第45話 最悪を繰り返してんだ
「あれ……。こんなところにいていいの? というか今日は来ちゃダメだよ」
十二月二十四日。恋人の日、クリスマス・イヴ。鼎は若い女性が住むにはセキュリティが甘すぎる千歳烏山のボロアパートの呼び鈴を鳴らし、中から現れた主を眺めた。黒髪の乙女、犬養樹。だが普段のセンスがないのかおしゃれする気もないのかわからない無地の服ではない。馬鹿げたマスカレードマスクに燕尾服。ステレオタイプな怪盗ルック……怪盗ベローチェとして活動する時の姿だ。腰には超常の拳銃Aトリガー、衣服の各所に小さな刃物を仕込み、今まさに戦場に赴かんとしている。
「フジと過ごさなきゃ」
「フジが……。ディエゴと戦いに行ってしまいました。それは仕方ないんです。仕事ですから」
震え。寒さか恐怖かわからないが、イツキは優しく部屋に鼎をエスコートし、部屋の中で『ファイナルファンタジーⅦ』をプレイしていたみちかが座布団を差し出した。みちかを見ると震えは少し収まったようだった。震えるのも無理はない。フジは確かに強くなった。間違いない。確実だ。最強ではないが、夏に金田一を倒した時点でフジのレベルは数段上がった。だからこそ、フジも鼎もその今の強さで負ける恐怖がより強くのしかかる。ましてや相手はディエゴ・ドラドデルフィンだ。
「わたしは戦いに行く。フジを今日中に望月さんのところに帰す。でもディエゴとの戦いに介入は出来ない。フジのプライドが傷つく」
「でも、上野が傷ついてもフジは……。お願いします、淀川さん」
戦って、とは言えない。そこまで仲良くはないし、もしみちかが上野に行ってそこで成長してしまえばフジが追い抜かれる気もした。今のフジが失った洒脱、余裕、いい意味での弛緩。フジがシリアスになりすぎてしまったからこそ、シリアスになりすぎずにあれだけ強いみちかを恐れてしまう。
「わたしはここで『FFⅦ』を続けるよ。はじめたことはやりきる」
……。まったく理解出来ないわけでもない。みちかという人物は確かに天才肌で自力でなんでも覚えてしまうし、一を教えれば十も百も覚える。少しシステムやコツを教えただけで、『FFⅦ』のマテリア編成や戦闘も自分なり編み出している。表向きはのんびり屋だが、内に秘めた闘志やこだわりはとても強い。間違いなくアーティスト気質だ。自分のような消極的臨機応変とは違う。
「……フジの退路はわたしが確保する。それに、今日望月さん誕生日だよね?」
「なんで犬養さんが知ってるんですか?」
「去年、碧沈花が死んだ時に聞いた。二年続けて最悪なクリスマス&誕生日にはしない」
「……」
「じゃあ、行ってくる」
〇
「……」
メッセは能面の奥で眉根を寄せた。シャオシャオ追撃の絶好のチャンスだったはずなのに、残念ながらお預けだ。針金のような体は折れるようにダッキングし、その頭上を赤い靴ベラが通り過ぎた。池袋でうんざりする程見たあのサイコ・ビッチの武器だ。だからその危険性も知っている。あれで殴られても負傷はしないが、込められた催眠術によって全身の痛覚が暴走し、一打目では体を制御出来なくなり、二打目で正気を失い、三打目以降ではショック死圏内に入る。
「サンキュー、ラーナ。一緒にメッセイジメようネェー」
ポータル移動したラーナは、シャオシャオの猫なで声で絶頂寸前まで導かれた。簡単だ。ラーナは身体能力と戦闘のスキルは素人だが、ラーナの予知を使って靴ベラの特殊能力で激痛を与え、シャオシャオでダメージを与えればいい。これはメッセにとって良くない展開だ。ドライに数字とデータに頼ってみる。ラーナの身体能力と戦闘経験、戦闘センスではシャオシャオとロクな連携はとれないだろう。起点はラーナになるが、そのラーナはポータルで常に移動を続け死角から攻撃してくる。メッセの簡易予知で躱すことは可能で、そこでラーナを討ち取ることも不可能ではないが……。
「そうは問屋が卸さないわ」
シャオシャオはラーナを犠牲にしてでも自分にとどめを刺すだろう。むしろ、シャオシャオの狙いははじめからラーナを囮にすることだったのかもしれない。そうしている間にもまたラーナが消えた。今度はポータルではない。天稟のサディズムにより、敵のもっとも嫌がる行動を瞬時に編み出すラーナはメッセの嫌がる位置……つまり、死角、盲点に地球人並みの運動神経でゆっくりと移動し、メッセの認知をすり抜ける。その顔は既に誇り高いDD興業副社長ではなく、劣情を電池に動くシャオシャオの人形だった。
