第43話 フジ・カケルvsディエゴ・ドラドデルフィン ②
「おい、撤退だクソッタレども」
「社長、賛成しかねます」
犬歯を剥きだしてご機嫌な社長の言葉に、副社長にして愛人のラーナはメガネをかちゃりと動かして意見した。彼女はまだこの宝物殿で何も奪っていなかった。ポータル適合者である彼女は次回以降のアクセスに備えて宝物殿の壁面を調査し、ポータルアクセスを拒否するネガ・エウレカのほころびを探していたのだ。だが、それはまだ見つからない。ラーナは誰よりも激しいサディスト故に、敵の嫌がることも自分がされたら嫌なことも敏感に感じ取り、予測出来る。一度ここに来られてしまったのなら次は地球人も完璧に守りを固めるだろう。彼女はディエゴを信頼してはいるが妄信はしない。ディエゴが敗れる、失敗する可能性も考慮する。確かにディエゴはラーナが今までに見てきた中で最強の怪獣だが、アブソリュートマンを除いてもあのバースが相手ならディエゴですら勝てるかどうかわからない。そしてバースは今は地球の拘置所で大人しく暮らしている。地球人がバースを飼い慣らせばアブソリュートマンすら不要の史上最強のガバメント・ビーストとなるだろう。
「次回以降のアクセス方法が確立されていません」
とことん賢い女、ラーナ。普段なら面と向かって言えるが、戦闘でテンションの上がっている社長に「負ける可能性」の示唆は逆なでするだけだ。
「じゃあこいつはどうやって来た? こいつはポータル適合者じゃねぇのに見えないところから急に現れたぞ。ポータル以外にあり得るか? えぇと、こいつの仲間のポータル適合者は誰がいた?」
「犬養樹ただ一人です。今はジェイドと虎威狐燐は戦線にいません」
畜生が……。フジは痛むあばらを抑えながら呻いた。どうやらDD興業はジェイド、狐燐の不在の調べをつけているようだ。ならばレイがいないことも知っているだろう。つまり、今の地球防衛は飛車角と桂馬落ちだ。悔しいが甘く見られるのも仕方ない部分はある。だから見せつけるしかない! いつまでも兄姉に甘える不出来な末っ子ではないということを!
「犬養樹のポータルが特別なのかもしれませんね。彼女はマインの超能力を継承しています。マインのポータルは我々のような一般ポータル適合者と一線も二線も画します。もはや別物と言えるでしょう。だから我々は次回以降のため……」
「ファック・オフ! じゃあ次来るときまでに犬養樹を攫っておけば万事解決じゃねぇか。くだらねぇアイデアで俺の一番気持ちいい時間に水をさすな。昨晩のお前とのベッドより今が気持ちいいんだ、俺ァ。そういう訳でテメェらは撤退しとけ。殿は俺がやる」
舐めやがって畜生が……。奥歯が砕ける程の勢いでフジは食いしばり、眼球は赤いクモが足を広げたようにみちみちと血走っていた。
「クソ野郎……。殿を大将が務めるとはだいぶ舐められたもんだぜ。殿と殿は漢字は同じでも意味は違うぞ、バカ殿様。バカすぎてリーゼントとちょんまげの区別もつかなくなったか?」
……。フジの痛みはすぐに引いていった。筋繊維にも骨にも臓器にもダメージはなく、ただ吹っ飛ばされただけだったようだ。指先には変わらず電気が纏わりつき、出力も弱まっていない。むしろ逆だ。そして一つ気が付いた。
私怨でしか戦えない自分の本気を引き出すため、ディエゴは挑発しているのでは?
