第42話 フリークス・アウト
「鯉住さん……でいいんですかね?」
「音々でいいよ」
「じゃあ音々さん」
不思議な間だった。
音々はとにかく社交性に優れた溌剌としており、他人への共感力が非常に高く観察眼も鋭い。くわえてかなりの美人のため初対面の彼女に対して呼び方で迷ってしまう人はいるが、人見知り故に音々と呼んで、と言っても呼べない人もいるし、はじめから音々と呼ぶ人もいる。薪悟はどちらでもなかった。まずは礼儀として名字で呼ぼうとするが、人の呼び方に頓着がない……というよりも何も考えていない。元からこの人はそうなのだろう。名前こそブレイズだが、水のようにさらりとして形がない。
とりあえず、夏の恩は返そう。音々は健啖家であるから、まずはピザとパスタ、生ハムとチーズの盛り合わせを頼んだ。
「この間……といってももう数か月も前ですけど、あの時はありがとうございました」
「いえ、迷惑でしたか?」
「全然。あそこにあのままいたらわたしも鼎ちゃんも危なかっただろうし、わたしたちはアブソリュート六大レジェンドは初代とミリオンしか知らない。そもそも六大レジェンドという概念があるのも知らなかったしね。それに、オタクは同じものが好きな人が好き。地球人のファンと、アブソリュート人のファンじゃあ立場が違うでしょうけどね」
「俺もよかったです。初代アブソリュートマン……。俺たち下の世代の人間は、初代をマン兄さんって呼ぶんですけど、マン兄さんの戦いを生で見たのは初めてだった」
薪悟はピザにも生ハムにも手をつけなかった。遠慮しているのではない。音々に譲る。それが美徳だと思っている。
「音々さんのことは俺もよく知っています」
「どんな風に?」
「レイ、ジェイド、アッシュですら認める一番のアブソリュートマンファンだって」
それは取り繕った答えだった。確かにレイ、ジェイド、アッシュの三兄弟は、音々を一番のアブソリュートマンファンと認め、彼女のイメージするヒーロー像を理想としている。だが薪悟たちZ飯店は違うアプローチから音々に辿り着いた。
昨年冬の高校でのヒーローショーに始まり、音々の前にはたびたび侵略者や怪獣が現れ、彼女の心が折れるような暴威に晒し、そしてすぐにアブソリュートマンが現れる。この一年のアッシュたちの戦いをすべて振り返れば、節目節目で音々は敵に襲われていた。そして、ある時を境にフジが音々率いるスタジオNEchoのアクション指導に就いていたことを知った。だが特別に狙われる理由はない。つまり、フジが特別と認定した地球人だった。
それでもブレイズはシカリが調べた音々のことを忘れかけていた。すべてに頓着がないのだ。
「薪悟さんも初代ファンなんですよね、多分」
「はい」
「戦い方というか、構えが初代と同じですもんね」
他意はないだろう。だが、今の薪悟には猿真似と聞こえた。音々は戦い方という表現を一度濁し、構えという言葉を強調したのだ。
「そういえば音々さんは、マン兄さんの戦いを二度も見ていますね。変な意味じゃないんですけど、マン兄さんらしくない」
「らしくない?」
「マン兄さんは何も話さず、何にも執着を持たず、淡々と“執行”する。あの人は……。装置みたいな人です。なのに音々さんにどこかこだわったように見えました」
「そっか」
音々はレモン風味の炭酸水を一気に飲み込んだ。今口を開けばただちにレディあるまじき下品な息が音を立てるだろう。だから言葉を飲み込む。
初代アブソリュートマンはそうではない。初代アブソリュートマンはきちんと人であり、こだわりがあり、よく喋る。そしてそうしない自分……薪悟がそうだと思い込んでいる装置のような自分をカッコいいと思っている意外と俗っぽい人だ。マウントを取る訳ではないが、自分の方がよく初代アブソリュートマンを知っている。……のだろうか? 初代の本当の姿や性格を知るのが自分とミリオンとアッシュしかおらず、その本当の姿の口外を禁じられている以上、薪悟の誤解を解くことは、まったく意味のないことだ。多くの人が初代アブソリュートマンを信仰するが、その信仰を揺るがす事実を伝えることは逆なでするだけだ。初代の照れ隠しの口止めもある。
