真逆の方向から来たプロキシウムチャクラムが自慢のリーゼントをかすめるところだった。……どこから? 避けたはずだった。
「しぶといクソガキだぜ、まったく。諦めの悪さは既に害虫並みだぜ」
ディエゴがブレイズとは逆の方向に目を向けると、スカイブルーのバリアーが展開されていた。反射したのだ。避けたプロキシウムチャクラムを。
「ブレイズ! 出来る限り全部ぶん投げろ!!!」
フジの裂帛の怒鳴り声で今度は左のレンズにヒビ。だが意図は汲み取れた。ブレイズは高速で印を結び、連続で五枚のプロキシウムチャクラムを投擲! 動作のたびに血が飛散し、彼の……彼なりの捨て身が可視化された。
「悪くはねぇな。ピンボールか」
ディエゴはチャクラムに目を配りながら落ち着いたフットワークで移動を開始した。フジはブレイズのプロキシウムチャクラムをバリアーで反射してディエゴに当てる気でいる。ならばやることは簡単だ。よく煮込んだ煮魚を箸でバラす方が楽だ。
「バリアーを張るテメェを殺せば済む話だ!」
「学習しねぇな、お前さんはよぉ」
弾かれる暴君。……。何度も何度も引っかかる、弾力バリアーを挟んだ板バリアーだ。
「これに弾かれたお前さんはちょっとの間動けねぇ」
「じゃあなん……」
「その数秒で死ね!」
この間にブレイズはさらに五枚のプロキシウムチャクラムを追加! 計十枚の円盤をすべてフジがバリアーで反射制御し、ディエゴ一点へと向かわせる。
そしてディエゴの世界が閉ざされた。ピラミッド状のバリアーにプロキシウムチャクラムと共に閉じ込められ、その内部で十枚の刃がエンドレスで跳弾、焼きながら斬り刻む! たちまちピラミッドは血と黒煙で満たされて単色となり、王の墓である本物のピラミッドのように静かになった。
「この隙にズラかるしかねぇぞ」
「本気で言っているのか? あと一歩だぞ」
「ほら見ろ。お前さんもこれで勝てると思ってねぇだろ。だからここは一旦バックレるしかねぇ。上に味方が来ているか、来てても勝ってるかわからねぇが、そいつらと合流出来ることに賭ける」
クラァッシュ! バリアーのピラミッドは突如として破られ、まずは戦艦大和主砲じみたリーゼントが無傷で現れた。……無傷だったのだ。そしてバリアーのピラミッドに手をかけ、暴君は両手で力任せに引き裂いた。その体は背中や腕の外側に大きく傷がつき、上半身の衣服はすべて焼かれ、切り刻まれ、なくなっていた。裸の体も激しく出血して遠目にも暴君のダメージを伝えていた。
「死ぬかと思った……。さすがの俺も死ぬかと思った!!!」
弱気なはずの言葉なのに、その口調はまるで勝利宣言。それでも呼吸は荒れ、喉も熱で損傷したのか声は枯れている。右のアキレス腱にも負傷があるのか引きずり、まさに満身創痍といった様子でプロキシウムチャクラム無間地獄から生還したのだ。
「リーゼントを守ったのか」
「俺の命よりも大事だ。リーゼントを守って死ぬなら本望だぜ。俺の最大の望みはな、このリーゼントが納まる棺桶はありませんってバカでけぇ棺桶を葬儀屋に用意させることだ」
背中、腕の外側、うなじ。そう、ディエゴはプロキシウムチャクラムが無限に反射するピラミッド内でリーゼントを守るべく胎児のように体を丸め、耐えきったのだ。もし……威力の落ちる跳弾でなければ仕留められていたのかもしれない。だがもう一度やれるか? いや、フジが限界だ。
「このリーゼントは不敗の証! これを切るのは負けた時だけだ! だからここでテメェらにくれてやる訳にはいかねぇんだよ。だからまずは、テメェから殺すぞ、アッシュ」
フジはゆっくりと息を吐きながら構えた。ゴア族カンフー守りの奥義。超能力を用いない戦闘において九十九パーセントの防御成功率。だがありえるはずのなかった一パーセントをディエゴから既に喫している。それでも今のディエゴ相手なら防げるかもしれない。
「ドドアッ!」
「おいもうやめてくれよぉ! それは効かねぇって言ってんだろぉ!」
タックル! 返しには板バリアー+弾力バリアー! 突進はこれで容易に止められる! ……はずだった。フジの頭は金属バットフルスイングを受けたようにノックバックし、詰まった鼻からまた血が滲んだ。フィードバックだ。
「畜生が!」
なんらかの手段でバリアーは破られつつあると察したフジはバリアーの強度を下げ、フィードバックを減らした。代わりに色を濃くし、それをスクリーンに逃げ……
「ドドアッ!」
リーゼントが直接フジの肩口をどつく! リーゼントの暴力的な頭突きはカブトムシじみており、意趣返しかこれでフジの肩は脱臼した。そしてリーゼントの先端に押し付けられたまま壁際に叩きつけられてリーゼントで磔刑にされた。
「シエエ……?」
「大サービスだ。テメェにくれてやる最大の礼だ!!」
まさか……ディエゴ・ドラドデルフィンのトレードマークであるリーゼントが……回転し、ドリルになるというのか!?
アブソリュート・キッドに敗北して約五十年。以降無敗! 故にこの大きさのリーゼント! ディエゴのアイデンティティであるリーゼントは回転し、まずはフジのウインドブレイカーが巻き込まれて布切れになった。そして肉が抉られ、血のスプリンクラーを噴き出しながらフジは言葉にならない悲鳴を上げ、ついには背後の壁が瓦礫をまき散らし始めた。貫通してしまったのだ。
リーゼント・ドリル! それは、特殊能力を一切持たない怪獣ヘイワンに属するディエゴ・ドラドデルフィンが唯一獲得した不思議な力!
「聞こえちゃいねぇだろうが、一応教えておいてやる。この技の名は……“ヘップバーン”!」
今度こそフジは完全にKOされた。もう精神だけではどうにもならない。血液、酸素、電撃。既に足りていなかったのだ。
上野地下宝物殿野良試合
●フジ・カケル/アブソリュート・アッシュ(ヘップバーン)ディエゴ・ドラドデルフィン〇
「バルダッ!」
投擲! プロキシウムチャクラム! 投げた姿勢で少しうつむくことになったが、顔を上げることが出来ない。フジの言った通り、ピラミッドに閉じ込めた時点で一旦逃げるべきだったのだ。
「フジを殺させやしない」
「テメェはいいのか?」
暴君はもう笑わなかった。
ブレイズは覚悟は現実を前に冷たく叩き固められ、それでもそれを武器に立ち向かっていった。
「バルダッ!」