「教えてくれてありがとうよ、いかりや長介。だが意味は知っている。だって俺はDD興業で一番強くてスゲェんだから俺が殿として守ってやらなきゃなぁ」
暴君はまた一段とボルテージを上げる。じわりと熱気が肩から滲みだし、陽炎、湯気となった。……ない。フジはメガネの位置を直した。こいつを相手にしながら撤退する他のDD興業を追撃するプランも余裕も平常心もない。
……。ディエゴが語ったように、フジはディエゴに対する私怨がない。戦う理由は大義だけだ。どこかで、こいつは口だけで本当は仲間たちもZ飯店も攫う気はないと思っていた。だが実際にこいつは同列に並べて欲した上野地下宝物殿に強襲をかけた。戦わねば。戦わねば……。
「怖いか? 俺が」
「……」
「テメェが俺にビビるのに夢中になっている間に、俺の子分はみんなこの宝物殿から去った。ここには俺とテメェしかいないぞ。つまり、何を言おうが、何をしようが俺を倒せば誰も知ることはない」
「怖い」
「……そうか」
「俺はいつも敵が怖い。お前さんの言う通り、俺はその恐怖を上書きする程の私怨でどうにか戦ってきたって訳だな。だが戦う」
「それでいい」
ずいぃい……。ディエゴが構える。四十センチ近い身長差を埋めるために、低く腰を落として拳を引いた。
「DD興業がもうお前さんしか残ってねぇんなら好都合だぁ。じゃあ俺はこうする」
フジは踵を返して体を反転させ。ディエゴに背中を晒した。当然、ここから繰り出される攻撃は存在しない。中にはそういうことが出来る怪獣もいるだろうが、フジ・カケルはこの体勢からは格闘もバリアーも、電撃も放つことはない。
「じゃあなクソッタレ。時間を稼がせてもらうぜ!」
そのまま全力疾走を開始! タイルが抉れるようなダッシュは凄まじい速度だった。ディエゴが過去に戦った宿敵アブソリュート・キッドは史上最速のアブソリュートマンと言われているが、キッドは逃げなかったのでその速度をディエゴが知ることはなかった。今のフジの逃げ足は史上最速だった。
「このクソガキ」
ディエゴが状況を理解した時にはもう、フジはセリフを置き土産に床を焦がすような急カーブを決めて木箱の陰に隠れていた。
「お前さんが俺を捕まえるまでに、地上に逃げちまったDD興業はメッセと犬養が始末してくれるはずだ! とことん付き合ってもらうぜ、何故なら俺はお前さんが怖いからぁ!」
「怒怒怒怒怒唖唖唖唖唖ァーーーーーッ!!!!!」
暴君の怒りの声は慟哭じみていた。あまりの音量にDD興業メンバーが逃げて行った廊下はそれそのものがバグパイプじみて音を反響し続け、収蔵品のアブソリュートマン仏像に亀裂が入った。
欲しい女は一人も残さず手に入れてきたと豪語する怪獣が、現在のベストとして選んだ愛人ラーナ。ディエゴはフジとの戦いをラーナとのベッドインよりも気持ちいいと語ったにもかかわらず、アブソリュートマンの末席が選んだのは逃亡と他力本願だったのだ。
アブソリュートマンに理想を抱きすぎる人間は確かにいる。理不尽なまでに救いを求めるものもいる。だが実際にレジェンド級アブソリュートマンと戦った経歴もあるディエゴが抱くアブソリュートマンへの理想は野放図でも過大でもない。
「ブッ殺してやるクソガキ!」
怒りのあまりに元サッカー選手とは思えないバラバラの足取りで感情任せにディエゴは暴走し、ぶつかっただけで砕ける化石もあった。そしてフジが曲がった角に差し掛かった時、不意に実にクソガキじみた生意気な声が聞こえた。
「宝物殿を丸ごと奪おうとするお前さんには敵わねぇが、俺も手癖が悪いんだ」
次の瞬間、ディエゴは全身のバランスを崩し、リーゼントは縦に横に斜めにとぐいんぐいんと大小に震えまくった。右足の下にあるのは、さっきフジを叩きつけた時に零れた目玉模様の宝玉。その大きさはテニスボール大はある。そうだ。フジがディエゴの足元を目掛け、彼が踏んで転ぶように一流のショートストップの精度でスローイングしたのだ。
そして聞こえた生意気な声! ディエゴは歓喜していた。フジは勝負を捨てていない。生意気なのはクソガキだからじゃない。トリックスターだからだ。
「ドド、ンンン!!!」
転……ばない! ディエゴの全身に、意地と闘志と歓喜がみなぎり、経験とパワーを右足に注ぎ込んで前傾姿勢になり、ダイヤモンド製の宝玉を踏み潰してバランスを取り戻した。だが万全ではない。その間に青の戦士は積み上げられた木箱を軽快に飛びあがり、マント代わりのウインドブレイカーが青い光を孕んだ。
「くたばれこの野郎!」
跳躍しながら右脇にディエゴの頭を抱え、全身をスイングしながらダイビング! スワンダイブ式スイングDDTだ!
