第50話 柔らかな毛布を翼に変える
「“夢”の弾!」
イツキは再び幻覚煙幕を展開した。オスカーに効き目はないが、雑兵のガスパー星人にはこれで十分、幻覚が解ければ逆上し、オスカーにも制御不能に暴れ出すだろう。だが、イツキは今はそんな大局的な見方はしていないとオスカーは確信している。オスカーがオクトパセリを使って“夢”の煙幕を解除しようとすれば隙になり、オクトパセリのサブミッションと自爆は使えなくなる。敵の手札を削るための煙幕展開だ。
「オクトパセリ! 自由に動いて煙幕を解除しろ!」
柄で地面を突くとモップヘッドの黒タコはぶしゅうと超常のガスを噴き出して泳ぐように浮遊を始め、自律飛行して幻覚煙幕を貪り目を細めて美食の快感に浸っていた。オクトパセリと別行動することでオスカーの攻撃力は下がってしまうが、それでも幻覚煙幕のアドバンテージは消えてしまった。
「ギャンブラーだな。悪くない目だぞ」
オスカーはまた少しテンションを上げた。オクトパセリは敵の念力、汚れ等を吸収し、体内で可燃性の墨に変換して吹きかける、自爆する、燃えながら空中を泳ぐという能力を持つ。上野地下宝物殿の薄暗い宝物殿内ではオクトパセリを自律飛行照明弾として使用しており、オクトパセリ自身も判断力を備えている。つまり、幻覚煙幕を張り続ける限りオスカーとオクトパセリの分断は可能だが、幻覚煙幕を吸収したオクトパセリはそれだけ巨大化し、攻撃力も跳ね上がる。次の連携攻撃ではさすがのイツキも一撃KOの可能性すらあった。
その性質がわからないイツキではないはずだ。それでもイツキはまだAトリガーを構え、どこかを狙っている。もはや過去の情報が通用する相手ではないが、オスカーの知る犬養樹は臆病、慎重故にギャンブルよりも安定択を好む傾向がある。それは悪いことではないし、彼女に戦いを教えたマイン、ミリオン、アッシュは三人とも安定志向だった。当然の結果だ。
だが! イチかバチかのギャンブルプレーは相手の意表を突き、観客をも魅了する!
「アブソリュート・レイの力! “火”の弾!」
罵糾云!
炎の戦士レイの力が込められた弾が空中遊泳中のオクトパセリを撃ち抜き、黒タコから着火の権利を奪い取って強制的に爆破させた! オクトパセリにダメージはなく、爆風で少しだけ千鳥足じみてぐらついたものの、墨を失って小さくなったまま幻覚煙幕の回収を続けている。だが貯め込んだエネルギーは失ってしまった。
「オクァ!」
清掃員は意趣返しのハイキック! バネが弾けるようなキックは研ぎ澄まされた刃のような鋭さで空気を裂き、軌跡に金属光沢さえ残しそうだった。イツキはスウェーバックでそれを躱し、全身の筋肉を解放させて低空の膝蹴り……ボマイェを繰り出した。
「甘い」
オスカーは被弾を恐れない!!!
ジョバーである以上、戦ったすべてのプロレスラーの攻撃を、基礎技も繋ぎ技も必殺技もすべて受け通してきた! イツキの格闘家の魂は認める。だが甘い! 甘過ぎる! 技のキレも、チャンスの見極めも甘すぎる!
「オクァッ!」
ボマイェごと体を抱えてパワースラムでアスファルトに叩きつける! みしりとイツキの全身が軋み、確実にダメージが通った手応え!
