第49話 性格良ければいい、そんなのウソだと思いませんか?
……。XX年前。
「俺でいい」
この時、オスカーはオスカーではなかった。後にオスカー・オレンジオクトパスと名を改める男……オスカー(仮)が、一人の巨大な男と向き合っていた。オスカー(仮)は今とは違う金髪のポニーテール、向き合っている男はツルツルのスキンヘッドだった。
「お前の方が素質がある。だからお前が勝て、ディエゴ」
ディエゴvsオスカー(仮)。これが、ディエゴのプロレスラーとしての初対戦カードだった。超満員の観客はいない。どっちが勝ってもベルトも与えられない。場末の飲み屋で出会ったプロレスラーのオスカー(仮)と、ただの乱暴者だったディエゴは意気投合し、二人で見世物として格闘技、つまりプロレスをやることにしたのだ。
そして、プロレス経験者の技術……安全な受け身と派手なリアクションを備えたオスカー(仮)は、怪物じみた巨体と説得力、怪力を誇るディエゴが勝った方が映えるとして、自ら負けを選んだ。
これがDD興業の始まりだった。
つまりオスカー(仮)はディエゴにプロレスを教え込んだ張本人であり、過去のディエゴを知る唯一のものだった。
負けたら剃髪、の誓いを守り続けたディエゴはやがてリーゼントを伸ばし、その間にも様々な敵と戦い、ディエゴは勝ってオスカーは負けてきた。やがてラーナ、シャオシャオ、スティングが加わったが、この三人ですらオスカー(仮)の存在を知らない。オスカーは無敵のディエゴが現ジョバーにプロレスを教わっていたなんて事実を抹消するために大幅にイメチェンし、戸籍上の名前さえも変えて最初から「ジョバーのオスカー・オレンジオクトパスだった」という風に歴史を改ざんしたのだ。
オスカーはディエゴを生まれつきにして永久の強者と認めているが妄信もしていない。そういうやつがいると経験上知っているだけだ。いわばこの鋼の忠誠心も、ディエゴに対してではなく、プロレスの神もディエゴを選ぶだろうという、プロレスの神への忠誠心だった。それを献身だとか自己犠牲だとか、御大層な美辞麗句で飾るつもりもない。あるとするならばプロレスの神へディエゴ・ドラドデルフィンを推薦し、さらなるプロレスの繁栄と栄光を願うプロレスへの……やはり忠誠心だろう。
忠臣、部下、友人、師匠、過去を知る唯一のもの。だが今は社長とジョバー。それ以上の関係を知るものはもう当人二人しかいない。だがガスパー・シールズが指摘したように、オスカーはディエゴ不在の地上でディエゴを呼び捨てにした。それは、オスカーが唯一ディエゴと横並びだった経験を持つ故だった。
そしてディエゴは、今のオスカーを「使えないクズ」としてリングで虐待しているが、本気を出せば自分の次に強いことを知っている。むしろオスカーより強いのは自分だけだという自負ある。
〇
「行くぞ、飯塚!」
「OK、大塚!」
「合わせるぞ、長塚!」
DD興業二軍戦士の三人ユニット……頭文字をとってイオングループの三人は、大塚をセンターに一五〇キロを超えるエコーを担ぎ上げ、両足をさらに飯塚、長塚が押し上げて超高高度に運んだ。エコーは抵抗するそぶりも見せない。
「俺たちの登場ですべてはこうなる! 食らえ!」
「シャッター・昇天・ガイ!」
安くこき使える、それでも技は何でも揃う若手ユニットは、三人の力を合算、いや乗算して放つ大技トリプルパワーボムでエコーの背中を上野の地面に叩きつけた! 飯塚と長塚が足を持ち上げることでさらに高度を上げ、叩き落す力も強まるため大塚が単独で放つパワーボムの二十七倍近くの威力を誇り、科学博物館のシロナガスクジラ像がぐらぐらと揺れ、野球場の奥の筒状の灰皿が倒れてヤニのしみ込んだ茶色の液体がじわじわとアスファルトを流れていった。
「長年のご愛顧ありがとうございました!」
三人揃ってシャッターを引き下ろすポーズは実にプロレス的だった。そしてやはりエコーは不動! トリプルパワーボムをまともに食らった体勢から動かないが、呼吸は安定、出血もない。
「……ッ!」
一瞥したオスカーは……率直に言うと興奮した。エコーは何も効いてはいないし、勝負を捨てた訳でもないようだ。ただなんらかの事情があって反撃せずにいる。それが、あのディグニーなる尼僧との精神的な修行なのかもしれない。今までは感情と天賦の巨体と怪力ですべてを叩き壊してきた巨女は、今はあえて攻撃を受けて耐え忍ぶことを学ぶだとか、そういった類の修行か。それにしては、倒れながらもオスカーを睨むエコーの目は巨大鍾乳石のような鈍い重量と鋭い攻撃性を保っていた。その気になればいつでも殺しに行くぞ……。そんな目だった。たまらない格闘家の目だった。
「オクァ!」
オスカーはモップを縦に回転させ、オクトパセリの墨で三日月状の軌跡が描かれた。オクトパセリに反応がある。今の回転でまた敵の攻撃を食べたらしい。