「ホロウッ!」
「アリエッ!?」
そのラーナが何の前触れもなくメッセの視界に転がり込んできた。あまりにも予想外で唐突、百戦錬磨のメッセでさえも追い打ちをかけるという選択が追い付かない程だった。
「メッセさん」
「お前……。誰?」
ラーナを蹴り飛ばしたのは、ロサンゼルス・ドジャースのキャップの上に青いパーカーの二重被り、色の濃いジーンズに青いスカーフで顔の下半分を、青の鏡面仕上げのゴーグルで顔の上半分を隠す、取り繕わずに言えば不審者だった。そして、メッセの予知と察知はその不審者を全く感じ取れなかったのだ。
「バロバロバロバロォォォォォ!!!!!」
不審者は自らの存在感をコントロールし、今度は無造作な立ち姿ながらも自分の位置を敵にアピールし、ガスパー星人の注目を自分に向けている。そして雑兵たちはあるものは慟哭、あるものは激高した。
「シカリ!」
「俺にも仕事があります」
……。意味深長だったが、その口調はとても力強く頼れる戦士のものだった。フジが……。フジが彼を孤独から救い、プライドを補強したのだ。彼は今、フジのために仕事をしようとしている。
「シカリィ……」
激高するガスパー星人は、かつてシカリに仲間や家族を惨殺されたものだろう。もしくは、同じように親しいガスパーを殺されたがもうシカリには恐怖しかないかだ。シカリはZ飯店最弱。それは間違いないが、弱さ故にシカリは敵を殺し、その殺し方……死体の愚弄や恐怖を与えたのちの殺害も戦略である。ロゼやパトラはシカリよりも強いがその分敵を生かすという選択肢を持つ。だがシカリにはない。不覚や復讐を避け、手負いの獣を侮らないが故に殺す。だからこそシカリは怨恨の的になり、交戦すれば確実に死を与える脅威となる。ガスパーの統率はみるみるうちに崩れていった。
「シカリ、あんたならラーナを追える?」
「追うだけなら」
「重畳。ラーナを追い、わたしの邪魔をさせるな。そしてそれをやりつつ、ガスパーの牽制。任せた」
「最初からそのつもりでした。中野での因縁もあるんでね」
シカリはZ飯店最弱。だが、ラーナとの因縁を語る声は戦士の熱を持っていた。
立ち上がったシャオシャオは顔の周りの煤を拭い、くりりと白目を動かしてあざといポーズをとった。プロレスラーとしての矜持と流儀であり、ラーナへの燃料でもある。
「なんだかメッセを見ていると、思い出す人がいるよォー」
「誰? 美女じゃないんでしょうね。だってわたし以上の美女はいないんだから」
「ピッコロさんだよぉ。メッセは所詮ピッコロさん。頑張って頑張って、強くなって強くなって、なんとかサイヤ人に追いつこうとするけど追いつけない。だから知恵で自分の立場をどうにかしたつもりでいる。でも、結局サイヤ人……アブソリュートマンがいればピッコロさんもメッセもいらないよ。賢いアブソリュートマンがいればメッセはお払い箱だよォ。むしろ引退したのに部室に顔を出す嫌な先輩だよォ」
「へぇ、そう。図星ね。でもね、ピッコロでも栽培マン程度なら殺せるわよ。それに、わたしは悟飯を育てたつもりでいる」
「残念。ワタシはセル完全体くらいには強い」
「じゃあわたしを倒した後は悟飯に怯えることね」
ラーナの気配が遠ざかった。ラーナとシカリは中野ブロードウェイで対峙している。決着つかずだったが、ポータルとステルスの技術はシカリが上手だった。それでもラーナの危険予知が勝り、互いに回避しあうだけで攻撃は一度も当たっていない。だからこそシカリはラーナへの抑止力になるのだ。
「お前も来ていたのか、エコー」
「耕平」
「お前、何かあったのか? ……そのお坊さんに何か教わったのか?」
異常巨体の巨女エコーと、小ぢんまりとしたシカリ。胴回りは数倍も違うだろう。並び立つさまはどこか漫才師じみて滑稽にも見えたが、二人の価値と存在感は釣り合っていた。今までなら腐れジョックのエコーは、ナードのシカリがどう受け止めるかも考えず反射的に「猿」と呼んだだろう。だが今はスクールカーストなど関係なく、対等な幼馴染だった。……。ずっとこうして肩を並べたかった。Z飯店があるうちにそうしたかった。シカリはスクールカースト底辺のナードだが決して精神的弱者ではない。高慢ちきなエコーが謙虚を覚え、ディグニーの金科玉条である気迫、敬意、忠誠心を知ったからこそ、ようやく二人は純粋に幼馴染に戻れた。