「ドドア!」
……否! ディエゴの一〇〇センチ超のリーゼントが真っ先に着地し、杖となってDDTの衝撃から頭を守った! これは特殊能力ではない。偶然でもない! 「負けたら剃髪」の誓いを立て、以降五十年間無敗の男が築いた勝利への執念と証だ。五十年も約束を守った男が、勝負の女神に守られないはずがないのだ!
「じゃあもう一発食らえ!」
DDT失敗から即座に体勢を立て直したフジは、あまりにも長く硬いリーゼントが突き刺さって抜くのに少しの時間を要していることを見抜いた。そのリーゼントをスイープキックで強引に引き抜き、ディエゴの腕が床につく前に頭部を抱え上げ、リーゼントの角度を加味して……
「死ねッコラァッ!」
改めて垂直落下ブレーンバスターをかけ直す! 砕けた床の粉塵が波紋となり、宝物殿中に伝播する! ……サンキュー、鼎。鼎と共に増量したおかげで、ディエゴの巨体を持ち上げることが出来た、ということにしたい。
「よっし、もう一回逃げるか」
疾走を開始した瞬間にフジは思いきりつんのめって顔面を強かに床に打ち付けた。メガネが割れなかったのは幸いだった。そしてその刹那、左足首に強い痛みを感じた。
「この馬鹿力」
それは、手なのか? 自分の足首を掴むのは。万力、圧搾機、そういった肉では作れない類のものを連想させた。
「まずい」
「ドドアッ!」
フジは足首を掴まれたままテニスラケットのようにぶん回され、壁面に叩き付けられて体の後ろ半分が埋まった。言葉が出ない。物理的に発声も出来ないし、ひねり出せる言葉もない。
「久しぶりに見たな、俺の血」
首をごきりごきりと鳴らし、DD興業社長はリーゼントから伝う血を手に塗りたくって危険に血走った眼で笑った。火が着いてしまっている。
「さて、お前らアブソリュートマンにとっての弱点……“クリプトナイト”はエウレカ物質。そしてこの宝物殿の壁面をコーティングするのはエウレカを加工したネガ・エウレカだが、ネガになってもお前らにとってはクリプトナイトのままかな?」
「知らねぇよクソ……」
「じゃあ試そうぜ!」
がしゃああん!
ディエゴはフジの頭を掴んで二度、三度と壁面に叩きつけ、そのたびに新しく傷を負って出血が生じた。その出血量は無視出来るものではなく、フジの周囲に走る亀裂に浸透して壁自体が網目の肉のようになり、そして出血していた。侮っていた。ディエゴ・ドラドデルフィンの強さを!!
「ドドドドドドドアッ!」
「セエエエエエエ!?」
もう一度叩きつける! そして、フジの顔面を壁に半分埋めたまま今度はディエゴが疾走を開始する! フジの顔面が壁を抉り、ディエゴは床に足跡を、側面の壁にはフジと同じ幅の溝を作って駆け抜けた後、無造作に血塗れの青年を投げ捨てた。
「これじゃあネガ・エウレカが効いたのか俺が強すぎたのかわからねぇなァ!? ハァーハッハッハァー! ……ふぅ」
ディエゴは腰に手を当て、天を仰いで興奮を抜くように息を吐いた。そしてエナメルの靴がターンし、後ろに立つ戦士の品定めをした。
「テメェはどうせ遅れると思っていた。もしくは来ねぇかと」
「……」
「だが、来たんだな。先に聞いておこう。覚悟はあるな? テメェが憧れたアブソリュート・アッシュはここで伸びている。こいつはキッドには及ばねぇ。もちろんジェイドやレイ、初代、ミリオンにも遠く及ばねぇ。その上で聞く。テメェの最終目標は、こいつか? こいつを超えることなのか? ここで! 今! 俺がブチのめしたこいつを超えてテメェは満足か!?」
薪悟は工務店のツナギをはだけ、袖を腰で結んだ。
「それは今はどうでもいいことだ」
「なんだと?」
「俺は一人のアブソリュートマンとして、ディエゴ・ドラドデルフィンとDD興業を止めに来た。もうどうでもいいんだ」
「何がだ?」
「敵がどう考えて敵にどういう理屈や信念、過去があるとか、そういうことはどうでもいいと考えることにした。いや、どうでもよくはないか。臨機応変に考える。それよりも、俺がどうかだ」