「お前も同じ目か」
「……」
銃口を向ける静かなベローチェ。エコーとベローチェでは普段の性格が違いすぎるが、それでもイツキの目はエコーと同じく餓えるオオカミの目だった。そしてエコーと同じことを言いたげだった。どこを見ていやがる、と。エコーはイツキから目を離すな、イツキはエコーを見る余裕があるのかと若者らしいネイキッドな目で万感の殺意を以てベテランレスラーを睨みつけていた。そしてイツキは即座にダッシュ開始! 速い! 競技としての格闘技の辞書にはない速度で間合いを詰め、ボレーキックを繰り出した! だが辞書にないからといって対応出来ない訳でない。モップの柄を的確に合わせてガードし、一度受け止めてから大きく振り払って牽制しながら遠心力を乗せた極めて流麗でテクニカルなフットワークを刻んで距離をとった。
「オクトパセリのサブミッションプラス爆破を食らってその動き。さすがはギフテッドだな」
「アブソリュート・ホープの力! “夢”の弾!」
すかさずイツキはAトリガーの引き金を引いた。花や出来立てのパンを連想させる甘い匂いを伴った白く濃い煙幕が立ち込め、イツキとオスカーは同時にバックステップして距離をとり、お互いの姿は完全に煙幕の中へと隠れてしまっていた。その煙は風下へと流れ、その煙を吸ったガスパー・シールズに異常が発生した。
「てめぇ! 会いたかったぜ……。俺が隣の中学のやつらにカツアゲされた時、俺を見代わりにして逃げただろ!」
「おぉう、久しぶりだな。この間貸した『ドラゴンクエスト11』の感想、聞かせてくれよ」
「先生? 先生ですか? 生きてたんですね!」
煙を吸ったガスパー星人は存在しないものと会話を始めた。相手は同級生、友人、恩師、そういったものだろう。これがアブソリュート・ホープの力を弾丸にした“夢”の弾の効果である。煙を吸った相手が「一番会いたい人物」の幻を煙に投影する。会えた喜びで影響下にあるものは正常な判断力を失い、無力となる。そして死んだ人間にも会わせてくれる。当然、幻として……。直接肉体にダメージを負わせる弾ではないが、幻から解放された時にもう一度心は最愛の人物を喪失するのだ。
「おい! 大丈夫か!? しっかりしろ!」
だがオスカーに幻は見えてはいない。“夢”の弾は万能ではなく、ある程度の精神力を備えた相手には効果がないのだ。具体的にはDD興業幹部級にとってはただの煙幕、二軍戦士も今は三人ユニットが揃っているためメンタル的に安定しており、効果はなかった。だがガスパー星人に効果テキメンなのは宇都宮で実証済みだった。
「ちょっと待ってろ。どうにかする!」
オスカーも宇都宮での件を思い出し、煙幕とガスパーの関係を見破った。そしてモップを振り回し、モップヘッドの位置にいる相棒オクトパセリに煙幕を吸わせた。それは江戸時代の臥煙の纏のように静かに心を殺す煙を晴らし、ここが自分の場所であると主張した。オクトパセリで消せるということは、これはやはりただの煙幕ではなく超能力が込められた力なのだ。そしてこれだけ強力で広範囲にわたるということは、オクトパセリのエサにもなる。黒いタコは十分に火力を蓄え、むさぼる恍惚に目を細めていた。
「アシャァ!!」
「オクェエエエ!?」
風上から黒い風が吹いた。そしてそれは形となり、オスカーの顔面に突如として世界に一つだけのドロップキックが決まっていくぅ!! 高さ、深さ、鋭さ! 黒い風と化したイツキのドロップキックは、一八〇センチ超のオスカーの顔面を斜め上から蹴り降ろし、その衝撃でオスカーの頭の中でバチバチと危険な火花が弾けた。これが地球人として到達可能な身体能力をはるかに超える犬養樹……。その気になれば同じ角度でディエゴの顔面を蹴る高さまで跳べるのだろう。
オスカーは大げさに背中から地面に倒れ、衝撃で後転した後に背中を抑えてのたうち回った。極端にシリアスな場である戦場でなければ笑うものすらいたであろうオーバーリアクション、だがイツキは笑ったことがない女だ。
「……」
実際、ダメージはさほどない。さほどないのだ! それはオスカーの常人の想像をはるかに絶するレベルの高い受け身技術にある。不意の攻撃であろうとも受け身は可能、そしておまけのオーバーリアクションは仕事の都合で身についたものだった。
オスカー・オレンジオクトパスは、プロのジョバーだ。
「いいドロップキックだ。打点の高さはすさまじいものがある。それが出来るやつは宇宙を探しても五人はいない」
「それ、お世辞?」
「単純にプロレスが好きだからな、逸材を見ると滾ってしまうんだ。ふっ、見透かされちまったな。俺はお前を舐めた訳じゃあねぇ。……舐めて大袈裟にリアクションをとった訳じゃあねぇんだ。だが、俺はジョバー。躱すことも受けることもなく、食らい続けるのみ。許されるのは観客を喜ばせるように食らい、バレないように受け身をとること。ディエゴ・ドラドデルフィンの打撃を一番食らったのは誰だと思っているんだ?」