「説教された。それでも自分で変わらなきゃいけなかったと思ったから、変わった」
「そこで他人に手柄を譲らないところがお前っぽいよ」
ばふっとスカーフが揺れた。エコーの言葉でシカリが笑うのははじめてだった。
「来るかな、ロゼとパトラ」
「ロゼは来るかもしれないな。パトラは絶対に来ない」
「なんでそう言える?」
「ブレイズを見たくないからだ。もしもブレイズがここに来ないんだったら、そんな腰抜けのブレイズを見たくないから来ない。ブレイズがここに来るんだったら、フッたばかりの元恋人には会いたくないだろ。あいつは俺たちとは違う。……違うんだよ。パトラはレベルが違う。全然違うことを考え、それでも俺たちを想い、だから誰よりも傷ついてしまった。レベル違いに大人だった。大人にならなきゃいけなかった。……俺たちと同級生なのに。俺たちがもっとパトラのことを考えていたら、Z飯店はまだあったのかもな」
「わたしのせいだ。わたしがみんなに押し付けた」
「そうだ。お前のせいだ。俺は本当に、マジでお前のことが嫌いだった。今でも嫌いだ。俺たちを繋ぎ留めていたのはブレイズとパトラなんだから、あの二人がいなくなればもうZ飯店に意味はない」
「じゃあなんでお前は来た?」
「お前はだいぶ変わったが、まだお前に俺のことはわからない。話すつもりにはなれない」
「そんなにわたしが嫌いだったのか」
「わかってくれてうれしいよ。でもそれ以前に……。もしくはそれ以上に、俺たちはもう仮免でもアブソリュートマンなんだよ」
じゃきっ、っとシカリはハンドメイドショットガンをリロードし、腰の引けたガスパーの向けて無造作に発砲した。銃声。銃声だ。その音は遠くまで届き、上野のカタストロフィの見物に来ようとした野次馬を牽制した。そしてガスパーが一人ザクロになり、赤い果汁と果肉をまき散らして死んだ。ハンドメイドの武器はまだある。シカリはショットガンを差し出した。
「使うか?」
「使わない」
エコーはばしん、と両掌を合わせ、柏手を打った。神の化身たる大横綱の土俵入りじみており、その音は銃声に負けず劣らずの音量と圧でガスパーを威嚇した。最後に会った時のエコーならこれをしなかった。今までのエコーなら拳と拳を叩き合わせていただろう。それでも、女性故に土俵入りを果たせず相撲を憎んだエコーは土俵入りの動作をした。スカーとの戦いで拳の外側にびっしりとガラス片が埋まっており、もうエコーは何も殴れない。だが大切なのはルーティンだ。ディグニーが精神力の涵養によって力を手に入れたように、今は浅薄でも神聖な力を借りたい。
「ブレイズが地下で頑張ってるはずだ」
断ち切ったはずなのに、二人はまだブレイズに期待してしまっていた。
〇
「またそれか」
「これしか知らない」
前傾姿勢、猫背、軽く握った手。初代アブソリュートマンの構えだ。かつてはそれは高尚と思われていた。世界は初代アブソリュートマンの再来を願ったが、誰も代わりにはなれず、別系統のジェイドとレイが初代から最強の座を奪い取った。今や初代アブソリュートマンの模倣など地球の少年がブルース・リーを真似て奇声を上げる、アーノルド・シュワルツェネッガーを真似てサングラスをかけるのと同じレベルだ。
それでもスティングは冷淡に言葉を放つだけだった。ディエゴなら情緒たっぷりに落胆し、バカにした嘲笑さえ挟んだことだろう。
「あとは勇気だけか」
「あとは勇気だけだ」
「バカバカしい。夢を潰えさせてやる」
石の男スティングは大きく振りかぶり、興行では映えないであろう雑で地味なパンチを放った。炎の青年は腕で流しながらステップで回避……やはり初代の猿真似だ。本人もわかっているだろう。それに適性はなく、続けるべきではない。だが本当にこれしか知らず、これを選ぶしかないのだ。
「それは勇気ではない。立派な体があるのに、お前は自分の憧れを自分の体に憑依させるだけか?」
「バルダァッ!」
間違っているのはわかっている。初代の模倣ではもう勝てない。じゃあどうすればいい? 何もないままただ襲い掛かれと? それが人間の姿か?