「続けろ」
「アブソリュートマンだから正しくなければならない、怪獣だから荒っぽい、もしくは誇り高い、地球人だから弱い中で頑張る。その中で個人個人の考え方があるだろう」
「あぁ、そうだな。多様性ってやつだ。この世に一人として同じ人間はいねぇ。それでもアブソリュートマン、怪獣、地球人、その中でも男、女なんかの大きな分類での属性で多様性多様性という時点で、結局多様性じゃねぇんだ。属性への忖度だ。そうだ。尊重すべきは個人だ」
「じゃあ俺は?」
「それはテメェだけが知ってることだろ?」
「俺は俺を知らなかった。彩凛の恋人、Z飯店のリーダー、マイオスさんに大工仕事を教えられた弟子。俺を定義するのはいつも他人だった。だから俺はいつも人の顔色を窺い、多様性、個人の尊重の名分のもとに自分のすべてを譲ってきた。それではダメだ。これから俺は、俺を自分で定義する」
「ふぅむ……。少しはマシになった。何がお前をそうさせた? 獲得か? 喪失か?」
「今……。ようやく俺にとって一番大事な人間が俺になったんだ。だから話したくないことは話さない」
彩凛という恋人の喪失だ。彼女は今、どこで何をしているのだろうか。だが、ここで! 変わった自分を見てもらいたい、ディエゴを倒して実力を証明した自分を見てもらいたい、一端のアブソリュートマンになれたか教えてもらいたいなどと願ってしまえば! 結局自分は彩凛に定義されるだけなのだ! だから、誰もいなくていい。もう少し寝ていていいぞ、アッシュ。
「エゴだな、それは」
「……」
「エゴだ! それでいい。ようやくスタートラインに立ったぞ、童貞野郎。次はコンドームのつけ方を教えてやろう! と、言いたいところだが、テメェはそこで何をしている、スティング」
薪悟の背後に強い存在感が生じた。それでも薪悟の影には何も重ならなかったが、そこには透き通る石の体の怪人がいた。
「すみません、社長。地上からの穴にこの男が入っていくのが見えたので、つい追ってきてしまいました」
「理由を言え」
「先日、あろうことか興行で、観客の前でこの男に負けてしまいました。名誉挽回のチャンスを与えていただきたい」
「テメェ、あの時八百長で負けただろう? 言い訳はあるか?」
「私も一人の人間ですので、あの時は八百長をする理由がありました」
八百長。ついに疑惑は確信へと変わった。DD興業の興行で薪悟が観客の中からピンポイントでスティングに指名され、苦戦の末に彼を倒した戦いは、やはりスティングによる敗退行為であったことが本人の口から肯定されたのだ。八百長だったのはわかってはいたことだが、それが事実として語られるとこみ上げる屈辱は想像をはるかに絶するものだった。
「今度は負けません。どうかチャンスを」
スティングがポーズをとると、あの時と同じくフェイスペイントとゴシックホラーの衣装に一瞬にして様変わりした。スティングの戦闘服だ。
「フッ、そうか。おいブレイズ。本番の前にこのダッチワイフをイかせてみろよ! そしたら相手をしてやらねぇでもねぇぞ」
怒り……。怒りだ。
薪悟の人生において怒りがよく働いたことなど一度もなかった。後味は悪いし、ぶつける相手も場所もない。自然に消えてくれるのを待つのみ。痛みと同義。そもそも怒った経験が自分の人生にあるのか? 母が死んだときか? 彩凛を苦しめた地獄か? 貧困? 不当解雇? その時に自分は怒ったか? 怒ることは無意味だと拒絶しただけだ。だが今は違う。この怒りすらも自分のものだ。自分から生じたものが、自分を定義するのだ。八百長で負けられたことを悔しく思うのは、自分を殺してきたつもりでもプライドがあったからだ。だから雪ぐ。
「相手してください、スティングさん」
芦屋薪悟/アブソリュート・ブレイズ 一八〇センチメートル 八〇キログラム
VS
スティング・セーリィゼリー 一九二センチメートル 一一二キログラム