「甘いんじゃないのか? 自分を見ろ、と主張したくせにお前はオクトパセリばっかり気にしてる。妬けるね。俺に見てほしいんだろ?」
ついうっかり職業病でダウンしたイツキをフォールしそうになったが、これはプロレスではなく殺し合いだ。久々の殺し合い。久々に自分が技を本気でかけていい戦い。その戦いの高揚にオスカーの鼓動は異様なリズムを刻んでいた。
「なら俺を見ろ!」
イツキは体勢を低く保ったまま低空でターンし、距離をとった。相変わらずつまらないくらいの無口だが、その双眸には闘志の炎が燈っている。一見の価値があるとまでオスカーは思った。
「あぶねっ!」
オスカーは咄嗟に背中を向け、上着をはだけさせた。その背面に無数の手裏剣が突き刺さっていた。距離をとるためのターンに潜ませた投擲動作、視線の威嚇で陽動。悪くない。
「アシャッ!」
イツキが再び突っ込んでくる。今度はAトリガーから短刀に持ち替え、鉄砲玉ヤクザじみて万感の殺意を刃に込めていた。極端に視野が狭まっているのか、怪盗マスクのレンズにはオスカーしか映っていなかった。
「よっと」
オスカーは手裏剣が刺さったままの上着を脱ぎ、両手で袖を持ったままイツキの刃を上着で包んで受け止めた後、前蹴りを見舞った。距離をとったところでオスカーがぴんと上着を左右に張れば、飲まれた短刀はオスカーの背後へと弾かれていった。イツキは辟易とした。なんという技巧! イツキははじめからオスカーを舐めてはいない。自分が最弱……自嘲ではなく、現在地の自覚として自分が一番弱いという意識がある。それでももしオスカーが慢心と馬鹿力だけで戦うような相手ならばまだ付け入る隙があった。オスカーには慢心も腕力もあるが、それ以上に謙虚と技巧を持つ。だからこそいい相手だ。どうひっくり返っても怪獣やアブソリュートマン級のパワーを得られないイツキは、技巧と精神力でどうにかするしかない。
「アシャァッ!」
だから見せつけるしかない! 本質的には臆病でも、いざという時には臆さないという覚悟があるということを! 間髪入れず今度は蹴りのラッシュだが、明らかに先程までとキレが違う。一段と、また一段と威力と精度、何より若さに由来するネイキッドな殺意が滲んでいる。オスカーが持たない燃料がその蹴りを支えていた。
「ゴア族カンフー攻めの奥義か」
ゴア族カンフー攻めの奥義!
それは双璧をなす守りの奥義と違って決まった型がなく、特別な技術を必要としない。自分がカッコいいと思う言葉を十二個思い浮かべ、自分の蹴りはその言葉通りだと思い込んで蹴る! それだけ! 要は精神に追い風を吹かせるためだけの奥義である! 十二の言葉を相手に否定されるまで、この精神的追い風は続く! これは消極的なイツキとは相性が良かった。
「バランス。すべてはバランスだ」
オスカーはその場から動かず、上着の着脱や引っ張ったり緩ませたりというあやとりじみた操作のみでイツキの蹴りをすべて防ぎ、映画『ベスト・キッド』のカラテの師匠のセリフを唱えて満面の笑みを浮かべていた。ラーナのようなサディズムではなく、すべてが愛だった。格闘への愛、戦いへの愛、技術への愛。当然、敵であるイツキを尊敬し、戦う機会を与えてくれたことに感謝する。こんな命をかけたやり取りは、普段のプロレスのジョバーでは味わえない緊張感だ。
「オクァッ!」
イツキの蹴りを再び上着で包み、先の投擲で突き刺さっていた手裏剣の切っ先でイツキの足首を裂いた。もう上着はオスカーの肌も同然、神経さえ通っていそうだった。
「アシャアッ!」
イツキの掛け声に明確に狂気が混じった。上着から通じてくる。イツキは手裏剣を……さらに自分の足に押し込んだ! そして手裏剣は足首を貫通し、切っ先を突出させたまま足を振り下ろし、オスカーの上着を切り裂いたのだ!
まるで開幕だった。開けた視界の先にいたのは、アブソリュートマンを目指すと宣言した地球人の少女。その目は完全におかしくなっていた。オスカーは思い出した。怪獣ですら恐れ多く、そして不可能だと理解して口に出すどころか思い描きすらしないアブソリュートマンという職業。それをこの少女はフィジカルエリートの地球人という程度でありながら本気で目指している。安定択? リスクはとらない? そんなはずがなかった。
アブソリュートマンになろうとしている時点で狂ってるくらいのリスキーでクソ度胸だったのだ。
「アシャアッ!」
「オクェ!?」
喉元に足刀一撃! あまりの威力にオスカーの世界がネガポジ反転し、口の中に血の味が滲んだ。今度はオーバーリアクションではなく命と勝利を守るためにたたらを踏んで後退し、喉を抑えてもう一度闘志にリロードをかけた。
「アシャアアア!!!」
「なんだそれは」
「ガアアアアア!!!」
もう蹴りでもなんでもない。躱されれば自分が地面にぶつかって自滅する程の捨て身でイツキはオスカーにとびかかり、オスカーはあえてそれを受けることにした。……愛だ。愛と美学が! 格闘に対する愛と美学が、ここで避けることを選ばせなかった! イツキの体重は軽いが、捨て身……。全プライドと全生命をかけた突撃はその重さを数倍にも増量させ、歴戦のプロレスラーを地面に組み伏せた! そして顔面に瓦割りパンチ!