「やっぱり音々さんは何かあるんでしょうね。マン兄さんがあなたのために二度も戦ったんだから」
そして、あの夏の多摩川の河川敷。初代アブソリュートマンはブレイズを指さして横に振り、改めてアッシュに指を向けた。何を意味していたかは分からないが、初代はブレイズではなくアッシュ、と主張した。これ以上ない屈辱だっただろう。
「わたしは一度死んだ人間です」
「死んだ?」
「多摩川の河川敷の戦いの前。つまり、初代がわたしの前にはじめて姿を現した時。あの時わたしはヒーローショーをやっていて、そこに怪獣が紛れ込んだ」
「で、マン兄さんとアッシュが現れて倒した」
「その前に、わたしは自分で作った自分のヒーローのイタマエ仮面……演じるのは普通の地球人。イタマエ仮面がヒーローとして怪獣と戦おうとしたから、その志と心中するつもりでお客さんに避難を促すこともなく、イタマエ仮面を止めることもなく、むしろ煽った。わたしはあの時死ぬつもりだった。初代とアッシュが現れなかったらわたしもイタマエ仮面もお客さんも死んでいた。あの二人が来たから、アッシュと初代がサプライズ参戦したショーとして強引に体裁は保たれ、わたしの罪は世間的には無かったことになった。でも罪悪感はある」
「……」
「だからわたしは今はヒーローショーも動画投稿もやめています」
「引退するんですか?」
「わからない。どう償えばいいかわからないし、どうすれば許されるのか、自分を許せるのかわからない。わたしに戻ってきて、という人たちがわたしの罪を知っているのかもわからない。でも、いつかは戻ろうと思っているのは保険じゃない」
……。何故だ……。何故自分はこうなれない?
わかってはいるんだ。宮沢賢治に憧れてデクノボーの美学に殉じようとも、実際に戦ったアッシュは弱敵にすぎない自分を相手に鬼気迫る表情だった。手を抜いて八百長を演じたとはいえ、あのスティングも必死だった。ディエゴの気迫はもっとすごい。自分が戦いのために燃やしに燃やし、研ぎに研いだ闘志よりもディエゴが無意識に放出する熱気と敵意の方が何倍も強い。
そしてこの音々もだ。自分は一度死んだ、それも自分の判断ミスでそうなったと生き甲斐の創作活動を休みながらも、いつかは戻ると宣言している。厚顔無恥なのではない。ライフワークのヒーローショーと動画投稿でも、プライドと闘志がある。
なんだったんだ……。たった一度だけ湧いた、あのZ飯店に宣言した打倒アッシュは。なぜあの時だけ俺は……。あんな野望さえ持たなければ……。
「薪悟さんが悩んでいるのは知っています。わたしもSNSで観ました。アッシュに手も足も出なかったけど……」
「本当はもっと知っているんでしょう?」
「……実はフジさんから薪悟さんのことは聞いています。フジさんを倒して世代ナンバーワンアブソリュートマンになりたいそうですね。じゃあ、戦うしかないんじゃないですか? 他人の言葉を借りるようだけど、守るものがあるアブソリュートマンは強いんですよ」
熱い……。
「でも俺は、恋人にも距離を置かれて、仲間たちも去ってしまった」
「ちょっと申し訳ないですけど、だから勝てないんですよ?」
熱い。
「初代やミリオンやレイやジェイドやアッシュが、親しい人だけを守るために戦ってると思ってるんですか? ねぇ」
熱い!
「……少々熱くなってしまいましたね。言葉が過ぎたことは謝ります。でも、わたしたち地球人にはアブソリュートマンの都合はわかりません。……というには、アブソリュートマンという“人々”を知り過ぎましたけど、あくまでも厄介な一ファン、何も知らない名もなき地球人としてわたしがヒーローに求めることはたった一つです。そして、今のあなたには必要だと思うので語らせてください」
熱い!!!