「ボダァッ!」
ブレイズの大振りのチョップは、石の男の鋭い前蹴りで動きが断絶した。ぴしゃりと芯が通り、弾く攻撃ではなく止める攻撃。そして本命の……。
「ボダァッ!」
「バルエエエエ!?」
石造りの男のパンチは、ヒットの瞬間に大きく光爆の華を咲かせた。インプット。スティングは炎や冷気、電気といった現象を石化し、その石を体に同化させて自由に解き放つ。打撃と火炎で後退したブレイズは、黒煙に渦を巻かせて追撃してくる次の拳を見た。
「バルッ!」
実にオーソドックスなピークアーブーガードがその拳を止めた。……思った以上に、腕へのダメージが少ない。皮膚は痛むが、肉も骨も軋まない。その微量な痛みはブレイズの思考へのノイズにならなかった。
もしかして自分は、初代の真似をやめれば思った以上にやれるのでは? 初代の真似をやめればすべて更地からはじまり、もう一度戦闘スタイルの組み立てからやりなおさなければならないと思っていた。その更地は、間違って作った憧れだけの小屋よりも脆く弱いはずだった。だが、初代が選ばないピークアーブーガードは意外によくやれた。
同時にもう一つの可能性も考える。スティングはまた手を抜いているのでは?
「お前の体は良く出来ている」
「なんだ?」
「身長も低くはない。体重も十分にある。アッシュが欲しがる体格というアドバンテージを既にお前は手にしている。お前はそう生まれ、そう育ち、そう作られた。それが今のお前の体だ。私とは違う」
石の男はため息のような動作をとった。全身が石で構成されているスティングは呼吸など必要なく、ため息など生物を真似た所作に過ぎない。スティングには内臓も皮膚もない。脳すらもないのだ。あるのは透けたクリスタルの体と、その体のどこが司っているかスティング本人にも不明な感性があるのみである。その感性が、禍々しいフェイスペイントで顔を模し、ゴシカルなロングコートやブーツ、手袋といったホラーじみた服を好んだ。
無色透明な男は、自分で自分をゴシックホラーの怪人と定義したのだ。
「私は自分でこの体を作った。私は石だ。動き、話すだけの石だ。自分で石を足し、或いは削り、この体がいいと思った。私は自分の姿を選べる。だがお前は選べない」
「それが、俺の弱さだというのか?」
「弱みか強みかは知らない。だが羨ましい。自分ではどうしようもないのに与えられたアイデンティティ……。肌の色、顔つき、声、体格、アブソリュートマンならばアッシュの電撃やお前の炎のような属性。自分では変えられないアイデンティティがあるからこそ、それと向き合い誇れるように生きていくしかない。私は自分のすべてを好きなように変えられる。そこに、誇れるアイデンティティはあるのか?」
「定義の問題か」
「定義ではない。お前が何者かだ」
……。今、思ったより良かったガード。スティングの言葉を借りれば、それは技術以前にブレイズの肉体が頑丈だったからなのだろう。一八〇センチメートル、八〇キログラムはレイやブロンコ、そしてエコーといった規格外の巨体ファイターに比べれば見劣りするが、アッシュは無理な増量を試みても六七キロしかない。最強の戦士ジェイドはもっと小さい。だが、今……。確かな手ごたえから魂への熱に変わったガードの成功を実現したのは、恵まれた体格、そして彩凛が作ってくれた料理、マイオスに教えてもらった工務店での仕事が作った今の薪悟の肉体だ。スティングが自分でデザインして作った体とは違う。自然と出来上がった体だ。
「何が俺を作っているかは、わかった。だが今ここに立っているのは劣等感だ。失ったはずの劣等感が熱になり、勇気となって俺はここに今立っている」