「アシャア!」
「オクェ!?」
悲鳴を上げたのはイツキの左拳! オスカーは怪獣としてはさほどフィジカルが強い怪獣ではないが、それでも怪獣だ。地球人が何も考えずに思いきり殴れば拳が裂け、血が流れ出す。だがオスカーも無事ではない。鼻骨にひびが入り、ざり、と頭の中で砂が擦れるような音がして顔面の痛覚が爆発した。鼻の付け根には痛覚が集中している。そこを狙ったのか、それとも偶然当たったのか。わからないが、結果として痛恨の一撃を受けた。
「アシャアッ!」
「二度目はないぞ!」
二度目の瓦割りは額で受ける! 顔面で最も固い箇所、額。そこでカウンターを合わせられ、イツキの右拳に大小様々三か所骨折! さすがに痛みを無視出来ないのかイツキが怯み、その隙にオスカーは逃れて距離をとった。いや、正確には逃れていない。狙っているのだ。
「アシャッ!」
「そう来ると思ったぜ!」
狂気任せの蹴りを脇腹で受け止める。こう来ると思っていた。むしろこう来るとわかっていなければ、オスカーの胴はだるま落としのようにすこんと抜けて吹っ飛んでいたかもしれない。
「しっかり治せよ!」
イツキの蹴りを受け止め、そのまま錐もみ回転して投げ飛ばす! 試合では一度も披露したことのない大技ドラゴンスクリューだ! イツキの膝靭帯と筋繊維がみちみちと軋み、怪盗は回転して受け身をとりつつオスカーの側頭部に蹴りを見舞った。衝撃でオスカーの毛と体液が同じ方向に流れ、たまらずオスカーは手を離した。それでもオスカーは歓喜していた。
「アシャ……」
蹴りを撃ち込んだ直後に受け身に失敗したイツキは顔面を強かアスファルトに打ち付け、ドス黒い血を流しながら過呼吸じみた荒い呼吸をしていた。だが先程までの狂ったような呼吸ではない。ダメージが大きすぎるのだ。
「ミリオン譲りだな」
「……」
「お前の師匠アブソリュートミリオン。世間的にはクール、冷静、冷血漢と言われているが、あいつはそうじゃない。貶しているんじゃないぞ。あいつには初代みたいな圧倒的な強さはない。綿密に綿密な計画を立て、その結論として一番良かったのがブチギレながら我武者羅に襲い掛かるというものだったらしい。そしてミリオンが一番真価を発揮するのは、突然ブチギレてやりすぎだろうって思われるくらいに敵を襲って最終的に殺すこと。……むしろそれがなければ、面白みのない戦士だっただろうな。だがお前には確実に、ミリオンの精神性が反映されている。光栄に思うといい。お前はミリオンを尊敬しているんだろう?」
オスカーは血混じりの唾を吐き、首の筋肉と神経に刺激を与えてダメージを探った。調子は良くない。頭部に力任せのパンチを二発、足刀、ドラゴンスクリューへのカウンターでの蹴り……。見える像も少しおかしくなり、今までがPS5の画質なら今はスーパーファミコン程度の解像度しかない。
「……」
対するイツキももうボロボロだった。ミリオン譲りの急なブチギレでオスカーに与えたダメージは大きかったが、その代償もまた大きかった。だが気高い……。少なくともオスカーにはそう見えた。地球人が怪獣相手に勝負を挑めば必ずこうなる。ノーダメージで怪獣に勝つような地球人はもう出生を疑うレベルだ。だが傷が気高い。顔面にも負傷があるのにその美貌に陰りは一切ない!! むしろよりセクシーになったとオスカーはほれぼれした。
「……。そういう無口なところ、悪くはないと思うぜ。うまく言えないけどさ、悪くない……。プロレスラーには向いてないが、少なくとも俺はお前に敬意を表す」
「あなたはそういう言葉ばかりですね」
イツキは骨が凍るような口調で一言だけ返した。その真意を理解出来なかったオスカーは自分の主張を続けることにした。
「俺たちは最初、オクトパセリとAトリガーで戦っていた。つまり、俺たちしか持ちえないユニークな能力同士での戦いだ。第二ラウンドは上着vs刀。誰でも使おうと思えば使えるが、俺たちが選んだ武器だ。そして第三ラウンドは肉弾戦。誰でも使える汎用中の汎用技術だ。一番純な戦いだ。そうだ! 俺たちは所詮ケダモノだ! お前はオオカミ、俺はタコ。或いは地球人と怪獣。格闘以外の共通言語はあるが、出会えばすぐに交わせるコミュニケーションは格闘だ! だが俺はそれを卑しい暴力とは断じて思わない!」
オスカーの血が滾る。口から飛沫を、額から汗を飛ばし、拳を握って空を殴りながら熱弁を振るい、高々と宣言した。声は興奮で震えていた。