「聞かせてください」
「消えないことです。一度でもヒーローとして戦ったのなら、あなたに助けを求める人は必ずどこかにいる。確かにヒーローは神ではありません。この星の全員を救うことは出来ない。アフリカの貧困や大学野球暗黒上下関係に苦しむ人を救ったアブソリュートマンはいないけど、アフリカの貧困を救おうとした黒柳徹子、大学野球の体罰を撤廃しようとした高橋由伸は多分ヒーローだった。出来ることと出来ないことは確かにある。でも、一度でも救われたらその再来を願う。一度でも戦ったのなら! ……消えずに、何度でも救いを願わせてください。それが、わたしの願いです」
ッッッ!!! ……やはりだ。彼女は特別だった。
「音々さん。チャンネル登録しました。絶対に戻ってきてくださいね」
「もちろん」
「上野で今、DD興業が暴れています。アッシュはまだ来ていない。……俺が行く」
……。
「……せっかくご馳走するって言ったんだからもう少し食べて行けばよかったのに。腹が減っては戦は出来ぬだよ」
ふぅ、と音々はため息をつき、無人になった向かいの席の汚れのない真新しいフォークに触れようとしてやめた。赤熱していた。触れたら火傷は免れない熱さだった。
「まったく、“手の焼ける”人だ」
〇
「なぁ、おい見ろよオスカー、シャオシャオ」
既にディエゴは上野地下宝物殿の棺めいた木箱をいくつもこじ開け、中のお宝をむしり取っては頭に乗せてみたりじゃらじゃらと指の隙間に流したりしていた。謎の電磁波を放つネックレス、常に血がにじみ出す漆器……。そうした研究すら放棄された宝物はディエゴの心をくすぐった。キラキラ光る! すべすべ触り心地がいい! ずっしり重い! 珍しい! 美しい! それ以上の価値など関係なし!
「ドドアッ!」
キャンディストアに乱入したガキのようにフリークアウトしたディエゴは、翡翠と黒曜石が交互に積みあがった歴代足利将軍頭部像トーテムポールを無造作に殴り壊した。淡いグリーンと鋭いオブシディアンの破片が飛散し、泣くようにからからと床に転がった。
「何で殴り壊したんですか?」
「だってもう惜しくねぇだろ! これの代わりなんていくらでもあるんだぜ!」
なんたる横暴! 無法もここに極まった! オスカーが飛ばした自律飛行して天井付近を旋回する照明弾を手掛かりに、ディエゴは好奇と高揚で鞭を入れられたように暴れ狂い、シャオシャオはなるべく多くのものを持ち帰れるように小さく高価そうなものを物色していた。ラーナとスティングの二人は大量輸送と次回以降のアクセスのため、壁に触れて壁面をコーティングするネガ・エウレカのほころびを探していた。ネガ・エウレカのコーティングがある限り、ここにダイレクトでポータルを開くことはラーナとスティングでも不可能だ。
その時だった!
天井の弱弱しく光る蛍光灯が炸裂し、燈かりというにはあまりにも刺々しく物騒な光が渦を巻いてディエゴの背後に降臨した。
「ほう、テメェが一番首か」
「……」
ギザギザの光を纏ったスパイラル着地により、現れた戦士の周囲では径の違う焦げ跡がいくつも円を描き、ミステリーサークル状になっていた。そしてその円の小さいものは戦士の肌と触れ合う距離、大きいものはディエゴに届かんばかりだった。それだけ、この戦士の強さの密度と影響力の広さを物語っていた。その円の中心に佇むのは若き戦士。だが、敵によってはその円の内側は信号めいて赤く見えただろう。だがディエゴには赤でも黄色でも青でもない。ディエゴに危険度などという概念はない。
「少し、お前さんのことが好きになりかけてたぜ、ディエゴ」
ギザギザの光は稲光だった。電撃で間合いを可視化し、その中心に佇む電撃の戦士アブソリュート・アッシュの口調にウソはなかった。本当にディエゴが気に入りかけていたのだ。横暴な無法者だが、無意識のうちに紡がれた美学と哲学がある。頭で考えずとも力だけでその領域に辿り着いてしまう人間はいるのだ。
「お前さんがもし、俺の仲間もシカリの仲間も攫うことを諦め、この星にはあくまでも興行で来ていて……。こうやって強奪もしなければ、そうしたらお前さんともどこかでひっそりと試合をして、そしてお前さんは満足して帰ったのかもな。それだったら……」