小学生時代。ブレイズはいつもアッシュに劣っていたが、紙一重だったと自分は思っている。運動、勉強。すべて紙一重。相手は経済的にも血統にも環境にも恵まれたエリート。自分は何もない貧困。……何もなかったわけではない! アッシュに食らいつけそうな才能と、食らいつこうとする劣等感があった! 俺の人生は逆境だったが、一切恵まれていないわけではなかった。
「隣の芝生はいつだって青く見えるぞ。それを羨むだけではダメだ。私も、お前を羨ましく思いながらも考え、自分の芝を手入れし、戦っている。だが、まずは自分で芝生を育ててから羨め。他人の家の芝生を植えて、その上で他所を羨ましがるな」
無形。ブレイズは一切の構えを捨てた。まずは他人の家から持ってきた芝……初代の模倣を捨てる。ここでその悪癖を捨てられるのなら、負けたって良い。負けて、間違いだったと自分に刻めるならそれでも収穫だ。だから獣になるしかない。多彩な技を持つアッシュは小さなタヌキかもしれない。ならばデカいトラの自分は、技術もクソもなく鷹揚と襲い掛かる。今はそれでいいのかもしれない。
「スティング。あいつマイクパフォーマンス上手くなったな。マイクパフォーマンスじゃシャオシャオにかなり劣っていたが」
ディエゴは葉巻を五本同時にくわえ、ガスバーナーで火をつけて木箱に腰かけた。スティングよりは軽いはずなのに偉大なるディエゴ・ドラドデルフィンの体重に負けて木箱は壊れ、中から織田信長が怪獣を使役して桶狭間を制圧する様を描いたオーパーツ掛け軸が転がった。
「いいタバコだな」
「テメェにはわけてやらねぇよ」
どろり……。完全にKOされていたフジは顔面を血でどろどろに汚しながら立ち上がり、胸ポケットからスペアメガネとタバコを取り出してそれぞれ所定の位置へと宛がった。そして、くわえるだけでフジのタバコはフィルターまで真っ赤に染まる。口腔内の出血か内蔵の損傷か、受けたダメージは激甚で尋常ではない。
「ライターがぶっ壊れちまった。火、貸してくれよ」
「しょうがねぇな。一つ貸しだぜ」
二〇〇センチ超のディエゴが屈みこみ、フジのタバコに火をつけようとしたその瞬間だった!
「死ねぇ! この野郎! 死ねぇ!」
フジはその膝を踏み台に、ディエゴの鼻っ柱にロケット頭突きを繰り出す! ディエゴの脳内で砂が擦れるような音が僅かに響き、フジの髪に暴君の血がしみ込んだ。
「セエアッ!」
頭突きの勢いのままフジはディエゴの体を踏み台に飛び膝蹴りでさらに鼻へと攻撃を加える。ディエゴの心臓が不意のダメージと戦闘再開でよりラウドにビートを刻む。眼球だけで鼎の拳程の大きさがありそうな暴君は、フジの動きを瞳で追う。その目は、フィルム時代の夜の車のテールランプじみて尾を引く青い電光だけを映していた。そして、異常巨体の暴君はその分動きの際の振幅も大きく、フジの不意打ちとその連打に対応することが出来なった。
「ガアアア!」
のけ反ったディエゴの顔面にエルボードロップ! 今度こそ完全に鼻が折れた手応え! 肘でディエゴの後頭部を床に叩きつけた瞬間、ホワイトアウトするような超火力の電撃が迸り、ディエゴの全身の骨が透けた。あまりの電圧に脳が電球じみて発光し、特大リーゼントは黒煙をあげ、吸い始めたばかりはずの葉巻はすべて焼失していた。
「前座の試合で満足してるんじゃねぇよ」
「フッフッフ……」
……。信じがたいことに、大の字に倒れて笑うディエゴには何の陰りもなかった。今の三連撃は確かに効いている。効いているが、まだ倒すには至らないのだ。巨木にとっては枝を三本折られた程度のことだったのだろう。
「俺は別にブレイズに期待しちゃいねぇ。だが、いつまでも侮ってると食われるぞ、アッシュ。俺を怖がるように、ちゃんとあいつを怖がれ」