「ほら、やっぱりそうだ」
「何がだ!? さっきから何が不満だ!?」
オスカーの炉に完全に火が入っていた。与えた攻撃、受けた攻撃。すべてが彼の魂を爆発炎上させ、へタレとは程遠い全盛期の格闘家に戻してしまったのだ。志高く、技の切れ味は良く、それでいて相手への敬意、格闘への愛と信仰を欠かさないあの頃の格闘家に。
「あなたの言っていることは概ね正しいんだと思う」
「だから何が不満だァ!!!」
「戦いで交わすコミュニケーションというので答える」
「……そうか」
互いに素手の戦いで最も得意とする構え。オスカーは打撃と身軽さを活かすプロレスラー、イツキはゴア族カンフー攻めの奥義。しばしの時間が流れた。時間と共に、目に映る敵以外の情報……エコーが雑兵に殴られる音、メッセの電撃が焼いた空気のにおいは削ぎ落され、距離と敵の状態以外がすべて失われた集中力の宇宙にいた。
「オクァッ!」
「アシャアッ!」
決着は一瞬でついた。何の飾り気もない高高度の後ろ回し蹴りでオスカーを蹴り飛ばして転倒させ、チョークスリパーで締め落したのだ。
あっけなかった。あまりにもあっけなく、オスカー・オレンジオクトパスはKOされた。
「嫌われたくないだけ、バカにされたくないだけなんだよ」
勝利したイツキは苦々しく、斃れたオスカーに言葉をかけた。
「ミリオンを語る際にも誤解を招かないように一言挟んだり、敬意とか愛とか、自己犠牲とか献身とか、意図せず嫌われたり馬鹿にされないようにするための予防線」
メッセと撃ち合っていたシャオシャオはオスカーの敗北を悟り、頬に指をあてて首を傾げるあざといポーズをとった。
「イツキちゃん? 君、イツキちゃんだっけ?」
「はい」
「君は国語の偏差値が高いのかナァ?」
「昔は低そうって言われましたけど」
「言語化してくれてありがとうね。ワタシもオスカーのことはよく知らなかったけど、多分君が言ったことがオスカーの本質だよ。いい子ちゃんすぎた。そんなオスカーを立派と思う人間もいるだろう。そして、この戦いを普段思う存分に戦えない自己抑圧の解放だとか、格闘の神様への愛だとか信仰だとか、あくまで美学に範疇に留める気しかなかったオスカーが、この戦いで勝たなきゃ何の価値も証明出来ない君に勝てるはずがなかったネ。そしてオスカーは負けた今でも、いい勝負が出来たし君という逸材が見つかったから満足、なんて本音で言い放つだろうね。でもワタシが褒めてあげよう。君は精神的に既にオスカーの上を行っていた」
「結構です」
「もっとわかりやすく言うなら若さだ。オスカーの肉体は年齢の割に老化、劣化していないけど、精神は既に一線級じゃなかったネ。ガチになれてなかったんだよ」
シャオシャオの興味は既にオスカーになかった。どうでもいい。シャオシャオとオスカーの間に利害関係はなく、シャオシャオにとってオスカーはいてもいなくてもいい存在だ。だがメッセとの間には因縁がある。ここでメッセを倒し、ディエゴに献上すればボーナスが発生する。それにシャオシャオは負ける気など毛頭ない。自分の価値もプライドも踏みにじられる。シャオシャオ・シルバーシュリンプは負けを正当化しない。シャオシャオが最もリスペクトするのは自分だ。ディエゴの部下だが、ディエゴなど給料を払ってくれるだけのカスだ。
「天上天下唯我独尊。お前もそういう目だね、メッセ」
一仕事終えたイツキは自分の細胞が精神的に変化していくのを体感した。勝利という刺激が、彼女の全身を作り変えているのだ。ただし体力的にはギリギリだった。倒れそうなイツキをディグニーが支え、応急手当てをした。……ディグニーは完全に美学の人間だ。それもオスカーと同じくリスペクトを最も重要視する。美学を持つからこそ強くなり、存在感だけで敵を威圧する“法力”を身に着けた。イツキはオスカーの美学を弱点と認識したが、ディグニーの美学を弱さだと思わない。
「よくやった」
「ありがとうございます」
「アタシはオスカーのすべてが間違っていたとは思わない。でも勝ったのはアナタ。そしてアタシは勝敗がすべてとも思わない」
「……はい」
「でもアタシはアナタに肩入れしているから、アナタが他人を否定してぶつかり合える強さを持ったことが喜ばしいわ。今はそれを喜びなさい。アナタはもう愛玩の犬でもお人形でもないわ」