「あぁ~ん? 言葉が軟弱すぎて鼓膜が音を拾わねぇなぁ? ……許されてたまるかよ。仮に俺がお前の仲間にもブレイズの仲間にも興味を持たず、ここを襲わなかったら許して終わってただァ!? 舐めんなよクソガキ。俺は! 宇都宮でガスパー星人を暴れさせ、池袋でアニメの限定グッズを転売ヤーに買い占めさせた! 中野ブロードウェイにもガスパー星人を派遣したな。十分に許されねぇと思うぜ? ケガ人多数、経済的損失もデケェ」
「……」
「言い当ててやるよ。私怨だ、アッシュ。お前には俺に対する私怨がねぇ。金田一蔵之介はお前の新しい仲間を殺した。マインもお前の仲間を殺したな。ウラオビはお前の恋人を襲った。戦う動機には十分だが、お前がアブソリュートマンとして戦う動機が私怨だけなのだとしたら今すぐにハローワークに行け。まだ若くて体力もあるからそれなりの職は見つかるぞ。お前は悪意に麻痺している。俺たちがやったことは十分に悪事だ。だがお前が直接俺を恨む理由はなかったな」
「私怨、か」
「難儀だな、アブソリュートマンの若造」
ディエゴが振り向くと特大のリーゼントがぐいんと慣性の法則で揺れ、振動が収まるまでにしばしの時間を要した。暴君の背後にオスカーの自律飛行照明弾が回り、粉塵と逆光で偉大なるディエゴ・ドラドデルフィンの表情は隠され、おとぎ話のような巨大なシルエットが強調された。
「てめぇがいくらジェイドやレイと兄弟ゲンカ、ブレイズとガキのいさかいをしようと、レジェンド級アブソリュートマンと戦うチャンスは訪れねぇ。だが、俺にはある」
「でもお前さんはキッドに負けたんだろう?」
照明弾は今度はフジの背後に回った。登場の電撃の残滓で焦げた床が作った白煙をスクリーンに若い戦士の影が投影された。
「負けた! だから俺は強くなった! 五十年負けてねぇ!」
「それでもお前さんを好きでいたかったぜ」
「先に言っておいてやる。愛してるぜ、アブソリュート・アッシュ」
火星の住人に向けて放てば、火星が丸ごと地球に落ちるような魅惑の投げキッス。
「それで……。まぁ、残念だったな、ブレイズは。やつはまたお前に先を越された。やつは間に合わなかった」
「忘れろ、あんなデクノボー」
フジの右手の人差し指と中指の間にぱちぱちと細かくアーク放電! それを握りしめ、メガネが割れるくらいの愛憎を込めて拳を突き出した。
宝物殿の収蔵品で、偶然無造作に床に転がっていたゴングに偶然あった木槌が落ちた。
カァーン! 開始のゴングとなる!
“地球最強の戦士”“アブソリュートマン:ナンバーナイン”
フジ・カケル/アブソリュート・アッシュ 一七四センチメートル 六六キログラム
VS
“無頼怪獣”“DD興業チャンピオン”
ディエゴ・ドラドデルフィン 二一〇センチメートル 一〇五キログラム
「セエアッ!」
「ドドアッ!」
暴君は大きく胸を張り、くっきりと陰影の刻まれたDD興業チャンピオンベルトでその鉄拳を受けた! 純金のベルトは通電し、ほんの少しスパークしたが、DD興業の永久王者はチャンピオンベルトで敵の攻撃を受け止めたのだ! しかし何らおかしなことはない。DD興業のチャンピオンベルトは永久にディエゴのものであるから譲る際の状態に気を遣うことはない。
「ドアッ!」
「セエエエエッ!?」
フジには確かにディエゴに対する対抗意識はあった。ディエゴ程のフィジカルはないが、十分に避けられるテレフォンパンチをあえてゴア族カンフーで流そうと試み、そのディフェンスごと殴り飛ばされて木箱に激突した。激突した超遺物の棺は蓋もクギもすべて吹き飛び、バラバラに分解されて中に詰められていた眼球を模した無数の宝玉ががらがらと零れ落ちた。そして無様なアブソリュートマンの末席を白眼視した。ゴア族カンフー守りの奥義は、超能力を用いない近接戦闘において九十九パーセントの守備を実現する。フジが一パーセントを引いてしまったのは習得以降初だった。
「メリークリスマス、坊や」