そこで一つオスカーは気が付いた。
先程からエコーはイオングループに殴られ、蹴られ、パワーボムで投げられとサンドバッグ状態になっている。もうエコーが反撃しないと察したのかイオングループはより大胆に、DD興業には一人もいない一五〇キロ級ファイターを相手にパワー自慢の投げ技なんかをかけてアピールしている。反撃しないと判断していても攻めてしまうのは出世目的の技のPR、放置出来ないのはエコー始動を防ぐためでもあるのだろう。さすがのエコーも鈍器で殴られ、出血も始まっている。顔に打撲もある。だが呼吸は深く安定し、顔つきはさっきと変わらない静かな殺意を湛えている。そしてオスカーが一瞥すれば必ず目が合う。
「今、目の前にいる犬養樹には悪いが、エコー。お前を尊敬するぜ」
オスカーは呟いた。
エコーは戦わないために来たのではない。何をされても平静を保ち、精神的な力の涵養に努める……そんな甘いことでもなく、エコーは敵をブチのめすためにここに来ているとオスカーは理解した。
エコーは二軍戦士の攻撃に対し、的確に受け身をとっていた。エコーはDD興業とは別団体所属の女子プロレスラーだが、その団体は社長がエコーをスカウトし、エコーをスターに据えるという前提から始まったと聞く。つまりエコーにはプロレスラーとしてジョバーも二軍も務めず、デビューから現在に至るまでトップヒール以外の経験がない。
エコーは戦いに来た。誰と? まだ決まっていないだけだ。メッセが負ければシャオシャオと、シカリが負ければラーナと、イツキが負ければ自分と。地下でフジとブレイズが負ければスティング、ディエゴとも戦う覚悟が出来ている。エコーは二軍戦士三人と二十人以上のガスパー・シールズを倒すことが可能だが、時間がかかってスタミナも大きく消耗する。ならば、動かず出番を待つだけだ。待っている間に受けるダメージは、動いて消耗するスタミナよりは軽微でその後の戦いには何ら影響も問題もないと判断したのだ!
そのタフな肉体と受け身の技術、火の玉娘からゆっくりと海を照らす静かな夕日へ変わった人間性。そして何より、オスカーが歩めなかったエリート中のエリートプロレスラーでありながら! 攻撃され続け、耐え続けることを選ぶとは! エコーの相手はもう二軍戦士でもガスパー・シールズでもない。自分のプライドだ。
だから尊敬する。こいつはディエゴと同じだ。プロレスの神を喜ばせる存在だ。
「アシャッ!」
「オクァ!」
イツキの筋の通ったハイキック。まったく体がブレず、モーションの中で体重移動と運動連鎖がパーフェクトに行われ、威力が一切無駄になっていない。冷徹なくらいに整ったキックを、オスカーは受けずにいなした。怪盗マスクの向こうの目はビキビキと血走り、不穏なパルスが脈打っていた。いくら言葉で配慮されようとも、今の敵である自分から目移りしてエコーを褒められるのは気分が悪い。エコーが悪いのではない。イツキのプライドが許さなかったのだ。
「……」
その証拠に蹴りは一撃、型として完璧に近いキックだが、不意打ちならばAトリガーの方が威力は高かった。だから不意打ちではないのだ。自分を見ろと挑戦状を叩きつけたのだ。……。DD興業が事前にミーティングで頭に入れた情報と異なる。犬養樹は鋼のフィジカルと釣り合いを保つようにガラス以下のメンタルと聞いていた。臆病で無力な少女、隙あらば他人に出番とチャンスを譲る消極と自己嫌悪、自己の過小評価。今は違う。違うのだ!
「格闘家だな」
技を! 行使するだけが格闘家ではない! 事実、エコーは戦わないことで格闘家の魂の健在、そして以前よりも強く燃えていると証明した。そしてイツキもだ。消極的で臆病な少女は、クールビューティーになったのだ。そしてメンタルが弱いはずがない。何しろ地球人の生まれでアブソリュートマンという職業に就こうとしているのだから、闘志はもちろん人並み以上だ。もうマインや因幡飛兎身に溺愛され、事実上飼われていた自我が希薄な少女ではない。その野望の埒外の大きさと本気でそのために修行している彼女は既に狂人だ。ミリオンの仕業か? 違う。ミリオンはこんな野望を持つように教えていない。自身でイバラの道を選んだのだ。
オスカーは交戦中のイツキには悪いが、と断った上でエコーに注目して褒めた自分を強く恥じた。イツキも自分を滾らせる格闘家の魂を持っている。
「性格良ければいい、そんなのウソだと思いませんか?」
高揚したオスカーは敵に配慮しつつ、高揚を抑えきれず節をつけて言った。オスカーは今の蹴りを……受け身で処理しなかった! ジョバーのリアクション芸ではなく、本能的に危険性とイツキの意志を感じ取り、格闘家として最適に技術で処理したのだ。
「プロレスの神様、この人でしょうかぁ。……格闘家として手合わせ願おう」




